Act01:竜騎士の朝 Ⅰ
「んん……痛っ!?」
リファイド・シュネーヴァイスは、固いベッドから落ちて小さな悲鳴を上げた。
プラチナブロンドの髪がぶわぁっと広がって、まるでお化けみたいである。小さな体を懸命に持ち上げて、だら~っとベッドにもたれかかった。
なんだか、悲しい夢を見ていたような気がする。内容は思い出せないけど、なんだか重い物がキュッと胸の真ん中を締め付けてくるのだ。
「ふむ。ようやくお目覚めのようだね、ファイ君」
「ら、らぐとぅださん。お、おはようごじゃいまふ」
まぶたの半分閉じたままのリファイド──ファイは、反射的に挨拶をした。
寝起きで呂律の回っていないファイに、挨拶をしてきた男はクスリと薄い笑みを浮かべる。
この人はラグトゥダ・マルセライ。この家の持ち主で、現在ファイがお世話になっているおじさんだ。前に会った時より、ちょっぴりお腹周りがふくよかになっているのはナイショである。
「さっそくだが、朝食を作ってくれたまえ。腹が減ったままでは、満足に仕事もできないからねぇ」
「は、ひゃい。すぐに準備します」
ファイはぐしゃぐしゃになったベッドを整えてると、すぐさまキッチンに向かう。
とはいえ、やる事は簡単だ。パンを焼いて、それに載せるハムエッグを作り、ホットミルクを用意するだけである。
まずはパンをオーブンに、卵とベーコンをフライパンに落とし、昨日買ってきたミルクを小鍋で温める。調理器具は全て魔力で動くタイプなので、温度調整も簡単だ。
──あ、魔力、もうすぐなくなりそうになってる。
その温度調整をしていて、どの調理器具も残りの魔力が少なくなっているのに気付いた。ラグトゥダさんに頼んで、魔力を注入してもらわないと。
ファイがそうこう考えている内に、パンとハムエッグが焼き上がり、ミルクもちょうどいい具合に温まった。
「ラグトゥダさん、朝ご飯ですよぉ」
「ふむ、わかった」
ファイは慣れた手つきでパンの上にハムエッグをのせ、コップにホットミルクを注ぐ。
小さな調理場のすぐ後ろに、二人分の朝食が用意された。
「ふむ、だいぶ上手くなってきたねぇ」
「えへへ。ま、毎日、やらせて頂いてますから」
「それでは、いただこうか」
「いただきます」
こうして、リファイド・シュネーヴァイスのいつもの1日が始まった。
朝食を簡単に済ませて二人分の食器を洗い終えると、ファイは手早く着替えを始めた。
──ラグトゥダさんの事、待たせるわけにはいかないもんね。
家を出る時に持ってきた、髪と同じ白金色を基調とした長衣。ところどころにあしらわれたフリルの可愛い、ファイもお気に入りの一着だ。
「お、お待たせしました」
「いや、別に構わないよ」
着替え終わったファイが玄関までやってくると、そこには既に準備を終えてラグトゥダの姿があった。
濃厚な紫のマントはちょっとサイズが小さい気もするけど、これは言わない方がいいよね?
「君の着替えが遅いのは重々承知しているからねぇ。悪いと思うのなら、もっと準備を早くしてくれると助かる」
「も、申し訳ないです」
そして、全っっっ然、抑揚のない声で厳しい一言をいただきました。うぅぅ、これでも早くしているつもりなのに。
こういうところ、ラグトゥダさんは手厳しいです。
「それじゃあ、行こうか。しっかり護衛してくれたまえ? ファイ君」
「は、はぃ……」
朝から意気消沈のファイを引き連れて、ラグトゥダは家を出た。
目指すはルベールの街の中心部にある、魔法ギルド・ルベール支部である。
ここからは、歩いて二〇分くらい。ラグトゥダ曰く、デスクワークばかりで運動不足にならないように歩いているのだそうだ。
でもお腹の具合からして、距離はだいぶ足りていない感じである。
「それでどうかな? 事務方の仕事には慣れたかな?」
「はぃ、おかげさまで」
「僕としても、君は今までドンパチ専門だったから心配だったんだけどね。いやはや、今日も頼んだよ」
「が、がんばります」
ラグトゥダに肩をぽんと叩かれ、ファイは思わず声が裏返った。
慣れてきたとはいえ、朝のラッシュはスゴいのである。少しでも名を上げようと、魔法使い達が詰めかけてくるものだから、けっこう……いや、もんのすごく忙しいのだ。
受付の人数を増やせばいいのだけど、経費がもったいないとかでラグトゥダには今のところそんな予定はないらしい。
おかげで手伝いを始めたばかりのファイも、いっぱいコキ使われちゃっていたりする。
「ところで、調子は戻ってきたのかね?」
「それが……」
照れ笑いや苦笑いのころころしていたファイの顔に、ふっと黒い雲が立ちこめた。視線は下を向いて、口をキュッとこわばらせる。
その反応で、ラグトゥダは全てを察した。
「ふむ、そうか。君ほどの逸材が側近から魔法ギルド補佐に回された時は驚いたのだが、魔法が使えなくなってしまっては無理もないか」
ファイの口にできなかった事を、ラグトゥダはあっさりと言葉にした。その言葉の一つ一つが、ファイの心にグサリと突き刺さってくる。
魔法が使えなくなってしまった。誰かに言われると、自分で思うよりもっと辛くなってしまう。
「…………その、がんばっては、いるんですけど」
ようやく絞り出したその声は、虫の羽音のように小さいものだった。風でも吹けば、そのまま消えてしまいそうなほどに。
「あぁ。頑張って、また魔法が使えるようになってくれたまえ。こなしてもらいたい高難易度のクエストは、いくらでもあるからねぇ」
しかし、何をどう頑張ればいいのだろう。
ラグトゥダの期待は嬉しいけど、その方法がわからないのだ。
どうすれば、自分はまた魔法が使えるようになるのか、その方法が。
「組織の運営にはそれなりの金が必要なのは、前にも話しただろう。復活した暁にはぜひ、ギルドの運営資金を稼いでくれたまえ」
ふふっと、ラグトゥダは少しおどけて見せた。
相変わらず、ラグトゥダさんは口調に抑揚がないけど、最近は少しだけだけど表情の微妙な違いがわかるようになってきたのだ。エッヘン。
それにしても、お金に厳しいのだけは全然ぶれないなぁ。いい事ではあるんだけど。
「えっと、その時がきたら……って事で」
「もちろんだとも。首を長くして待っているよ」
果たして、その期待に答えられる日はくるのだろうか。
雲一つ無い青空とは正反対に、ファイの心には今日も暗雲が立ちこめていた。