Act09:サロン・ウサピィ Ⅲ
ウサピィは両手で頭を抱え、施術を終えたばかりのファイの頭を凝視していた。おかしい、なんで魔力があふれてこないのだろうか。
確かな感触があった。要望を出したのはユーディだが、この髪型が間違いなくファイにはベストマッチするはずなのに。
ウサピィは見落としがないか、隅々まで確認する。
枝毛はないか、はねている毛はないか、巻きの強さは大丈夫か、三つ編みに不備はないか、カットラインは、角度はどうだろう。
全行程を再確認してみるが、どこにも落ち度はなかったはずだ。なら、どうして…………?
「あの、ウサピィさん?」
「ねぇねぇウサピィ、これで終わりなの? ファイの魔力、全っ然、増えてないんだけど」
シディアとルビィから痛烈な一撃をもらったウサピィ、完全にノックアウト。くそ、自覚はしてるのに、誰かに言われるとなんでこんなに傷付くんだ……。
「リファイド・シュネーヴァイス。終わったわよ」
「ん? ユーディ?」
この家出お嬢さま、本当に寝ておられたようだ。
目をしゅばしゅばさせて、周囲の状況を確認している。
「わっ、すごぃ……!!」
一瞬、正面の鏡に映っているのが自分だとは気付かなかった。
頭の後ろに手をやると、ぽわぽわとした髪の毛のお団子がある。首を回して横から見て、
「あぁ、これ可愛いぃ」
思わずうっとり。こんな髪型があるなんて、知らなかった。
それに、これなら動くのにも邪魔にならない。
「気に入った?」
「うん、ありがとね。ユーディ!」
「べ、別に。お礼を言われるほどじゃなくってよ。どうせ言うなら」
ユーディはくるりと首を傾け、色んな意味で打ちひしがれて真っ白になってるウサピィを見ながら、
「そこでいじけてる、このお店の店長にでも言ってあげなさい」
とどめを刺しにかかった。
「そ、そうだね」
ユーディの真意など全く理解していないファイは、椅子を回転させてウサピィを正面にとらえる。
「あ、あのぉ…………」
「ウサピィよ」
「ウ、ウサピィさん、ありがと、ございました」
まるで天使のような微笑みを浮かべながら、お礼の言葉を口にする。
限界寸前だったウサピィの心は、まるでガラスのように砕け散ったのだった。
「…………いい、いいんだ。どうせ、俺なんて」
「あ、あれ?」
そこでようやく、ファイも何かがおかしい事に気付いたらしい。
「ねぇねぇ、ユーディ」
「ん? どうかしたの?」
「大丈夫なの? ウサピィさん」
「まあ、大丈夫じゃないかしら」
さっき怒られた仕返しの成功したユーディは、笑い声が漏れないよう必死に声を押し殺す。やばい、噴き出しちゃいそうなくらい面白い。
そんな腹黒ユーディと真っ白ウサピィの間で、ファイはおろおろ。えっと、これっていったいどうすればいいんだろう。
そもそも、なんでユーディは笑いを我慢していて、ウサピィは打ちひしがれているのか。ファイはただただ、頭の上に疑問符を浮かべるのだった。
「まぁまぁ、元気出しなよウサピィ」
「そうですよ、ウサピィさん。誰だって、調子の悪い日はあるんですから」
壁際に立たされていたルビィとシディアもいつの間にかウサピィの近くでしゃがみこみ、左右からその肩を優しくたたいた。
きっと、たぶん、恐らくだが、本人達に悪意は全くないのだろう。
しかし二人のかけた慰めの言葉は、的確にウサピィの急所をえぐでゆく。もう、見ているだけでかわいそうになってくるレベルである。
すると突然、バシィイインッ! と、鼓膜を貫くような鋭い破裂音が走った。
それはファイにとって、ある意味見慣れた光景でもある。雷光魔法による、超高速移動。自身の肉体に雷光を纏う事で可能になる、雷光魔法の高等技術だ。
そして音が鳴り止むのと同時に、一人の女の子がトンッと店内に降り立った。
「属性魂解除ッ! 誰ですか! わたくしのお兄ちゃんをイジメた人は!」
軽くウェーブのかかった豪奢な金髪。ファイとは違い、白よりも黄色に近い色をしている。
その髪色に、ファイは見覚えがあった。
「違うよ、ルチルちゃん。ウサピィさんはスタンプなんですよ!」
「それを言うならスランプだって、シディア」
「あ、間違えちゃいました。えへへ」
恥ずかしがるシディアと、それを笑うルビィ。全く状況のつかめない女の子──ルチルちゃん──は、唯一まともに会話のできそうなユーディに視線を向ける。
「かいつまんで説明すると、つまりウサピィが施術をしても、この子の魔力が上がらなくて落ち込んでるの。わかった? ルチル・ゾンネンゲルプ」
そうだ、思い出した。ゾンネンゲルプ。雷光魔法の名家として知られる、超一流の魔法使い一族だ。
同じ雷光魔法といっても、シュネーヴァイス家は軍属寄りで、その地位と名誉は国によって約束されている。
ゾンネンゲルプ家はそんなシュネーヴァイス家とは異なり、まさに魔法使いの実力によってのみ、その名を世間に知らしめているのだ。もっとも、そのせいで一時期没落しかけた事はあったが。
そんな名家の令嬢、ルチル・ゾンネンゲルプは、キッとファイを意剥き出しの眼光で睨みつけた。
理由は簡単、この中でルチルの知らない人がファイしかいないからだ。
「あなたですか? わたくしのお兄ちゃんをイジメたのは?」
「い、いじめてなんかないです……!! わたしはただ、髪を切ってもらって、こんな髪型にしてもらっただけで……」
尻すぼみに小さくなってゆくファイの言い訳に、ルチルのイライラは加速度的につのってゆく。
何言い訳なんてしてるの、てかそもそも聞こえるように話しなさいよ、しかもなんでわたくしが怖がられなきゃいけないのよと、青筋がピキピキと浮かぶ。それも、一つではなく、三つも四つも……。
すると突然、
「ふふっ、ふふふふふふ」
死んだ魚みたいに床の上でダウンしていたウサピィの口から、不気味な笑い声が漏れた。
ルチルも含めた全員が、背中をぶるっと震わせる。い、今の笑い声はいったい。
四人分の視線が、笑い声のした方向に向けられる。
「いいだろう。俺の持つ全て技術をつぎ込んでやる」
これぞまさに狂気というべきか、もう目が完全にイッちゃってるよ。危ないクスリをしていると言えば、今なら全員信じちゃいそうだ。
「落ち着きなさい、ウサピィ。そんな怖い顔してたら、お客さんが寄りつかなくなっちゃうわよ」
明後日の方向を見ながら独り言をつぶやくウサピィの背中を、ユーディはパシィンッ! と叩いた。
そこでようやく、ウサピィは正気に戻った。
「そうです。お兄ちゃんは悪くないです」
ルチルはウサピィを押しのけてファイの前に立つと、入念にチェックを始める。厳密には、ファイの髪型を、だ。
「やっぱり、これはお兄ちゃんのせいじゃないです」
そしてルチルは、一つの答えを導き出した。
「にわかには信じられませんが、これは魔法使いの方に問題があると思います」
それにはウサピィだけでなく、シディアとルビィも驚いた。
「その通りよ、ルチル・ゾンネンゲルプ」
ただ一人、最初から事情を知っていたユーディが、その言葉を肯定する。
「だから私は、リファイド・シュネーヴァイスを、ここに連れてきたの」
「シュネーヴァイス?」
その名を聞いた瞬間、ルチルの目の色が変わった。
先ほどまでとは別の──まるで何かを探るような視線に、ファイは思わず肩を抱く。
「あなた、シュネーヴァイス家の方なのですか?」
「……えっと、そうです、けど」
ルチルはまるで信じられないものでも見るように、まじまじとファイを見つめた。
「噂には聞いていましたけど、あれは本当だったのですね」
「噂? ルチルは何か知ってるの?」
「ルチルちゃん、それってどんな噂なの?」
「シュネーヴァイス家の中で、魔法の使えなくなった騎士がいる、という噂があったの」
ルチルに続いて、ルビィとシディアもファイへと視線を向ける。
頭のてっぺんからつま先まで。あまり見つめられすぎて、今度は恥ずかしくなってきた。
「デマだと思っていましたが、あなたの事だったのですね」
「でもルチルちゃん、魔法って使えなくなっちゃうものなの? 魔法学校で教わった覚えがないんだけど」
「そんなわけないじゃん。バカだなぁ、シディアは。シディアだって使えるんだから、彩髪のファイが使えないわけないじゃん」
「バカはあなたの方でしょ。ルビィ・スカーレット」
鼻高々に学校で学んだ事をひけらかすルビィに、ユーディはため息をもらす。
「現に使えなくなったから、私はリファイド・シュネーヴァイスをここに連れてきたの。最初に言ったでしょ。ちょっと前まで、お姫様直属の護衛をやっていたって。その任がなぜ解かれたのか、本気でわからないのかしら?」
バカと言われてぷんすかぴーと怒るルビィであるが、ユーディはそんなルビィの抗議に目もくれず、回復したばかりのウサピィに向かって話しかけた。
「それで、ウサピィの施術を受ければもしかしたらって思ったんだけど、なかなか上手くいかないものね」
最後に首をすくめて、ユーディは深いため息をつく。
それがまたルビィの神経を逆撫でるのだが、ユーディはむしろその反応を楽しんでいるような……。
「あぁもぉ……。ねぇ、ルチル。さっきのって、結局どういう意味なの?」
「つまり、彼女は何らかの心理的理由のせいで、魔法が使えなくなってしまったみたいです」
イジワルなユーディにに聞くのはあきらめて、ルビィは親友のルチルに聞き直す。
仕方ないどすねという仕草をしてから、ルチルはルビィにもわかりやすいように説明してあげた。
「お兄ちゃんの施術を受けたらもしかしたら、と思ったみたいですけど」
そこでルチルいったん言葉を切って、ファイの事を横目で見ながら、
「どうやら、上手くいかなかったようですね」
ファイとウサピィ、二人にとって辛い現実を端的に示した。
とはいえ、それは誰が見ても明確な事実。誤魔化したところで意味はないのだ。
「だがルチル、なんで魔法を使えない理由が、心理的なものだと思うんだ?」
「それくらい、彼女を見ていればわかりますわ、お兄ちゃん」
ウサピィの質問に、ルチルは今一度ファイの髪を見やる。
「魔力とは魅力です。いくら髪型を整えても、当の本人に魅力がなければ、魅力は色褪せてしまいます」
それはこの世界の魔法使いに定められた、もう一つの宿命である。
属性が髪の色に縛られるように、魔力の強さはその人の魅力に縛られる。
そして魅力とは、本人の自信に強く依存するのである。積み重ねてきた経験や実績と同様に、外見も強く自信へと直結するのだ。
「今の彼女はその自信が全く持てていない──つまり魅力が完全に色褪せてしまった状態なのでしょう」
びくびくとした臆病な態度。堂々とした佇まいとは正反対のそれは、庇護欲こそかきたてられるものの魅入られるような魅力は一切感じられない。
「お兄ちゃんの技術がどれだけ優れていても、0には何をかけたって0です。技術ではどうしようもありません」
つまりファイには魅力がない──魔力がわいてこない、という事象に繋がるのだ。
「お兄ちゃんの技術に頼るより先に、自信を取り戻す方が先なのではないですか? ユーディさん。リファイドさん」
ファイとは初対面のルチルは、初対面だからこそ事実を飾らない。剥き出しの真実を突きつける。それはファイの胸の中心を、容赦なく打ち抜いた。
涙がこぼれそうになる。
声を出して泣きそうになる。
しかし下唇を強く噛みして、ファイはぐっと悔しさをこらえた。
「とりあえず、今日はもう帰るわ。悪かったわね、ウサピィ」
「いや。俺の方こそ、期待に応えられなくて済まない」
「い、いえ。頭を上げてください、ウサピィさん! この髪型、とっても気に入りましたから!」
ファイはユーディに連れられて、サロン・ウサピィを後にした。




