Act01:思いやりは甘い味 Ⅰ
朝のクエスト受注ラッシュも終わった頃、ファイは受け付けカウンターに突っ伏しておっきなため息をついた。
これ、もうちょっとどうにかならないのかな? 忙しすぎて、目が回っちゃう。
人を増やしてくれればいいんだけど、ラグトゥダさんがいる間は絶対に無理だろうな。現に回せているんだから問題ないじゃないか、くらいは言いそうである。
「おつかれ~、ファイちゃん」
「あうっ、ケセラスさん、重いぃ……」
後ろから抱きついてきたケセラスは、そのままぐで~っとファイにのしかかる。そしてその首筋に、ぐりぐりとほっぺをすりつけた。
「ファイちゃん、最近いい匂いがするんだよね~。シャンプー変えたのかなぁ?」
「もぉぉ、くっ、くすぐったいから、やめてってばぁ!」
抱きつく両手を振り払おうにも、上から乗っかられては身動きすらとれない。抜け出そうとするファイを難なく取り押さえて、ケセラスは思う存分ファイを堪能した。
「ふぅぅ。これで十歳は若返ったかも」
ファイがぐったりするまでスリスリしたところで、ケセラスはようやくファイを解放した。
本当にファイから若さを吸い取っちゃったのかもと思うくらい、ケセラスの肌はツヤッツヤになっている。それとは逆に、抱きつかれていたファイは、まるで枯れ葉みたいにしおしおだ。
それよりも、ケセラスはファイの五割増しくらいの量を裁いていたはずなのだが、全然疲れているように見えない。だらだらと背もたれにもたれかかったファイは、やっぱりケセラスさんってすごいな、と改めてその凄さを実感した。
「それにしても、どうしたの最近。日替わりで可愛い髪型しちゃって」
「日替わりじゃないです。三日おきくらい……」
髪型の事を言われて、ファイはちょっとだけ元気が戻ってきた。
今日の髪型はサイドテール。今朝ギルドへ向かう途中にウサピィに呼び止められ、手早くセットしてくれたものだ。
微調整も含めてものの十数秒で、ベストポジションに痛くない力加減でテールを作ってくれたのである。
もっとも、残念ながら魔力は戻ってこなかったのだが。
「何日かおきかなんてどうでもいいの。髪型がよく変わるから、どうかしたのかと思ってね」
「あ、うん。いいでしょ?」
「すっごくいいわね。自分でしてるの? うちの支部長はできそうにないし」
「ううん。違うよ。ユーディに紹介してもらって、ビヨウインに連れて行ってもらったの」
聞き慣れない単語にケセラスは、はてと首をかしげた。
「ビヨウイン? なにそれ、変わった名前だけど」
「えっとねぇ、髪を切ったり、髪型をセットしたりしてくれるお店の事」
「うそっ!?」
ファイの口から出た言葉に、ケセラスは思わず大声で聞き返した。
「じゃあなに? それは会った事もない赤の他人にやってもらったって事? 大丈夫なの、それ……」
髪型というものがどれだけ大切か、現役を引退したとはいえ魔法使いのケセラスも理解している。自分に一番似合う髪型は、生まれてからずっと付き合っている自分が一番よく理解している。
その髪型をだ、見ず知らずの人間に任せるだなんて信じられない。失敗すれば魔力は下がるし、そもそも知らない人間に髪を触られる時点で生理的に無理である。
「うん。髪洗うのすっごく上手で、ちょっと寝ちゃった。それに、髪もつやつやになったし」
「言われてみれば、確かに」
ケセラスはファイの髪を一房とると、指を滑らせた。
ちょっと前まではカサカサで引っかかりがあったのが、今日はするするとすり抜けてゆく。
それによく見れば、毛先のバランスが今までに見た事のないほど綺麗に整っている。なんと言うか、一見散らしているように見えるのだが、まとまりがあるというか、統一感がある。
「今さらだけど、よく見るとすごいちゃんとしてるわね」
「うん。いい加減なところだったら、ユーディが紹介してくれるわけないから」
なるほど、ビヨウインか。旦那や子供達ならばまだしも、赤の他人が自分の髪に触れるだなんて想像すらした事がなかったが、ファイの髪型を見る限りではいい加減な事をする人間ではなさそうだ。
こんな丁寧な髪型をした魔法使いなんて、国中を探したってそうそういない。
たまには現役復帰して給料稼いで、家族で美味しいもの食べに行くってのもいいかもな。そんな考えが、ケセラスの脳裏をよぎった。
元より、自分は既に引退した身。ちょっとくらいヘアスタイルを失敗したって仕事に影響はないのだから。
あとでお店の場所も聞いておこっと。
とまあ、そのビヨウインがどんな場所なのかも気になるところではあるが、
「ところで、さっきから気になってたんだけど、ファイちゃんの言ってるユーディって、あのユーディ・オペラモーヴの事?」
その名に、ケセラスは覚えがあった。
最近で言えば、女王陛下より二つ名を頂いていたはずである。六次彩髪──濁髪一歩手前の、桃色の髪色をしている魔法使いだ。その特性は人の心や精神に干渉するものが多く、決して戦闘向きの魔法ではない。
「そうですよ。ユーディ、魔法学校時代の私の後輩なんです」
しかし、彼女は手に入れたのだ。生まれの逆境にもめげず、己の魔法を信じ、研鑽を重ね、ついには二つ名を賜るほどの実力を。
「へぇぇ。世間はけっこう狭いのね……。まさか、ファイちゃんのとそんな間柄だったとは」
「まったく、何をたわけた事を言っているんだい?」
すると二人の背後から、何の前触れもなくこのギルドの最高責任者が顔を出した。
「だいたい、それは君が言えた口ではないだろう? 蛇女」
ラグトゥダは顎に手をやりながら、ニヤニヤとケセラスを見やる。
実は二人の付き合いは意外と長く、ケセラスがまだルーキーの魔法使いだった頃からの知り合いらしい。
それだけに、色々と知られたくない過去や弱味や黒歴史も握られているのだ。
「やめてください。しかもそれ二つ名じゃなくて、酒場の常連に付けられたあだ名ですから。こんな美女捕まえといて蛇って、まったく失礼しちゃうわ」
「それは、君がなかなか酔いつぶれない上に、絡み酒で他の客にちょっかいばかり出していたからだろう。そういえば、今の旦那は君の一番の被害者だったかな?」
「うぅ、絶対違うって言えないのが辛い……」
嘘でしょ、今の話って本当なの? ファイの中にあるケセラスのイメージといえば、テキパキと仕事をこなすバリバリのすごい人で、今はもう引退してしまったけど魔法使いの先輩。自分を含めた職員達への気配りの利く、優しく頼りがいのある大人な女性、である。
お酒を飲んでる姿なんて見た事がないし、しかも酔った勢いで誰かに絡んで手を出すだなんて想像すらできない。
「むしろ、僕は毒蛇でもまだ可愛いくらいだと思うけどね」
しかし、残念がっている姿を見るに、事実なのだろう。
意外だ、あまりに意外過ぎる。もちろん悪い意味で。
ファイの中のケセラスのイメージに、盛大な亀裂の走った瞬間であった。
「そういえば、僕もここしばらくは飲んだ記憶がないなぁ。どうだい? 久々に地下の酒場で一杯」
「遠慮しときます。私が蛇なら、支部長はザルですから。勝ち目のない討伐クエストなんて、誰もやりたがりませんよ」
「なら、僕に勝てたら給料を二割り増しにしよう」
お給料という単語が出た時には、既にケセラスはファイのそばを離れラグトゥダの目の前で思いっきり顔を突きだしていた。
てか、いつの間に移動したんだ。
「四割増しで」
「ふむ。では四割にしよう。僕はこれから所用で出かけてくる。夕方には帰るから、付き合ってくれたまえ。楽しみにしているよ」
交渉が成立したケセラスは、ラグトゥダの前にも関わらず大きくガッツポーズをしていた。
勝てない戦はしない主義みたいな事を言っていたのに、あっさり引きずり込まれちゃって。きっと、勝つための算段なんて一つもついてないんだろうな。あれはもう、給料の事しか考えてない。
だってケセラスの目の中、イェンマークがぴょこぴょこ跳ねてるんだもん。
「酔いつぶれて、給料の件忘れないでくださいよ?」
「あぁ。もちろんだとも。もっとも、僕を酔い潰す事ができたらだがね」
挑戦的なケセラスに対して、ラグトゥダはいつも通りの抑揚のない声音で返事を返す。
もう勝ったつもりみたいなケセラスだが、ラグトゥダの不敵な笑みにファイは背中がぞくってなった。
「では、行ってくるとしよう。留守中の事は頼んだよ」
ラグトゥダは最後にケセラスへと一声かけて、裏口からギルドの外へと出て行く。
そして、
「……なんで私、あんな無謀な事をしよう思ったのかしら……」
さっきまでの強気な態度はどこへやら。ケセラスはさっそく自虐モードになってがっくりと肩を落としていた。
「ケセラスさん……」
「だって、だってあんなの卑怯じゃない! 普段から私が給料アップをせっついてるからって、あのタイミングでそんな話出すなんて! しかも四割り増しで!!」
あぁ、やっぱりお金に釣られちゃったんだね、そうだろうとは思っていたけど。
「あぁ、勝ち目なんて無いも同然なんだから、どうせなら倍にして、くらい言っとけばよかった……」
いや、いくらなんでも、さすがにそれは無理があるのではないかと思うのですが。
「まあいっか。あの人ケチだけど、部下にお金払わせるような事はしないし。潰れるまで飲んで、ファイちゃんに介抱してもらうんだもん」
「ふぇぇっ!?」
蛇(アナコンダ級)に睨まれたウサギのように、ファイは椅子に座ったままびくんと真上に飛び上がった。
「ケ、ケセラス、さん?」
「今日は私と一緒に付き合ってもらうから、とことん飲みましょ」
「ふにゃっ!?」
ふらふらと足下のおぼつかない足取りでファイの元まで戻ってきたケセラスはむぎゅっ、元気の源ファイちゃん成分を補給するために再び抱きついた。
こんなダメなケセラスは見たくないけど、言って聞いてくれるような人でもない。力業で引き剥がすのも無理なので、ファイにできるのは時間が早く過ぎるように祈る事だけである。
「あ、あの、私、お酒はちょっと……」
というよりも、介抱してとか、一緒に飲もうとか、もう既に巻き込まれちゃってる?
お仕事終わっても帰れないって事なの?
「大丈夫。お酒以外にも、ソフトドリンク色々そろってるから」
「そ、そうじゃなくて、えっと、それも大事なんだけど、わたしが言いたいのは…」
「こんにちはー! ファイ、いるー?」
すると入り口の方から、ついこの間知り合ったばかりの人の声が聞こえてきた。
頭のネジが五、六本はふっとんじゃってそうなケセラスも、さすがにこれには反応してさっとファイから離れる。はぁぁ、やっと背中が軽くなった。
「いらっしゃい、ルビィちゃん。それに、シディアちゃんも」
「こんにちはです! ファイちゃん!」
トテトテトテと、ルビィとシディアはファイのいるカウンターまで駆け寄ってきた。
「あれ、そういえばルビィちゃんって、ここで会うの初めてだっけ?」
「当たり前だよ。ボクは薬師なんだから。まぁ、魔法の申請には何回か来た事あるけど、ちょうどファイいなかったし」
「へぇぇ、そうなんだ。すごい偶然だね」
そういえば、初めて会った時にも、立派な薬師になりたいって言ってたっけ。ファイの話は全然聞いてくれなかったけど。
「あら、こんにちはシディアちゃん。隣の赤毛の子は、お友達かしら?」
「はい! ルビィちゃんです!」
「あら、そうなの。初めまして、ルビィちゃん」
「うん! 初めまして!」
ケセラスのさっきまでの落ち込み顔はどこへやら、いつの間にか頼れるお姉さんスマイルに変わっていた。
この辺の切り替えの速さは、やっぱり大人のレディだなぁ。自分もいつまでもくよくよしてないで、こういうところを見習わなければ。
「それでシディアちゃん、今日はお友達と一緒お仕事探しに来たのかしら? 残念だけど、今日はシディアちゃんに任せられるようなクエストは…」
「あ、今日は違います」
「ボク達、ファイに用事があってきたんだ!」
「わ、わたし?」
ここからウサピィのお店までは、歩いて三〇分以上はかかる。
魔法ギルドまでわざわざ、いったいなんの用事があるんだろう。
「ウサピィがあんまりだらしないから、ボク達でどうにかしてみようと思って」
「私とルビィちゃんも、ファイちゃんが魔法を使えるようになるの、協力したいんです」
「ルビィちゃん、シディアちゃん……」
にししぃ、えへへぇ、とルビィとシディアは屈託のない笑みを浮かべた。
予想していなかった不意打ちに、ファイは胸の奥がじぃぃんと熱くなる。うわっ、なんか目から勝手に涙が……。
ファイは溢れそうになったそれを、袖で乱暴にぬぐった。いくら魔法が使えないからって、こんなだらしない姿は二人に見せたくない。お姉さん的に。
「でね、シディアと一緒に考えたんだけど」
「ケーキを食べましょう!」
「…………」
あれ、今のは聞き間違いだろうか。
「ケーキを食べましょう!」
「ち、ちゃんと聞こえてるから、シディアちゃん……」
うん、ファイの聞き間違いではなかったらしい。
いったい何をどうしたら、『ケーキを食べる=魔法が使えるようになる』という結論に行き着くのだろうか。
「ボク達、考えたんだよ。ルチルの言ってた事」
「いっぱい考えました」
「ねぇねぇ、ファイちゃん。ルチルちゃって、もしかして……」
「はい。ゾンネンゲルプ家の」
カウンターの向こうでひそひそ話をしているケセラスとファイなのだが、既に演説モードに入っているルビィとシディアは気付いていない様子。
あぁ、目に映ってるやる気の炎がメラメラと……。
「ファイちゃんは、ずっと自信のなさそうな、暗い顔をしています。だったら、まずは明るい顔になればいいんです!」
「美味しいケーキを食べたら、ファイもきっと明るい顔をするようになると思うんだ!」
「完璧すぎる、完全無欠の綿密な計画です!」
「完璧過ぎて、自分達ですら怖いくらいだ。ねぇ、シディア」
「はいです、ルビィちゃん」
いや完璧どころか、むしろ落ち度しか見えないのだけれど。
言いたい事はだいたい理解できたけど、明るくなる事と、自信まで取り戻すのは全然関係のない事だし。でも、
「どうだい、ファイ!」
「すごいでしょ!」
こんなに目をキラキラさせてる二人に、そんな事は絶対に言えない……。
「ほんと、二人の自信をちょっとでもわけてもらえたらいいのにね」
「もぉぉ、ケセラスさんったら」
ファイの耳元でクスクスと笑うケセラス。そんな事ができたら、こんなに苦労してないのに。
まあ、気持ちは確かに嬉しいんだけど。
「よっし、じゃあ作ろうか。ケーキ」
眉をへの字にして悩んでいるファイを尻目に、ケセラスはいきなりそんな事を言い出した。
この唐突な提案にはシディアやルビィだけでなく、これにはファイも目を丸くして驚く。
しかし、ボケーっとしていたのは最初だけで、
「うぉぉ! ケーキ、ケーキ!」
「作ります! 私とルビィちゃんも作ります!」
ルビィとシディアはやる気満々だ。ファイ、完全に置いてけぼりである。
あれ、二人って何のためにここに来たんだっけ?
「さぁ、地下の酒場に行きましょ。ジュースもあるから」
「やったー!」
「ケセラスさん! ありがとうございます!」
シディアとルビィは、いえーいとハイタッチして喜んでいる。だめだ、もうケーキの事しか頭にない。ケセラスが二人の監督をするとしたら、あの書類の山は全部自分がやらなければならないのか。
依頼者から頂く報酬と、魔法使い達に支払うクエスト成功報酬、討伐補助に派遣されている補佐騎士達の諸経費、移動手段・宿泊施設の手配等々。
この山は今日の内に処理しなきゃいけないやつだから、どうにかしなければ。
と思っていると、背後からなにやら不気味な視線を感じる。背中がぞわぞわするのをこらえて、ファイが後ろを振り返ってみると、
「もちろん、ファイちゃんも一緒に作るわよ」
一番しっかりしてなきゃいけない人から、とんでもない事に誘われた。
「でも、まだ仕事が……」
今から全力でやったとしても、帰るまでにギリギリ終わるかというレベルなのに。
「いいからっ」
「ぐえぇっ!?」
襟首をひょいっとつかまれたファイは抵抗する時間さえ与えられず、ずるずるとカウンターの外へと連れ出される。
ケ、ケセラス、首、首がぐるじぃ……。
「ジルベール、私とファイちゃんの分まで頑張ってね!」
「そんなぁ! あんまりっすよ!」
新米職員のジルベールに全てを投げ出し、四人は地下にある酒場へと向かう。
屋内には、クエストボードに依頼書を貼り付けるジルベールの、魂からの叫びが響いていた。
ジルベールさん、ほんとごめんなさい。ファイは心の底から、ジルベールに謝った。




