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徒歩で眞鳥邸に帰館したイーライは、正面玄関の前で右に折れた。
邸内には入らず、中庭を回って自分の部屋へ向かう。
邸内を通っていくより近道だからだ。
月葉が家に留まっていると確信できるとき、これは主に深夜になるのだが、イーライは一人でよく出かける。
どこへなにをしに行くのかは、わからない。
庭の花壇の間を抜けて家族専用棟の角を曲がる。
植え込みにそって少し迂回すると、自室の近くへ出る。
葉を茂らせた広葉樹の暗がりで、イーライはふと足を止めた。
「……ふむ」
照明のついたテラスに、ローユンの姿があった。
貴奈津と月葉の部屋同様、イーライとローユンの部屋も一つのテラスでつながっている。
三階にある貴奈津たちの部屋と違うのは、一階のテラスには庭へ出入りできる階段がついていることだ。
ローユンは石造りの手すりの上に乗り、背中で支柱にもたれていた。
「彼はなぜか、ああいうところが好きなようだな」
梁や塀の上を好んで歩く猫みたいだとイーライは思い、いや、猫はレイのほうだから彼はさしずめ黒豹というところだろうか、などと考える。
しかし、イーライが立ち止まったのは、そんなことを思ったせいではなかった。
ローユンは剣を手にしていた。
殺気などまるで感じられないから、手入れでもしていたのだろうが、剣とローユンの組み合わせを目のあたりにして、イーライは一種の感慨を覚えたのである。
姿はもう見慣れたが、それでもときおりローユンには独特な違和感を感じる。
それは、エキゾチックな美貌や衣装からくるものではなく、彼の持つ時代性と無縁ではないであろう。
ローユンは偶然にこの場にいるわけではなかった。
長い永い時を飛び越えて、まだ終わらない戦いの中に彼はいる。
「それでいて、微塵の悲壮さも感じさせないとはたいした精神力だ。
持ちまえの明るい性格、すぐれたバランス感覚。
そのなかに秘めた不屈の意志。
たいしたものだよ。
レイにとって最大の幸運は、おそらくローユンを見付け出したことだろうな」
評論しながらイーライは微笑んでいた。
無自覚である。
「おっと」
気付いてイーライは表情を引き締めた。
剣を持つ姿が様になっていて、つい見とれていたのかもしれない。
それはともかく、本気でローユンに肩入れしてしまうわけにはいかなかった。
ローユンに助力はするが、それはあくまでも二義的なものだ。
イーライにはイーライの目的がある。
テラスの照明がこぼれる芝生へ、イーライは足を踏み出した。
それを待っていたように、ローユンが振り向く。
「あなたにしては珍しく、お早いご帰還で」
「どこでそんな皮肉をおぼえたの」
「この言葉は有史以来、万国共通。
わたしが憶えたのは、遙か昔。
だが、使ってみたのはこれが初めてだ」
「わたしが最初の被害者というわけ?
光栄だね」
どういたしまして、というふうにローユンは肯き、手にした剣を水平に掲げた。
切っ先にもう一方の手で触れる。
指先に生じた青白色のもやの中へ、徐々に剣が消し込まれていく。
その光景に目をやりながら、イーライがテラスヘの石段を登る。
「アピア・リングというのは、便利なものだ。
それがあれば、ボディチェックがあろうが金属探知器があろうが、どこへでも銃器が持ちこめる」
いきなり実際的かつ、危ない発想をする。
「予備はまだあるはずだ。
レイに言えば出してくれるのではないかな」
「よいアドバイスをありがとう。
さっそく明日にでもパイナップルを仕入れてくることにしよう」
前に立ち止まったイーライから、わずかに空気がローユンヘ動いた。
「……花の香りがする」
イーライが庭へ目をやり花を探す。
ローユンは心の中で首を傾げた。
彼はわざとやっているのだろうか、それとも気付いていないだけなのか。
「イーライ、あなただよ。
香水の移り香だと思うが」
「そんなはずはない。
今夜はなにも……」
おかしな弁明を始めかけたイーライだったが、はたと思い当たることがあった。
「ああ、あのときか」
「そういうことをするから、潔癖な月葉に嫌われるのだ」
「きみは甚だしい邪推をしていると思う。
わたしはなにも、大したことはしていない」
欠片も説得力はないが、今回に限って真実だった。
酔ったお姉さんに言い寄られたというか、からまれただけである。
「あなたにとっては、たいしたことでなくとも」
「それと月葉に嫌われているのはわたしだけではない。
きみにしても、いい線をいっていると思うのだけれど」
「正しい指摘だ。
だが、そこがよくわからない。
あなたが月葉に嫌われるのはわかる。
あきずにいやがらせをやっているのだから」
「それ、見ていてわかる?」
「当然だ。
貴奈津やレイたちは気付いていないようだが。
なぜ、あんなことをするのか、一度聞いてみたいと思っていた」
「愛情表現だと言ったら信じるだろうか」
「屈折しているのでは?」
「その点は一概に否定しない。
だが屈折しているのは月葉も同じ。
だからああいうタイプにはね、決して下手に出てはいけないんだよ。
つけ上がらせるだけなんだから」
「そういう論理もあると理解はできるが、そのことと、嫌がらせをすることの間に関連性を認めることは難しい」
「……困ったな」
俯いてイーライは眉間を押さえた。
少し考え、そして顔をあげる。
「深い意味があってしていることではない。
つまり、あれはわたしの趣味なんだよ」
「……なるほど」
肯定とも否定とも取れる曖昧な肯きかたをして、ローユンは諦めた。
他人を理解することは難しい。
「それから、もう一点訂正しておく。
月葉は潔癖なのではない、激しいシスコンなだけだ。
きみを嫌う主な理由もそこにある。
貴奈津に近付く男は全て、彼にとっては敵なんだよ」
「それは困る」
「あれは病気だね。
時間をかけて治していくしかないだろう。
だが、わたしとしてはその前に、手っとり早く異世界宮殿戦を片付けてしまいたい」
実状を知ってなお「手っとり早く片づける」と言うイーライ。
思わずローユンは笑みをこぼした。
「しかし、今のところ、これといった決め手がないのだ」
「苦労しているようだがね、ついては、わたしに一つ提案がある」
「聞かせてもらいたい」
「異世界宮殿へ向かう通過点に、神殿があるそうだね」
「よく知っているな、雪と氷の仮想空間だが」
「パイナップルの効果は絶大だからね。
そこにあるシステムを使うんだよ。
異世界宮殿のホログラフもあるそうだから、それを使ってシミュレーションを見せながら説明しよう。
納得してもらえると思う」
「わかった。
となると、レイを……」
「ニャハーッ」
一度聞いたら忘れたくとも忘れられない能天気な声に、イーライとローユンが同時に振り向く。
ローユンの部屋の天井に、レイがなぜかバンザイポーズで浮かんでいた。
テラスにいる二人を見つけ、一直線に飛んでくる。
急停止をかけると、バンザイしたままの両手をサッとローユンの前に振り下ろした。
「眞鳥にもらったんだ。
おまえにも一つ分けてやろうと思ってな。
どっちがいい?」
レイの両手には大福が一つずつ載っかっていた。
色はピンクと白。
どちらの色がいいかと 聞いているらしい。
「では、こちら……」
ピンクを指差しかけたローユンは、レイの顔に浮かんだ表情を見て、すっと方向を変えた。
「白いほうをもらおうか」
「いいとも」
ホッとして、白い大福をローユンに渡す。
ピンクのほうに執着があるなら、最初から白いほうを差し出せばいいと思うが、ローユンに対してだけはそうはしない。
誰も知らない深いわけが、たぶんレイにはあるのだった。
「おまえはいらないよな」
レイがチラリとイーライに視線を流す。
言葉は疑問形だが断定である。
イーライは無言で肯いた。
「……甘い」
一口食べてローユンが呟く。
甘すぎる、というのが本音であろう。
レイが持ってきてくれる食べものを、たいがいローユンは受け取るが、これは半ば義務感に支えられている。
おそらくかなりの努力をして、それでも二口めにかかる。
そんなローユンを、イーライは気の毒そうに眺めていた。




