あかるいはなし
私が書いた小説を読み終えると、彼はため息をついた。そして、目頭を指で抑えて、背中の骨を鳴らした。
「もっとこう、明るい、幸せな話ってのは書けないのか?」
彼は別に、私の書いた作品が駄目だと言っているわけではない。ただ、その陰鬱さ、気だるさ、残忍さについて問うているのである。
「いつもそのように、心がけているけど」
私は、不貞腐れて彼の手から返ってきた原稿を床に放った。さらさらと床を滑った原稿は、ホチキスで綴じられた一箇所を要にして扇のように広がった。
「気がつくと、書き終わりには人が死んだりしている」
「意図せず?」
「そう」
彼は腕組みをして考え込んだ。袖が手の殆どを覆っている。
「それ、ぶりっ子がやる袖だ」
私が指摘すると、彼は片眉を開けて己の袖を見た。
「俺がやっても可愛くないな」
「何事もひとによる」
私の言葉に少し苛立った様子で、彼は袖を捲った。そして、改めて首を傾げて、何かを考えている。
「分かった」
「なに」
「タイトルだ!」
彼が言うにはつまり、私の書く小説はタイトルからして暗い。なので、タイトルを明るくして、そこから書き始めればよい、とのこと。
そもそも、私はタイトルを本文完成後につけるタイプだとは言い出せず、はぁそうか、という顔をして提案を受け入れた。
「では、この方法で書いてみてくれ」
彼は嬉々としてそう言うが、明るい言葉を思いつかぬからこんなことになっているのである。明るいタイトルなど思いつかない。私は体が捻じり切れるほど首をひねって考え込んだ。
「あかるいはなし」
私は声に出しながら、その七文字を原稿に書き込んだ。
「なんの捻りもない」
彼の指摘など、聞くよりも前から己で分かっていることだ。
「うるさい、黙ってて!」
私は、苦し紛れに原稿を破り、それを丸めて彼に投げつけた。すると、彼の体は砂のように崩れて、水蒸気のように飛散した。そして、彼のいた場所には衣服と文字が残された。
「まだ温かい」
床に落ちたシャツに触れるとほんのり温かく、先ほどまで確かに彼がいたと分かる。
「夕飯どうしよう」
私は、途方に暮れた。料理下手の私のために、三食きっちり彼が作ってくれるのだ。
目に涙を浮かべながら、彼の衣服を畳んで部屋の隅に重ねる。それから、散らばった文字を掃除機で吸い上げた。文字がホースを滑って、まるで言葉を話すように聞こえる。
「いや、これは確実に喋っている」
私は、掃除機に耳を傾けた。どうやら、これまで書いた暗い物語の結末のようだ。
眠れなくてただ座っている。
四肢は確かに動いていた。不意に骨がなる。
窓に自分の顔が写った。己の姿をそこに見た。
どこまで行っても豪雨の穴ぐら。迎えは来ないまま帰路につく。
死体に殺された己を笑った。馬鹿馬鹿しくて笑いが出た。
終わりが見えた。あなたは確かにそう言った。
太陽に殺されるのを聞いた。ようやく生涯を終えた。
ガウディは死んだ。めでたしめでたし。
そう吐き捨てるのみである。
「確かに、これは暗い」
私は、掃除機のフィルターを取り外し、言葉達をゴミ箱に棄てた。ふぅ、と息をついて、ゴミ箱の蓋を閉めると箱の奥から彼の声でなにか言うのが聞こえた。
「あかるいはなし、完成させなよ」
言われなくても、そうするつもりである。
明るい話が書けないのが、私の悩みです。
悩みに悩んで発狂の末、こんな物語になりました。
終わりがけにふざけて過去作品の結末を羅列して見ました。
よろしければ、過去作品と照らし合わせてみても面白いかもしれません。
すごく暇なとき、暇で涙が出そうなときに、ぜひ。