57
湖に面したテラスで、ローユンは器用に手摺りの上に座り、片膝を抱えていた。
心地よいそよ風を受けながら、一人考えごとでもしているのか、深い海の色をした瞳はなにも映してはいない。
なぜか静かな別荘の昼下がりだった。
それもそのはずで、五人の人間が各自バラバラになっていた。
これでは、話し声のするはずもない。
貴奈津は自分に割り当てられた寝室にこもっている。
宇宙艇から降りてすぐ、一目散に走り込んだのだ。
バーチャル・リアリティから引き戻されたとき、カプラーに沈んだまま現実でも涙に濡れていたのが、いきなり照れくさくなったためらしい。
月葉は悩み事を抱え込んだ顔つきで、一人散歩に出ていった。
貴奈津たちと入れ替わりに、眞鳥とイーライも宇宙艇に乗り込んだが、やはり二人ともバーチャル・リアリティに嵌められたようだった。
出てきた眞鳥は、なにごとかブツブツ呟きながら、部屋へこもってしまい、イーライは思い出したように、居間で小型拳銃の分解掃除を始めた。
手を動かしながら、時々、
「ああ……」
などともらしているのは、仮想現実世界でよほどの目にあわされたためだろう。
避暑地の別荘に、イーライは護身用小型拳銃はともかく、彼の言うところの地上最強のハンドガン・チャリオットまで持ち込んできていた。
一種の職業病といえるかもしれない。
そんなわけで眞鳥家の別荘周辺では、小鳥の囀る声と、風が梢をわたっていく音しか聞こえない。
ローユンの瞳に焦点が戻った。
視線がテラスの斜め下方に向けられる。
木立の間に吊られたハンモックで、レイが寝息をたてていた。
だから、よけい静かだったのだ。
心地よさそうなレイを見て、ローユンの表情が和む。
能天気な異世界猫は、そのことだけでも存在価値があるといえた。
レイのヒゲがぴくぴくと震える。
どうやらお目覚めのようだ。
ハンモックを揺らし大きく伸びをして、次にプルルと首を振り、それからテラスのローユンを見上げて、
「やあ!」
と言った。
レイがそのままテラスヘやってくるかとローユンは思ったが、そうはしない。
ふわりと建物の後ろへ飛んでいってしまう。
レイの消えた方向に目をやり、ローユンはその後の展開に問き耳をたてた。
予想通り、レイが窓の外で叫ぶのが聞こえてくる。
「貴奈津ぃ貴奈津ぃ、午後のアイスミルクを一緒にどうだっ?」
「うるさいわね。
乙女が物思いに沈んでいるときは、そっと静かにしておくものよ。
どうして、あんたってそんなに礼儀知らずなの」
窓が開け放たれているので、貴奈津の声もテラスまで聞こえる。
「ミルクをくれたら、静かになるんじゃないかな。
ことわざにもあるだろう、衣食足りて鰹節を削る」
「あんたに礼節を説いたわたしがバカだったわ。
一生、鰹節を削っていなさいっ」
「……違ったかな?
まあいい、とにかくミルクを飲もう」
「飲みたいのはあんただけでしょう。
冷蔵庫にパックがあるから、一人で飲めば」
「それじゃ、つまらないじゃないか。
な、いっしょに飲もう」
「うーん、しかたない、つきあってあげようかな」
「よし、それじゃ、ちゃんとグラスに入れて、あ、ストローを忘れるなよ。
ストローで飲むのがおいしいんだ。
テラスで待っているからな、早く持ってくるんだぞ」
「なまいきっ!
あんた、自分を何様だと思ってるのっ」
貴奈津が怒鳴り終えるより先に、レイはテラスヘ飛び出してきていた。
「ニャハハハハ」
飛んできて、ローユンの肩をバシバシと叩く。
とりあえずされるがままになっていた。
おそらく、たいした意味はないと思ったのだ。
「また明日も、バーチャル・リアリティで戦闘訓練、やろうか?」
レイも手すりに腰をおろす。
ローユンは黙って首を振った。
「なんで?」
「貴奈津たちがやりたいというなら、やらせればいいと思う。
しかし、わたしは二度とごめんだ」
「なんで?」
アクセントを変えて、同じ言葉で訊ねる。
「あのプログラムはきつすぎる」
「でも、うまくいっただろう。
おまえはちょっと、ケガをしちゃったけどな。
痛かったか?」
「拷問に近い」
「そんなふうには見えなかったけどな。
貴奈津はギャアギャア騒ぐし、月葉もちょっとは悲鳴も上げるけど、おまえとかイーライは、ほとんど声も出さないじゃないか。
痛いの平気なんだろう?」
痛みがあれば、じたばたと騒ぐのが当然だとレイは思っている。
「違うんだよ、レイ」
「ふーん」
わかっていない。
おそらく説明してもわからない。
ということは、イーライもずいぶんと酷い扱いを受けたことになる。
ローユンはその点に思い至り、居間のほうへ目を向けた。
居間とテラスは続いているから、広いガラス窓を通して、イーライがテーブルに向かっているのが見える。
分解掃除も終わったようで、弾倉に弾丸を詰めている。
わざわざこんなところに来てまでやる必要のないことだが、馴染んだ仕事道具に逃避したくなったのだろう。
気の毒に。
ローユンはイーライに同情した。
「ときに、レイ。
貴奈津がナーディの記憶を取り戻しているとは知らなかったが」
「細かいところは怪しいものだが、ほとんどな」
「今まで、そんな素振りは見えなかったので、気付かなかった」
「普段はわざと、忘れるようにしてたみたいだぞ。
前世の記憶に同調しちゃうと、すぐに泣きたくなるんだそうだ」
「かわいそうに」
「ボクだってかわいそうだ。
かわいそうなのは、おまえも同じだ」
レイは含蓄のあるのかないのか、わからないことを言う。
「月葉のほうは?」
「仮想現実世界での戦い振りを見ていればわかるだろう。
なにも思い出していないに等しいぞ、あいつは。
だからひととおり、口で教えられることは講義してあるけど、知識があっても体が動くわけじゃない。
かといって、衝撃的な仮想現実を作りあげて、そこへ放りこんで無理矢理思い出させるというわけにもいかない。
記憶とか意識とかいうのは微妙なものだからな、あんまり外側からつつくといい結果は生まないだろう?」
「月葉の中に、なにか覚醒を拒むものがあるのかもしれない」
「面倒くさがってるだけじゃないのか?
根性が足りないんだ、きっと」
レイが安直に決めつける。
そこへ貴奈津がやってきた。
「あれっ、ローユンもいたの」
「お邪魔だったかな?」
「まさかあ。
でも、ローユンもなにか飲む?
欲しかったら、わたし持ってきてあげるけど」
アイスミルクのグラスを二つトレイに載せている。
「いや、いい。ありがとう」
「そう?」
「早くミルクをよこせ、ミルク、ミルク!」
椅子に飛び乗り、レイがテーブルを叩く。
「うるさいわね、あんたは」
喚き立てるレイの前にグラスを置き、隣の椅子を引いて貴奈津も腰かける。
さっそくレイがミルクをすする。
「ニャハー、甘くておいしい」
ストローで一口飲み、ニンマリする。
アイスミルクには砂糖と蜂蜜が入れてあった。
レイの好みだ。
喜ぶレイを横目で見ながら、貴奈津もストローに口をつける。
「ん、冷たくておいしい。
ほんとになにもいらないの、ローユン?.」
再度、気を使った貴奈津に、ローユンが笑って手を振る。
「ふーん」
と貴奈津は首を傾げ、居間ヘチラリと目をやった。
「イーライと同じね。
彼、ミネラルウォーターなんか飲んでいたわよ。
好きなの? って聞いたら、そういうわけじゃないって。
だったら、ジュースでも持ってきてあげようかって言ったんだけど、やっぱりいらないと言ってたわ」
レイがストローを持ちあげて、端っこについたミルクをペロリと舐めた。
「イーライは、あまり間食をしないんだそうだ」
「どうしてよ」
「太るから」
「ギクッ!」
ストローヘ口を近づけようとして、貴奈津の動きがピタリと止まる。
無関係を装うには、身につまされる言葉だった。
「あーレイ、これ、よかったら飲んで。
わたしはもういいわ」
ほとんど減っていない自分のグラスをレイに押しやる。
「なにっ、いいのか、いいのか?
あとで返せと言っても、もう返さないぞ」
たちまち短い腕の中へ二つのグラスを囲い込む。
「やっぱり返して」
と言ったら血を見るであろう、というくらいレイの目つきはマジである。
「言わないわよ、はは……」
力なく笑い、貴奈津は片手で頬杖をついた。
その顔の向きがまずかった。
手すりにもたれてこちらを見ていたローユンと、ばっちり目があってしまう。
ローユンは笑みを浮かべていた。
貴奈津は冷や汗を流した。
「まずいわっ、もしや、読まれてしまったのでは?
そんな、わたしは体重のことなんか、ぜんぜん気にしていないのよ、ほんとうよっ」
心のなかで叫んでみるが、口に出して叫べば、これは墓穴を掘るというヤツであろうと思うから言わない。
勝手に考え落ちをやらかし、貴奈津の顔が赤くなる。
見ていたローユンが、声を出して笑ってしまう。
やはり読み切っていたらしい。
「ところで貴奈津」
「ギクギクッ」
わたし、ダイエットしているわけじゃないのよ。
「さっきはありがとう。
まだ礼を言っていなかった」
「え、なんのこと?」
「仮想現実世界で、わたしを救ってくれた」
「ああ、でもあれは、本当のことじゃないから。
別にお礼なんていいのよ」
ひらひらと手を振り、貴奈津が椅子から立ちあがる。
ローユンが手まねきをしていた。
「あれほど高度なシステムにおいては、仮想現実と現実の区別はないと、わたしは思っているよ。
貴奈津がわたしを助けてくれたのは、まぎれもない現実だ」
「そうなのかしら」
二人で話しはじめたローユンと貴奈津を、レイは首を傾げてみていたが、すぐにアイスミルクのほうに興味を戻した。




