ひとり目
ミステリー要素も強いので、どうぞ、謎解きも同時にお楽しみください。
ひとり目の犠牲者、赤堀陽美の思考は完全にマヒしていた。
あるひとつの思いに支配され、それ以外の情報を脳内からすべて排除している。それはあまりにも盲目的で自分がどこをどう走っているのか、それすら認識できていない。何度も転び、それでも立ち上がり、ひたすら廊下を走る。
脚には自信があった。小学校低学年のころから陸上部に入り、高校のインターハイでは代表選手に選ばれた。つい先月まで走ることを日課にしていたのだ。引退してからも時折OGとして後輩たちとともに風を切っている。陽美はだから、かならず逃げられると信じていた。
その自信があだとなった。
上には上がいる。その摂理を、身をもって知ることとなる。
背後からものすごいスピードで迫ってくるモノ。振り返って目視する余裕はない。長い廊下だ。おそろしく長い。自分の学校でこれほどの距離がある廊下はない。すなわち、ここは見知らぬ校舎。意識を失い気がついたらどこかの学校に運ばれていた。教室には意識を失ったひとたちがいたけれど、誰も知らないのでこっそりと外に出たのだ。とにかく現状を把握しよう。あの中に犯人がいないとも限らない。信じられるのは自分だけ。そうやって放浪している間に、何者かが迫ってきたのだ。ただひとつだけはっきりしていることは、何者かに、けっしてつかまってはならない、ということだけ。心が叫んでいる。心が悲鳴を上げている。自分の感が警告している。
ぜったいに、捕まるな……と……。
なぜならある場所で、死体の山を目撃したのだから……。
追ってくる音は下のほうから響いている。犬? 猛獣? いいえ、聞いたことがある、上半身だけの幽霊。太く発達した両腕を駆使し、人間以上に早く走る幽霊。本当にそいつ?真相はわからない。確認なんてしていられないのだから。
100メートルを過ぎたころ、あきらかに失速した。全力を出せる限界距離を超えたのだ。
今度の脚のもつれは大きなロスを意味した。すぐに立ち上がれるだけのちからは残されていない。踏ん張ろうにも膝がにょいんにょいんとすごく柔らかい。あきらめて、陽美は説得を試みることにした。もつれながら振り返る。
「私はここの学校の生徒ではないし、ひとに恨みをかわれるよう――」
ああ、なんだ驚いて損――
ほっとした瞬間、首筋に熱いものを感じ、世界は闇に覆われ、陽美の思考は停止した。
☆
「おい、なんなんだよ、これ!」
激しい怒号にボクは眼を覚ました。頭が重い。しかも叫んでるヤツ、うるさい。
「働いていたはずなのに、どこだよ、ここ!」
汚れた作業着を着た20代前半くらいの金髪の男。本当に働いていたのだろう、ここまで酸味を含んだ香りが漂っている。
「落ちつきなさい。騒いでも何にもならないぞ」
「ああ? てめえがここに連れてきたのか!」
「私も被害者だよ。帰宅途中だったはずなのに、こんなところで眼を覚ましたんだ」
40代のスーツ男がこめかみをさすりながらそう言った。他にもいた、拉致被害者。
学校の教室内だ。スーツ男と金髪、小学生の男の子、赤い髪の女性、そしてボクの隣でまだ意識を失っている女子高校生。スカートがめくれ、危険ゾーンが見え隠れしているのでそれをそっと直してあげる。フリル付きピンクでした。
見たところ、自分の学校ではないようだ。教室はどこも似たり寄ったりだけど、雰囲気というか空気が違う。そしてこの6人の中に、知っている人物はいない。
ランダムに選ばれた……と決めつけるのはよくない。なにかしらの接点があるかもしれないのだ。小説や映画でよくあるパターンだけど、いざ、この身に降りかかってみると、これほどやっかいなことはない。可能性がありすぎるのだ。過去のあやまち、産まれた病院、ある秘密の目撃、親が引き起こした惨劇、どれかだろうし、どれでもないかもしれない。ひとつだけ言えることは、過去に犯した罪……はない。なぜならボクは、ひとも殺していないし事故も起こしていないし死にかけているひとを見捨てたこともない。犯罪歴、またはそれに近いことは、いっさいない。栗夜朝男、高校3年生、恋人なし……は真っ白なのだ。脛に傷などない。
「窓、開かないじゃない」いつの間にか窓際に移動していた赤い髪の女性がそう言った。暗い風景を映した窓を必死に引っ張ったり押したりしている。「力強いヒマワリねえ、降りて近くで見たいわ……と美を堪能したいところだけど、そんな気分にもなれないじゃない。あんたたち男でしょ。さっさとこの状況をなんとかしてあたしを守ってよ。女を守る、それが男の役目よ!」
まあ都合がいいですね。
「はあ? 勝手なこと言ってんじゃねえぞ」
金髪が代弁してくれました。えらいえらい。
「いいや、その通りだ。ちからの強い日本男児が女性を守るのは当然のことだ」
あらあなた話しがわかるじゃない、とうっとりとした表情を浮かべる赤髪女性を払いのけ、金髪がスーツの前に立った。
「お前らグルか? 実は被害者を装って犯人はこの中にいましたオチか? じゃあ、お前とババアを始末すれば、終了~ってわけだ」
「まだ29よ! 見る目もないのね、ガキ」
「じゅうぶんババアじゃねえか」
「やめなさい」
そのとき何かが光った。
ワオ! 初めて見た。日本刀です。巧の技が光る、日本が誇る技術の結晶、日本刀。銃刀法違反です。スーツ男……何者?
刃先が金髪のあごに突きつけられている。
「我々が争って何になる。それこそ犯人の思うつぼだ。今は団結して、この状況から脱出する方法を見つけなければならない。わかったなら大人しくしていろ」
歯をくいしばってガマンしている金髪。彼らのやりとりを静かに見守っていたとき、隣から、うう~ん。女子高校生が眼を覚ましたようだ。
金髪は顔を固定したまま眼だけ、他は頭を彼女に向けた。
まぶたをこすりながら女の子は上半身を上げた。
「守るべし、うはん!」
どうやらまだ寝ぼけているようだ。
病的なほどに白い肌。そのため黒髪が浮いて見える。袋を開けたばかりの人形のようなかわいらしい子だ。
カン! 乾いた大きな音が響き渡った。金髪男が5本の指にはめられている指輪で刃をはじき、廊下へと接するドアの前に移動していた。
「てめえらといっしょになんていられるか。オレは自力で逃げ道を見つけてやる」
金髪が廊下へと飛び出して行った。だけどそこで誰も追いかけないし、気にもしない。おそらくみんな考えていることはいっしょなのだろう。好きにしろ。いなくなってせいせいした。くさい。消えてくれ。
「どうなってるの?」という女子高生に対し、ボクはかいつまんで説明してあげた。
窓は開かないけどドアは問題ない。金髪の男が証明してくれた。ここにいる全員、赤の他人。つい先ほどまでみんな意識を失っていた。気がついたら見知らぬ教室。ここからまだ外には出ていない、金髪以外は。もしかしたらボクたちより先に眼を覚ましたひとがいるかもしれない、だからどれくらいの人数がこの学校に連れてこられたのかわからない。ここまで大がかりな、犯罪めいた行動を取るということはかならず目的がある。学校を改造したのか建てたのか買い取ったのかわからないけれど莫大なお金がかかっている。それらを踏まえてわからないことだらけ、ボクは栗夜朝男、君は?
村名イヨ。それが彼女の名前だった。
「状況を把握しなければ作戦も立てられない」スーツが声を高々に宣言する。「私たちも探索に出ようじゃないか」
否をとなえる者はゼロだった。
イヨが、行きましょう、とずっと膝に顔をうずめて泣いていた小学生の手を引く。真っ赤な眼を上げる男の子。前髪の長い、ちょっと頼りなさそうな子だ。
「幸いにも私は、名刀タカシゲを持参している」スーツ男が刀をかかげる。刃がきらびやかに光を放つ。「どんな危険が待っていようとも、これで、君たちを守ってみせる」
わあああ、と感嘆の声を上げる赤い髪の女。それを無視してボクはイヨに言う。
「ボクのこと、知ってる?」
「いいえ、はじめまして」
それを聞いて最後の可能性が消えた。
みんながボクのことを知っていて、ボクだけがみんなを知らない可能性。
これで完全に、暗礁に乗り上げた。
推理でどうこうなる状況じゃない。校内を徘徊し、探索し、ヒントを見つけ出して行かなければ。
スーツ男が先頭になり、次に赤い髪の女、イヨと少年、そしてボクとつづいた。金髪はどこにも見当たらない。
廊下に電気はついていない。窓の向こうに見える外灯の明かりだけが頼りで、おそろしく見通しが悪い。風景から地域を特定することは出来ない。あきらめて探索に集中することにした。
しかし、とてつもなく長い廊下だ。その間、教室が並んでいるかというとそうでもない。壁だけ壁だけ教室壁だけ壁だけ教室、といった感じで、どちらかというと壁が多い。先ほどの教室は30人が埋まるくらいの普通の広さだった。じゃあ、壁はなんのためにあるのか、壁の向こうはどうなっているのか、この構造、意味がわからない。
「とまれ」
ふいにスーツ男が左手を上げた。言われるままみんな足をとめた。
「なにか……ある」
スーツ男がゆっくりと近づく。暗がりの向こうになにか、ある、のだ。いる、ではない。その推理は間違っていない。男の視線は、床に向けられているのだから。
「誰か、明かりを持っていないか?」
持っている訳ないでしょ、とつっこもうとしたとき、「あの……」と、少年が手を上げた。「ライトなら……これで……」
そう言って少年は腕時計を操作した。
放射状に広がる光。
そこに映し出された光景は、人生で初めて眼にしたモノだった。
首を切断された女性の死体。テレビや映画など、モニターを通した映像とは訳が違う。においがあるのだ。鼻腔にからみつくイヤなにおい。
赤髪の女性が悲鳴を上げる。少年が嗚咽をもらす。スーツ男が舌うちする。ボクは絶句する。そしてイヨは、大笑いした。
あはははははははははははははははは!
つづく