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消極的な二人の態度に、ここまで黙って聞いていたレイが、ベッドの上でポーンとはねた。
「ナーディもスゥーディもなんたる言い草ー!
おまえたち、あんなにローユンと仲がよかったじゃないか。
それなのに、たった一万八千年経ったくらいで、ローユンとの約束を忘れるなんて!」
そうとう怒っているらしい。
一万八千年も経てば、普通どんなことでも忘れるんじゃないか、と貴奈津は思ったが、それより気になったことがあった。
「レイ、ちょっと聞きたいんだけど」
「なんだっ!」
やはり怒っている。
「そのローユンっていうのが、あんたのご主人様なの?」
「あのな、さっきは言わなかったけどな、ローユンはボクのご主人様じゃないし、ボクはローユンの僕でもないぞ。
ボクとローユンは友達だっ!」
「若い男の人だと、お父さんは言ってるけど、まさかあんたみたいな猫じゃないんでしょうね」
「ボクの話を、真剣に聞いてないだろう、おまえ」
「いくつくらいの人なのかしら?.」
「やっぱり聞いていない。
……だけど、そうだな、ローユンは二十歳くらいなんじゃないかな。
ホントに何にも憶えていないんだな、おまえ。
ボクは違うけど、ローユンはおまえたちと同じ地球人じゃないか、一万八千年前の仲間じゃないか、ローユンは」
「どんな感じの人?」
「外見か?
ええと、一言で言うと、カッコイイ。
それで世界一きれいなんだ」
「世界一っていうのが、あやしいわね」
「なぜボクを疑う」
貴奈津はちょっと目線をそらした。
レイの美的感覚は当てになるのだろうか、と思ったのだ。
なにしろ本人がぶさいくな猫だ。
しかし、少しは当てにしてもいいような気もした。
前世とかの記憶がよみがえったわけではないが、ローユンという名前に強くひかれるものを感じたのである。
貴奈津はポンッ! と手を打った。
眞鳥の前を横切って、月葉の腕を取る。
「レイ、ちょっと見て。
どう、月葉ってきれいな男の子だと思う?」
月葉を物差しにして、レイの美的感覚を計ろうという狙いだ。
ところが、レイは口をあんぐりと開けたまま、沈黙してしまった。
「レイ、どうしたの?」
プルプルプル、とレイは頭を振った。
気を取りなおして、しみじみと言う。
「おまえ男だったのか。
どうりでスリスリしたとき、胸がないと思ったはずだ」
貴奈津がひざを落とした。
「なに考えてるのよ、あんた。
猫の分際で」
「猫じゃないというのに」
月葉が額に手を当て、溜め息を漏らした。
「女の子に間違われることは、あまりないんだけどな」
たまにはある、ということだ。
「いや、スゥーディ。
間違ったのにはわけがある。
おまえ、一万八千年前は女の子だったんだ」
「へえ…」
「だから、今も女の子かと思ったんだ。
よく考えてみると、転生を繰り返せばいつも女の子とは限らない。
それを忘れていた」
「言っておきますけど、わたしは女ですからね」
思い出したように主張する貴奈津を、なにを今さらとレイが見る。
「そんなこと、一目でわかるわい」
「だからスリスリしないでよね」
「心配するな、誰がおまえなんかにスリスリするか」
「あんたみたいなぶさいくな猫に、おまえなんかと言われる筋合いはないわ」
「どこがぶさいくだっ!
世界一ファンシーでプリティだろうが!」
「やっぱりあんたの美的感覚はあてにならない!」
ピクピクッ! とレイは猫ヒゲを震わせ、貴奈津に向かって一歩踏み出す。
パッと貴奈津が身構える。
飛び掛かろうとしたレイはしかし、急に脱力してひざをついた。
そのままパタリと、顔からベッドに倒れ込んでしまう。
「レイくん」
何事かと心配して、眞鳥と月葉がベッドに駆け寄る。
貴奈津は駆け寄らない。
「どうしたレイ。
具合でも?」
月葉が手をかけると、レイの肩が震えていた。
ベッドに突っ伏したまま、レイは声を上げて泣き出した。
「こんなんじゃダメだ。
異世界宮殿が現れたのに。
だからボクはすぐに目覚めて、急いで仲間のところへやって来たのに。
この世界に異世界宮殿が現れたということは、封印が破れかけかているということなんだ。
だから、一刻も早くローユンを覚醒させないといけないのに。
ああ、約束なのにぃー。
あんなに固い約束をかわして別れたのにぃー。
なのに誰もなんにも憶えてない。
ナーディはバカだし……」
貴奈津がぽかりとレイの頭を殴った。
いつの間にかベッドのわきに立っている。
「なにをするっ」
バッと顔を上げ、レイが睨む。
「付き合ってあげるわよ」
「え?」
「あんたに、付き合えばいいんでしょ」
「……ほんとかナーディ」
レイの目に涙が浮かんでくる。
「うん、まあね」
貴奈津は友情とか、約束とかいう言葉に弱かった。
たぶん、レイの言うことは、ウソではない。
それはなんとなくわかる。
涙は、少しばかり芝居じみているような気がしないでもないが、それを承知で貴奈津は乗せられてやることにした。
なにより貴奈津は、異世界宮殿を見た瞬間から、抑えがたい好奇心でいっぱいだったのである。
レイはオーバーオールのポケットから、ハンカチを取り出して涙を拭いた。
用意がよすぎるのではないか、という印象は拭えない。
ポケットにしまったハンカチを、服の上からポンと叩き、レイは元気よく立ち上がった。
「よし、そうと決まったら、さっそく後始末をしに出かけよう。
さっき現れた異世界宮殿が、 手下の魔獣を二、三匹落っことしていったんだ。
異世界宮殿を封印したシールドからこぼれ落ちるようなやつらだから、どうせ小物だろうが、長いことほっとくとこちらの世界によくない影響が出るからな」
「……」
貴奈津は返す言葉がない。
レイの言っていることが、ほとんど理解できないのだ。
眞鳥だけは、魔獣という言葉に記憶があった。
もちろん親から間いた記憶である。
「レイくん、その魔獣とかいうものは、大ざっばに表現するならゴジラやガメラのようなものかね?」
ゴジラやガメラと聞いて、貴奈津がそっと後ずさりする。
チラリと視線を飛ばしたが、レイは口の端をあざ笑うようにあげただけで、すぐに眞鳥に目をもどした。
「そういうのもいる。
だけど、もうちょっと上等なもののほうが多い」
「こぼれ落ちた二、三匹というのは、どちらに入ると思う?」
実際的かつ真剣な質問をしたのは、月葉である。
貴奈津が、
「付き合うわよ」
と言った以上、月葉の選ぶ道も決まった。
なぜなら、月葉は姉の保護者なのである。
となれば現実的な対処が必要になる。
「それは見てみないとわからない」
「TVのニュースチャンネルをつけてみよう」
しごくもっともな提案をして、眞鳥は壁のパネルTVをつけようとした。
ゴジラのようなヤツが出現しているのなら、ニュースにならないわけがない。
それをレイが止めた。
「ムダだと思うぞ。
今のところ、姿は見えないはずだから。
異世界宮殿があんなふうじゃなく、物理的現実的に、この世界に出現すれば、魔獣も実体化する。
でも本体の異世界宮殿がないとパワー不足で、実体化はできないはずだ」
「なーんだ。
幽霊みたいなものなら、いないのと一緒じゃないの」
「いや、そうじゃない。
幽霊だっていっぱいいれば、人によっては影響を受けるだろう。
魔獣はいくら小物でも、もっと影響が出るぞ。
この世界に、別の世界のものが重なり合って存在することになるんだからな」
異世界宮殿が現れた時ほどではないが、似たような異常現象が襲う、ということだ。
長時間になれば、生き物なら死ぬしビルなら崩れる、とレイは脅した。
「だから、すぐに出かけよう」
ベッドから飛び下りて、すたすたとドアの前まで進む。
そこでレイは振り返り、ためらう月葉と貴奈津を手招きした。




