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すぐにメイドの声が聞こえる。
「旦那様がお帰りになりました」
「えっ、は、はーい、ありがとう」
些か狼狽え気味に答えて、貴奈津は月葉の服を引っぱった。
「どうしよう? 月葉」
「この部屋の惨状を見られると、またお父さんの心配の種になりそうだな。
貴奈津はぼくの部屋へ来なよ。
いっしょに勉強していたことにしよう」
「こ、これは?」
レイを指さす。
「とりあえず、クローゼットに隠そう」
貴奈津は肯いたが、間に合いそうもなかった。
廊下から足音が問こえてきたのである。
間違いなく眞鳥の足音だった。
堂々とした体格をしているくせに、妙に軽快な、しかし一人で三人分くらいの賑やかな足音をたてるのだ。
貴奈津はバッと月葉からレイを引ったくった。
そして荒っぽくベッドの上にレイを座らせる。
「あんたはヌイグルミよ、いいわね」
「なんなんだ」
貴奈津はレイの口の手の平で塞いだ。
「ヌイグルミは喋らない!」
一睨みして、自分もベッドに腰掛ける。
残った片手で、しっかりレイの体を押さえ込む。
その時ドアから眞鳥が顔をのぞかせた。
目や眉や口、それぞれの部品がしっかりと自己主張している。
一歩間違うと悪党顔になりかねない容貌を、眞鳥はしていた。
だが、四角い顔の中でよく動く眉と口、明るい瞳がそうなるのを救っている。
笑えばけっこう愛嬌があるし、じっさい眞鳥はよく笑った。
「おお、貴奈津。
月葉もここに居たか」
そこまで言って顔をよせ、眞鳥は部屋の中を見合わした。
倒れたテーブルや椅子、散乱した本やノートが目に入らないわけはないのだ。
眞鳥は大きな溜め息を吐いた。
「貴奈津、部屋の中で暴れるのは止めなさい」
「ゲッ……」
わたしじゃない、と抗議したかったが、貴奈津はぐっと言葉を飲み込んだ。
しかし、そのはずみで、レイの口を押さえつけていた手が弛んだ。
ここぞとばかりに、レイが声を上げた。
「おまえロイイェンだな」
慌てて貴奈津が口を押さえるが、もう遅い。
眞鳥の目は、レイに釘付けになっていた。
月葉が咄嗟に言いつくろうとし、同時に貴奈津も眞鳥を欺こうと試みた。
「よくできたオモチャでしょう、お父さん。
AIを組み込んだ新製品で……」
これは月葉。
「け、けっこう上手でしょ、わたしの腹話術。
今度スクールの懇親会で余興をしようと練習を……」
こちらが貴奈津の言いわけだ。
同時に違うことを言ってしまう。
その上、不手際を悟って、二人は顔を見合わせた。
しかし、元から眞鳥は、二人の言い訳をろくに聞いていなかった。
感嘆の呟きをもらす。
「金色の獣……」
「ヌ、ヌイグルミなんだけど……」
貴奈津の言いわけも、すでに力ない。
あたりまえだ。
「そうか、ついにこの日が来たのか。
あの蜃気楼の宮殿は、やはりその前触れだったのだな」
眞鳥は感に堪えぬ、といった様子で目を閉じ、胸の前で拳を震わせた。
たいへん芝居じみているが、これは眞鳥の習慣的なものである。
つまりいつものことで、わざとやっているわけではない。
「というと、お父さんも見たんですか?
あの空に浮かぶ巨大な城を」
驚きを隠さず月葉が訊ねる。
月葉は眞鳥に向かっては、言葉遣いがかわる。
貴奈津はもう言いわけを諦め、レイの口から手を離していた。
「見た」
目を閉じたままでそれだけ言い、眞鳥は、
「ふう」
とため息をついた。
次の台詞までの間をとっているのだ。
知らない人なら、なんだこいつ、と思うところだが、貴奈津と月葉は慣れていたので、黙って眞鳥の好きにさせておいた。
「見たとも。
おお、あれは、伝説の彼方から悠久の時をこえてよみがえった蜃気楼宮殿!」
「異世界宮殿だ」
レイが部分的に訂正する。
眞鳥はなんの抵抗もなく、それを受け入れた。
「そう、異世界宮殿!」
「悠久の時というのは、正しくは一万八千年前だぞ」
レイがこだわる。
眞鳥は大きく肯いた。
「そう、そう、一万八千年!」
「シェンレオおまえ、状況わかってるか」
「と、いうと?」
「相変わらず調子のいいヤツ。
おまえ一万八千年たっても、全然変わってないな。
たいしたもんだ」
「お褒めにあずかり光栄の至り」
「褒めてないけどな」
ヌイグルミの猫としか見えないレイと、しっかり会話を成立させてしまう眞鳥を、あっけにとられて貴奈津と月葉は眺めた。
この人はこういう人だったのか……。
さすが屈指の多国籍企業の会長だけのことはある、普通ではない。
そういうことではないと思うが、貴奈津と月葉は変に感心してしまったのである。
それはそれとして、月葉は眞鳥の態度に気になるものがあった。
いくら普通でないとはいえ、レイの存在になにも疑問を持たないのはおかしい。
「お父さん、この猫……レイという名前だそうですけど、知り合いなんですか」
月葉の問いに、眞鳥は、
「む……」
と、一言もらした。
そして月葉と、ベッドに腰かけている貴奈津を差し招いた。
二人が素直に寄っていくと、眞鳥はレイにくるりと背を向け、二人の肩をそれぞれ片手で抱いた。
レイを仲間外れにして、ヒソヒソ話の体勢である。
じつは、そこまでする必要はおよそない。
たんに重大な雰囲気を演出しようという、眞鳥の狙いだ。
眞鳥は声を潜めて二人に言った。




