パンドラの騎士
「鉄、すまん! ちょっと今日の当番代わりに出てくれんか!?」
同じ図書委員の守口がそう言ってきたのは、翌日の昼休みだった。
「あー、うん、いいよ」
「ホンマか!? いや~、助かるわ! おおきに!」
守口はいい奴なんだが、かなり騒がしい。
ちょっと苦手だ。
「いやぁ、鉄はええ奴やなぁ」
「ははは……」
という次第で委員二日目である。
まぁ、守口は逆にこちらが代わってくれと頼んだら快くOKしてくれる奴なので、そこまで嫌ではない。
「それに今日は……っと」
昨日発売の新刊があるからな!
そして、またしても四十五分が過ぎた頃。
「あら、今日も貴方なの?」
「ああ、うん……」
また浅黄美園……。
読書家なのかな。
「ねぇ図書委員さん、貴方、神話は詳しい?」
「え? あー……まぁ、一時期はまったかな」
北欧神話がメインだけど。
「そう……」
微妙そうな顔だなぁ。
「……もしも。もしもの話だけれど、今パンドラの箱が見つかったら……そこには本当に希望が入っているのかしら?」
「うーん……どうかな」
予兆説もあるし……ってそういうことじゃないんだろうけど。
「?」
「希望かどうかっていうのは、ちょっとわからないけど。希望が入ってるほうが嬉しいよね」
「……貴方、名前は?」
「村雨鉄哉」
愛称は鉄……一人しか呼ばないけど。
「そう、ありがとう村雨くん」
そんな話をして帰っていった。
「なにも借りてないけど……よかったのかな」
その日の帰り道。 夕方も過ぎようかという時に、突然目の前に変な奴が現れた。
肩までの金髪、身長は180くらいだろうか。
レザーアーマーというのだろうか、ゲームとかでよくみる革製の鎧みたいな物を着て腰にサーベルを差した、どこのゲームの方? という格好の男だ。
「見つけたぞ、資格持つものだな」
「は?いや、漢検くらいしか……」
それも準二級。
「貴様に恨みはないが……その命、貰い受ける」
「え?」
「雷光殺技エドラス・フォン・ガーリア。お相手願おうか!」
サーベルを抜いて、高らかに宣言する。
駄目だ、この人頭がおかしい。
そう思うと同時に、言いようもない危機を感じる。
走って逃げようとする俺の鼻先に、突然銀の光が現れた。
「っ!?」
「ほう、生身で我が刺突を避けたか」
首を必死に傾けて、慣性に逆らって、そしてなんとか避けただけだ。
同じことをもう一度やれといわれたら、絶対に無理。
「さぁ、君も騎士の力を見せたまえ」
「な、なんなんだよ、騎士って……」
「パンドラに仕え、パンドラから力を与えられて、箱を手に入れる為に戦う我々の事だ。騎士となって日が浅いのか? だとすれば運が悪いな」
私に出会ってしまうとは。
と、呟きながらこちらに進んでくる。
「なんなんだよ、これ!」
また走る。
運動は得意じゃない。
息もきれてくるし、脇腹も痛い。
だけど今立ち止まれば、死ぬ。
さっきの男が何をしたかは分からないが、鼻先に閃いたサーベルは間違いなく人を殺す武器だ。
「君は美しさに欠けるな。まぁ、生き汚い事も騎士と言えば騎士だが……」
あの男は悠々と近づいてくる。
油断ではなく、余裕。
捕まれば殺されてしまう……そんな確信があった。
走った。
人生でこれほどまで必死で走ることが何度あるだろうか。
いくつも曲がり角を曲がり、走り続けたが誰にも会わない。
この時間帯でそんなことあるはずもないのに。
誰か。誰か。誰か。
「あら? 村雨君?」
「あ、あさ、ぎ?」
曲がり角で突然現れたのは、浅黄美園だった。
「た、頼む! 変な奴に追われてるんだ!警察、警察に通報してくれ!」
「してもいいけれど……意味はないと思うわよ。だってここはあちらの結界の内側だもの」
「なに言って……」
「それよりも、ねぇ村雨君。私に命を捧げられる?」
浅黄美園は、その美貌に冷たく笑みを浮かべて、そう訊いた。
「は……?」
「もしも貴方が私に命を捧げられるというのなら……私の騎士として、戦わせてあげるわ」
「お前……も」
頭のおかしいやつの同類なのか、と訊きたかった。
しかし、その前に浅黄が口を開く。
「私はパンドラ。箱の開き手であり、騎士に力を与える者」
ぱ、パンドラ……?
さっきのやつもそう言っていて……。
「パンドラの箱は今日本にある。世界中のパンドラである者に、それは一気に伝わったわ。私自身もそう」
淡々と、何事もないかのように話をする浅黄が怖い。
俺はすがるようにして彼女の肩に手をかける。
「なんかの冗談なんだろ? なぁ?」
「そう思うのはあなたの自由だけど、生きたいなら私に命を捧げなさい。死にたいなら……そこに突っ立ってるといいわ」
「ま、待ってくれ! そんな簡単に決められるか! 大体なんだよ、死ぬとか命をささげるとか!」
「文字通りの意味。いいわよ? 私は待ってあげる。これでも気が長いの。だけど……彼はどうかしらね?」
「……やれやれ。感心しないな。逃げるのに女を巻き込もうとは」
「……!」
ヤバい。
マジでヤバい。
頭のおかしい奴が増えただけ、というどうしようもない状況じゃないか、これ!
「どうするの? 彼は属性は雷、位階は銀、所属は軽装騎士、特性は加速。逃げるのならもっと早くに走り出さないと駄目ね」
「その鑑定眼、パンドラのお一方とお見受けする」
「ええ、浅黄美園」
「雷光殺技、エドラス・フォン・ガーリア」
軽く会釈する。
「それで、村雨君。どうするの?」
「死ぬのは嫌だ!」
「なら、私に命を捧げなさい。死にはしないわよ」
「本当か!?」
だったら、それでいい!
「跪きなさい」
「え?」
まさかこいつ本当にそっちの気が?
「臣下の礼よ」
言われるがままに、膝を着く。
「私の武器となり、私の盾となり、私の為に戦いなさい」
「!」
額に柔らかく湿った感触。
そして。
「……お待たせしたわね」
「いえいえ、彼が騎士でないとは思いませんでしたのでね。……こんな間違いはありえないのですが」
「……なんだこれ」
「属性は大地、位階は鋼、所属は重装騎士、特性は破壊。卑金属位階では最強の位階、いい装備ね」
巨大な盾、長いランス。
全身を覆う鎧。
そして兜。
しかしさっきより身軽なくらいの体に、僅かに気分も高揚する。
が。
「なるほど、面白いな」
エドラスとか言っていたか、男からの殺気が濃くなる。
「鉄壁襲来といった所かしら」
「鉄壁襲来……面白い、雷光殺技として加速に重きをおいた私の対極か」
ランスを握る手に力がこもる。
「重装騎士の敵陣突破の作法は知っている?」
「知らないけど」
なんなら知りたくもないけど。
「盾を構えて突撃するのよ」
「は? え?」
「さぁ! 行きなさい!」
「雷の流細剣。さて、参る」
サーベルに電流が走る。
突き出しに合わせて、僅かに雷の刃が閃く。
「いやこれは無理だろ」
妙に冷静にそんなことを呟いた。
どんな手品か知らないが、感電するのは間違いない。
固まりそうになる俺に、浅黄の叱責が届く。
「盾!」
はっとして正面で受け止める。
「そう、体の中心で止めるの」
不思議なことに、覚悟していた電流は来ない。
「ふっ!」
ヒュンヒュンという突きの音に合わせて、バリッ、バリッと雷の音が響く。
それを盾を前面に立て、防いでいく。
「籠ってばかりで勝てるものか!」
「くっ……」
突きが加速し、威力が増す。
一点に集中して強烈な突きが当たる。
盾が、破られる!?
「突き!」
「おおおおおお! お?」
やけくそで槍を跳ねあげるように突き出す。
「くあっ!?」
咄嗟に刃で受けたのだろうが、軽装の相手には大きく響いたのだろう。
槍が相手を浮かし、流れるように盾で相手を吹き飛ばす。
踏み込んだ足が、アスファルトを踏み砕いていた。
すげぇ……、体が自分のものとは思えないくらい軽く動く。
「やりますな。ルーキーとしてはとんでもない大当たりだ」
「まだやるかしら?」
なんで浅黄が自慢げなんだ?
納得いかない。
「いや、ここは退かせてもらおう。我が主がお待ちだ」
「そう。なら貴方の主に伝えなさいな。そんなやり方で箱に辿り着けるものですか」
「……伝言、確かに預かりました。鋼の小僧、腕を磨いておけ。次こそその命、貰い受ける」
そういうと、男は何処へともなく消えていった。
「な、なんだったんだ……いまの」
「騎士よ」
「騎士ってなんなんだよ……もう訳わかんねぇよ……」
泣きそうだった。
いつの間にか鎧は消え、俺はもとの制服姿。
なにもなかったように元通りで、しかし手の中には生々しい槍と盾の感触。
腰が抜ける。
なのに、体は力に溢れている感覚が気持ち悪い。
「貴方は私というパンドラの騎士よ。鋼……卑金属位階の最強、古くは刃金と表された金属の騎士」
「パンドラって、箱を与えられた女だよな……神話の」
「ええ。ただし、私達はあくまで箱を開く権利があるというだけ。箱を開くためには、箱を探しださなくてはならないの」
「パンドラの、箱」
「未だかつて箱に辿り着いたパンドラはいない。欲に振り回された者に邪魔をされたり、秩序を保つために見せしめとして惨殺されたり、ね。そんな被害からパンドラを守るために作られたのが、パンドラの騎士。生まれつき、位階との相性がいい人間がパンドラに命を捧げる覚悟を示せば、最も相性のいい位階の騎士になれるのよ」
どこかで聞いたような話だ。
妄想にしたってもっと新しい要素を入れるだろう。
でもさっき経験したことは間違いなく現実だ。
「位階は大きく分けて二種類。貴金属位階と卑金属位階。貴金属位階というのは白金…プラチナを頂点に銅、変わり種の水銀などを含んだ、変化しにくい金属。逆に、卑金属は変化しやすい金属と考えていいわ。そして貴方はさっき言った通り、鋼」
「鋼って、合金じゃないか?」
少し気になったところを突いてみる。
「いいところに気付いたわね。そう、だからこそ鋼は卑金属位階最強で、特別なのよ。その出現条件すら定かではない。けれど曲がりに強く、朽ちても甦り、硬く剛い。例えば銀は貴金属位階三位ではあるけれど脆いわ」
つまり、貴金属位階が絶対上位じゃないという事ね。と、説明は続く。
「そして、その位階は生まれ持った素質で決まるけれど、付与される属性は、力を与えるパンドラの属性、そして所属は本人の戦いへの姿勢が大きく反映されるの」
「位階が金属な理由も、属性も所属も何も分からないぞ……?」
「はぁ……残念な頭をしているのね」
「ちゃんと説明しろよ!」
説明というのは相手にわかるように話すことだ、と習わなかったのだろうか。
「今したじゃないの。これ以上は後日にしてちょうだい。私は眠いわ」
「おまっ」
肩を掴もうとした俺の手を、スルリと避け、ホントに帰ってしまった。