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もうしばらくここにいる、と駄々を捏ねるレイを、無理矢理水陸両用小型飛行機に引きずりこみ、一行が帰京して二日目の朝である。
眞鳥家の家族専用食堂で、六人は揃って朝食を摂っていた。
眞鳥の前に貴奈津と月葉、貴奈津の隣にレイをはさんでローユン、月葉の隣はイーライの席になっている。
三脚しか置かれていなかった椅子が、今はレイが使う子供用の椅子まで含めて六脚に増えていた。
椅子の数が倍になったぶん、食器が触れ合う音も二倍になり、最近の家族食堂は、い つもけっこう賑やかだった。
「ニャハハハハ、貴奈津、今日はなにして遊ぼうか」
賑やかさの原因の、ほぼ八十パーセントは、この異世界猫のせいと思われる。
「なに言ってるのよ、毎日毎日遊ぶことばっかり。
わたし、今日は一人で出かけるわよ。
帰りは夜になるから、あんたに付き合ってあげられないわ」
「なにっ、どこへ行くんだ」
「世田谷のほう」
「遊びに行くんだ、ボクを置いてけぼりにして、自分だけ遊びに行くつもりなんだ。
そうだろうっ?」
そのとおりだが「はい、そうです」とは言いづらい。
「……ちょっと用があって」
言葉を濁してサラダを突く。
向かいの月葉が救援を送ってよこした。
「レイ、貴奈津にも色々と付き合いがあるからね。
いつも、レイと一緒にいるわけにはいかないよ」
「そうか、じゃあ、おまえが遊んでくれ」
「え、いや、ぼくも今日は困る。
センター・スクールの図書館で調べものが」
「なんでだ、スクールは今夏休みじゃないか」
そういうことだけは、レイは知っている。
貴奈津と月葉が籍を置く単位制スクールは、二ヶ月間の長い夏休みに入っていた。
「まあね。
だけどリポートを片付けておきたくてさ。
今日、資料を探してこないと、続きが書けない」
「資料なんか、そのスクールの図書館とやらのデータベースに接続して、引っぱり出せばいいんだ。
わざわざ出掛けていくことないぞ。
おまえの部屋にもパソコンがあったよな。
オモチャみたいなやつだけど、あれでもなんとかなるんだろう?」
「オモチャ?
あれでも、いちおう最新型なんだけどな。個人向けとしては最大容量、最速の……」
ウインナーソーセージを突き刺したフォークを、レイは月葉に向けて一振りした。
「待て、地球人とコンピュータの話をしてもしかたがない。
三葉虫相手に相対性理論の話をするのと、同じくらい無駄だもんな」
「ずいぶんな、例えだ」
「気にするな、ほんとのことなんだから。
とにかくだな、そういうことだから、月葉が出かける必要はないわけだよな」
「いや、直接文献をひっくり返したほうが、手っ取り早い場合もあるんでね。
やっぱり今日は図書館に行くよ」
三葉虫に例えられたのがこたえたか、レイに対する口調がどことなく冷たい。
「チェーッ、つまらない。
月葉はいつもスクールだもんな。
おまえ、そのスクールヘ行くの、なんとかならないのか?」
「と、いうと?」
「つまり……」
言いかけてレイは口をつぐんだ。
一度俯き、また顔を上げる。
その間に悪巧みをしたらしい。
ヒゲが片側だけ、ぴくついていた。
「つまりだ、よく聞け月葉。
いざというときに、おまえも貴奈津も、ボクの側にいなかったら困るわけだ。
なにしろ敵は凶悪な三姉妹で、これは地球の危機なのだな。
だから、このさいスクールがどうのこうのといっている状況ではないと、ボクは心から思うのだな」
「ようするに、スクールヘ行かずに、レイと一緒にいろと?」
「そう、そう。
宇宙の正義と平和を守るため」
レイは重々しく肯いたが、このように単純で露骨なワナにはまるほど無垢な地球人は、今朝の食堂にはいなかった。
まして月葉においては、である。
ところが、月葉はあごに手をあて、考えこんでしまった。
予想外の反応に、みんなが食事の手をとめ、食堂がいっとき静まり返る。
全員、会話をしっかり耳に入れていたのである。
ローユンとイーライは、月葉がなにを考えたのか興味をひかれた。
貴奈津は困惑の沈黙だった。
だがもしかすると、スクールをさぼる大義名分ができるかもしれない、という淡い期待もないことはない。
眞鳥が手をとめたのは、親として当然の心配をしたからである。
「ぼくは、二、三年ならスクールヘは行かなくてもいいよ」
飛び級をしている優等生らしからぬ言葉が、月葉の口から飛び出す。
「ほんとか?」
身を乗り出すレイに、月葉は軽く肯いた。
「まあね」
レイの策略にはまったわけではない。
そんなものにはまるようでは、今まで百回くらい悪徳商法に引っかかっているであろう。
月葉はキャッチセールスの勧誘員を殴り倒したことはあっても、引っかけられるような可愛い性格はしていなかった。
そんなことはともかく、実はレイの言い分は、月葉も以前から思案していたことなのだ。
異常事態が発生したとき、
「スクールで受講中なので、にわかには動きがとれません」
では、確かにまずい。
「ぼくはなんとでもなるからさ。
ただし、レイ。
ぼくが休むかわりに、貴奈津だけはスクールヘ行かせてやってもらいたい」
チン、と音をさせて、貴奈津がフォークを皿に落とす。
複雑な表情が顔に浮かんでいる。
月葉の心遣いが、嬉しくないことだけは確かだ。
「レイくん、わたしからも頼む。
月葉はともかく、貴奈津にスクールヘ行くなというのは無理があると思う」
ここまで黙って聞いていた眞鳥が、親の責任を果たそうとする。
「じゃあ、おまえがボクと遊んでくれるのか?」
「なにを言っとるのかね、レイくん。
わたしは大企業の会長なのだよ。
山積みの仕事を抱えていて、それどころではない」
「それどころとはなんだ。
仕事がそんなに大事なのか?
地球の危機を救うことより重要なことなのか?
考えてみればおまえ、いつも仕事に出かけちゃって、ボクと一緒にいた例しがないじゃないか。
ボクと遊びたくないんだな」
レイは指差して眞鳥を糾弾した。
自分でもなにを言っているのか、よくわかっていないのではないか。
激しく筋の通らないレイの三段論法だったが、しかし眞鳥は怯まない。
「一つ大切なことを忘れていないかね、レイくん。
軍隊というのは、盤石の後方支援があってこそ、成り立つものなのだよ」
「それがどうした」
「わたしはきみに、こうして朝食やアイスクリーム、ときにはパイナップルを提供しておる。
そのためには仕事に出かけて、収入を得なければならない。
会社がわたしの戦場なのだよ」
言いながら椅子をずらして立ち上がる。
「と、いうわけだ。
では諸君、ごきげんよう」
そそくさと眞鳥はドアヘ向かい、呼び止める隙も与えず出ていった。
行ってらっしゃい、と貴奈津のかけた声が聞こえたかどうか。
閉じたドアから目を戻し、貴奈津がフォークを取りあげる。
目玉焼きを片付けようと思ったのだが、皿を見て愕然とする。
「あれっ?」
半分残っていたはずの目玉焼きが、消え失せていた。
すぐに悟って隣を睨む。
レイが上目遣いで貴奈津を伺っており、その口もとから目玉焼きの白身がはみ出していた。
「あっ、なにするのよ、この猫は!
返して、わたしの目玉焼き!」
貴奈津がレイの両頬を掴み、左右に引っぱる。
しかし、一度口に入れたものは自分のもの。
「ヤ、ヤヘロ、キハフ」
とか、もごもご言うレイの口の中へ、目玉焼きの端っこは吸いこまれていった。
モグモグモグ、ごっくん。
「ひっどーい。
ちょっと目をはなすとこれだもの。
油断も隙もないわね、あんたって」
いまさら返してはもらえないだろう、口に入った時点でそうなのだが、貴奈津はさすがに諦めた。
レイが一息入れてから弁解する。
「半分だけ残してあったから、もう食べないと思ったんだ」
「あとで食べようと思ったのよ」
「貴奈津、わたしのぶんをあげようか」
イーライが笑って自分の皿を指さしていた。手つかずの目玉焼きが残っている。
「え、とんでもない」
慌てて手を振りながら貴奈津は、残った片手でレイの口を抑えた。
「いらないのならボクにくれ」
と、レイが言いかけたからである。
食い意地の張ったレイが、自分のことのように恥ずかしい。
「そう? では自分で片付けるとしよう」
イーライは皿を手元に引き寄せた。
そして、チラリと隣を窺う。
月葉はもくもくとスープを口へ運んでいた。
いやに熱心にスープ皿を見つめ、周囲の会話にはまるで関心を示していない、かのように見えるが、そうではなかった。
たった今まで、月葉はにこやかに貴奈津とレイのじゃれあいを眺めていたのだ。
しかし今の横顔は、冷たいくらいの無表情を保っている。
イーライが口を開いたときからだ。
月葉は可能な限り、イーライとは関わりたくないのである。
そんな月葉を見ながら、イーライの口もとが薄く綻ぶ。
なにかろくでもないことを考えたときの、だがそれでも優しげな、イーライの笑みだった。
さりげなく食器の音を立てながら、イーライは素晴らしく何気ない口調を粧った。
「塩を取ってもらえないかな、月葉」
ほら、そこにある 、と手ぶりも交える。
塩の入った小ビンは、月葉の斜め前に置かれていた。
指がピクリと動き、月葉はスプーンを運ぶ手を止めた。
返事はしなかったが、スプーンを皿に置き、塩の小ビンに手を伸ばす。
イーライの頼みに応じた、あたりまえの行動に見えるのであるが、月葉の心中では葛藤があった。
いやなのだった。
月葉はイーライと接触を持ちたくなかった。
じつは、隣の席にかけるのもいやなのである。
まったく落ちつかない気分になるのだ。
とはいえ、食堂の席順を変えてくれとか、イーライはここで食べるなとか、いまさら声高に叫ぶことはできなかった。
イーライに弱みを見せることになるし、痛くもない腹……いや、じつは痛いのだ……を探られるのは耐えられない。
しかも塩の小ビン如きでイーライを無視すれば、貴奈津やローユンの目には、あまりにも大人げないと映るだろう。
それは、まずい。
イーライに対する過剰反応を、他の人間に気付かれたくなかった。
小ビンを取り上げるまでのわずかな間に、月葉はそんなことを考えていた。
月葉は視線をあわせないようにして、小ビンを持った手を隣へ向けた。
イーライがそれを受け取る。
「ありがとう」
イーライが礼を言うのと、月葉が椅子ごとはじかれたように身を引いたのが同時だっだ。
テーブル上を滑った腕が、食器を押し退ける。
皿が鳴ってカップが倒れた。
身を強張らせている月葉を、呆気にとられて貴奈津が見る。
レイは自分のミルクカップを、両手で宙に掲げていた。
こうしておけば、テーブルが揺れてもミルクはこぼれない。
月葉とイーライが、またケンカを始めるのではないかと、レイは危惧したのである。
だが、そうはならなかった。
我に返った月葉が素早く立ち上がり、わき目もくれずにドアへ向かう。
勢いよくドアを閉めて、月葉はバタバタと出ていってしまった。
塩の小ビンを玩びながら、イーライは会心の笑みを浮かべた。
月葉にとっては悪趣味な嫌がらせとしか思えまいが、イーライは一日一度は月葉をからかってやろうと決めていた。
決めるなら、もう少しましなことにしたらどうか、と思うが、とにかく、それがうまくいったのだ。
小ビンを受け取るついでにイーライは、月葉の手をしっかりと握ってやったのである。
予想通りの月葉の過激な拒否反応に、イーライはすっかり喜んでいた。
「……なに、あれ」
閉じたドアに顔を向けたまま、貴奈津が呆れて呟く。
イーライの悪戯を、貴奈津は知らない。
「急ぎの用でも思い出したのじゃないかな。
さてと、月葉が出かけるようなので、わたしもあとを追うとしよう」
澄ましてイーライが腰を上げる。
「イーライって、まだ月葉のガードについているの?」
「もちろん。
契約は今だ有効で、わたしはちゃんと報酬も受けているんだよ」
状況がどう変わろうと、ビジネスはビジネスである。
といえば聞こえがよいが、イーライは月葉に張り付いて遊んでいるだけだ。
「ふーん、そうだったの」
イーライの移動を目で追いながら、貴奈津が曖昧に肯く。
ドアの前でイーライは振り合えり、
「よかったらレイ、目玉焼きを食べておいてくれないかな」
と言った。
「おまえは良いヤツだ」
と喜ぶレイに片手を上げて応え、イーライがドアを開く。
出ていこうとして立ち止まり、上着のポケットに手を入れる。
「ローユン」
振り向きざまイーライがなにかを放った。
金属光沢を引いたそれは、ジャラ、と音を立ててローユンの手に収まった。
ローユンが受けとった物が車のキーだと貴奈津にわかったとき、イーライの姿はすでに消えていた。
レイはテーブルの上を飛び越えて行き、イーライの残した目玉焼きにフォークを突き刺した。




