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異世界宮殿が居すわる東京は、夜になると、日中よりいっそう異様に見えた。
都心に闇がわだかまっている。
その周囲はいつもと変わらず、隙間なく光の粒を敷きつめた、眠らない大都会のままなのに。
たとえ大規模な停電に襲われたとしても、街に一つの明かりも見えなくなることはない。
非常灯も相当数あるし、車のライトも動くからだ。
しかし、異世界宮殿直下の東京には、そういったものがなにもなかった。
凶々しい闇の中に、ただ音もなく沈みこむだけだ。
その上空に、異世界宮殿はなぜか夜でもほの明るい。
自室で一人、月葉は開け放した窓から、夜空を眺めていた。
床に腰をおろし、ベッドによりかっている。
テラスに面した広い窓の、左側に都心が望める。
周囲に高いビルが多いので、それが障害となり直接に都心の闇を見渡すことはできない。
だが空に浮かぶ異世界宮殿の姿は、その何分の一かを、ぼんやりと窓の左上部に見ることができる。
「いやな気分だな」
呟くが、月葉の嫌悪感は言葉ほど甘いものではない。
見たくなかった、この空に再び異世界宮殿の姿など。
次第に過去の怒りが甦ってくる。
「ええい、鬱陶しい」
頭を振って月葉は立ち上がった。
窓は開けたままで、二枚重ねのカーテンを、かなり荒っぽく閉ざしてしまう。
床へは戻らず、今度はベッドにひっくり返る。
頭の下で手を組んで、しかしふとその手を解いて上体を起こす。
「なんか、最近このパターンが多いな」
鬱屈した悩み多き青少年の図というところだ。
ベッドに転がり、悶々と思い煩うなどというのは、月葉としては自分がいささか情けないわけである。
「しかし、だからなんだっていうんだ。
もういいや、どうでも」
前向きの努力を放り出し、月葉はベッドに倒れこんだ。
さっきと同じく組んだ手をまくらにして、ついでに脚も組んで、視線を宙に漂わせる。
貴奈津の部屋に集まって相談した結果、とりあえずゴーシュの言う宇宙空母の到着を待つ、ということで異世界宮殿対策の話はまとまった。
それが夕食前のことである。
この時間は、二人の異世界猫も、イーライもローユンも、そして貴奈津と眞鳥も、それぞれ自分たちのなすべきことをしているはずだ。
しかし、月葉は暇だった。
月葉だけが退屈していた。
思い切りのけ者にされた気分だ。
とはいえ、この状況は誰のせいでもなく、自分で招いたものである。
「なんとかしたほうがいいんだろうけど……」
だろうけど、でとどまり、なんとかしよう、といはならないところに、月葉の感情的行き詰まりが現れている。
ローユンとイーライは二人の異世界猫と共に、一階のローユンの部屋で何やら相談している。
夕食の間も、指揮系統やシステムデータのすり合わせをしていたから、その続きかもしれない。
貴奈津と眞鳥は備品の用意に忙しい。
眞鳥を除く全員が、宇宙空母の到着と共にそちらに乗り移ることになっていた。
例え一日か二日の滞在でも、最低限必要な日用品というのは、これがけっこう色々ある。
それに、数日で済むという保証もない。
貴奈津がバタバタと走り回っている。
三階と一階を往復する足音が、部屋にいる月葉にも聞こえた。
走っていたかと思うと、フッと足音が途絶え、束の間置いて床を鳴らすのは、階段を一気に飛び下りているからに違いない。
「走り回るほど忙しいんなら、なんでぼくを呼ばないんだ。
手伝わないとは言っていないじゃないか」
とはいえ、手伝うとも、月葉は申し出ていない。
だから放っておかれるのだ。
対異世界宮殿戦の地球人チームは、戦闘時こそローユンの指示に従うという了解ができているが、平時の行動は個人に任されている。
自主的に動かない者に、あれこれ指図する上意下達システムはないのである。
もっとも誰かに指図されたらされたで、月葉はきっと、素直には従わなかったであろう。
「だけど、貴奈津はなんであんなに一生懸命なんだ?
一度でもスクールの勉強に、あれほど身を入れたことがあったか?」
いきなり風向きが非難に切り替わる。
貴奈津もここまで言われているとは思うまい。
しかし、本当は薬月にもわかっていた。
貴奈津は少しでも役に立ちたいのだ。
大切な仲間のために、自分のできる精一杯のことをしてやりたい。
そういう性格の少女だった。
「レイでもワープしてこないかな」
非難がうまくいかなかったので、現実逃避に走ってみる。
毛皮を撫でてやったときの、レイの幸せそうな表情が、月葉は好きだ。
こちらまで、ほのぼのとした気分にしてくれる。
「いつもじゃまばかりするくせに、ぼくが暇なときに限って来やしない」
それに貴奈津が家にいるときは、レイは月葉のそばにいたためしがない。
「しょせん、ぼくは貴奈津のスペアってことなんだな。
そう考えてみると、可愛くないなレイって」
よけいなことを突きつめてしまい、短い溜め息とともに脚を組みかえる。
「イーライだって、なんだかんだ言って冷たいよな」
この台詞は、イーライが聞けば喜んで、そんなことはないと証明したがる危ない科白っだ。
それはともかくとして、イーライは以前のようなイーライではなかった。
性格が変わったのではない、イーライの中で優先順位が切り替わったのだ。
確認したわけではないが、月葉はそう感じる。
「ローユンの補佐官になったみたいだ」
ある意味で、その見立ては正しかった。
過去においても、そうだったのだから。
ただしイーライは、ローユンに対して、いつも補佐官のような立場をとるわけではない。
異世界宮殿戦に関わるときだけだ。
それでも月葉にとっては面白くない。
ただし、この感情は無自覚である。
「いや、あんなヤツはどうでもいいけどね」
負け惜しみに近い呟きをもらしたとき、窓の下から呼ぶ声がした。
「月葉ーっ」
貴奈津が外から呼んでいる。飛び起きてベッドをおり、カーテンを開ける。
テラスヘ出るまでに、もう一度呼ばれた。
月葉の部屋は三階である。
手すりから乗り出して見ると、貴奈津が庭で手を振っていた。
テラスの照明が庭にこぼれて、貴奈津のいるところまで明るい。
「月葉、下へおりて来なさいよ。
一緒にお茶しよう」
肯きかけて、月葉はやめる。
一階のテラスからイーライが現れ、月葉を見上げてニヤリと笑ったからである。
「ぼくはいいよ」
自分が持て余している感情を、イーライに見透かされたような気がした。
「なに言ってるのよ。
月葉がいなくちゃはじまらないわよ」
貴奈津にそう言ってもらうと、月葉としてはちょっと嬉しい。
「そう?」
「そうよ。
もう、ティーカップも用意してあるからね、早くいらっしゃい」
屈託なく手招きする貴奈津を見て、月葉はしみじみと思った。
貴奈津はいい子だ。
弟の身で姉を「いい子」というのもおかしいが、これは常々思っていることだからしかたがない。
「お菓子もあるわよ」
機嫌を直すことに、月葉は決めた。
「わかった、今行くよ」
手を上げて答え、室内へもどる。
シャツを直して、あとは用意するものもない。
月葉は廊下へ出て、ドアを閉めた。
だが、握ったドアノブに手をかけたまま、なかなかその場を離れない。
「とはいえ気が進まないな、やっぱり」
情けないヤツ。
「けど、しかたない。
行くと言った以上、行くか」
大きく溜め息をついて自分を納得させ、そこまですることもないと思うが意を決して、月葉はドアの前を離れる。
出だしの一歩は勢いよく、しかし、徐々に足どりは鈍る。
階段を、ほとんど惰性だけで二階まで降りて、踊り場を手すりに沿って回る。
ぼんやりと足下に目を落としていたので、急接近する気配に月葉は気づかなかった。




