鉄と錆の森
乾いた銃声の余韻が、廃墟の静寂を支配していた。
「……動くなと言ったはずだ、空の民」
瓦礫の影から現れたのは、五人の男たちだった。 全身をボロボロの布と革で覆い、顔にはガスマスクやゴーグルをつけている。 彼らが手にしているのは、鉄パイプを溶接して作った粗末な銃や、刃こぼれしたマチェットだ。 だが、その構えには隙がない。この死の世界で生き抜いてきた者特有の、獣のような殺気を纏っている。
「シープル、俺の後ろにいろ」
俺はシープルを背中で庇い、モンキーレンチを握り直した。 先ほどの重機との戦いで体はガタガタだ。まともに戦えば勝ち目はない。 だが、ここで引くわけにはいかない。
「俺たちは敵じゃない。……空から落ちて、遭難したんだ」
俺は極力、敵意を見せないように声を張り上げた。
「遭難?」
リーダー格らしい、大柄な男が鼻で笑った。
「笑わせるな。その綺麗な服、肌艶。貴様ら、上層の貴族様だろう? 何の用でこんなゴミ溜めに来た。狩りか? それとも視察か?」
男の目が、俺の後ろにいるシープルを捉えた。その目が、不快に細められる。
「……へえ。上玉じゃねえか。あんな綺麗なのは見たことがねえ。空の連中に売りつければ、いい値がつくな」
男が下卑た笑みを浮かべ、一歩踏み出した。シープルの体が強張るのがわかった。彼女の瞳の奥で、再びあの「赤い光」が揺らめき始める。 ――マズい。 彼女が防衛本能で力を使えば、ここにいる全員が死ぬ。
「やめろ!」
俺は叫び、男の前に立ちはだかった。
「どけ、ガキ」男がマチェットを振るう。 速い。だが、今の俺には見えた。 いや、「見えた」んじゃない。日々の労働で培った目が、男の肩の筋肉の収縮と、重心の移動を読み取っていたのだ。
右だ。
俺は反射的に半歩下がり、レンチを突き出した。 ガギンッ! マチェットの刃が、レンチの柄で受け止められる。火花が散る。
「なっ……!?」
男が驚愕に目を見開く。 俺はそのままレンチをねじり上げ、男の手首を極めた。機械のバルブを回す要領だ。
「ぐあっ!」 マチェットが地面に落ちる。
俺はすかさず男の懐に飛び込み――寸前で止まった。 周囲の四人が、一斉に銃口を俺に向けていたからだ。
「……殺す気なら撃てよ」
俺は男の腕を離し、両手を挙げた。心臓が早鐘を打っているが、虚勢を張って睨み返す。
「だが、俺たちは本当にただの遭難者だ。戦うつもりはない」
リーダーの男が、痛む手首をさすりながら俺を睨んだ。 だが、次の瞬間、男の視線が俺の顔ではなく、俺の手にあるレンチに釘付けになった。 錆びついた柄に刻まれた、古いイニシャル『D.G』。
「……おい、待て」
男が俺の顔を凝視する。
「そのレンチ……それに、その生意気な目つき。お前、まさか……」
男が仲間に銃を下ろすよう合図した。
「ガキ、名前は?」
「……ライルだ」
「ライル……。そうか、やっぱりそうか」
男は呆れたようにため息をつき、それから微かに笑った。
「似てやがる。『鉄のダラス』にな」
親父の名前。その言葉が出た瞬間、俺の思考が停止した。
「……親父を知ってるのか?」
「知ってるも何も……俺たちの命の恩人だ。ついてきな、長老に会わせる」
男たちに連れられ、俺たちは森を抜けた。 そこで見た光景に、俺は言葉を失った。
巨大な「ゴミ山」の中に、へばりつくように作られた街があった。トタン板や航空機の廃材、プラスチックのシートをツギハギして作った家々が、谷底の斜面にびっしりと並んでいる。 中央には、墜落した大型輸送機の残骸があり、それが集落の中心になっているようだ。
人々がいる。ボロ布を纏った老人、煤で汚れた女たち、そして痩せこけた子供たちが、ゴミの中から使える部品を探したり、怪しげな作物を育てたりしている。 これが、地上で生きる人々――『スカベンジャーズ(ゴミ拾いの民)』。
「……すごい」
シープルが呟いた。
「ゴミじゃない。……これ、全部『生きてる』」
彼女の言う通りだった。 一見ただのガラクタの山に見えるが、よく見れば、風力発電の風車が回り、雨水を濾過する装置が稼働し、かまどからは温かい煙が昇っている。 彼らは、空から捨てられた「死んだ道具」に、知恵と工夫で再び命を吹き込んでいたのだ。 それは、俺がガレージでやっていたことと同じだった。
「ようこそ、地上の楽園へ」
リーダーの男――名はガイルと言った――が、皮肉っぽく笑った。 「俺たちは、お前らが捨てたゴミを拾って、しぶとく生きてるのさ」
俺たちは集落の奥、一番大きなテントへと案内された。 そこには、全身に入れ墨をした小柄な老人が座っていた。この集落の長老だ。 長老は俺を見るなり、目を細めて笑った。
「……ふぉっふぉ。生き写しじゃな。ダラスにそっくりじゃ」
「あんた、本当に親父を知ってるのか? 親父は死んだはずじゃ……」
「死んだ? 誰がそんなことを言った?」
長老はキセルをふかした。
「5年前、空から落ちてきたあの馬鹿タレを拾ったのはワシらじゃ。あやつは最初こそ死にかけておったが、すぐに元気になって、壊れていた集落の浄水プラントをたった三日で直しおった」
俺は胸が熱くなるのを感じた。 親父は生きていた。俺が一人で寂しがっていた時、親父はこの過酷な大地で、誰かのために腕を振るっていたのだ。
「あやつはしばらくここにいたが、ある日旅立った。『この世界のメインフレームを探しに行く』と言ってな」
「メインフレーム?」
「世界の中心にあるという『バベルの塔』じゃ。あやつは、そこから再び空へ戻り、システムを書き換えると言っておった」
バベルの塔。世界の中心。 そこに行けば、親父に会えるかもしれない。 希望が見えた気がした。
「ところで……そっちの嬢ちゃんは、何者じゃ?」
長老の視線がシープルに向けられた。 彼女は俺の後ろで、出されたスープ(正体不明の肉入り)をフーフーしながら飲んでいる。
「……おいしい。ちょっとしょっぱいけど」
「連れです。……ちょっと訳ありで」
「ふむ。まあよい。今日はもう遅い。空いている小屋を使え」
俺たちは礼を言ってテントを出た。 外は既に夜だった。 集落のあちこちで焚火が焚かれ、人々の話し声や笑い声が聞こえてくる。 貧しい。汚い。けれど、ここには竜骨街にはない「熱」があった。
その時、広場の方から悲鳴が聞こえた。
「おい、しっかりしろ!」
「誰か! 誰か来てくれ!」
俺とシープルは顔を見合わせ、走り出した。
広場では、人々が人だかりを作っていた。 その中心で、一人の少年が倒れている。 瓦礫の崩落に巻き込まれたのか、足が巨大な鉄骨の下敷きになっていた。 血が流れている。少年は顔面蒼白で、意識が飛びそうだ。
「くそっ、重くて動かねえ!」
ガイルたち男手が数人がかりで鉄骨を持ち上げようとするが、ビクともしない。数百キロはあるだろう。 このままでは圧迫死するか、足を切断するしかない。
「どいてくれ!」
俺は飛び込み、レンチを鉄骨の下に差し込んだ。テコの原理で持ち上げようとする。
「うおおおおッ!!」
俺は歯を食いしばり、全身の筋肉を軋ませた。 僅かに浮く。だが、足りない。俺一人の力じゃ限界がある。
「ライル……」
少年の母親らしき女性が、泣き叫んでいる。
「お願い、助けて! あの子を助けて!」
その悲痛な叫びが、俺の鼓膜を叩く。 ダメか。俺には、親父みたいに奇跡は起こせないのか。 力が抜けそうになった、その時。
俺の隣に、白い影が立った。
「……どいて」
シープルだった。 彼女は静かに鉄骨を見下ろしていた。その瞳には、恐れも焦りもない。ただ、純粋な意志だけがあった。
「シープル? 無理だ、お前じゃ……」
「助けたいの」
彼女は俺を見た。
「この子が痛いのは、嫌だ。……ライルが悲しむのも、嫌だ」
彼女が鉄骨に手をかざす。 その瞬間、空気が変わった。 肌にピリつくような静電気。そして、あの独特の「重低音」が響く。
ブォン……。
「……上がって」
彼女の言葉に、世界が応えた。 物理法則が捻じ曲がる。 数百キロの鉄骨が、まるで風船のように、ふわりと宙に浮き上がったのだ。
「なっ……!?」
ガイルたちが腰を抜かす。
「化け物か……!?」
鉄骨は空中で静止し、そのまま数メートル横へと移動して、ドスンと地面に落ちた。 少年が解放される。 俺は呆然としている母親に叫んだ。
「今だ! 連れ出して手当てを!」
母親が我に返り、少年を抱きかかえる。 シープルはその場に膝をつき、肩で息をしていた。顔色が悪い。今の力は、彼女にとっても負担が大きいのだろう。
周囲の視線が変わった。 感謝ではない。 恐怖だ。 得体の知れない力を見せつけられ、人々は彼女から距離を取り始めていた。
「空の魔女だ……」
「あんな細い腕で……」
シープルが不安そうに俺を見る。
「……ライル。私、また間違えた? 怖がらせちゃった?」
彼女は震えていた。 自分がしたことが「善」なのか「悪」なのか、彼女には判断がつかないのだ。
俺は彼女の肩を抱き、立ち上がらせた。 何か言おうとした時、少年の母親が駆け寄ってきた。 彼女はシープルの前に跪き、その泥だらけの手を両手で握りしめた。
「ありがとう……!」
母親は泣いていた。恐怖の涙じゃない。感謝の涙だ。
「ありがとう、お嬢ちゃん! あなたが、息子を救ってくれたのね!」
シープルが目を丸くする。
「……ありがとう?」
「ええ、本当にありがとう。……なんてお礼を言ったらいいか」
その言葉を聞いた瞬間、シープルの瞳が揺れた。 彼女の胸の奥で、名付けようのない感情が波打つ。 それは、ラジオを直した時に俺から言われた言葉と同じ。 だが、もっと強く、深く、心を震わせる熱い何かだった。
誰かを守って、感謝されること。 自分がここにいてもいいと、肯定されること。
「……温かい」
シープルがぽつりと呟いた。 握られた手から伝わる体温。母親の涙の熱さ。
「ライル。……ここが、すごく温かいの」
彼女は自分の胸に手を当てた。
「痛くない。……これが、『嬉しい』?」
「ああ、そうだよシープル」
俺は彼女の頭を撫でた。
「お前は化け物なんかじゃない。人を助けたんだ。……胸を張れよ」
シープルは涙を流しながら、満面の笑みを浮かべた。 それは、天使のように無垢で、そして人間らしく美しい笑顔だった。
遠巻きに見ていたガイルたちも、バツが悪そうに頭を掻き、やがて「すげえな」「助かったよ」と口々に声をかけ始めた。 恐怖は、感謝へと変わっていった。
その夜。 俺たちは集落の歓迎を受け、焚火を囲んだ。 シープルは子供たちに囲まれ、不思議そうに、でも嬉しそうに笑っていた。 俺はその光景を見ながら、泥のような酒を煽った。
彼女は学んでいる。 言葉を、味を、そして心を。 空っぽだった彼女という「器」に、人間の温かさが満たされていく。 それは希望に見えた。
だが、俺は気づいていなかった。 純粋すぎる心は、時に狂気よりも恐ろしい刃になることを。 「守りたい」という想いが強すぎれば、それは「敵を排除する」という極端な行動に直結することを。
焚火の炎が揺れる。闇の向こうで、灰色の影が蠢いているのを、俺たちはまだ知らなかった。




