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金曜日、魔女の森

作者: 奏川 シウ
掲載日:2025/12/13

初めて書いた作品、読んでもらえたら嬉しいです。

週末のおともによければ。

 かつて世界には、自然と共に生き、その力を借りて奇跡を起こす者たちがいた。

 かつて人々は、己が持たない力をもつものに憧れた。

 憧れたが手に入らなくて、それを妬んだ。

 妬ましさは恐れになって、その結果、存在を世界から排除した。

 

 全くよくある話だ。



 フレデリカは急いでいた。

 金色の長い髪をなびかせて、石の多い狭い山道を早足で進んでいく。足を取られてなんとも歩きづらい。

 もしかしたら、今度こそ長年の憧れに辿り着けるかもしれない。そう思える噂を聞くことができた。その話自体はずっと存在していたのだろうが、自由に出歩くことが許されていないフレデリカは14の歳になって初めて触れた。

 魔女は実在する、そして、街からそう遠くはない、山へと続く、いつも深い深い霧に包まれて人を迷わせるという、"月闇の森"と呼ばれるところの奥に住んでいると。

 フレデリカはずっと、魔法というものに憧れていた。

 同じ年頃の友人と自由に付き合うことも、思うように外を駆け回ることもできない自分に魔法の力があったなら、空を飛び、街を超えて、好奇心の赴くまま世界に飛び出せるのに。

 魔女に会いたい。会って、わたしにも魔法を教えて欲しい。気持ちばかりが逸って、居ても立ってもいられずにフレデリカは森を目指して駆け出した。

 森は深い。どこに住んでいるのか、それは見当もつかなかったから、森を迂回して山の中腹あたりまで登り、少し上から見てみようと思った。

 フレデリカは急いでいた。あまりにも気が逸ったから、足元へ向ける注意がおろそかになったのは無理もなかった。

 

「あっ」

 

 最近雨が降ったのだろうか。ゆるんだ地面が崩れ、土が滑り落ちる。

 とっさになにかに捕まることもできず、崩れる地面と一緒にフレデリカは斜面を落ちていった。

 突き出した岩に手をぶつけ、伸びた枝に頬を切られながら、ようやく平らな場所に到達し、どすんと尻餅をつく。擦り傷だらけになった脛を押さえ、フレデリカはうずくまった。

 落ちた高さはそれほどでもなかったが、受け身も取れず落ちるままになったから体のあちこちを打ったようだった。立ち上がるには痛みが強い。

 陽はまだ高い時間だが、鬱蒼と木が茂っている上に、噂通りの濃い濃い霧で辺りは薄暗く、視界がほとんど効かない。

 だんだんと不安が強くなっていく。今何かに襲われたら逃げることも叶わない。

 そのとき、遠くから何か音が聞こえることに気づいた。身を固くして耳を澄ませる。どんな獣がいてもおかしくない場所だ。狼か、猪か、まさか魔女の手先か。

 音はフレデリカに向かって近づいていた。草をかき分け、何かが歩いてくる。フレデリカの心臓がバクバクと大きく騒ぎ始めた。

 息を潜め、見つからないよう必死で祈るが、それも虚しく音の主は確実にこちらへ向かってきていた。

 刹那、霧の向こうから、何かが飛び出した。左右に銀色を伸ばしたそれは、けたたましい声を上げてまっすぐにフレデリカに飛び掛かる。

 

「ひッッ」

 

 フレデリカは青ざめて短く悲鳴を上げた。まだ痛む足を引きずり、のけぞって後ろへ下がる。

 鳥だ。フレデリカの頭くらいの大きさがある鳥が、彼女の体をぐるりと囲むように飛び上がって、大きな声を上げながら頭上を旋回している。フレデリカは、声も出せずにそれを見上げていた。恐怖に涙がぼろぼろこぼれる。

 その鳥が来た方向から、また足音がした。フレデリカの心臓がばくんと鳴る。

 フレデリカの狭い視界に入るまで近づいてきた足音は、彼女に気づいて眉を寄せ、小さく息をついた。

 

「クルツ、一体なにを騒いで…

……ああ、これはまた余計なものを見つけてくれたな」

 

 姿を見せたのは、黒い外套に身を包み、ゆるくうねる銀色の髪を揺らした、同じ年頃の少女だった。切れ長の目がこちらを見つめている。

 幼い顔立ちに似合わない口調で、どこか奇妙な雰囲気を纏っていた。彼女の周囲だけ、霧は晴れている。

 

「どこから、どうやってここに来た? きみは」

 

 フレデリカと向かい合わせにしゃがみ、目を覗き込むように少女は話しかけてきた。声もだせないフレデリカの様子を見て、また息をついたが、傷だらけの足に気づいてそちらに目を向けた。

 

「…なるほど、望んで来たのではなくて落ちてきたのか。

 そんなに怯えなくていい。痛むのか、歩けるか?」

 

 少女は立ち上がり、裾の膨らんだ膝丈のズボンの皺を直して、フレデリカに向かって手を差し出した。

 

「私の家においで。手当てくらいはしてやろう」




 少女の家は、至って普通だった。

 フレデリカはぐるりと視線を動かした。箪笥と、一人がけのテーブルと椅子と、ベッドがある。窓辺には緑の植物の鉢がたくさん。その隣に、先ほどの鳥が止まれるような大きさの止まり木が立ててある。籠らしきものは見当たらないから、クルツと呼ばれた彼は家の中で自由にしているらしい。

 大きな釜も、吊るされた爬虫類もいなかったが、ただ、薬を作るような場所はあった。

 フレデリカは泥だらけになったスカートに少々躊躇したが、構わないと少女に促されて椅子に腰掛けた。桶に汲まれたぬるい水で、少女はまず傷口を洗ってくれた。傷に染みてひどく痛むが、文句など言えない。汚れが落ちてきれいになってみると、幸い深い傷はなさそうだった。

 少女は包帯に清涼な香りのする何かを塗って、丁寧に脛に巻きつけた。ほんの少し温かい、ような気がする。

 

「これでいいだろう。治療はしたよ。歩けそうなら早々にここを出ていってくれ。

 教えておいてやるが、私はきみらが忌み嫌う、魔法を使う者だ。私に関わるとろくなことにならないぞ」

 

「魔法使い!?」

 

 それまでずっと黙っていたフレデリカは、勢いよく顔を上げた。瞳が輝き、頰はわずかに紅潮する。

 彼女に出会った瞬間から、期待に胸がいっぱいでなにも声にならなかったから、思わず出た言葉は思いの外大きく響いて、慌てて口をおさえる。

 

「じゃあ、やっぱり、あなたが、噂の」

 

「噂?」

 

「あの、あなたは、箒で空を飛んだり、あの鳥、使い魔? 使役したりするの……?」

 

 震える声で問われ、少女は眉を顰めた。その目には呆れが浮かんでいる。

 

「何を言っている。私は空を飛ぶことなどできないよ。それに彼は使い魔などではない、友人のヨウムだ」

 

「そ、そっかぁ……」

 

「きみは空を飛ぶ人間を見たことがあるのか?

 魔法は自然の力を借りて起こす奇跡だ。できるとすれば、風を起こして吹き飛ばす程度だな。それを空を飛んだと言えるのであれば、だけど」

 

 そっけなく言われてフレデリカは、恥ずかしくなってしょぼんと俯く。しかし少女のその言葉にひっかかった。

 

「え、でも、風を起こすことできるの……?」

 

「だから、私は魔法が使えると言っている」

 

「じゃあ、魔法って本当にあるんだ!」

 

「……きみは本当に何を言っている」

 

「だって、昔はあったけど、いまその不思議な力を使える人はいないって」

 

 少女はぽかんとした顔になって、フレデリカを見た。そして、何か考えるように目を伏せる。

 

「そうか……きみは魔法を見たことがないのか。

 私が人との接触を絶ってから、それだけの時間が経ったのか」

 

 フレデリカを椅子に座らせたまま、少女は調理場に向かった。しばらくゴトゴトと何かをしているようだったが、やがて蒸気が噴き出す音が聞こえてくる。

 戻ってきた少女の手にはカップが二つ握られていた。そのうちの一つをフレデリカの前にことりと置く。

 それは鮮やかな青色をしたお茶で、フレデリカは目を丸くした。香しい湯気が広がって、鼻を寄せて呼吸をしているだけで幸せな気持ちになる。

 

「これも、魔法……?」

 

 調理場から丸椅子を持ってきて、フレデリカの向かいに腰掛けた少女は、ふっと表情を緩めた。

 

「そんなに魔法に興味があるのか。

 かつては、私のような者はたくさんいたんだ。珍しくもなかった」

 

 少女はカップを手に取り口元へ運ぶ。ひと口含んで、ほっと息を吐いた。

 

「そうなの? どうして今はいなくなってしまったの?」


「きみは魔法に肯定的なようだが、人は普通そうではない。理解できないものは恐ろしい。

 異端なものは排除する、排除されて減った。いたって簡単な理屈だ」

 

「じゃあ、あなたも嫌な思いをしてきたから、ここに一人で住んでいるの?」

 

 少女はその問いに答えずに、困ったような顔で少しだけ笑った。

 まだ幼いフレデリカにも、それだけで分かった気がして、ごめんなさい、と小さく呟いた。

 カップに口をつける。ふわりと広がる香りは華やかで、やさしかった。

 

「さあ、そろそろ本当に帰らないと森に夜が落ちるぞ。

 そうなればその怪我で帰るのも難儀だ。

 霧を緩めておくから、行きなさい」

 

「あれも、あなたの魔法!?」

 

「そうだよ。人が寄りつかないようにだ」

 

 笑って言って立ち上がると、クルツに向かって手を伸ばした。

 銀色の鳥は静かに宙を滑り、少女の腕に着地した。

 

「クルツ、すまないが森を出るまで彼女を送ってやってくれ。私は人に見られると厄介だ」

 

 フレデリカはゆっくりと立ち上がり、丁寧に手当てとお茶の礼を言って、外に出ようとして振り向いた。

 

「……あの!」

 

 意を決して声を上げる。

 

「わたし、あなたとお友達になりたいの。

 それで、あの、……名前を、教えてくれないかな……」

 

 少女は眉を寄せ、一瞬悩むようなそぶりを見せたが、フレデリカに視線を向けないまま、またそっけなく言った。

 

「……シエリだ。きみは?」

 

 フレデリカは目を見開き、喜びに唇を引き結んで、ぴんと背を伸ばした。

 高揚した顔をぱっと輝かせ、胸の前で手を組み、今にも飛び上がりそうだ。

 

「わたしはフレデリカ!

 よろしくね、シエリ!」



 

 シエリは大きくため息をついた。

 初めて出会った日の次の週も、その次の週も、そのまた次の週も、フレデリカはシエリの家を訪れていた。

 初めこそ、乗ってきた白馬から降りそっと様子を伺うように遠巻きにして近づいてきて、おずおずとシエリの家の扉を叩いたが、フレデリカはもう、コソコソ隠れもせず堂々とやってくる。

 

「こんにちは、シエリ!

 ミレ、今日もそこに繋がせてもらったから!」

 

「……また来たのか」

 

 そんなことを言いながらも、シエリは無視したりはしなかった。フレデリカが遠慮がちに話しかけると、そっけないながらきちんと返答してくれた。だからフレデリカは、嬉しくなる。なんせ相手は憧れの魔女だ。嬉しくなって、シエリにまとわりついた。

 

「きみは人の子で、まだ幼いだろう?

 ならば親の庇護のもとで生きるべきだ。私にはきみに対して取るべき責任はない」

 

「シエリだって、歳なんか変わらないじゃない」

 

「私はきみの住む街ができる様を見ているぞ」

 

「え!? だって、街の歴史は……」

 

 驚いてちらとシエリを見ると、わずかに口角を上げて、

ふんと鼻を鳴らした。フレデリカと目が合うと、表情を直してふいっと視線を逸らす。

 いま、ちょっと得意げな顔してたな。

 フレデリカは気づいていたけれど、なんだかシエリがかわいらしく感じて、黙っていた。

 

「でも、でもね、シエリが大人だったとしても、おやつは食べるでしょ?

 クッキーは好き? 一緒に食べようと思って!」

 

「クッキー……?」

 

「知らない? これだよ、チョコの入ってるのもあるよ」

 

 フレデリカは手提げの中からリボンのついた包みを取り出し、シエリに差し出した。怪訝そうに受け取ると、シエリはテーブルにそれを置き、そっとリボンを解く。

 中からはたくさんのひと口大のクッキーが現れる。チョコの入ったもの、二色に分かれたもの、溶かした砂糖がかかったもの。

 にこにこ笑うフレデリカにどうぞと促され、一つ取り上げて口に入れると、シエリの目が大きく開かれた。

 

「おいしい?」

 

 フレデリカがシエリの顔を覗き込んで問うと、

 

「悪くはないな」

 

 そっけなく返ってくる。

 

「……まあ、せっかく持ってきてくれたんだ。お茶くらいは淹れてやろう」

 

 もう一つ口に放り込んで調理場に向かったシエリを見て、フレデリカはにいっとイタズラっぽく笑った。

 戻ったシエリが二人の前に置いたカップには、今日は薔薇色のお茶が注がれていた。口にするとほんのり酸味があって、果物のような香りが立ち上った。

 一緒にクッキーを食べながら、フレデリカはずっと聞きたかったことを切り出した。

 

「ねえシエリ。わたしは魔法を使えるようにはなれない?」

 

「それは無理だな」

 

 シエリの返答はにべもなかった。

 

「これは生まれ持った力だ。

 努力でどうこうできる問題じゃない」

 

 わかってはいたが改めて突きつけられて、フレデリカは項垂れる。その様子に居心地悪くなって、シエリは必死に変える話題を探した。

 

「……でも編み物ならきみに教えてやれる」

 

「編み物……」

 

「やったことはない? 私は得意なんだ。おもしろいし、集中できるよ」

 

「ふうん……

 やったことない。教えてくれるなら、ちょっと、やってみようかな」

 

「そうか! じゃ、編み針はこれを使うといい。まずは一色でやってみよう、何色の毛糸がいい?」

 

「赤!」

 

 興味を示したフレデリカに、シエリは表情を明るくして、いそいそと支度を始めた。使い込まれた編み針と、真っ赤な毛糸の玉をフレデリカの前に置いて、自分の前にも同じものを用意した。

 

「いくつかやり方はあるんだけど、最初は同じことを繰り返せばできるものをやってみよう。

 針はこう持って、ここに毛糸をこう掛けて……」

 

 シエリはフレデリカの手を取りながら、指南を始めた。

 初めはなんだか嬉しそうな様子のシエリを見ているのが嬉しかったフレデリカだったが、手を進めれば着実に形になっていく、それが妙に心を満たしてくれて、いつのまにか眉間に皺を寄せて、黙々と編み続けていた。

 

「おもしろい……」

 

 やがて出来上がったそれはマフラーにできそうな長さまで到達していた。目が不揃いで幅も均一ではなかったが、それでも作り上げたことが自信になった。

 二人のカップもフレデリカの包みも、とっくに空になっていた。

 

「いいじゃないか、初めてやってこれは上出来だよ」

 

 シエリが端の始末をしてくれるというので渡そうと顔を上げて、フレデリカは声を上げた。

 

「大変、外が真っ暗だ!」

 

「こんなに時間が経っていたか……」

 

 いつのまにか室内にはあかりが灯っている。あまりに二人で夢中になっていたから、外がとっぷりと日が暮れていることに二人とも気づかなかった。

 二人は慌ててテーブルを片付けて、シエリはフレデリカに外套をかけてやった。せっかくなので、いつのまにかシエリが完成させてくれたマフラーを首に巻く。

 何かを作り上げたのなんか、初めてだ。フレデリカは嬉しくて、マフラーが誇らしかった。

 

「すまなかったフレデリカ、気をつけて帰るんだ」

 

「うん、ありがとうシエリ、またね!」

 

 バタバタと外に出て、ミレの背にまたがり、シエリの家を後にした。外はやはり真っ暗だったが、不思議なことに気がついた。

 

「……月明かりが追いかけてくる」

 

 深い闇に沈む森を進むフレデリカに道案内するかのように、月明かりはあたりを優しく照らしていた。夜の森は静かでこんなに真っ暗なのに、歩くのに全く困らないくらいにしんしんと降る月の光。

 近すぎず遠すぎず、なにかが羽ばたく音も付いてくる。

 闇深い森のなかなのに、恐ろしさを感じなかった。それどころか心は穏やかで、フレデリカは踊るような気持ちで家路を辿る。臆病なミレの足音も、軽やかだ。

 

「優しいんだね、シエリ」

 

 羽音はフレデリカが森を抜けるまで彼女を見守って、無事に辿り着いたのを見届けて、遠ざかっていった。



 

「いいところにきた」

 

 扉を、いつものリズムで3回。

 叩いた後、フレデリカは静かに開けた。開いた扉からは、クルツがすれ違いに出ていく。最近彼は、外に繋がれたミレに会いにいっているようだ。

 シエリは顔を調薬場に向けたまま話しかけた。

 

「フリッカ、そこにある書を取ってくれないか。私は手を離せない」

 

 突然、そう呼びかけられて、フレデリカは一瞬反応ができなかった。ここにはフレデリカしかいない。ということは、シエリが話しかけたのはフレデリカで間違いない、はずだ。

 

「フリッカ…?」

 

 フレデリカはぽかんとシエリを見る。その様子にシエリは眉を顰め、拗ねたように視線を逸らした。

 

「なんだ。きみの名の一般的な愛称だろう」

 

「……愛称」

 

 シエリがこぼした言葉の意味がじわじわと体に染み込んできて、フレデリカの表情が変わっていく。

 嬉しさが滲み出るのを抑えきれず、両手でほおを覆い目も口も緩ませて、幸せそうに呟いた。

 

「はじめて呼ばれた。そんなふうに呼んでくれる人、いないから。

 フリッカ…フリッカかぁ。かわいいね、ふふ……」

 

「なんだよ……」

 

「ふふふ!」

 

 フレデリカは言われた本を取り上げ、浮かれてくるりと回ってシエリに渡した。顔の緩みが収まらない。

 

「そうだシエリ、今日のクッキー、いつもと違うんだよ」

 

 シエリは区切りの良いところで手を止めると、いつものように無表情を装って包みを受け取り、クッキーを口に運んだ。咀嚼し、宙を見上げる。

 

「ねえ、ねえ、何が違うかわかる?」

 

「いつもより少々黒くて硬い」

 

「え!!」

 

 その言葉に浮かれた表情は曇り、フレデリカは縮こまる。あまりに彼女がしょんぼりとするから、シエリは少し慌てた。

 

「ごめん…

 いつもは作ってもらったのを持ってきていたんだ。

 今日は初めて、わたしが作ってみたの。あなたに編み物を教えてもらってから、何か作ることが楽しくなって」

 

「……そうだったのか。

 いや、美味しくないわけではないよ。単純に思ったことを言ってしまった。すまない」

 

「ううん。

 次はもっと上手に作るから。あなたにいつもより美味しいって言わせてみせるからね!」

 

 ぐっと拳を握ってみせたフレデリカに、シエリはふっと笑う。フレデリカもクッキーをひとつ口に入れて、「ほんとだ」と呟いて、笑った。

 

「そろそろ来ると思って、気づいたんだけど。

 そういえばきみは、いつも金曜に来るんだな。なにか理由があるのか」

 

 お茶の用意をして二人で席につき、両手でカップを包みながらシエリは何気なく聞いたつもりだったが、そう問われてフレデリカは明らかに表情を曇らせ、視線を逸らした。いつもの彼女らしくない仕草に、シエリは訝しむ。

 

「金曜はお父さんが留守にするの。

 その間にわたしはお家を脱走。だから金曜日だけはわたしは自由。

 よその女の人のところへ行くんだよ。次の日まで帰ってこない。

 もうみんなわかってるのに、みんな知らないふりをしている。わたしだってわかってるのに」

 

 フレデリカはクスクスと笑うが、それが自嘲なのは明白で、シエリは普段は奔放で明るい彼女のこんな様子は初めて見た。

「……フレデリカ」

 

「フリッカって呼んでよ。

 さ、続きやろう! 本格的に寒くなる前に模様をいれた膝掛け、編むんだから!」


 


 二人が出会って、4つの季節が幾度か過ぎた。

 毛糸の季節が終わってからは、二人で様々なことをした。刺繍や、染め物や、料理も教わった。薬を作るための花の育て方も、薬草の見分け方も、シエリはフレデリカが知らないことをたくさん知っていて、フレデリカには全てが魔法のように思えた。

 フレデリカはきれいに焼き色のついたクッキーの包みを手提げにいれて、変わらず毎週金曜にシエリの家を訪ねる。

 

「フリッカ、きみは…」

 

 調理場で隣に立つフレデリカに話しかけようと、シエリの目線はゆっくりと上へ動き、少しだけフレデリカを見上げる形になった。

 シエリはそれに気づいて、静かに大きく瞬きをし、黙った。そして少しだけ眉を下げて、笑った。

 

「……」

 

「どうしたの、シエリ」

 

「いや、なんでもないよ。

 私たちが出会って、いつのまにか時間が経っていたんだな」

 

「うん?

 そうだね、もう何年経ったかな」

 

 フレデリカは勝手知ったる調理場で手際よくお茶の準備をする。二人分を淹れて席についた後、フレデリカはおずおずと切り出した。

 

「…ねえ、シエリ。

 わたし、ずっとここで暮らしたいな。あなたと一緒にいられる時間が、わたしにとっては本当に大切なの。宝物みたいに」

 

 シエリはカップを置いて、フレデリカを見つめる。

 シエリにとっても、フレデリカはすでにかけがえのない存在になっていた。そう思えるくらいに、二人が過ごした時間は色鮮やかだった。彼女と出会う前、ずっと一人と一羽で生きてきたときのことが、もうぼやけてしまうくらいに。

 それでも、シエリがそれを受け入れることはできなかった。

 

「以前も言っただろう、きみはまだ子供だ。

 それに私ときみは、時間の流れ方が違う。ずっと一緒にはいられないんだよ」

 

 シエリは目を伏せて、フレデリカを見ないように静かに答えた。フレデリカはわずかに俯いたが、唇を噛み締め、ぱっと顔を上げると、その表情は明るかった。

 

「あなたがそう言ったって、わたしは諦めないから。

 わたしが行く道は、わたしが決めるんだからね」

 

 笑ってきっぱりとそう告げたフレデリカの顔は、どこか大人びていた。

 この子は、こんなに力強い顔をする子だったか。シエリはぼんやりと考える。

 

「わたし、魔女に会えたら、魔法を教えて欲しかったの。

 ずっと窮屈で生きてる感じがしなかった。魔法を使えたら、そこから逃げ出せると思っていた。

 でも、違ったみたい。魔法が使えなくても、わたしはわたしの意思で抜け出せる」

 

 フレデリカはシエリを見ないまま、言った。

 

「最近、そう思うの」

 

 その日、フレデリカが帰ったあと、クルツは静かにシエリの腕に降りた。指で首元をかいてやると、満足そうに目を細める。

 

「……クルツ」

 

 クルツのまん丸の瞳はシエリを映している。

 物言いたげにシエリを見つめて、少し首を傾げた。

 

「わかっているんだ。

 私にとっても、あの子はもう無二の友人だよ。

 でも……私は魔女と呼ばれる存在で、あの子は人間だ。あの子の未来を、私がいることで邪魔したくない」

 

 クルツは答えるように小さく声を上げる。

 

「ああ、そうだよ。

 大切だ。きみも、あの子も。

 あの子は、なんだか変わった。一人で歩き出そうとしているんだろう」



 

「どこへ行くんだ、フレデリカ」

 

「お父さん……」

 

 その日も出かけようとした矢先、背後からかけられた声にフレデリカは苦い思いで目を逸らす。今日は金曜なのに、なぜこの人がここにいるんだ。ひどい嫌悪感が湧き上がり、ぎゅっと腕を抑えた。

 

「お前がよく森に出かけているようだと報告は受けている。

 幼い頃なら子供の遊びだと見逃しもしたが、昔から魔法がどうだと騒いでいたお前だ。魔女と会っているというのは本当のようだな」

 

「魔女? そんなのただの噂でしょう」

 

「しらばっくれれば私をごまかせるとでも思ったか?

 あの女め、娘を誑かして……やはり生かしておくべきではなかったな。

 お前は年明けには隣国に嫁ぐんだ。今なにかあってその話が立ち消えたらどうする!」

 

「魔女がなんだと……え、結婚…!?」

 

 フレデリカは顔を歪めた。

 そんなもの初耳も初耳だし、相手だって聞かされていないような状況で結婚もなにもあるものか。

 この人はいつだって勝手だ。

 わたしの気持ちなど一度だって考えたことがない、この人にとって、わたしは家の道具でしかない。

 

「なにそれ……?

 いやだよそんなの!! わたしはあんたの道具じゃない!!」

 

 その瞬間、フレデリカの頬が打たれた。赤くなったそれを押さえ、信じられないといった風で父親を見た。

 この人は、この調子でシエリにも何かするつもりだ。

 みるみる頭に血がのぼった。きっと父親を睨みつけ、フレデリカは駆け出す。

 ロンダール卿は控えていた男たちを呼びつけ、冷たく言い放った。

 

「大人しくしているならと静観したのが仇になった。あの女との因縁もここまでとしよう。あれはロンダール家の敵だ。

 フレデリカを追え」

 


 

 開かれた窓から、クルツが勢いよく飛び込んできた。

 不穏を察したクルツは、全てを見ていた。

 

「クルツ……」

 

 クルツはひとつ、甲高い声で鳴く。

 

「そうか、あの子はロンダール家の娘か……。

 最初から、そういうことだった、ということか」



 

「まさかきみが自らわたしを排除しにくるとは思わなかった。

 久しぶりに人と接して、感覚も鈍ったかな」

 

 扉を叩くこともせずにフレデリカが飛び込んだ家の中で、静かに窓から外を眺めていたシエリは、フレデリカを見ずにつぶやいた。

 

「……シエリ?」

 

「魔女狩りというやつだな。実に伝統的なやり方だ。

 古来より、受け入れられない力を持つものの末路はこうだと決まっている」

 

 シエリは、笑った。

 少しだけ目を細めて、少しだけ口角を上げただけだったけれど、それは、友好でも親愛でもない。

 

「きみを遠ざけなかった時点で、私もなにかおかしくなっていたんだろう。大丈夫だ、きみに罪はない。私の過ちだ」

 

「シエリ、何を言って……」

 

 フレデリカは言って、遠くに人の声が聞こえることに気がついた。男たちの声。何かを引きずるような音。

 フレデリカは青ざめる。ようやくわかった。

 後をつけられていた。

 シエリに向き直るが、声が震えた。

 

「シエリ、違う、わたしは……」

 

「いいだろう、甘んじて受け入れよう。

 さ、時期にここは焼かれる。私は磔だ。きみは早々に離れるといい」

 

「シエリ! ちがう!!」

 

「私はもう、人の悪意に疲れた。潮時だ。

 私だって、裏切られれば痛い」

 

「違うのシエリ、ごめんなさい、わたしの落ち度だけど、わたしはあなたを裏切ってなんかいない!」

 

「……いいんだ、もう、私は」

 

「やめてよ。悟ったようなフリして諦めるなんて、あなたらしくないよ。

 今まで過ごした時間を……信じて欲しい。信じてくれるなら、わたしと一緒に逃げよう」

 

 シエリの胸の中は、"そういうことか"と"そんなはずはない"でせめぎ合っていた。もう何度も裏切られ、傷つけられ、同胞を失ってきた記憶が蘇る。唇を噛み締め、拳に力が入る。

 それでも、色彩をなくしたシエリの生に色を与えたのは、フレデリカだ。二人で共に過ごしてきた時間のかさなりが、そっとシエリの背を押す。

 フレデリカの足は震えていた。それを殴りつけて奮い立つ。

 訪れるべき時が来たんだ。今だ、今やらなければ。大切な友を救うには、そして自分が救われるには、今しかない。

 

「シエリ……知ってた?

 あなたは年月の感覚がわたしとは違うから、気づいてなかったかもしれないけど」

 

 フレデリカは歯を食いしばる。

 

「わたし、成人したんだよ。

 あなたが子供だと思っていたわたしは、もういない。

 もう、わたしの選択は、わたしのものなんだ。

 今なら、あなたと生きる選択も、できるんだよ。だから」

 

 フレデリカはきりとシエリを見据えて叫んだ。

 

「逃げろよ! 空飛んででもなんででもさ!

 いつまで気取ってんだよ! わたしの責任はわたしが取るって言ってるだろ!

 だから生きろよ! わたしと!!」

 

 シエリは静かにフレデリカをみる。やがてその瞳は震え始めて、溜まった涙がいまにも溢れそうだ。

 

「……空なんて飛べないって言ってるだろ。

 それに、私は、きみの未来を、奪いたくない」

 

 シエリは、項垂れた。ぼろぼろと涙がこぼれた。

 

「大切なんだ、きみが」

 

 フレデリカはシエリの手を取って、静かに抱きしめた。このわからずやな魔女に伝えたいことは山ほどある。これからずっと一緒にいて、一生かけてそれを渡していく覚悟は、とうに決まっていた。

 

「わたしは、自分であなたと生きる未来を選んだ。

 あなたも、あなたの気持ちで、道を選んで」



 

 魔女はフレデリカを後ろから羽交締めにし、口を塞いで、押し出すように外に出てきた。あたりを囲んだ人々にざわめきが広がる。

 

「フレデリカ!」

 

 ロンダール卿が叫ぶ。

 魔女はちらとそちらを見た。その赤い瞳は氷のように冷たく光っていて、あまりの迫力に、男たちは後ずさった。

 魔女の髪は逆立ち、その体は淡く暗い紫の炎に包まれていた。魔法を使う気だ、群衆のどこかからそう聞こえてきた。魔女は不敵に笑う。

 

「お前たちの愚かさは、いつの世も変わらないな。

 離れろ、人間どもよ。月明かりの呪いがお前たちにふりかかるぞ」

 

 魔女が、すい、とまっすぐに腕を伸ばすと、指先をぐるりと炎が囲んだ。

 男たちは悲鳴をあげ、さらに後ろへ下がる。

 ロンダール卿は魔女を睨みつけた。が、魔女は薄く笑っただけで意に介さない。

 

「お前が今のロンダールか。

 お前の先祖には同胞ともども長く世話になったな。長年の礼だ、たっぷりと受け取れ」

 

 魔女を中心に、緑色の風が渦を巻いて吹き上がる。それは勢いを強めながら群衆に向かっていき、押し潰した。一帯は混乱に満ち、男たちは逃げ惑う。

 森中の獣が咆哮をあげ、鳥たちは群をなして空を塞いだ。魔女が声を張り上げる。

 

「何もできない無力なお前たちが、どうしてこの私にどうこうできると思った?本当に愚かだな。

 この娘は贄として貰い受けておこう。

 私に刃向かったこと、永劫後悔するといい」

 

 その途端、辺りに霧が漂いはじめた。それはあっという間に濃くなって、視界が完全に奪われる。

 

「フレデリカ!!」

 

 ロンダール卿の血の通わない叫び声だけがこだまし、霧に溶けて消えていった。



 

「……なんだよ、月明かりの呪いって。そんなものが使えるならとっくに行使している」

 

 しっかりと手を繋ぎ、二人はぱきぱきと小枝の折れる音を立てながら小走りで森を進む。シエリは自分でも呆れたというふうに呟き、それを聞いたフレデリカが吹き出した。

 

「呪い、使えないんだ!」

 

「本当にきみたちは魔法をなんだと思っているんだ」

 

「さっきの髪と不思議な気配も?」

 

「それがきみらが思う魔女の像だろ?

 風と火を起こして、お望み通りの魔女をやってやった。霧は水を使えば簡単だ」

 

 シエリはしたり顔で笑った。笑った後にハッとした顔になった。

 

「……ついなりきってしまった、森で火を使うべきではないな。惨事になる」

 

 フレデリカも声をあげて笑う。そして、ふと気づいた。

 

「……シエリ、さっきの、ロンダールの先祖って」

 

 シエリはちらとフレデリカを見る。優しく笑って、また前に向き直った。繋いだ手に、少しだけ力がこもる。

 

「きみは知らなくていい。きみにはなんの責もない話だ。

 ……ねえ。私も覚悟を決めたよ、フリッカ」

 

 フレデリカの手を引きながら、彼女を見ないままシエリは言った。その顔は晴れやかで、全てを吹っ切って大切なものだけを抱えて進む、覚悟に満ちていた。

 

「世界には魔法の存在を厭わないところもある。

 世界は広いよ、きみにそれを見せてあげよう。友のいる世界を私に見せてくれたきみに」

 

 シエリの手のひらからは、確かな熱が伝わってくる。それはフレデリカの心を満たして、あふれて、何ものも恐れない勇気をくれた。

 

「シエリはもう、わたしに知らなかった世界を見せてくれたよ。

 でもあなたと一緒なら、あたらしい世界はきっともっと楽しい」

 

 クルツも追いかけてくる。二人の頭上を旋回して、大きな声で一声鳴いた。

 

「きみも来るか、クルツ。きみとの付き合いもまだ続きそうだ」

 

 シエリはクルツを見上げると、フレデリカを振り返って困ったように言った。

 

「彼は、ミレにもう会えないことだけが残念だと言っている」



 


 長い時が過ぎた。

 魔女にとってはほんのひとときだった。それは、穏やかであたたかな一瞬だった。

 

 ───あなたも、村のはずれの薬屋さんの噂聞いてきたの?

 うん、あるときふらっとやってきて、いつのまにかお店を開いてたんだって。

 若い女の人二人?

 違うよ、おばあちゃんとおねえさんがやってる。おばあちゃんが店番で、お姉さんが薬を作ってるんだ。二人ともすごく仲良しだよ。

 そこのお店の薬、とってもよく効いてさ。なのにぼくらでも買えるくらいの値段で売ってくれるんだよね。すごくありがたいよ。

 最近、おばあちゃんの具合があまりよくないみたいでさ。大丈夫かな。みんな心配してるんだよね。

 


 フレデリカは薄くなった手で大きな櫛をすく。銀色の髪はその度にさらさらと流れて、輝く。

 

「シエリ、今日も焼こうか、あなたの好きなクッキー」

 

「じゃあフリッカ、私はきみのために、新しい手袋を編もう。次の冬も二人で越えられるようにね。

 色はやはり赤がいいかい?」

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