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雪と氷の世界に建つ神殿で、ローユンと貴奈津はコンピュータが描くシミュレーションに見入っていた。
先だってのジェーロ誘き出し作戦では、ここ氷の神殿にあるシステムが力場の維持を担当した。
もともとフルパワーでの想定だったが、戦いが思ったより長引いたため、限界を超えての稼動を余儀なくされ、そのときの負荷が完全には回復していない。
〈以上で説明を終わります〉
中性的なコンピュータの声がして、シミュレーションが終わると、それが異世界宮殿のホログラフに切りかわる。
「復旧にかかる時間は?」
〈データの照合とシステムの演習をあわせて、およそ七日間です〉
「まずいな。
現状で異世界宮殿のシールドが、あの出所不明の外部圧力を受けるとどうなる?」
〈シールドはしばらく持ちこたえますが、先にこちらの緩衝システムが影響を受けます〉
「その度合いは?」
〈現時点で、緩衝システムが破壊される可能性は九十パーセントを超えています。
今後十二時間ごとに、その確率は二十%ずつの減少と考えてください〉
ローユンは腕を組んで立ち、ホログラフに目を向けていた。
その目を外して少し俯き、ややあってまた顔を上げた。
「三日後でも、三十パーセント程度の確率が残るのか」
隣でローユンを伺っていた貴奈津は、思わず半歩身を引いた。
たちどころにこのような暗算するものは、人間ではないと固く信じていたからだ。
この人はときどき、本当に変である、と貴奈津は思う。
見かけは異国の王子様といってもおかしくないのに、貴奈津よりずっと現実的なところがある。
「わたしは普通の人間だ」
とローユンが常々自分で言うように、特殊なタイプの異能力者であることを除けば、彼は取り立てて変わった人間ではないのかもしれない。
変だと感じるのは、特別な人だという先入観で、ローユンを見ているためなのだろうか。
ローユンがかなり人懐こい性格なのだと、この頃貴奈津はわかってきている。
直情径行ぎみの貴奈津には、掴み所のないイーライなどより、屈折していないローユンのほうが、遥かに接しやすいといえた。
新しいシステムを導入したほうが、復旧するより早く確実です。
「今使えるのは、レイの宇宙艇内蔵コンピュータだけだが、オリジナルをここへ持ってくるわけにはいかない。
となると、どこかを犠牲にして、できうるかぎり緩衝システムを保持するように調整するしかないな」
〈では、その方向で検討に入ります〉
コンピュータはそう言ったが、機械音もしなければ、パネルの点減もない。
すぐに結果は出るだろうが、それまでローユンと貴奈津はただ待つしかないのだ。
「ずいぶん、大変なことになっていたのね」
ようやく貴奈津が口を開く。
なにかの役に立てればとローユンについてきてはみたものの、自分の出る幕ではなさそうだと貴奈津は思った。
「あとは運だな」
「あの外部圧力というのが問題よね。
いったいどこから来るのかしら」
「それがわかれば、こちらから出向いていって叩いてやるのだが」
「うん。
あれが来ると、かなり無理がかかるもんね、ここのダイナーにも」
〈わたしはダイナーではありません〉
検討中のコンピュータが、ふいに声をあげた。
貴奈津が反射的に「えっ」とふり向くが、もとより声の方向を特定しているわけではない。
「でも、ダイナーの初期型なんでしょう?」
〈初期型に一部類似したシステムを内蔵していることは認めます。
しかし、断じてわたしはダイナーではありません〉
「どうして、そこに固執するのよ」
〈その点だけは譲るなと、レイに念を押されています。
第一級、最優先コードです〉
貴奈津とローユンは顔を見あわせた。
「拘ってるわね、レイも」
「無理もないが」
「ムリといったらカタツムリ」
わけのわからない駄洒落とともに、二人の背後にレイが浮かんだ。
「遅かったじゃない」
「朝食はすんだのか、レイ」
「うん、目玉焼きを五個も食べた。
遅くなったのは、ちょっと色々あってな。
それで迎えに来るのを忘れていたんだ」
「どういうこと? なにがあったのよ」
「たいしたことじゃないと思う」
「それはわたしが判断するわ。言ってみなさいよ」
「偉そうに。
まあいい、色々、まずその一」
人差し指をピッと立てる。
「月葉が怒った。
その理由、男はみんな狼だ」
「はあ?」
意味がわからず、貴奈津が頓狂な声をあげる。
しかし、ローユンはすぐに理解した。
「そんなつもりは毛頭ない」
と、口に出しかけ思いとどまる。
言えば貴奈津に説明をしなければならない。
藪を突いて蛇を出すようなまねをして、なんになるというのだ。
しかし「困ったな」というのが、ローユンの感想である。
年長なぶんローユンは、月葉の曲折した物言いや態度を理解はしている。
それだけでどうにかなるものではないが、いずれ解決するのではないか、という展望も持っている。
まるで根拠はないのだが、ようするにローユンは根本的に楽観主義なのであった。
「なるほど、それから?」
さりげなくローユンが続きを促す。
ピッと、レイは指をもう一本立てた。
「色々、その二。
眞鳥がおでこをドアにぶつけた」
「そう、それから?」
貴奈津がさっさと、興味を次へ移してしまう。
眞鳥がそそっかしいのは、いつものことだ。
「なんだ、気にならないのか。
つまらん。
じゃ、その三。
月葉とイーライがケンカした」
「また?」
貴奈津にローユンも口を揃える。
「またか。
しかし、あれはケンカではない。
イーライが一方的に、月葉を怒らせているだけだ」
「そうなのか?
だけど、なんで?」
「つまり……まあ、そこがイーライの複雑なところなんだよ」
「わからん」
「わたしにも、彼の考えかたは理解できない」
「ふうん、恋人って難しいものなんだな。
おまえと貴奈津も恋人?」
「いや」
躊躇ないローユンの返答に、貴奈津は思わずひざを落とした。
確かに恋人というのでは全然ないが、少女の心理からすれば、あまりにすみやかに否定されると、いささか残念だったりするわけである。
しかし、貴奈津はすぐに立ちなおった。
ローユンが考え込んでいた。
「……違うのではないかと思うが」
明快さを欠く一言を、ローユンはつけ加えた。
自分を思いやって添えてくれた言葉であろう、と貴奈津は思った。
それだけで充分嬉しく、声を出さずに照れ笑いする。
しかしローユンにしてみれば、なぜ考えこんでしまったのか、自分ではどうしてもわからなかったのである。
「そうだよな、おまえたちって、月葉たちと違って簡単そうだもんな。
ところでシステム調整のほうは、はかどっているんだろうな」
「それが人まかせにしといて言う台詞?」
「シミュレーションを見るか、レイ」
「そうだな」
レイがふわりとホログラフに向かっていく。
そのとき、神殿の床が僅かに震えた。
さっとローユンが床へ手を伸ばす。
「震動している」
「なんだ?」
空中にいるレイには伝わらないほどの、微弱な震動である。
〈急告、出所不明の外部圧力、先触れを感知しました。
最大圧力になれば、九十二パーセントの確率でシステムが耐えられません〉
「どういう意味だ」
〈さきほど説明したとおりです〉
「ウガッ、ボクはまだなにも聞いていないんだっ!」
貴奈津がホログラフを指差して叫ぶ。
「シールドが!」
異世界宮殿のシールド表面に、円形の波紋が広がり始めていた。
以前、見たものと同じ干渉力である。
このままいけば、異世界宮殿のシールドが綻びてしまう。
「食い止める。
レイ、異世界宮殿ヘワープしろ」
「ま、待て、あれを見ろ!」
レイが神殿の外を指さす。
振り向いた貴奈津とローユンは息を飲んだ。
「……空が」
空が明るさを失いつつあった。
雪と氷の世界の白い空。
それが瞬く間に暗くなってゆき、ついに空は漆黒の闇に変わった。
雪原の白はそのままに、世界が暗黒のなかに浮かびあがる。
異世界宮殿のシールドに加わる外部圧力の余波を、異世界宮殿に直結したこの世界が受けてしまっていた。
〈危険です、ただちに避難してください〉
「あきらめるなコンピュータ。
最大出力で力場を守れ」
〈すでに出力百二十パーセントで支えています。
限界です、あとわずかしかもちません。
避難してください〉
「ゲッ!」
レイが頭を抱え込む。
緊急時および非常時向きの思考回路を、レイは持たない。
「レイ、シールドの維持が最優先だ。
異世界宮殿へいそげ」
「でも、でも、この世界が破壊されたら、異世界宮殿から地球へ戻れなくなるかもしれない っ!」
「それぞれ接続しているんだから、大丈夫なんじゃないの?」
「行ってから、戻れなかったじゃ、困るんだーっ!」
レイの主張も一理ある。
しかし、ホログラフに目を戻したローユンは、強行策を取るべきだと判断した。
繰り返し波紋が流れ、異世界宮殿のシールドがはっきりと歪んでいた。
「一刻を争う。
レイ、異世界宮殿へ!」
ぶんぶんとレイが首をふる。
「やだっ、おまえたちを助けるほうが先だ。
うああっ、空間が押し潰される」
地平線が近づいてくる錯覚を、貴奈津は覚えた。
だが近付いてくるのではない、はるか地平の雪原が、はしから溶けるように消えていくのだ。
この世界の中心である神殿に向かって、空を染めた暗黒が音もなく迫ってくる。
「に、逃げよう、巻きこまれるーっ!」
声が震えていた。
レイがローユンに飛びつき、ついで貴奈津の手を取った。
「ワープ!」
世界がせばめられ飲みこまれるのを間近にして、レイは恐慌寸前だった。
暗黒の壁が、神殿の近くまで押しよせてきていた。
何者にも妨害されることなく、外部圧力は異世界宮殿のシールドを撃ち続けた。
シールドが波打ちうねる。
そしてついに耐えきれなかった。
わずかな綻びをきっかけに、異世界宮殿は瞬時にシールドを脱ぎ捨てたのである。
雪と氷の世界も無にかえろうとしていた。
完全に消滅する寸前、それは異世界宮殿と地球とを結ぶ、ただの亜空間通路と化した。
その、ほんのわずかな間隙に、異世界宮殿は実体化する現実を見いだした。
揺らめく通路の向こうに、地球が青く美しく輝いていた。




