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眞鳥家の別荘の明かりが、暗い木々の向こうにわずかに望める。
近隣に光は他になく、澄んだ空気の中、満天の星が冴え渡っていた。
直径三メートル、高さ三十メートルを優に超えるナラの巨木の上にローユンはいた。
水平に張り出した太い枝に乗り、幹に背をもたれかけている。
美しい横顔としなやかな肢体が、夜空にシルエットを浮かび上がらせ、絵になる光景であったが、すぐそばにある巨大イチゴ大福二つ重ね状シルエットが、構図をだいなしにしていた。
「ニャハッ」
オーバーオールの胸当ての下から、レイは透明フィルムで包装された大きなサブレを取り出した。
「見てくれ、ローユン。
ボクの形のクッキーだ」
両手でフィルムの端を持ち、見せびらかす。
丸々とした猫型のサブレに、目や口、ヒゲが色付きの小麦粉で描いてある。
「鳩サブレというのは聞いたことがあるが、猫サブレというのは珍しい」
ほとんど意味のない感想をのべるが、哲学でも論じているように見えるのがローユンの可笑しなところだ。
「だろう?
これはドアを開けてやったお礼に、貴奈津から貰ったんだ。
ここで食べようと思って持ってきた」
サブレが割れないように、細心の注意をはらいながら、レイは透明フィルムを剥がしにかかった。
上手に取り出して、ニンマリする。
舌舐めずりをしてから、レイはっと顔をあげた。
「おまえも食べる?」
飢えていたとき、食べ物をもらった恩でも過去にあるのか、レイはローユンにだけは必ずこう聞く。
しかし訊ねるとき、少し情けない顔をするのが未練がましい。
「いや、いい」
笑って答えるローユンを見て、明らかにレイはホッとしていた。
「よーし、それじゃ、どこから食べようかな。
顔は残しておきたいような気もするし、足かな、それとも手から食べようかな。
でも食べるの、かわいそうな感じもするな」
口をつけようとしてはためらい、難しい顔でサブレを見ては、首を捻ったりしている。
そのレイの頭上を通して、ローユンは星空を眺めた。
別荘に来てから見つけたこの場所が、ローユンはたいへん気に入っていた。
特に夜がいい。
街の明かりに邪魔されて、東京では見えない星までよく見える。
こぼれ落ちんばかりの圧倒的な数の星々、これが本当の宇宙空なのだ。
「星座の形はほとんど変わっていない。
あれから一万八千年の時を距ててさえ」
ローユンの呟きをとらえて、レイが顔を上げる。
猫サブレは頭からかじられていた。
「一万八千年なんて、宇宙時間からしたら一瞬だからな」
「砂漠で仰いだ同じ夜空を、今また目にできるというのは、なんとなく嬉しいものだ」
「うん、昔のことを思い出すよな」
「休眠状態だったので、それほど昔という実感はないが、一万八千年の過去か、遠いな」
「だけど、昨日のことのように憶えているぞ、ボクは。
みんなで砂漢のオアシスでキャンプしたときとか」
「キャンプ……?」
ローユンにはそんな記憶はなかった。
「ほら、いくつか隊商が一緒にいて、ラクダに乗ったり、商人たちと夜中まで騒いだりして」
「ああ」
思い出した。
オアシスの周りを、魔獣が取り囲んでいたのだ。
放っておけば隊商が全滅させられるのは目に見えていたので、朝を待って掃討作戦を開始したのだった。
商人たちが夜更けまで賑やかだったのは、恐怖を紛らわすためだったろう。
「キャンプといえば聞こえはいいが、レイ。
あれは、ただの野宿というのが正解だ」
「そうかなあ。
でもバーベキューしたりして」
「あの場では、ほかに料理法がなかった」
「だって、楽しかったじゃないか」
「楽しい……か。それは」
前後をきれいにすっ飛ばせば、そういう見方もできるかもしれない。
戦いはつらい、厳しい。
それを除けば、確かに楽しいといえる日常だってあったのだ。
「だから、いいじゃないか。
ボクは楽しかったし、毎日が幸せだった。
だって、おまえたちと一緒だったもんな」
サブレを食べ終えたせいかどうか、心から満足そうに言うレイを、ローユンはにっこり笑って手まねきした。
誘われて漂ってきたレイを捕まえる。
「ニャハッ」
レイは人間にくっついているのが好きである。
ローユンが抱いて頭を撫でてやると、うっとりとローユンにもたれかかった。
「レイは、良いことだけ憶えているんだな」
声が笑いを含むのは、からかっているのではなく、終始、楽天的な異世界猫を、大変愛すべき生き物だと思ったからに他ならない。
「おまえは楽しくなかったのか?」
「そうだな、いや、めったにない幸福な時間だったのかもしれないと、今は思える」
「あーあ、みんなが今もいたらなあ」
「わたしがいる」
「うん」
「それに、貴奈津もいるだろう」
「あんなヤツはどうでもいいんだ、あんなヤツは」
抑えた笑いをローユンが漏らす。
一度上げた顔を、レイはまた戻した。
「だけど、なんとか三姉妹と決着をつけたいな」
「それは、私も同じことだ」
「シールドに閉じこめておくだけじゃ、根本的な解決にはならないからな」
口には出さなかったが、レイは切実に故郷の星の助力が欲しかった。
ローユンたちの能力を当てにしていないという意味ではない。
地球人の異能力者は、三姉妹に勝てるかもしれない。
しかし、相討ちの危険も充分あったし、悪くすれば完敗することもありえた。
レイはもう誰一人として、仲間を失いたくはなかったのである。
しかし、レイの故郷は違う宇宙にある。
レイのほうから連絡を取ることはできない。
あとは向こうからのコンククトを待つだけだが、一万八千年を経て音沙汰のないものを、今さらレイは当てにしていなかった。
「きっともう、ボクのことなんか忘れちゃったんだ」
恨みごとが、つい口をつく。
ローユンが抱いた腕に力を込めた。
呟きを耳にして、レイの気持ちを察したらしい。
「レイ、いつかきみの故郷に帰れるといいな」
「そんなこと、もう考えていないよ。
ローユンがいるから平気だよ」
レイは短い手を精いっぱい伸ばして、しっかりとローユンにしがみついた。




