プロローグ
朝倉拓也と言う高校生になったばかりの少年がいた。彼はまだ誕生日を迎えていない為に十五歳である。
「来世に期待しよう」
彼はそう呟いて一歩を踏み出す。裸足であるからコケやコンクリートが直に伝わる。
後ろには鉄線が張り巡らされたフェンスがある。
ここは屋上。フェンスより戻ればシーツや布団が干してあり、桃色の引き扉を開ければ階段が現れ、下へ戻れる。
前日は雨が降っていたから布団が余計に多く干されている。
拓也の着ている服は病院の検査着だ。そのまま入院着になっている。
彼は少し前、バスが横転し炎上した事故に巻き込まれ、左腕を骨折し、右目に傷を負った。失明はしていないがかなりの視力低下となった。また、回復したが火傷も負った。
そんな怪我も軽くなったのだが、拓也は自身の不幸さに呆れ自らの命を 絶つ気なのだろう。たったそれだけ? と思われるだろうが彼はそれだけではない。
もう左腕の神経が通わぬ所があると分かり、野球を辞めざるおえなかった。
もう意味がない。
生きている意味の消失。
だから拓也は病室を抜け、体力が落ちた細い肉体で屋上へあがり、淵に立っているのだ。
あと一歩で落ちる。落ちれる。
この高さなら死 ぬのは容易なことなのだろう。
彼は一つ大きな深呼吸をしてから顔を上げ、空を見渡す。時刻は十七時で夕方だ。だが夕日は見えない。太陽は飛び降りる方と逆方向だ。
「じゃあな——」
彼は決心をし、一歩を踏み出そうとする。
が。
動かない。動けない。コケに吸着性などないし、コンクリートも柔らかかったわけではない。
怖い。怖いと拓也は、拓也の脳が感じた。だから踏み出せない。
もう一度、目を見開いた時に、ガチャッと音がして誰かが屋上にやってきた。
拓也は瞬時に振り返り確認する。
「拓也君!?」
と看護師の驚愕した顔と叫びが響いた。
どうやら布団やシーツを取り込みに来たようだ。
拓也はフェンスを握りながら看護師に視線を送る。
彼女は二十代後半くらいで白い制服に身を包み、胸ポケットにボールペンが挟まれている、黒髪ショートカットの女性だ。
「ちょっと! 何してるのよ! 早く戻ってきて!」
もちろん言われると思っていた拓也は何も思わず、穴が開いたフェンスの穴を通って屋上のコンクリートタイルの上へ。
「お、落とし物しちゃって」
拓也はそう言って笑い、頭を掻いた。
彼の後ろにはフェンス。前には人。これで死 ぬことはなくなった。
「もう気を付けてよ。冷や冷やしたじゃない」
拓也は細い目で微笑むことしかせず、謝ることはなかった。
「あの、そろそろ俺は戻ります。あと一週間で退院ですから大人しくしてますよ」
早歩きで看護師の前を通り過ぎ、引き扉を開けてすばやく中へ入る。
拓也は大きな深い息を付き、閉めた扉へずるずると寄り掛かり身を屈めた。
「ああ、何で生きてんだろ……俺」
こぼれた吐息と言葉に混じり、嗚咽も入る。
死ねなかった。と彼は涙を止められなかった。
こんな自分に生きる意味があるのか分からない。そう考えなければ死ぬと言う考えもなくなるのだろうが。
床はタイル式で黄色より土色。冷たさが手から足から伝わり、そこにも生きていることの証明になっていた。
――誰か俺に生きる意味を下さい。