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「やられたなあ」
遥か地平線まで続く草原に立ち、月葉は髪を掻き上げた。
晴れ渡った空に白い雲が筋をひいている。
その雲が低く見えるのは、いまいる草原が高所にあるということか。
月葉の隣で、貴奈津がぽかんと口を開けていた。
瞬きをして、呟く。
「なによ、これ?」
「なにって、バーチャル・リアリティ・システムに取り込まれたってことだろうね」
「いつのまに?」
「レイが、おかしな言葉を口走ったときじゃないかな」
ときおり緩やかな風が渡ってゆき、草原に波を送る。
月葉はしゃがみこみ、短い草に指をからめた。
「すごいな、これ以上ないというほど現実的な触感だよ。
草も、土も、風も感じる」
感心している月葉の肩に、貴奈津の手が触れてきた。
月葉が見上げると、貴奈津は自分の頬を触ったり、服を引っぱったりもしている。
「うん、まるで本物と同じだわ、月葉の体もね。
これ、ほんとに仮想現実かしら。
月葉とわたしだけ、どこかにワープさせられたんじゃない?
いまいち疑っちゃうわねー」
そこへ、レイの声だけがふってきた。
「ニャハハハハッ、おまえって、まったく科学技術と馴染めないヤツだな。
その原始的な性格、早くなおせ」
「なんですって!
こら、レイ。
姿を見せなさい、卑怯者っ」
「いやだよーん。
じゃ、そろそろ始めようかな」
「なにをよ」
「対異世界宮殿戦の戦闘訓練に決まってる。
言っておくけど、バーチャル・リアリティだからといって、甘く見ないほうがいいぞ。傷つくとほんとに痛いからな」
「なにを言ってるのよ、いきなりあんたは」
「それじゃあ健闘を祈る」
「待ちなさいよ、この猫!
ちゃんと説明しなさい」
貴奈津は虚空に叫んだが、
「ニャハハハハ……」
とレイの笑い声が遠ざかっていくだけだった。
月葉は二人のやりとりを黙って聞いていたが、やがて立ち上がり天を仰いで両手を広げた。
「そんなことだろうと思っていたんだ」
あきらめが早い。
コクピットで貴奈津と月葉が、カプラーに埋もれて瞼を閉じていた。
こちらが本体である。
仮想現実世界での貴奈津と月葉を見るため、レイとローユンもまたカプラーとなったソファーにかけている。
「レイ、貴奈津が言うように、きちんと説明をするべきではなかったか?」
ローユンも目を閉じているが、貴奈津たちと違い、意識はこの場に残っている。
視点だけが仮想現実に入り込んでいるにすぎない。
「いいんだ、貴奈津はあれこれ考えるより、先に行動なんだから」
「月葉は?」
「あいつは自分で勝手に考えるから、いいんだ」
「……」
「それじゃ、ステップ1から行こうかな」
目を閉じたまま、レイはもみ手をした。
貴奈津と月葉の前方で、草原の一部が盛り上がった。
「来たよ、貴奈津」
「なにがよ?」
月葉の背中にしがみつき、貴奈津が前を覗き見る。
盛り上がった草地が音をたてて割れ、中から土片を纏わり付かせた魔獣が立ちあがった。
それ自体も崩れかけた泥人形のようで、色だけが青みを帯びている。
「ギエッ!」
というのは、魔獣の咆哮ではなく貴奈津の悲鳴だ。
ズル……と地中から這い出す魔獣に、身構えるより早く月葉は衝撃波を叩きつけた。
大気を撃つ音とともに、魔獣が粉々に吹き飛ばされる。
月葉の陰から目だけ覗かせて、貴奈津が感嘆の声を上げる。
「すごい威力じゃない」
「ちょっと試してみたんだ」
なにを?
と聞こうとして、背後の気配に貴奈津は振り返った。
土が割れて崩れる音。
見る間に数体の魔獣が、地の底から湧き出るが如く立ち上がる。
「月葉、うしろ!」
「わかっている。
前方にも新手が出ているよ」
「えっ!」
慌ただしく貴奈津が前、後ろ、前と首を廻らす。
囲まれていた。
生きた泥人形の蠢く谷間に、放り出された気分に貴奈津はなった。
「じ、地獄ってこんなふう?」
「かもね。
ぼくから離れないで、貴奈津」
言いながら月葉は貴奈津の手を掴んだ。
抱き締めるように、引き寄せる。
足もとに一瞬の振動を貴奈津は感じた。
ほぼ同時に、二人の周りでソニック・ブームを思わせる衝撃音が轟き、地表が砕け散り、宙に舞い上がる。
核反応エネルギー波の奔流を思わせる凄まじさで、貴奈津と月葉の周りで全てのものが吹き上げられ、そして消し去られていく。
衝撃波の壁が立ち上がっていた。
貴奈津が悲鳴を上げ続けていたが、渦巻く轟音にかき消され貴奈津自身にも聞こえない。
その音と流れがピタリとやんだ。
「ふむ」
いつもと変わらぬ平静さで月葉が呟く。
月葉と貴奈津の立つところをのぞいて、草原はすでに存在していなかった。
かわりに地面が深々と抉り取られ地層をのぞかせている。
掴んでいた手を月葉が離し、貴奈津はハッと我にかえった。
「え?
今の、月葉がやった?」
「まあ、そういうことになるかなあ」
落ち着き払っている月葉の顔を、貴奈津が覗き込む。
「月葉って……冷静……」
口調に非難がましさを感じて、月葉が眉を寄せる。
「悪い?」
「そうじゃないけど、月葉にあんまり冷静に対処されると、大騒ぎしたわたしの立つ瀬がないじゃない。
あんなのに取り囲まれて、どうして怖くないのよ、月葉は」
「充分怖いさ」
「絶対に、そんなふうには見えないわね」
決めつけられ、月葉は溜め息を吐いた。
「あのね、これはしょせん仮想現実じゃないか。
確かに、怖いかもしれない、傷つくかもしれない、でも決して現実じゃない。
となれば、自分のサイコ・パワー制御の練習にいいかなあ、と思ったんだよ。
こればっかしは現実世界ではできないんだから。
わかるだろう?」
噛んで含める月葉に、しかし貴奈津が抵抗する。
「わかっているわよ、頭ではね。
でも、気分がついてこないのよね」
「だ……」
だから、と続けようとして、月葉は言葉を飲み込んだ。
貴奈津は頭が悪いわけではない、理解していてなお納得しないというのであれば、これ以上の説明はするだけ無駄だというものである。
月葉はしかたなく肯いて見せた。
「ま、いいんじゃない、貴奈津はそれで」
突き放したわけだ。
察して今度は、貴奈津が眉をしかめる。
「なにその言いかた。
少しは姉の立場っていうものを考えてよ」
「考えているよ、いつも。
これ以上、どうしろというんだ」
「おい、おまえたち。
姉弟ゲンカをしている場合か?」
レイの声にふいをつかれて、貴奈津と月葉が膝を崩す。
「出たわね、バカ猫!」
どこからレイが見ているのか知らないが、とりあえず適当な方向へ振り返り、貴奈津は怒鳴った。
束の間の沈黙のあと、悪魔のように優しいレイの声が降ってきた。
「……貴奈津ぃ、バーチャル・リアリティ・システムっていうのはな、もっと、いろーんな、楽しーいところへも、連れて行ってやることができるんだぞ。
どこがいい?
九十気圧、摂氏四百七十度の金星か?
それとも涼しいところがよかったら、土星表面で美しいリングを眺めるという手もあるぞ。
こちらはマイナス一八十度だよーん」
「レイちゃーん、本気で言ったんじゃないのよぉ」
「わかればいいんだ、バカめ。
それはともかく、おい、月葉」
「なに?」
「おまえ異能力使って楽してどうする」
「最大級が知りたくてね、試してみただけだよ。
楽をしようと思ったわけでは」
「あ、そうか。
おまえが言うんなら、ほんとうだろう。
しかしだな、月葉、異能力が使えればおまえは充分強いんだ。
だけど前に教えただろう、間接型異能力じゃ三姉妹は倒せないんだぞ。
だから呼蝶蘭を使うんだ、おまえ、剣技はまだへたくそなんだから」
痛いところを突かれたらしい。
月葉は足もとに目を落とした。
「そうだね。
わかった、そうしよう」
「ウフフフーン
軽薄な笑いを振りまいたのは貴奈津だった。
「剣なら任せてよね」
と胸を張る。
「あのな、自惚れるのも、たいがいにしろよ。
おまえがこの前、うまくやったのは半分トランス状態だったからだ。
あれは基本的にはナーディの力で、おまえのじゃない。
だけど、本当はおまえ自身のものにしなきゃダメなんだ。
そうでなくちゃ、十分な力は発揮できない。
戦うのはナーディじゃなくて、おまえなんだからな。
そこのところ、わかっているのか?」
「ああ、なるほどー」
「感心している場合か、さっきまで悲鳴を上げまくっていたくせに」
「愛嬌ってものよ」
「そんなものが通用する相手だと良いんだけどな。
ともかく、おまえたちには個別指導が必要だな。それぞれにプログラムを組んでやる、さあ行け」
どこへ? などという質問は、する間もなかった。
目眩を覚える唐突さで、月葉は固い地面に立っていた。




