第四話 追われた少女は――
それは怪獣と呼ぶのが相応しい存在だった。
黒鉄の如き強靭な外皮に身を包み、二本の足と一本の尾を用いて立ち上がるその姿は、ドラゴンというよりも怪獣だ。その身の丈は森の木々より頭一つ高く、今まで気づかなかったのが不思議に思われるほどの迫力を出している。
怪物の口からはだらだらと粘液のようなよだれが溢れだしていた。今にも、醜悪に裂けた口にずらりと並んだ牙で、修たちの身体を引き裂きそうだ。
「な、なんだこいつ!」
「マッドドランです! さあ、早くこちらへ!」
ユニは修の手を取ると、素早く大木の陰へと彼を隠した。彼女は腰のポーチから一本の刀を取り出すと、それを手にマッドドランの前へと立ちふさがる。
「我が名はユニ! 憤怒の護り手にして永遠の従者なり! 狂える森の竜よ、我が刃にて果てよ!」
緋色の鞘より解き放たれる鋼鉄の獣。夕闇に紅の光が走る。抜き放たれた刃は研ぎ澄まされた殺気で、すでに眼前の怪物を斬っている。
マッドドランの咆哮が轟く。木々が揺れて森がざわめき、野生の殺気がどよめく。野生に生きるものの圧倒的な生命力――それが爆発する。
濃密な強者の気配が修の背筋を凍てつかせた。されど、彼の前に立つユニは引かない。
「行きます……!」
距離が詰まる、刃が風を切る!
ユニは光となった。マッドドランの剛腕を潜り抜け、刹那のうちにその腹へとたどり着き、肩を袈裟に斬り上げた。硬い外皮がいとも容易く切り捨てられ、傷口から鮮血が豪雨とばかりに降り注ぐ。
全ては一瞬だった。一秒にも満たなかっただろう。その恐るべき技の冴えと早技に、修は思わず息をのむ。
「すごい……! ユニってこんなに強かったんだ……」
「いえ、私などまだまだです」
「いやいや、本当にすごいよ。こんな怪獣を一瞬で倒しちゃうなんてさ」
倒れた巨体を見下ろしながら、修は躍動的な口調で言った。ユニの頬が少し紅潮する。しかし彼女はすぐさま表情を引き締めると、一本の木の方を睨みつけた。
「さて、そろそろ出てきてください。そこに隠れたのはわかってます」
「……」
「木ごと斬りますよ?」
「わかったわよ! 出るから斬らないで!」
慌てて木の陰から少女が現れた。紅髪の勝気そうな少女で、皮の鎧を身に纏い腰には短剣を帯びている。見たところ、駆け出しの戦士といった雰囲気だ。その証拠に細く引き締まった体は女性にしては幾分筋肉質である。
「この娘は?」
「マッドドランを私たちに押し付けた娘です」
「え、それって……」
修の眼が鋭くなった。少女はにわかに身を縮める。
「あ、あんな怪物に追いかけられたんだもの! し、仕方ないじゃない!」
「だからって人に押し付けるとか、最低だろ!」
「そんなこと言われたって、私だって死にたくなかったんだもん!」
修と少女の話はそこから延々と平行線をたどっていった。一向に埒が明かないといった様子だ。このまま夜を迎えてしまいそうなほどの勢いである。しかしここで、ついにユニが痺れを切らした。
「……これ以上は言っても無駄ですね、斬りますか?」
キラリと剣光が覗いた。ユニの眼には一切の迷いがない。少女の口から小さく悲鳴が漏れる。
「いくらなんでもそこまでは……! ほら、君も早く謝って!」
「わ、悪かったわ! 謝る! だから斬らないで!」
「本当にそう考えてますか?」
「ほんとよ! こういうときに嘘はつかないわ!」
ユニは少女にぐっと顔を近づけて眼を覗き込んだ。少女の口からはもはや叫びに近い声が漏れている。
「本当だってば! 嘘はつかない!」
「私としては甚だ不本意ですが……ここは修様に免じて許しましょうか」
刀が納められた。少女は糸が切れたように、木にもたれかかる。修はそんな彼女の元へそそくさと近づいて行った。
「君の名前は?」
「私の名前? シェリーよ」
「シェリーか、いい名前だね。よろしく」
「ええ……よろしく」
シェリーは差し出された手をしっかり握った。その様子を、すぐそばからユニがどうにも疎ましいような眼で見つめている。
そうしているうちに、とうとう日が暮れてしまった。いまさら平原に出ても特に意味を為さないため、三人はこの場で野宿をすることにした。ユニと彼女に命令されたシェリーが、食事や寝床の準備を進めていく。そんなとき、シェリーが思い出したように懐から何かを取り出した。
「……そう言えば私、いいもの持ってたわ。これ」
「なんですか、それ?」
シェリーが取りだしたのは小さな瓶だった。中にはさらさらとした粒子の細かい粉が入っている。
「オイシキノコの粉っていってね、これをかけるとなんでもおいしくなるのよ。まあ、万能調味料ってとこね」
「……本当ですか?」
「ほんとよ。ほら、舐めてみて」
ユニはほんの少しだけ粉を舐めてみた。まずくはない。それどころか、山海の珍味の旨味だけを集めてギュッと凝縮したような味がする。
口の中をほのかに漂う芳しい風味。濃厚で奥深く、それでいて全くくどさのないおいしさ。体中に幸せが広がり、頭の中をほどよい快感が満たしていく。この世界にこれほどおいしいものがあっただろうか。
「素晴らしいです、これなら修様も喜ばれるでしょう!」
「でしょ、ジャンジャンご飯に入れましょ――」