第肆話 狂気は誰の心にも潜んでいる
下校の時間。
弥生が靴箱の前に立って、何か紙切れを眺めていた。
俺は遠くから、その横顔を見つめた。
彼女は無表情を装ってはいるが、どうやらその手紙は、良いものではなさそうだった。
俺は彼女のそばへ寄って、上から覗き込むようにして手紙の中身を見た。弥生はすぐに手紙を隠したが、俺は手紙の中に「消えろ」という文字が含まれていたのを見逃さなかった。
「勝手に見ないで」
「強がんなよ。イジメられてんだろ」
弥生は返事もせずにしゃがみこむと、手早く靴を履いた。
「私たち、そんなに仲良しだったかしら?」
「教科書見せてやったろ?」
すると、弥生はジロリと俺をにらんだ。
「ありがとう、もう買ったから、明日から見せてくれなくてもいいわ」
そう言うと弥生は、クルリと湊に背中を向けて歩き始めた。
「弥生!」
俺は声をかけたが、弥生は振り返らない。彼女は歩きながらポケットを探る。そして丸めた紙を取り出すと、それをゴミ箱へ投げた。
丸めた紙は、綺麗な放物線を描いてゴミ箱に入る。
「ナイスシュー……って言ってる場合じゃない」
俺はゴミ箱に駆け寄って、丸められた紙を拾い上げた。
紙を広げると、弥生に対する苦情がびっしりと書かれていた。それには俺に対して近すぎるとか、生意気だとか、その他にも、ここでは言えない恐ろしい言葉が書き連ねてあった。
「女って、怖え……」
俺は顔を青ざめさせた。
だが、この手紙の中で、一つ気になる記述を見つけた。
それは、この手紙の主は、謎の男から弥生に関する怪文書を受け取ったと言うのである。
「謎の男?」
俺は即座に影山のことを思い出す。俺は眉を吊り上げて紙を睨んだ。
「何を読んでいるの?」
急に話しかけられた俺は、驚きながら振り返った。
するとそこには真央の姿があった。
「なんだ真央か」
「なんだとは何よ?」
マズい時に、マズい奴と会った。
弥生を追いかけたいのに、真央がいたら追いかけられない。そんな様子の俺を見て、真央はジッと見つめてくる。
「ねえ、湊……何があったの?」
「いや、何もねえよ」
「嘘」
真央は俺の目をジッと見て来る。
「最近、月城さんと何かあったんでしょ」
俺はドキリとした。
相変わらず、勘の鋭い女だ。
俺は平静を装ったが、真央の瞳は、俺の心の中を見透かしているように思えた。
「しょうがねえなあ」
俺は、弥生を追うのを諦めた。
そして、真央に引きずられるようにしながら家へ帰ることにしたのである。
◆
異変が起きたのは、ある昼休みのことだった。
女子トイレから、複数の女の子が飛び出してきた。顔を青くした女子たちが、俺の前を走り抜けていく。
「どうしたんだ」
一人を捕まえて聞くと、彼女は震えながら答えた。
「月城さんが……睨んでくる……」
それだけ言うと、その女子は走り去った。
俺は女子トイレの前まで歩いて行くと、中に向かって大声を出した。
「おい、月城!」
俺が声を掛けてしばらくすると、中から弥生がゆっくりと出てきた。彼女は何事もなかったような顔をしていたが、全身が水浸しだ。俺は制服の上着を脱ぐと、すぐに彼女の肩へかけた。
「何があったんだ」
「別に」
「怖がってたぞ、あいつら」
「怖がるようなことは何もしてないわ」
弥生はそう言って、廊下を歩き始めた。俺はその背中を見ながらついていったが、彼女は教室へは戻らず、そのまま下駄箱へと向かった。
「おいお前、帰るのかよ?」
「見てわからない?私、ずぶ濡れなのよ?こんなんじゃ授業なんて受けられない」
「何があったら、そんなにずぶ濡れになるんだ」
すると弥生は振り返って、上目遣いでジッと見て来た。
「想像力が足りないのね。数人の女がよってたかって一人の女をずぶ濡れにすると言ったら?」
「それってお前……」
俺はそれ以上何も言えなかった。おそらく彼女はリンチに遭ったのだ。
翌日。
学校が騒然となった。
昨日トイレから走り出た女子の一人が、夜中に倒れて意識を失ったというのだ。彼女は病院に運ばれたが、何が原因で倒れたのか、全くわからないのだという。
それを聞いたいじめっ子たちが、恐れおののき始めた。
教室の空気が変わった。
弥生を見る目が変わったのだ。
誰も弥生に近づかなくなった。
廊下で目が合うと、さっと逸らす。昼食の時間も、誰もそばに寄らない。
俺だけが、いつも通り弥生の隣にいた。
「お前、大丈夫か?」
「何が?」
「孤立してるだろ」
「慣れてるわ」
弥生は静かにそう言った。
「担任に呼ばれたって?」
弥生は頷く。
「あの先生……私に向かって(お前、一体何をしたんだ)って言うから、こっちがイジメられてたんだって言ってやったわ」
「酷い先公だな……」
すると、弥生は顔を上げて俺の顔を見る。
「あまり、私に関わらない方がいいわよ」
弥生はそう言うと、鞄から本を取り出して読み始めた。
◆
三日後、一人の女子が俺に話しかけてきた。先日、弥生とトイレで一悶着あったメンバーの一人だ。
彼女はとても顔色が悪く、ずっと右手でお腹を押さえていた。
「大丈夫?」
俺が声をかけると、辛そうに頷く。
「実は十六夜くんにお願いがあって……月城さんに、伝えてほしいことがあるの」
「俺が? 自分で言えばいいじゃん」
すると、その女の子は焦ったように謝った。
「め、面倒かけてごめんなさい……本当は直接話せばいいのだけれど、私たち怖くて」
「怖い? 俺からすれば、向こうが被害者に見えるけど……」
すると彼女は泣きながら……震えながら話しだした。
「私たちが弥生さんに嫌がらせをしていたのは認めるけど……本当は頼まれてやってたの」
「誰に頼まれてたんだ?」
するとその女子は泣きながら首を振った。
「それがわからないの……。入院したあの子が話を持って来たのよ。匿名の手紙が来て……月城さんに嫌がらせをしたらお金を払うって! 私たち、月城さんに良い印象を持っていなかったから、思わず引き受けたの……だけどこんなことになるなんて!」
「なんだ、こんなことって……」
「十六夜君、知らないの?私以外、全員入院してしまったのよ!」
その女子は、顔を青ざめさせながら、その場から走り去った。
◆
「そんなの偶然に決まってるじゃない」
弥生は呆れたような顔をして、鼻をフンと鳴らした。
「だけどさ、全員が入院したんだぜ。それも同じ時期によ」
「だからといって、なぜ、私が呪いをかけたって話になるのか、全く理解出来ないわ。それにね」
弥生はジロリと俺を見つめた。
「あなた、学年トップとか言ってるけど、意外と馬鹿なのね?」
弥生にそんなことを言われて、俺は絶句した。




