67
家に帰り着いてみると、ローユンの言ったとおり、レイがベッドにひっくり返っていた。
しかも広い貴奈津のベッドのほうだ。
「この猫は、どうしてわたしのベッドに寝ているのよ」
見下ろして冷たく咎める。
普段のレイなら、ここで間髪を入れず反論してくるところだ。
しかし両手で頭を押さえ、レイは呻き続けていた。
「痛いよー、痛いよー」
これはただごとではない。
さすがに貴奈津も心配になる、ベッドに腰かけレイの顔を覗き込む。
「頭痛だったら、バファリン飲めば治るんじゃないの?」
「うー、人間の薬なんか効くもんかー」
「あ、喋った。
意識はしっかりしているのね」
貴奈津の傍らに立つローユンが肯く。
「その点は心配ない。
しかし、異世界宮殿のシールドが揺らいだときと連動しているようなのが気にかかる。
熱もかなりあるようだ」
「どれどれ」
額に手を当ててみたが、毛皮の上からではよくわからない。
「体温計で、はかってみようかしら」
「ばかものー、ボクの平熱も知らないくせにー」
口の悪さは相変わらずだが、声にはいつもの勢いがない。
「それも、そうか。
でも、どうしよう。
とりあえず、お医者さんに行ってみる?」
「人間の医者になにがわかる」
「獣医さんっていう手もあるわよ」
「ウガアアアア!」
レイは頭を抱えたまま、足をばたつかせた。
大声に貴奈津が驚く。
「どうしたの、レイ。
痛むのっ?」
そうではなかった。
レイは悔し涙をうかべていた。
「おまえなんか、おまえなんか、やっぱりボクのことなんか、どうでもいいと思っているんだー。
ボクは猫じゃないって言っているのに、ボクはおまえなんかより、ずっと複雑で高等な生きものなのにー。
ああっ、地球なんかに来るんじゃなかった。
誰もボクのことなんか、本気で心配してくれやしないんだ。
二度と故郷に帰ることもできずに、こんな辺境の星で、一人寂しく死んじゃうんだー」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、レイ。
わたし、レイのこと心配しているわよ、ほんとよ。
だから、だから死ぬなんて言わないでよ」
思わずレイのオーバーオールを掴み、貴奈津が必死で訴える。
いきなり真剣に心配になったらしかった。
声が上ずり、瞳が潤んでいる。
「頭が割れそうだ、もうだめだー」
ぶんぶんと首をふり、レイが身悶える。
「そんなことはない、きっとよくなるわよ、レイ」
瞬きすると、涙がこぼれた。
慌ててハンカチを取り出し涙を拭おうとして、貴奈津はハッと思いつく。
「そうだ!
レイ、パイナップルを食べたら治るかも」
レイの呻きが一瞬途切れる。
しかし、またすぐ苦しみ出す。
「今は食べたくない。
うーん、うーん、痛いよー」
貴奈津は愕然とした。
人一倍、いや十倍くらい食い意地の張ったレイが、好物を食べたくないというのは、よほどのことである。
「じゃ、じゃあね、レイ。
治ったら沖縄につれてってあげる。
だから、弱音をはかずにがんばるのよっ」
「沖縄がなんだっていうんだー」
「あのね、沖縄には、一面のパイナップル畑があるのよ」
「パ……イナップル畑?」
レイの呻きがピタリとやんだ。
さすがに興味を引かれるものがあったらしい。
効果に気をよくした貴奈津が、あおり立てる。
「そうよ、亜熱帯の眩い太陽の下、三百六十度延々と、地平線まで見渡す限り、どこ
までもどこまでも、パイナップルが植わっているのよ」
「……本当か?」
ウソに決まっている。
だが、貴奈津は調子に乗ってきた。
「それはもう、この世の極楽か桃源郷かというような、レイにとっては夢のような光景よ。
毎日十個ずつ一生食べ続けても、食べきれないパイナップルの山。
沖縄県のほぼ全面積パイナップル畑だといっても過言ではないわねっ」
大きく両腕を広げたポーズで、貴奈津が劇的に締め括る。
涙はとっくに乾いていた。
レイは口を半開きにして、しばらく身動きしなかった。
頭痛のせいではなく、くらくらする。
めくるめく一面のパイナップル畑、そんな素晴らしいものを見ずして死んでたまるか。
頭を押さえていた手をゆっくりと下ろし、レイはそっと口もとを拭った。
あやうく、涎がこぼれるところだった。
「ボク、治るかもしれない」
「ほんと?」
「うん、なんだか痛みがやわらいできた気がする」
口から出任せを言っているのではなかった。
原因不明の頭痛と高熱は、たしかに峠を越えたようで、ちょっとの間に、だいぶ楽になってきていた。
ベッドに両手をついてレイの顔を覗き込み、貴奈津は安堵の息を漏らした。
もともと笑った猫みたいな目をしているので、レイの顔にあまり表情はないのだが、苦しんでいたときとは明らかに違って、穏やかというか、間の抜けたというか、今レイはそんな顔つきになっている。
「ああ、よかったあ」
「だから貴奈津ぃ。
治ったら、ほんとに沖縄に連れて行ってくれよなー」
ふあふあ、と、あくびまじりに言う。
痛みが引くとともに、眠気が差してきたのだ。
「うん、約束するわよ。
明日の朝には、治っているといいわね」
コクンと肯いて、それきり貴奈津がぎゅっとレイの手を握りしめる。
レイは小さく、口を開かなかった。
たちまち眠りに落ちたらしく、安らかな寝息を立て始める。
「朝までついていてあげるからね」
貴奈津は手を伸ばし、レイのお腹まで毛布を引き上げてやった。
「レイを頼む」
静かな声を背後からかけられ、貴奈津は慌てて振り向いた。
視界を黒い影が流れる。
ローユンは今まで貴奈津とレイのやり取りを、ただ傍観していたのだ。
二人の会話は、ローユンが口を出すような内容ではなかったし、出しても意味はなかっただろう。
「はい、任しといて、ローユン」
ドアヘ向かうローユンに、きっぱりと貴奈津が肯く。
ローユンはドアを開くと、いったん立ち止まった。
振り返って、貴奈津に優しい微笑を向ける。
「きみを信頼しているよ」
という、声にならない言葉が、貴奈津には聞こえたと思った。
ブレスレットかネックレスか、微かに金属の触れ合う音を残し、ローユンは部屋を出ていった。




