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月葉は部屋から眞鳥を追い出し、頭から毛布をかぶってベッドに突っ伏していた。
「うそだろう、誰かうそだと言ってくれ」.
毛布の中で、ぶつぶつと一人言をつぶやく。
人様が見たら、かなりあぶない症状であろう。
さっきの恐怖が、まだ心の隅にわだかまっていた。
イーライが怖かったのではない。
月葉は自分自身に恐怖したのだ。
今だかつて経験のない感情が突然、意識下から現れた。
「この人が好きだ」
と、確かに心のどこかで思う自分がいた。
「そんなはずはない、絶対に!」
激烈な二律背反に製われる。
人格のゲシュタルト崩壊を引き起こしかねないと思うほどの、それは月葉にとって衝撃だったのである。
ドン、ドン、ドン!
力一杯ドアが叩かれた。
「うー、ほっといてくれないかなあ」
月葉は毛布をかぶったまま動かない。
ドン、ドン! ともう一度ドアが叩かれ、
「入るわよ、月葉」
と叫ぶ声が聞こえた。
「貴奈津か。
でも入れないよ、鍵がかかっている」
言っても聞こえるはずはないが、月葉は呟く。
カチャリ、と鍵の外れる音が聞こえた。
「えっ?」
毛布をはぎ取り振り向くと、にんまり笑ったレイが、ドアの前に浮かんで手を振っていた。
「しまった!」
ベッドを飛び下りたが、もう遅い。
レイが消えるのと入れ替わりに、貴奈津がドアを開いていた。
諦めるしかなかった。
月葉はすごすごとベッドにもどり、腰をおろした。
隣へ貴奈津が腰かける。
「フフーン、異世界猫もたまには役に立つってことね。
ところで月葉、またイーライとケンカしたんですって?」
「え?
ちが……いや、いい、そういうことにしておく」
「なによ、それ。
はっきりしないわね」
「世の中、はっきりさせないほうがいいこともあるんだよ」
「いやみな言いかた」
「ごめん」
俯き、膝を抱え込む。
目を伏せてしまった月葉を、貴奈津は隣から覗き込んだ。
その目が月葉の足もとに落ちる。
貴奈津がキラリと目を光らせた。
「うわっ」
月葉は見事に背中からベッドに転がった。
貴奈津が足首を掴んで、ひっくり返したのだ。
「いきなり、なにをするんだ」
飛び起きて月葉が抗議する。
「あはははは」
「ははは、じゃないだろう。
人が落ちこんでいるっていうのに」
「元気出た?」
「出たよ、出ました、おかげさまで!」
「怒らない、怒らない。
ま、そういうことね。
なにがあったか知らないけど、いつまでもくよくよしないことよ」
ねっ! と言って月葉の背中を叩く。
「そう、簡単にいくもんか」
指を組んで、月葉はうな垂れた。
今度はひっくり返されないように、足はベッドの下へおろしている。
深々と溜め息を漏らしたのは、同情を引くためだ。
「なんだ、ぜんぜん元気出てないじゃない。
困ったわ。でも月葉が落ち込むなんて、めずらしわね」
「うん、まあ」
貴奈津はそう思うだろうな、と口の中で月葉は呟く。
性格は過激で頭脳優秀、なおかつ眉目秀麗の月葉ではあるが、人並みに落ち込むことだってないわけではない。
人は些細な事で悩むものだから。
ただ月葉はそれを表に出したくはなかった。
なにがあっても、一人超然としていたい。
それが月葉の美意識であり自尊心なのだ。
ムフフフ、と貴奈津が笑う。
「だけど、落ち込んでいる月葉って、可愛いかも」
「そう?」
「んー、可愛い、可愛い」
貴奈津の手が小さい子供にするように、俯いた月葉の頭をなでなでする。
黙ってされるがままになり、
「あ、ちょっと嬉しい」
などと月葉は思い、
「だめだ、いけない。
可愛いと言われるようじゃだめなんだ」
と、内心で情け無い葛藤をする。
「あのね、貴奈津。
ぼくはもう子供じゃないんだからさ、可愛いって言うのやめなよ」
葛藤の勝負が付いたようだ。
決して邪険に思われないように注意しながら、貴奈津の手を払い除ける。
「どうして可愛い弟を、可愛いって言っちゃいけないのよ」
「もっと、ほかの言いかたがあるだろう」
「きれいな月葉ちゃん」
「なんだよ、その「月葉ちゃん」ていうのは。
怒るよ」
「じゃあ、どう言えばいいのよぉ」
貴奈津が口を尖らす。
「そうだな、例えば……凜々しい、とか」
「アハハハ、凜々しいっていうのは、ローユンみたいな人のことじゃない?」
貴奈津に悪気はない、とわかってはいたが、ピシリと月葉の心にひびが入った。
テラスでの光景が、怒りと共によみがえる。
「貴奈津!」
いきなり両肩を掴まれて、貴奈津が狼狽える。
なにか、まずいことを言ってしまったのだろうか。
「な、なによ」
「貴奈津はローユンが好きなわけ?.」
「ゲゲッ」
「ローユンとぼくと、どっちが好き?」
言ってから、物凄く危ないことを聞いてしまったと月葉は後悔したが、口に出してし まったものは取り返しがつかない。
せめて、嘘でもいいから即座に、
「月葉のほうが断然好き よ。あたりまえじゃない」
と貴奈津に明るく言って欲しかった。
だが貴奈津は、難しい顔をして黙りこんでしまったのである。




