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「……」
「……」
久し振りだな、と言われても、貴奈津には憶えがない。
ヌイグルミの猫に知り合いはいなかった。
月葉にしても、同じことだ。
二人は一度チラリと目をあわせ、また猫に目を戻した。
二人の面に浮かぶ困惑を見て、猫は明らかにガッカリしたようだった。
「おまえたち、ボクを憶えていないのか?
一万八千年ぶりに、やっとまた会えたというのに。
友達がいのないやつらだ」.
「ヌイグルミの猫に、そんなこと言われる覚えはないと思うわよ」
猫の耳がピッと立った。
「ボクはヌイグルミなんかじゃないっ!」
「じゃ、ただのブタ猫?」
「言葉を喋る猫がどこにいるかっ!」
叫びながら、猫はいきなり貴奈津に飛びかかった。
たぶん怒っているのであろう。
しかし完壁な運動神経で貴奈津にひらりと身をかわされ、
バンッ! と音をたててクローゼットの扉にぶつかってしまう。
壁に投げつけられた大福モチみたいに、短い両手両足を広げて二秒ほど扉に張り付いていたが、やがてズルズルとズリ下がっていき、ついにべたりと床に落ちた。
どうやら本物の猫ほど運動神経はよくないようだ。
猫はくるりと後ろをふり向き、悔しそうに貴奈津を睨んだ。
「おまえなー」
しかし、笑い目なので迫力が全然ない。
口の端がひきつっているだけだ。
貴奈津が勝ち誇る。
「アハハハハ!
わたしに飛びかかろうなんて十年早いわっ」
冷静にその光景を観察していた月葉の脳襄に、フッと既視感がよぎった。
このおかしな猫は、いつもこんなふうに貴奈津とケンカばかりしていたような気がするーという、あるはずのない記憶がよみがえったのだ。
この猫、なんという名前だっただろうか。
「きみ……」
月葉は床の猫に話しかけた。
「ん?」
と猫がこちらを向く。
その仕草に月葉の既視感が、いっそう強まる。
「きみ、なんていう名前だったかな?」
「おお!」
猫の顔に喜色が広がる。
ヒゲが嬉しそうにプルプル震えた。
「さすがスゥーディだ、おまえはやっぱり憶えていてくれたか!
元からスゥーディは優しかったもんな。
そのへんがナーディとはえらい違いだ」
貴奈津が片方の眉をはねあげた。
猫の言うナーディとかスゥーディなどというのはよくわからないのだが、どうやら自分が悪口を言われているらしいことはわかる。
「レイだ。
ボクの名前はレイというんだ」
すかさず貴奈津が憎まれ口をきく。
「ふーん、ぶさいくなわりに、名前だけは可愛いじゃないの」
「おまえは黙ってろ」
ピッと貴奈津を指差して、レイは偉そうに言った。
そして月葉に向き直ると、ピョーンと飛び上がった。
巨大なイチゴ大福のような体形のくせに、体重を感じさせない動きである。
ひっしと月葉の胸にしがみつく。
攻撃されるふうでもないので、月葉も身をかわしたりせずレイを両手で抱きとめた。
それが嬉しかったのか、レイは本物の猫のように月葉の胸にスリスリした。
月葉は男の子だから、それは別にに構うまい。
「あ……」
しかし、そのスリスリが、月葉にまた新たな既視感をもたらした。
触感によって呼び覚まされる記憶もある。
「貴奈津」
「なに?」
「貴奈津も触ってみなよ。
なんていうのかな、この感じ。
なにか思い出しそうな気がするんだ」
「え……うん」
あまり気はすすまなかったが、貴奈津はレイの体に手をのばした。
ムニュムニュ。
ムニュムニュ。
レイの毛皮に覆われた体は、あたたかくて柔らかかった。
少なくともヌイグルミではなく、生き物であることは間違いない。
レイは文句も言わず、されるがままになっていた。
ムニュムニュされるのが気持ちいいのかも知れない。
レイが抵抗しないので貴奈津は図に乗った。
面白がって足の裏をくすぐる。
耳を引っ張る。
尻尾も引っ張ろうかと思ったが、見当たらなかった。
顔をムニュムニュと変形させ、ついでにヒゲをつかんで引っ張った時、さすがにレイが声を上げた。
「いいかげんにしろ!
ボクはオモチャじゃなーい!」
「ハハハハハ」
貴奈津の笑い声に、インターホンの呼び出し音がかぶった。




