59
イーライのベッドに寝かされ、月葉は天井を見上げていた。
意識はしっかりしているが、 手足の先がまだ痺れている。
同じベッドに腰かけて、イーライが月葉の顔を覗き込んだ。
「強力すぎたかな。
ちょっと手を動かしてごらん」
ベッドに置かれた手を取ると、月葉がそれを振り払った。
「触るな!」
「あ、それだけ動けば大丈夫。
あと二、三十分というところかな、もとに戻るまでね」
「一般市民に麻痺銃を使うなんて犯罪行為だ。
監督局に密告して、ライセンスを取り上げてやろうか」
「貴奈津に知られてもいいの?
二度も麻痺銃で失神させられたと」
「あなたのそういう嫌みなところが、ぼくは大っきらいなんだ」
「わたしは好きだけれどね、きみが」
「……少し黙っていてくれ」
時機を逸して、月葉の怒りはだいぶ治まっていたが、おとなしくベッドに寝ているのはイーライが見張っているからである。
痺れが完全に取れないうちは、イーライに抵抗しても勝ち目はないと判断したのだ。
それどころか、じたばたすると、今度はなにをされるかわからない。
今イーライは徴笑んでいるだけだが、やるときは、どんなあぶないことでもやるのではないかと月葉は警戒していた。
「とにかく、月葉。
さっきから何度も言うように、ローユンのことは誤解だからね。
そのへん、ちゃんとわかったの?」
黙っていろと言われて、黙っているようなイーライではない。
「うるさいな、わかったよ。
だけど……」
「やっぱり許せない?.」
「……」
「困ったね。
きみは重度のシスコンだな」
はね起きようとした月葉を、イーライがなんなくペッドに押しもどす。
「手をどけろ」
月葉の胸を、イーライが抑えつけていた。
「まあ、黙って聞きなさい。
年長者の意見は聞くものだよ」
「相手による」
「ごもっとも。
しかし、わたしの意見は聞く価値があると思うがね」.
「思わない」
「可愛くないな。
どうしてやろうか」
「なにかしたら、あとで最低、倍にして返してやるからな。
おぼえてろ」
睨み付ける月葉を、少なくとも外見は涼しい顔でイーライは見ていたが、つと視線をはずすと、ついでに抑え付けていた手も放した。
「怖いから、月葉をいじめるのはやめておくよ。
しかし、いいかげんに貴奈津から自立しなさい。
いつまでも姉さんに心を囚われているのは、精神衛生上よろしくない。
それは、きみにとっても不幸なことだ」
「ばかばかしい、そんなんじゃない」
「貴奈津にとっては、迷惑なだけかもしれないね」
痛いところをつかれて、月葉は顔を背けた。
言われるまでもない。
考えまいとしていながら、それはいつも、月葉の心に引っかかっている点だった。
「だとしても、あなたには関係ないじゃないか」
「それが、そうもいかなくて」
イーライは眉を寄せ、天井を仰いで髪を掻き上げた。
こんなヤツにも、なにか悩みがあるのだろうか、と月葉は思う。
顔を戻してイーライが、月葉の瞳を覗き込む。
イーライの目が、ほんの少し細められた。
「正直に言ってしまうよ、月葉。
それがきみのためだから。
きみは貴奈津を他の誰かに取られたくないんだよね。
いつまでも自分の側にいて欲しいんだ。
貴奈津は良い子だ、だからきみの気持ちもわからないではないが」
「な、なにを言って……」
血の気が引いているのか、それとも血が上っているという状態なのか、月葉にはそれすら判断が付かなかった。
「しかし、絶対に無理だね。
貴奈津のことは諦めなさい」
「あなたはどうして、よけいなことにまで口を挟むんだ!
ぼくのことに、構わないでくれ!」
わめく月葉から、イーライは目を外した。
ついで腕を組み、まじめな顔でなにやら考えはじめるが、どうせ、ろくなことではあるまいと思われる。
「やはり正攻法で諭してもだめか。
月葉は屈折しているからね。
と、なると、残るのはあの手しかないな」
ぶつぶつと呟くが、これは月葉に聞かせるためだろう。
イーライはポンと手を打った。
いきなり口調が軽くなる。
「だから月葉、きみが姉さん離れをするために、わたしも微力をつくしたい」
「……は?」
「一番よいのは、他に相手を探すことだね。
しかし、これが意外と難しい。
とくにきみのようなタイプはね。
きみは見た目がきれいで冷たいから、普通の女の子には付き合いづらい。
そのうえ、好きでもない相手に優しくできるほど、きみは器用ではないね」
この男は、いったいなにを言わんとしているのだろう。
月葉は疑問と、それに少しばかり興味もひかれて、話し続けるイーライを見ていた。
「だから、月葉。
手始めに、わたしを恋人にするというのはどう?
きみが大人になって、本当の恋をするための第一歩だと思って。
もちろんわたしに飽きたら、別れてあげるよ。
まあ、心から好きになる人が現れるまで、相手を取っかえ引っかえしていけばいいんだよ」
倫理観も道徳観もあったものではない。
PTAには聞かせられない。
「なぜ、そうなる……」
色んな感情に襲われたあとだったためか、月葉はほとんど虚脱していた。
ベッドから起き上がる気力も失せている。
この男、いったいどこまで本気なんだ。
どうも本心とは遠いような気もするが、もしかすると全て本音ということも考えられた。
だとすると、とんでもない男のような気がする。
「よい考えだろう?」
いつのまにかイーライが真上から覗き込んでおり、月葉はぎくりと我にかえった。
「どこがっ!」
怒鳴って月葉は、密かに手の指を動かしてみた。
しびれはもう感じない。
これならいけそうだと思ったとき、イーライが月葉の両腕を抑え付けた。
肘の神経系に痺れが走る。
その辺はさすがにプロである。
月葉の反撃を警戒してのことだろうが、ほかに意図があるのかもしれない。
「きみの悩みを取り除いてあげたくて」
月葉は絶対に信じないだろうが、じつはこれはイーライの本心である。
ただしほんの一部だけ。
「よけいなお世話だ、ほっといてくれ」
「そう言うと思ったけれどね。でも、放ってはおけない。
わたしはきみが気に入っている」
「ぼくは、あなたが大きらいだと言っただろう」
「このさい、多少のことには目を瞑りなさい」
「多少ですむか!
手をはなせ、イーライ」
月葉は歯がみしていた。
どうやっても腕が動かせない。
「いいじゃないの、月葉」
「なにもよくない、勝手に決めるな!
聞いているのか、イーライ!」
叫き立てるのは、月葉が追い詰められている証拠である。
後退りすらできない。
イーライがいやに真剣な目で、月葉を見下ろしていた。
その口もとが、薄く笑いの形に開かれる。
しかし、いつものような明るく優しい徴笑とは、明らかに種類の違う笑みだと、月葉には思えた。
イーライがどこまで本気なのか、月葉にはわからない。
このような場面状況でのキャリアに差がありすぎたし、なにしろ、体勢が圧倒的に不利だった。
「イーライ、手をはなさないと異能力を使うぞ」
最後の脅しだ。
片手だけ、イーライが離したが、月葉は腕を動かすことができなかった。
手を放す寸前、イーライの指が関節に食いこみ、神経を麻痺させていた。
その手の技能には長けているイーライである。
やはり、けっこうあぶないヤツかもしれない。
「可愛いね、月葉」
今まで聞いたことのない種類の声に、月葉はぞくりと肌を泡立てた。
イーライの声が優しく囁いて、甘い。
このようなテクニックにも、なぜかイーライはことかかない。
あまりロクな技ではないが。
顔から血の気が失せるのが、今度ははっきり月葉はわかった。
「異能力を使うしかないかもしれない。
でも死なせたら、少しまずい」
少しどころの騒ぎではないと思うが、危ないことを本気で考えはじめたとき、イズマ イルの手が、月葉の腕をのぼってきた。
肩を離れた指が、月葉のアゴにかかった。
「!」
建物を揺るがすのではないか、とも思える絶叫が響き渡った。
まぎれもない、恐怖の悲鳴だった。
「あれほど、過激な反応を示すとは思わなかったね」
ベッドの上でひとり座り込み、イーライは髪を掻き上げていた。
悲鳴に怯んだすきに、 月葉には脱走されていた。
開け放されたドアに目をやり、溜め息をつく。
「気の毒なことをしたかな」
そう呟いた口から、すぐに忍び笑いが漏れてくる。
「しかしじつに、からかい甲斐があるねえ」
反省とか自己批判とかには、てんで縁のないイーライなのである。




