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「ジェーロが光の中に消えていくわ」
「炎が急速に収れんしていくぞ。
なんだ、なにが起こるんだっ」
「変容する、本体が現れる!」
「魔獣?」
爆発の逆回しフィルムを見るように、火炎が中心部へ吸いこまれた。
直後、物理的な圧力を伴った衝撃音と共に、白光が炸裂する。
「ウギャッ!」
「キャッ!」
束の間世界が真っ白になる。
目が眩んでしまっていた。
絞りこまれた瞳孔が、即座には回復しない。
揺らめいているのは炎か、あるいはオーラなのか。
青紫色の陽炎をまとい、ジェーロの波動を脱ぎ捨てて、その実体が姿を表していた。
しだいにはっきりしてくる視界の中に、人の形が浮かび出る。
「あれは……まさか!」
月葉が声にならない叫びを上げる。
押さえが外れた。
スゥーディの記憶が堰を切って、月葉の心へ流れ込む。
翻る紫紺のマント、立ち上る陽炎になびく金髪。
閉じられた瞼の下には、青灰色の瞳があるはずだった。
「……ラッガート!」
あろうことか、再び目にすることはなかったはずの双刀の戦士、ラッガートの勇姿がそこにあった。
忘れるはずもない、共に戦い続けた仲間。
若かったスゥーディやナーディにとり、そしてローユンにとってさえ、常に心の支えだった最強の戦士。
一万八千年前、三姉妹との決戦に望んだあの日、異世界宮殿の中でローユンを守って倒れた人。
月葉の唇が震える。
声もなくローユンが立ち竦む。
貴奈津の瞳に涙が浮かび、溢れ、そしてこぼれ落ちた。
レイが目を見開いたまま失神しかけ、危ういところで立ち直る。
「卑怯だ、卑怯じゃないかジェーロ!
ラッガートの姿を作り出すなんて!」
顔じゅう口にしてレイは叫いた。
涙がぽろぽろと毛皮を伝う。
ジェーロの声だけが、応じて空間にこだました。
「わたくしが作り出した影と思うか」
驚愕にかえて、苦悩がローユンの面に滲んでくる。
「なんということだ……なぜラッガートがここに現れる」
呟きをとらえて、レイが真顔で振り返る。
「バカなことを言うな、ローユン。
ラッガートは一万八千年前に死んだんだ!
これがラッガートのはずがない、ジェーロの嫌がらせに決まってるっ!」
「そうだったら、どんなにいいか。
しかし、確かにラッガートの残留思念を感じるのだ」
空間がジェーロの邪悪な波動を伝えてきた。
「ようやく、おわかりか?
この者は囲き去りにされたおまえたちの仲間だ。
ジェナリマ姉さまはこの者に殺された。
これくらいのことで恨みが晴らせるわけではないが、趣向としては悪くなかろう」
「ジェナリマが死んだ?」
ラッガートは確かにジェナリマを大きく斬り下げていた。
人間であればひとたまりもない深手のはずだが、ジェナリマが息絶えたのかどうか、レイたちに確かめる術はなかったのだ。
「じゃあ、相討ちだったのか。
だ、だけど、いや、だからあのときラッガートだって、もう……」
「そのとおり、わたくしの手に入ったとき、この者の命はすでに消えていた。
しかし思念の欠片は微かに漂っていた。
同じ人間として再生することはできないが、姿を留めておくことはできる」
「ひどいぞ、ラッガートがかわいそうじゃないかっ!」
「何故わたくしを非難する?
逆に感謝されてもよいと思うが。
こうして昔の仲間に会わせてあげたのだから。
いかがか、懐かしかろう?」
「ううう……どこまで卑怯なヤツなんだ、バカヤロー!」
レイの罵倒はジェーロにとっての褒め言葉である。
嘲笑が辺りにこだまする。
「さあ、そろそろ感激の再会といってはどうか。
おまえたちの相手はこの者がする。
忠告の必要はないかもしれぬが、手強いぞ。
なにしろジェナリマ姉さまを斃したほどの戦士なのだから」
クックックッ……という陰険な笑い声が、次第に遠く退き、それとともにジェーロの波動が薄れ、霧散していく。
「ま、待て!
逃げるのか、ジェーロ!」
気配を追って飛び出しかけたレイを、ローユンが片腕で押しとどめる。
「無駄だレイ、ジェーロの実体はここにはない。
それよりも」
閉じられていたラッガートの瞼が、ゆっくりと開き始めていた。
ウッとレイが息を飲む。
するどく強く激しい、だが同時に深く優しかったラッガートの青い瞳は、今赤光を放っていた。
「これは彼であって彼ではない。
彼の心はすでにない」
「そ、それはわかっているけど、だからってどうするんだっ!」
レイが頭を抱え込む。
大事の前の小事とか、泣いて馬謖を斬るとか、そういった考えかたを、速やかにはできない精神構造をレイはしている。
「斬るしかない」
「ラッガートを斬るのか?」
「そうだ」
ラッガートの双刀が、切っ先を上げつつあった。
呼応してローユンが剣をかまえる。
これはラッガートではないものだ。
そう心に言い聞かせても、かつての仲間の姿を現実にして、胸に氷塊が重く沈みこむ。
まさか、ラッガートと対峙することになろうとは。
「レイ、離れろ!」
ラッガートのマントがひるがえった。
左手の一刀を顔前に掲げ、真っ直ぐにローユンヘ向かって飛び込んでくる。
右手のもう一刀は後方へ引かれる。
「この構え、紛れもなくラッガートのものだ」
緊張がローユンを貫く。
三姉妹を二人まで同時に相手取り、決して退くことのなかった最強の戦士。
「わたしでは彼に勝てない」
怯んだのではない。
認めざるを得ない力量の差があるのだ。
だが、たとえ勝てなくとも、負けるわけにはいかないのである。
大上段から振り下ろされる斬撃を、ローユンが斬り上げて迎え撃つ。
鋭く激烈な刃音が鳴り響いた。
一瞬の間もおかず、背後に回されたラッガートのもう一刀が、ローユンの死角から繰り出される。
ローユンが剣を弾いて飛び退る。
「これだ。
これが彼の双刀の恐ろしいところなんだ」
あらかじめ予想されていた攻撃であるにも関わらず、ローユンは二撃目を完全にはかわしきれなかった。
腰に結んだサッシュが切り裂かれる。
一刀を受けとめることはできるかもしれない。
しかし、思わぬ方向から襲い来るもう一刀を、いったいどうすれば避けられるのか。
「スゥーディでさえ……」
かつてナーディとスゥーディが、ラッガートの剣技に興味を示したことがあった。
二人とも剣は達人といってよい水準であったから、当然の成り行きである。
ナーディのほうは「便利かも」と、自身も二刀流に挑戦してみたりした。
しかし、その試みは「頭がこんがらかる」などといって、すぐに放り出すことになった。
その後しばらく、今度はスゥーディが、ラッガートを相手になにやら練習していた。
双刀をいかに防ぐか、という研究だったのだが、スゥーディはついに諦めてしまった。
「二刀を使う人はほかにもいますけど、それをこわいとは思わないですね。
でも、ラッガートのはだめ。
とても手に負えません」
片手剣でありながら、並の両手剣をしのぐ破壊力、そのうえ速度が尋常ではないのである。
「スゥーディが手に負えないというものを、わたしが防ぎきれるわけもない。
しかし!」
横ざまの一閃を紙一重でかわし、ローユンは開いたラッガートの前面に斬りつけた。
わずかな躊躇いが、あったのかどうか。
ローユンの剣が達するより早く、ラッガートの一刀がそれをはね除ける。
高い金属音の余韻を引いて、ローユンは大きく後ろへ飛んだ。
ラッガートの斬撃が空を切る。
それでも、身を離すのが一瞬遅かった。
ローユンが体勢を整える間もなく、さらに迫ってもう一閃が襲い掛かる。
「この一刀を受けると、次が絶対に避けられない!」
激烈な刃音があがった。
「月葉!」
風のように躍り出て、ラッガートと剣を撃ちかわしたのは月葉だった。
渾身の一薙ぎが ラッガートを押し返していた。
一歩を退き、ラッガートが双刀を構えなおす。
片腕を前面に、もう片腕を側面に引いて、二刀の切っ先が顔前で弧を描く美しくも威圧的なかまえ。
紫紺のマントが背に流れた。
呼蝶蘭を下段に流して、月葉は逆に半歩を踏み出した。
正面からラッガートの瞳を覗き込み、唇を噛む。
青灰色の瞳はすでに失われ、赤光が月葉の心を貫く。
「よくも、よくもラッガートをこんな目に」
激しい怒りがわき上がる。
怒りはスゥーディのものであり、また月葉のものでもあった。
不可思議な二重性をもって、月葉のなかにスゥーディの記憶が顕現していた。
ふたつの意識が完全に融合した状態で、なおかつ同一体ではない。
そして表に現れているのは、いつもの月葉の印象だった。
ただし、今のところではあるが。
「許さない、ジェーロ。
おまえだけは決して許さないからな」
決意と共に、月葉が飛び込む。
構えた双刀の真ん中を斜めに切り上げ、即座に剣を返して、振り下ろされる一刀を受け、身をかわしながらもう一刀をなぎ払う。
「いつものスゥーディにまして苛烈な剣捌きだ。
いや、あれは月葉なのか?」
ローユンが思わず感嘆する。
予期せぬ方向から予想を超えた速度でくり出される双刀を、月葉は完璧に防御していた。
あるいは、月葉の攻撃をラッガートが防いでいたのかもしれない。
だが、さらに二、三度剣を撃ちかわすと、月葉は身をひるがえした。
ラッガートから飛び離れ、いったん剣を引いてしまう。
「ここまではラッガートの双刀もかわすことができる。
しかし、これ以上の連続攻撃にはとても、こちらの反射速度が追いつかないんだ」
限界なのであった。極限の緊張感で息が乱れる。
それでもラッガートを前にして気を抜くことなどできない。
剣を引きつけ身構える。




