その7
「……で、その格好は?」
「まずは形から入ることが大切だから。それに、色んなものを着てみたかったし」
「そうです! 今日はわたしたちはお医者さんです!」
カズと葵はナースのような白衣に身を包んでいた。二人ともそれを恥ずかしいと思ってる様子はない。
「どこで買ってきたの?」
「近くのコスプレショップ」
「……なんでそんな場所知ってたの?」
「ネットで」
「……いくらしたの?」
「一着五千円ぐらい」
「……結構高いな」
貪欲な彼女に財布を預けてしまったことを後悔する育郎であった。
「バイト始めたんだから、そのぐらい大丈夫でしょ? それに、あたしたちは新しい服を手に入れる。イクローはその服を着たあたしたちに看病をしてもらえる。相利共生的な買い物だから、ちょっとぐらい値段が張るのも仕方がない。他のもちゃんと買ってきたから安心して」
「『そうりきょうせい』、ってなんですか?」
「共に生きる両者が、共に利益を得る関係。あたしたちのためにあるような言葉ね」
「そうなんですか? イクローさんにはお世話になってますけど、わたしたち、ちゃんとイクローさんに良いこと、してあげれてますか?」
葵に言われると、肯定せざるを得ない育郎であった。素直な彼女に、育郎もデレデレなのであった。
「じゃあ、今日もイクローさんのお役に立つために、頑張りますね!」
「よろしくね。葵ちゃん、カズ」
「じゃあ、まず、お熱をはかりますです」
葵は体温計を取り出した。それは育郎にとって見覚えがないものであったため、二人が先程買ってきたのだろう。
「……カズさん、これ、どうやって使うですか?」
「腋下体温計って書いてあるね。腋に挟ませるの」
「じゃあ、パジャマの上脱がせますよ」
えっちいことに反応してツンツン成分を出す葵であったが、それは看病のための行為であったので、変な気分にはならなかったようである。
「直腸体温計じゃなくて残念だったね。イクロー。でも、悪くないでしょ?」
冷やかすカズであったが、育郎のほうも、お医者さんごっこチックな現状を、体調不良のために満喫することはできなかった。
数分後、ピピピとなった体温計は、37程度の数字を表示していた。
「平熱よりちょっと高い程度だね。すぐ治るよ」
カズは、枕元にスポーツドリンクのペットボトルをいくつか置いた。すべて種類が違う。
「こまめな水分補給が大事だから、沢山買ってきたよ」
「ありがとうカズ」
「もちろん、あたしも飲むけどね」
そう言って、自分で蓋を開け、ごくごく飲みだすカズであった。彼女は基本的に自分が特になることを考えているのだ。
「……やっぱり、カズって欲張りだね」
「お互いのためになるから良いでしょ?」
ぷはっ、と息を吐いて、それから口を外すカズ。
「じゃあ、栄養のあるもの、作ってくるよ」
「作ってくるです!」
「ああ、よろしくね」
「べ、別にイクローのためじゃなくて、料理もしてみたいなあって思っただけなんだからねっ」
「……なんでいきなりツンデレ口調?」
「あたしも葵ちゃんも性格的にはデレばっかりだから、少しツン成分も入れてみた」
「『ツンデレ』ってなんですか?」
顔に?マークを浮かべた葵が尋ねる。
「俗語だから明確な定義はないんだけど、高慢だったり冷たかったりする態度を指す『ツンツン』と、愛情に溺れたりして締まりのない態度を指す『デレデレ』って状態を共に持っている場合、かな?」
葵に変な知識を植えつけないために、育郎は少し固めに表現した。
「うん。今、あたしが言ったのが典型的なツンデレ発言。好意を好意と解釈されるのを避けるために、突き放してみる、って感じかな?」
「好きなのに嫌いなふりをする、ってことですか?」
「そういうこと」
「……なんでですか? 好きなら好きって言えば良いのに?」
「人間は複雑だからね。そういうのがいいって思う人もいるんだよ」
「イクローはツンデレとデレデレ、どっちがお好み?」
「うーん、一概には言えないね」
ちゃんと感謝の気持ちを伝えることが良いときもあれば、言外の真意を読み取ることが美徳と感じるときもある。
実は、育郎の両親は、息子には至上の愛情を注いで育ててきたが、夫婦間ではお互いにツンデレであった。
夫が「お茶」と言えば、妻は「お茶だけじゃわかんないわよ!」と言いつつも急須の準備を始める。夫が礼を言わないことに小言を呟きながらも、そんなこんなで今年の二月で結婚二十六周年目を迎えた。
育郎の父はその日、それを忘れている様子で朝からゴルフに行ってしまっていた。
母は、「結婚記念日を忘れるような人なんて、帰ってこなければ良いんだからっ!」と呟いていたが、ケーキの包みを持って現れた夫に感動していた。彼は「思ったより出費が少なかったから買ってきただけなんだからな」と言っていた。
母もごちそうを用意していたのだから、やっぱりツンデレ同士である。
そんな関係に、育郎はこっそり憧れていたりする。
「じゃあ、今日はツンデレでいってみようか。葵ちゃん。看病とツンデレは鉄板コンボだし」
葵に提案するカズであった。
「カズの知識欲って、変な方にばっか向かってない?」
「人間や動物と一緒で、植物も周囲の環境に影響される部分もあるのよ」
そう言われると、ぐうの音もでない育郎。
「じゃあ、ちょっと眠ってて。ツンデレが料理するところをみるのは反則行為だから」
本日二回目の催眠であった。
「眠らせたのは、『ツン』ですか?」
「見られたくない、ってのは『ツン』だけど、風邪は寝て治すのが一番だから、眠らせてあげたのは『デレ』でもある」
自分の行為に解説を加えるカズであった。
「じゃあ、料理を始めようか」
「はいです!」
「これもイクローなんかのためじゃないんだからねっ! はい、葵ちゃんも言う!」
「こ、これも、イクローさんのためじゃ、な、ないんですです」
促がされた葵は、噛みながらカズの真似をした。
「でも、わたしはイクローさんのためにお料理するです。嘘を言ったことになっちゃうです」
「ツンデレは押並べて嘘吐きか、自分がわかってないかのどっちかになるものなの。そうじゃなきゃ、矛盾する二つの概念が混在できないからね」
「でも、嘘吐きさんになるのはイヤです! わたしはイクローさんが好きです!」
それだけで、葵は涙目になってしまった。
(だ、だめだこの子……絶対的にツンデレに向いてない)
カズの企みは、葵の純粋な心に打ち砕かれてしまったのであった。
「わかったわよ。良く考えれば、葵ちゃんってワサビだから、わざわざ性格をツンにしなくても、ツンとしてるのよね」
カズは育郎と同じ感想を葵に向けるのであった。
二人はエプロンを身に付けて、キッチンに立つ。
「お粥作ろうと思うんだけど、白粥も寂しいから、色々混ぜよう」
「わたしは人間の食べ物のことはわからないので、味付けはお任せします!」
「まず、風邪にはビタミンが必要だから、野菜を入れる」
ニンジンやニラを、とんとんと手際良く切っていくカズ。葵が植物を切ることに少し抵抗があったが、育郎さんのため、と覚悟を決めて、それに倣うが、カズより遥かに手際が悪く、大きさも不揃いであった。
「切ったのをどうすればいいですか?」
「……えーと、ご飯と一緒に炊けば良いのかな?」
カズも、料理の勉強は少々したものの、実践は始めてであった。
煮立ってきたころで、カズは少し味見をしてみた。
「……なんか物足りないな。レモンでも絞ってみるかな。ビタミンCが特に大切だし」
それでも、何か寂しい。
「やっぱり、蜂の子とか、イナゴとか入れてみるか。蛋白質採らなきゃいけないしね」
どばどばとそれらを放り込み、再び煮立ててから、毒見に近いような味見をしてみるカズであった。
「うん。やっぱり虫が足りなかったみたいね」
カズは自らが作った料理に太鼓判を押すのであった。
目を覚ました育郎の前に置かれたのは、虫粥とでも称すべきゲテモノだった。野菜は申し訳程度にしか入っていない。
「……これを食べろと?」
「美味しいよ」
「そうです! カズさんが頑張って作ってくれたです!」
「頑張ったんだよ。葵ちゃんにも手伝ってもらったけど」
一生懸命作ってくれたのに、それを食べないのも悪いと思った育郎は覚悟を決めて口に運んでみた。
塩、野菜、レモン、そして虫のおりまざった、カオスな味であった。
「……変わってるけど、意外と美味しい」
そう言えば、究極対至高の料理漫画でも、イナゴはエビみたいな味がする、って書いてあったような記憶がある。
今度は虫をピンポイントする。
「あれ? 美味しい?」
「でしょ?」
「良かったです! イクローさんのお口に合って!」
「……虫って食べられるものなんだね」
「食べられないものがスーパーの食品売り場に置いてあるわけないじゃん」
結局、育郎はそれを平らげてしまったのであった。
「ごちそうさま」
二人でお粗末様、と返す。
「あれ、ツンデレになるって言ってなかったっけ?」
今、二人は素直に振舞っている。起きてから今まで、ツン発言はなかった。
「ああ、葵ちゃんが自分の気持ちに嘘をつくのがイヤだってことだからやめた。『わたしはイクローさんが大好きなんです!』、だっけ?」
「だ、『大』はつけてないです」
「でも、ほとんど変わらないよね」
「……は、はぅぅぅぅ」
葵は赤面してしまう。
「……あれ、息苦しさが少し収まったような気がする」
風邪で鼻が詰まっていた育郎の病状は、葵が放出したワサビの辛み成分によって、僅かだが改善に向かった。
「わ、わたしのツンツンがイクローさんのためになったですか?」
「うん。ありがとう」
「い、いえ。そんな……」
「あ、今だったら葵ちゃんにえっちいことしても良いよね。イクローも、あたしも、葵ちゃんも、みんな得するわけだから」
「あわあわ……えっちいこと……」
「ダメ! ツンツンが強くなると目にも来るから!」
「見れなくて残念だね。イクロー。でも、鼻が通るようになるからいいでしょ?」
うきゅー。葵は昏倒する。
「あーあ、倒れちゃった。寝てる子相手にしてもつまらないしなー」
カズは残念そうに言うと、台所から二種類のネギを持ってきた。片手には刻みネギ、もう一方には刻んでないそのままの長ネギ。
「代わりにイクローの看病の続きをするか」
育郎の頭には、看病というより、一種の変態プレイに近い図が浮かんだ。
「……カズ、それで何をする気?」
「長ネギで首と手を縛って、刻みネギを身体中の穴という穴に挿入する、伝統的な治療」
育郎が想像していたものより、遥かに危険なものであった。
「そんなの、どこも伝統にしてないよ!」
「でも、似たようなのはあるでしょ? それにあたしなりの改良を加えてみた」
「それ改良じゃない! 酷くなってるから!」
「やってみなきゃわからないじゃない。男は度胸! 何でも試してみるのさ! きっと良い気持だぜ!」
薔薇の名が冠せられた雑誌に掲載されていた、有名な漫画の台詞を真似するカズであった。
……育ててくれる人の体内にネギをぶちこもうなんて、なんて植物なんだろう。でも、太くて立派なネギを見ているうちに、そんな変態染みたことを試してみたい欲望が……
「浮かんでこないから!」
今の言葉には暗示がかけられていたのだが、既に育郎には耐性が着いていた。
「残念だなー」
カズはそれらを台所まで戻しに行くのであった。
このネギは、翌日、お粥の中に入れられて、美味しくいただかれた。