99
高原にある眞鳥家の別荘は、今夏二度目の客を迎えていた。
見上げれば輝く月と満天の星、地上へ目を戻せばキャンプファイアー。
夏の終わりを飾るにふさわしいイベントであろう。
「どうして、こういうことになったのかしら」
ぼんやりと貴奈津は、夜空を焦がす炎の揺らめきを瞳に映していた。
湖に張り出す桟橋のすぐ前で、人の背より高く積み上げられた丸太が、勢いよく燃え盛っている。
芝生に敷いたマットの上で、貴奈津はローユンと並んで腰をおろしていた。
高原の夜はかなり冷えこむが、火の近くにいるので、ヨットパーカーを羽織っただけの軽装でも寒くはなかった。
「この世のものとも思えない光景ね」
もらした感想に、となりでローユンが低く笑った。
キャンプファイアーを囲み、五十人あまりの異世界猫が輪になって踊っていた。
地球人には理解できない伴奏つきで、盆踊りのようでもありフォークダンスのようでもあるが、動きは、お世辞にも揃っているとは言い難い。
「だが、楽しそうだ」
片ひざを立て、片手を敷物についてローユンは、月夜に踊る異世界猫の群を眺めた。
「そうね、レイたちが楽しそうなんだから、こういうのもたまにはいいかしらね」
このおかしなイベントは、クーロの申し出によるものだった。
「対能力障壁用の装置が完成した。
これで準備はぬかりがない。
さっそく、異世界宮殿に総攻撃をかける」
昨日、突然クーロは宣言した。
もともと深く練った作戦ではないから、成り行きまかせでよしとするほかはない。
ローユンはなにも異論をはさまなかった。
「ついては」
と、クーロは言った。
「戦いの前夜祭をとりおこなう」
これは、古来よりの習わしである。
クーロはそう説明したが、猫たちの星では、戦争が勃発したことは、未だかつてない。
したがって戦いの前夜祭というのは疑わしいのだが、それが士気高揚の一助になればと、地球人も付き合うことにしたのである。
星空のもとで行うのが本来の形式だとの意見で、場所は眞鳥家の別荘が選ばれた。
この夏、急遽二度目の休暇をとって、眞鳥も雑用係兼、立ち会い人として参加している。
「お父さんもいい年のわりには、むやみに柔軟なところがあるわね」
貴奈津の視線をローユンは辿った。
湖側に異世界猫用、地球人用のごちそうが山ほど並べられており、そのすぐ前で、眞鳥は一杯やりながらクーロと談笑している。
なぜか、この二人は種族を超えて馬が合うようであった。
管理職の苦悩などを話しあっているのだろうか。
「眞鳥は精神の自由度が高いのだ。
持って生まれた資質なのだろうが、たいした人物だとわたしは思う」
「えー、そうかなあ」
貴奈津は眉をしかめてみせたが、自分が父と呼ぶ人である、褒められて悪い気はしない。
この前夜祭が終われば、貴奈津たちは明朝の出撃に備えて、そのまま宇宙空母に乗り込むことになっている。
それを聞いて、眞鳥は子どもたちを送り出す賞悟を決めたらしかった。
散々、狼狽えたあとでのことだが。
「彼は立派な人間だ。
とても大人だよ」
「ローユンだって大人じゃない。
それに、わたしから見たら、すごく人間できていると思うわよ」
「とんでもない。
仮にそう見えるとしたら、それはわたしが、ずっと異世界宮殿戦を引きずって生きているからではないかな。
それ以外のことにあまり目を向けないので、実生活における未熟さが目立たないのだ」
「謙遜しちゃってー」
「いや、真実だ。
考えてみればわかる。
わたしは貴奈津より、いくつか年上なだけだ。
人間ができているわけはない」
「そうとも言えないわよ。
だって、わたしがローユンくらいの年齢になったとしても、ローユンみたいにはいかないと思うもの」
「わたしはわたし、貴奈津は貴奈津。
わたしにはとても敵わない、優れた美点が貴奈津にはある」
「え、いやー、そうかしらー」
品を保とうと思うのだが、思わず相好をくずしてしまう。
「貴奈津を見ていると、眞鳥がどれほど大切にきみたちを育ててきたか、よくわかる」
「うん。
お父さんはわたしたちを、本当に大切にしてくれたわよ。
わたし、心からお父さんに感謝している。
でも、面と向かってこういうことを言うと大泣きするから、口に出しては言わないけどね」
感情表現の大げさな眞鳥なら、充分ありえそうなことだ。
想像してローユンは笑みをもらした。
「帰すよ」
「ん?」
貴奈津の目を、優しく、けれど真っ直ぐにローユンが見つめていた。
「必ず無事に眞鳥のもとへ、貴奈津も月葉もきっと帰す」
「ローユンもイーライも一緒にね」
「ああ、もちろん」
「みんなで無事に帰ってくるの。
約束するわよね、ローユン」
貴奈津の表情に悲愴さは微塵もなかった。
炎の照り返しが、黒い瞳で揺れている。
自らの判断を信じて未来を自力で切り開いていこうとする、強く明るい意志の輝きがそこにあった。
「約束する」
わたしはこの瞳をけっして忘れることはない、とローユンは思った。
わたしを守り、そして支えてくれたこの少女の瞳を、いつか、懐かしく思い出す日がくるのだろうか。
それとも、あるいは。
キャンプファイアーの明かりもほとんど届かない、離れた白樺林の中に月葉はいた。
その視線は、炎の照り返しを受ける貴奈津とローユンに向けられている。
ずっと二人を見ていたわけではない。
そんなはしたないまねを、月葉はしない。
ぶらついていて、ふと目に入れ、立ち止まっただけだ。
「感情の整理ができていないんだな。
ぼくとしたことが情けない」
白樺に寄り掛かり、月葉は小さく溜め息を吐いた。
仲のよさそうな貴奈津とローユンを目にすると、けっして愉快ではないのだが、かといって、積極的に割り込もうとする気力には欠ける。
以前のような痛痒を感じないのだ。
自分の中で、なにかが変わってしまったことを月葉は知っていた。
バキッと、小枝を手折る音が背後に聞こえた。
足音もしなかったし、気配も感じなかったから、後ろにいる人物の予想はついた。
月葉が振り向かずにいると、今度は足音をさせて近づき、イーライが背後に立った。
「まだ気になるようだね」
「なんのことかなあ」
努めて何気なさそうに、月葉が振り返る。
両手をスラックスのポケットに突っ込み、イーライはいつもの微笑を浮かべていた。
柔らかなウールのスラックスにスエードのローファーを履き、セーターを腕捲りしている。
しかし、セーターといっても素材は生成の麻で、素肌にそれ一枚しか身につけていない。
ざっくりとした太い編み目と、深いVネックから肌がのぞく。
高原リゾート向きの、思いきりカジュアルな装いだが、職業を無視していつもカジュアルなイーライなので、とりたてて違和感はなかった。
「あのふたりは……」
月葉に向けていた視線を、貴奈津とローユンの二人へ移す。
そして続けた。
「気が合うだけだ。
精神のタイプが近いのかもしれないね。
今のところ、特に恋愛感情というわけではないよ」
「なにが言いたいわけ、あなたは」
「だから、心配することはない、と」
「誰もなにも心配なんかしていない」
「……そう。
だとしたら、よけいなことを言ったね、すまない」
素直にイーライが謝罪する。
声が飛びきり優しかった。
「その声やめろよ」
月葉が露骨に眉をしかめる。
イーライが極めつきに優しい声を出すのは、自分と二人だけのときに限られる。
月葉は最近そのことに気付いた。
口調も言葉遣いも常に、誰にでも優しく穏やかなイーライだが、今のような声は、微妙に色合いが違うのである。
つまり、月葉向けの声音なのだ。
なにを目的とするものか、月葉は感付いてはいたが明確にしたくはなかった。
「どうしたの?
いつもの声だと思うけれど」
確かに普段の軽妙な声に戻っていた。
月葉の警戒を察知したらしい。
「……食えないヤツ」
心からいやそうに言う月葉に、イーライが思わず笑いを誘われる。
邪気のない明るい笑い声だった。
つられて、月葉の表情もやや和む。
「月葉、きみ、少し変わったかもしれないね」
「そう?」
「あと五、六年したらきっと、きみはいい男になるよ」
「まあ、あなたみたいにだけは、なりたくないと思ってるよ」
イーライは軽くうつむき、胸をおさえた。
「少し傷ついたね」
「そんなかわいい性格か、あなたが」
「……きみもずいぶん大人になった」
「ふん」
冷たく突き放す月葉を見て、イーライは性質の悪い笑みを閃かせた。
「!」
月葉が身を避けるタイミングを誤る。
イーライは素早く両腕に月葉を囲いこんだ。
そして、耳元にささやく。
「ついでに、どう、もう少し大人になってみない?」
「ふざけるなっ!」
月葉が怒鳴るのと、イーライが身を引いたのが同時だった。
みぞおちを狙った拳をなんとかかわす。
しかし、第二撃の蹴りを、イーライは完全には避けることができなかった。
飛び退ったが林間である。
退路に白樺が立っていた。
仕事中にこんなミスをおかすイーライではないが、今はそこまで計算していなかった。
白樺の幹に背中を打ちつけたところを、月葉の蹴りが胸もとをかすめる。
「あっ!」
息を飲んで身を沈める。
次の攻撃に備えてのことだが、そのときすでに、月葉は踵を返してしまっていた。
イーライを残してさっさと立ち去る。
林間を出たところで、月葉が一度振り返る。
さわやかな悪魔というものが存在するなら、まさしくそんな雰囲気の顔で月葉は笑っていた。
垣間見たその表情に、イーライは心動かされた。
「いいねえ、好きだね、ああいうタイプ。
あれが女の子だったら、どんな男でも手玉に取れるだろうにねえ」
などと、おかしな感心のしかたをする。
立ちあがったとき、軽い火傷のような痛みを感じて、胸もとに目をやる。
今さっき、月葉の蹴りがかすめたところだ。
セーターはなんともなかったが、Vネックを引っぱり覗いてみると、胸に赤く擦過傷がついていた。




