覚醒する刃
そう思っていた時期が俺にもありました。
その宣言をしたその日、そのまま浅黄の家に誘われて。
めちゃめちゃでかい家に感動していたら、地下に通されて。
「ペースが遅い!」
修行中です。
もうものすごく修行中です。
部活経験なし、運動経験体育のみ、趣味読書の俺にとってはこの修行は地獄だ。
内容はひたすら走る。
ただそれだけ。
ただし。
「っ……はぁ……はぁ……」
「ペースが落ちてると言っとろうが!」
一歩足を前に出すたび、ガシャンガシャンと音が鳴る。
例の鎧と兜をつけたまま、走り続けねばならない。
監督しているのはどこの軍隊の人かわからないけど、全身筋肉のようなおっさんだ。
「ほら、生き残るんでしょう? がんばりなさい」
そんなことを言う浅黄は、最初こそ見てはいたが早々に興味を失い、今はなにかゲームでもしているのだろうか。
時々、よしっ、とか、やったっとか聞こえてくる。
「ああ、そういえばご実家には連絡させてもらったわ。全てお任せします、ですって」
「はっ……あぁっ!?」
「二千万ぐらいだったそうよ」
俺、価値二千万?
「さすがに冗談だよな……?」
「ええ冗談。人身売買は犯罪よ。だからちゃんと連絡もしたし、戸籍は残してあるわ」
なにが冗談だこの!
言っていいことと悪いことがある!
と思ったがもう走るだけで精一杯で、怒る体力すらない。
「そろそろ限界みたいね」
「…………ぁぁ」
なんか、今のやり取りが一番グサッと来た。
「なら行くわよ、支度なさい」
「はぁ? どこに……っていうか一人で行けばいいだろ」
「だめよ、私が行くといったらあなたも来るの」
どこの奴隷だ。
「いいから、立ちなさい」
「……はいはい、行きますよ」
口論するだけ体力の無駄だ。
「最初からそうすればいいのよ」
「……はぁ」
やってきたのは駅前。
この辺では一番でかい駅なので、デパートなんかも近くにある。
「少し待っていなさい。待てぐらい犬にも出来るのだから、人間のあなたには朝飯前よね?」
「お前はたまに俺を罵らなきゃ死ぬの?」
「ええ、死ぬわ」
「そりゃ大変ですね……」
そんなやり取りをしたあと、俺を駅のシンボルである時計とモニュメントのところに立たせて、浅黄は買い物に行った。
「でも……あいつといるとなんか元気になるんだよなぁ」
さっきの疲労も少しましになった。
「まさか俺、あいつのこと……って、ねーか」
あんだけ罵倒されて好きとか引くわ。
「……うそ。鉄哉? 鉄哉よね!?」
「は?」
誰かに名前を呼ばれ顔を上げる。
陳腐な表現で悪いが、そこに美少女がいた。
「もしかして待っててくれたの!? でも私今日帰るって言ってないわよね!?」
浅黄も美少女だが、この目の前の女の子はタイプが違う。
浅黄は清楚、中身はともかく外見は名家のお嬢様然とした古風な感じだ。
対してこちらは、活発さが全身から爆発しているような感じ。
綺麗な金髪のポニーテール、日本人ではありえない肌の白さ。
華奢な体つきもあいまって、妖精のようだ。
その青い瞳には、薄く涙が輝いていた。
「でも、よかった! こっちに帰ってきて一番最初に会いたかった人に会えた! 幸先いいわ!」
その女の子はやたらハイな様子で抱きついてくる。
あれ?この感じ、どこかで……。
「え、え?」
人違い?
でもこの子俺の名前を。
「ねぇ、鉄哉。私探し物してるの。それを探すのを、鉄哉に手伝ってほしいのよ」
「探し……物?」
いやな予感がした。
「こんなことを信じてもらえるかわからないけど、私はね、パンドラの箱を探してるの。私の騎士として、探すの手伝ってくれるわよね!?」
この子もパンドラ!?
「なにをしてるのかしら?」
底冷えするような声がした。
この女の子が抱きついているところは暖かいが、そうでない場所は凍るのではないかというような声。
「え? 誰?」
「浅黄美園。あなたは……」
「イリア・エヴァンス。……あなた、パンドラよね?」
「イリア……イリア!?」
二人の視線が俺に集まる。
「知っているの?」
「なんでそんな驚いてんの?」
それはどこかで感じたテンションなわけだ。
イリアは俺の幼馴染で、小学校のときに海外に行ったんだ。
「そう……パンドラなのね」
「そうだけど……もしかして、やる気?」
そうそう、この喧嘩っ早いところ。
懐かしいなぁ、よくぼこぼこにされたっけ。
……いや、あんまり懐かしくないな。
「早速で悪いけど、お願いね鉄哉!」
「さっさと仕留めてしまいなさい、村雨くん」
二人の指示はほぼ同時だった。
「……俺は俺の顔でも殴ればいいのか?」
ふざけてみたところ、浅黄は大きく溜め息を吐き、イリアは首をかしげた。
「どういうこと?」
「……ああ、そういうこと。それで間違われたのね」
なに、なんだ?
「イリアさん、だったわね。少し場所を変えましょうか」
「うん……私もちょっと説明が欲しいし」
移動した先は喫茶店だった。
浅黄はコーヒー、イリアは紅茶、俺はオレンジジュースを頼み、すでに揃っている。
「……つまり、私の契約が不完全だったから鉄哉は騎士に覚醒しなかったってこと?」
「そうなるわね。なんのメリットもない状態で、命を狙われるデメリットだけ背負っていたことになるわ」
「……そんな。ごめんね、鉄哉。私そんなこと全然……」
「それは言っても仕方ないことよ。ケースとしてはまれだけれど全くないことではないもの」
なんか二人で納得してるようだが。
「さっぱりわからん俺に、説明はする気はあるのかないのかが気になる」
「簡単に説明すると中途半端に契約してた鉄哉は、騎士の気配を出してるのに、鎧も武器も何もない状態だったってこと」
「……つまり、この前あの変な男に狙われたのも」
「それが原因でしょうね」
なんてこった。
「むしろそっちは重要じゃ無いの。それは終わったことだもの」
「そうだね……うん、ここからが重要」
「え? なに?」
「鉄哉はいったい、誰の騎士なのか」
「村雨くんは今、二人のパンドラから力を与えられてる状態。この状態にメリットがあるとすれば、回復にかかる時間が短いこと。デメリットは……凡人なら体内のエネルギーの臨界が来た瞬間、死ぬわ」
「俺どんだけ死にやすいんだよ」
さすがに突っ込んだ。
どっちも笑ってくれない。
「冗談じゃなくて、これは真剣な話。鉄哉、信じられないのはわかるけどね」
「いや、信じられないとかになってくると、今おかれてる状況が全部信じられないし」
「私の騎士でしょう。武器も鎧も私から受けたのだから」
やれやれと溜め息を吐きながら、浅黄がコーヒーを飲む。
「それはおかしいでしょ!? 先に契約してたのは私じゃない!」
テーブルを叩くな、イリア。
美少女二人に二股かけた人みたいになってるから。
周囲の視線が集まってる。
殺意まで感じる。
「あなたがなんと言おうが、私の属性を持ってる以上、あなたの契約は無効と判断されたのよ」
「そんなのまだわからないじゃん! 私がちゃんと契約しなおせば私の属性になるかもしれないし!」
「二重契約で死ぬかもしれないという話をしているのに、契約しなおせば……ってあなたなにを考えているの?」
なんか口論になってる。
「鉄哉は私がいいよね? だってずっと一緒だったもんね?」
「見苦しいわね、はっきり言ってしまいなさい。私がいいと」
「うぇっ!?」
急に話を振られて、変な声が出た。
正直に言えばどっちがと言われてもピンと来ない。
「いや、その……ほら、浅黄とはこの前話したばっかりだし、イリアも帰ってきてすぐで懐かしいって感じだし。そんな選ぶとかそういう感じじゃ……」
冷や汗が流れた。
心臓がバクバクして、息も切れる。
周囲の冷ややかな視線のせいかな。
「あれ?」
ここは駅前の喫茶店だ。
客が一人も入らず、一人も出ないなんてことはありえるのか?
そもそも、さっきまであんなにいた雑踏はどうした?
そりゃ確かにメニューにも店内にも代わり映えしたところはなくて、むしろそれが売りなのだろうが、あまりにも客の回転が悪すぎる。
そこまで考えたとき、店主の手にショットガンが見えた。
「浅黄! イリア!」
「え、ちょっと、きゃっ!?」
「なにっ……!?」
二人を引っ張るようにして。倒したテーブルの下に隠れる。
時をほぼ同じくして、発砲音が響いた。
「なんで撃たれてんの!? お前らなんかしたの!?」
早口で問い詰める。
「パンドラ狩りね、しくじったわ」
「パンドラ狩り!?」
「うん、まずいね、完全に殺しにきてる」
イリアがちらっと顔を出してみたら、即座に弾丸が飛んできた。
「通報すればいいのか!?」
「しても無駄。第一出来ないわ」
浅黄が示した携帯端末の画面には、通信状態が不安定な旨が示されていた。
「簡易的な結界かな。外と中を完全に区切るタイプね」
「術者を倒すのが一番ベストよ。さっさといきなさい」
「やっぱり? そうなるよね」
仕方がない。
「はああ! 鉄壁襲来!」
体の中心に渦巻いてるエネルギーを外に出すように。
体の周りに鎧が形成される。
スマートな騎士らしい鎧ではなく、RPGで魔王配下の魔剣士が着ていそうなゴツくて装飾過多なくらいの鎧と兜。
そして、シンプルなランスと大盾。
「イメージが大分定まってきたわね」
盾を構えて、二人をカバーする。
昔映画で見たフルオートショットガンとか言うやつだ。
ものすごい勢いで弾が飛んでくる。
それでも、じりじりと前に進むことはできる。
「さっさと突撃して片付けなさい」
「弾がきれたら、な!」
弾倉を変える瞬間に、前に出る。
そう広くはない店舗だが、弾倉を変えるのもそうそう時間はかからない。
大きく身を捻り、ランスを突き出す瞬間。
眉間にとんでもない衝撃が走った。
爆発?
なぜ?
「鉄哉!」
「村雨くん!」
叫び声が上がる。
なぜ二人が見えるのだろう。
「ああ、俺が倒れているからか……」
意識が、途切れた。
「鉄哉! 鉄哉!」
イリアという少女は、彼の頭を膝に乗せて泣いている。
私は喫茶店の店主を睨みつけていた。
「フラッグ弾……世界最小のグレネードといわれるこれをまともに食らえば、さすがの騎士様とはいえ意識ぐらいは奪えるわけだ」
そう、彼は死んでいない。
意識を失っているだけだ。
守りに特化した彼だからこそ、だろう。
他の騎士なら即死だった。
「それで? 私達をどうするつもりかしら?」
「決まっているだろう? 処刑する」
この男は雇われているわけではないようね。
「そもそも、この時代にパンドラなんて神話時代の遺物はいらんのだよ」
神話時代の遺物。
そうなのかもしれない。
けれど、私は。
浅黄美園はいまこの時代を生きる人間なのだから。
抵抗をやめるわけにはいかない。
「私に言わせれば、あなた達のほうが中世時代の遺物にしか見えないわね。相容れない存在を殺して平和を謳おうなんて、野蛮人の発想よ」
「野蛮人、野蛮人ね。まあ、そういわれても仕方ないことをしている自覚はある。否定はせんよ」
喉を鳴らすようにして笑う。
「ついでにその態度も大物ぶりたいだけの小物にしか見えなくて、失笑を誘うわ」
「手厳しいね。その彼が起きる時間を稼いでるなんて、健気じゃないか。ん?」
気付かれたみたいね。
「そろそろ起きなさい! あなたのパンドラに窮地が迫っているわよ!」
二人分のエネルギーが流れている彼ならば。
短い時間しか稼げなかったけれど、あるいは立ってくれるのではないか。
私のわずかな期待と、可能性を信じた賭けは。
「ああもう、言われんでもわかってるっての!」
どうやら成功したらしい。
「驚いた。回復力に自信があるようだな」
「どうやらそうらしい。待たせたみたいだけど、第二ラウンドだ」
「テンカウントはとっくに過ぎたぞ、最近の若いのはわがままだな」
もう一度、体の中のエネルギーを外に放出する。
「え?」
「あれ?」
形成された鎧は、さっきとは全く異なる和風の鎧。
当世具足さながらの朱と黒の鎧だ。
そして手の中には、大太刀。
兜もまた、鬼のように見える意匠のものが形成される。
「なんだ? お前その鎧……」
なんとなくわかる。
これは、イリアとの契約だ。
後ろを振り向き、イリアと視線が合う。
なにも言わずにうなずく彼女に、確信をもって相手の方へ向き直る。
「行くぞぉぉぉぉ!」
相手は無言で銃を構える。
実際、さっきほどの鎧の強度は見込めないし、弾丸をまともに食らえば一撃でダウンするだろう。
相手もそれがわかったのか狙いを定めて撃ってくる。
「鉄哉! 炎!」
イリアの声が飛んでくる。
目の前を撫でるように、左手で払う。
その軌道をなぞるように炎が噴出し、俺に届く直前に弾が爆発する。
「なにっ……!」
「行って焼き尽くしちゃいなさい!」
大太刀の刀身に、炎を乗せる。
斜め下から斬り上げ、すばやく斬り下ろす。
「うおりゃあああああ!」
しまったとか、まずいとか、そんなことは考えもしなかった。
ただ、目の前のこいつを倒さなければならないと。
「ん……む……」
斬られた男が、灰になる。
高温すぎる炎のせいだろう。
「はぁ……はぁ……」
息も絶え絶えになりながら、しかし俺は勝ったことを喜んでいた。
しかし。
「やばいよな。殺しちまったんだもんな」
「落ち着きなさい。どうせ犯罪になんてならないわ」
「そういう問題じゃないだろ……」
「うん、犯罪にはならないね。だって……」
イリアが見ている先で。
灰になった男が、再び立ち上がっていた。
「なっ……!?」
「パンドラに対抗するために、人間を捨てたものって言うべきなんだろうけど。ただのキモイ生き物だよ」
なるほど、と内心思ってしまった。
灰から再生する姿は、およそ人間というくくりから大きく逸脱し、ホラー映画のクリーチャーさながらである。
「くるわよ」
浅黄が呟いた。
もう一度、俺は大太刀を構えなおす。
「鉄哉、いける?」
「やるしかないだろ」
イリアに投げやりな返事をして、俺は走り出す。
「たあああああっ!」
声帯がないのか。起き上がった男が声を出すことはなかった。
ただ、口と思しき場所から触手のようなものを伸ばしてきた。
「気持ち悪い!」
怒鳴りつけながら、炎を放つ。
炎に触れた触手が引っ込んで、一瞬隙が出来る。
そのほんのわずかな隙に、炎を纏わせた刀身で焼き斬る。
「特性を使いなさい! それだけじゃまた再生するわ!」
浅黄が叫んだ。
「どうやって!」
特性の使い方なんて聞いてない!
「イメージよ! パンドラから与えられる力はすべて、イメージで現象を引きお起こすの!」
イメージ。
破壊のイメージって言うと……爆発?
左手の掌を斬ってすぐの男に向ける。
「燃え尽きろ!」
小さな爆発がおき。その中心から超高温の炎が弾ける。
こんどこそ、男は灰も残さず燃え尽きた。
「で、あれはなんなんだよ。どうなってんだ」
「えっと、大昔のパンドラは自分ひとりで箱をさがしてたの。でも、箱の存在をこころよく思わない人もいたんだよね」
「魔女狩り、魔女裁判ああいった類のことは世界中であるけれど、パンドラも例外なく巻き込まれていったわ。そのころのパンドラは、自分の属性と能力を振るうことが多かったから」
「つまり、本物の魔女扱いってことか」
「扱いって言うか、魔女そのものだよねぇ。まあ、そんなこんなで紆余曲折を経て騎士って制度が確立するんだけれど」
「その際に、パンドラを狩る側も力を得る方法を確立したのよ。はっきりいって最悪の手段で」
「なんだよ、最悪って」
「……パンドラをね。食べるんだって」
は?
なんだそれ、意味がわからない。
「え? パンドラって食えんの?」
「そんなわけないでしょう? 禁忌を犯し、パンドラの血と肉を体に取り入れることで人間という存在を脱却する。そういう考えよ」
そしてそれは成功した……と、浅黄は言った。
「そうまでしてなんでパンドラを狩ろうとするんだ?」
「彼らは恐れているのよ、箱の中身を。世界を覆すかもしれない、神話の時代の遺物を」
「開けてみないとなんなのかわからないのにね。なんだっけ、シュレディンガーのなんとか」
「……猫な。ま、とにかくああいう奴らもいて、俺はそれと戦わなきゃいけないと。了解了解」
一息つく暇もなく、次から次へと色々な事が起こる。
それがなんだか、楽しいと思ってしまった。
明けて翌日。
「おはようさん、鉄。なんやえらい疲れとんな……どないしたんや」
「ああ、うん。ちょっと色々」
朝から浅黄がやってきて、体鍛えさせられたり。
そこになぜかイリアがやってきて、朝から重い朝食を入れられたり。
あとは、そうだな。
これから始まる騒動が想像できて、辛いくらいかな。
「はい全員座って座って。転校生だよ」
担任の声に、騒がしかった教室が静まる。
クラスの視線が、担任の入ってきたドアに集まる。
そして、全員がその姿に見とれることになる。
「イリア・エヴァンスです。日本には以前住んでいたことがあって、私の感覚では帰ってきたというのが正解かもしれません。よろしくお願いしますね」
イリアと目が合った。
ウィンクを飛ばされ、視線がこっちに集まる。
「鉄哉! これでまた一緒だね!」
そんな言葉が幼馴染の口から出たとき視線の質が変わった。
視線が物理的な圧力を持っているようにさえ感じる。
さすがにこれは、無理だ。
「村雨のやつ……」
「浅黄さんとも……」
男子からの恨みがましい視線と、女子からの軽蔑したような視線。
やましいことは一つもないが、反論しても言い訳にしかならない空気になってしまったようだ。
そして、せめてもの抵抗として、俺は机に突っ伏すことにした。