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レイは一目見て別荘を気に入った。
「わー、昔の家みたいだな」
喜んでバシバシと貴奈津の肩を叩く。
「あのね、これは田舎風っていうのよ。
周りの自然と調和するように造ってあるわけよ」
石組みと木で建てられた別荘は、内部も天井に梁がそのまま見えるおもしろい造りになっている。
湖に向かって、広いテラスが張り出していた。
寝室が三つ、他に屋根裏部屋もあり、全体としてかなり大きい。
「よし、室内の探険だーっ!」
入り口のドアが開くや否や、レイは中へ飛び込んだ。
「ちょっと猫、荷物を運ぶの手伝いなさいよ」
貴奈津の声も聞かず、宙を飛んでレイは階段の角を回っていく。
「あきれた……」
バッグを担いで、貴奈津は自分に割り当てられた部屋へ向かった。
貴奈津はレイと同室だ。
あとは眞鳥と月葉、イーライとローユンの組み合わせと言うことになっている。
特に誰も、文句のないところだろう。
貴奈津は桟橋へ戻って、今度は食料品の箱を抱えてきた。
玄関へ向かうなだらかな坂で、レイがドアから飛び出してくるのが見えた。
人目を憚ることもないので、宙を飛びまくっている。
「こらっ、あんたも少しは働きなさい」
レイが貴奈津を見て、ふわりと上昇し、ぴたりと停止した。
「ニャハハハハ」
ふいに貴奈津に向かって飛んでくる。
手伝う気になったのかな、と見ていると、そうではなかった。
貴奈津の言うことなど、レイは全然聞いていなかった。
速度を上げて、貴奈津に体当たりする。
「キャッ!」
箱を抱えたまま、貴奈津はひっくり返った。
振り向いてみると、レイはすでに林のほうへ飛び去っている。
貴奈津は猛然と立ち上がった。
「待ちなさいっ!」
箱のことはもう忘れた。
レイを捕まえるため、貴奈津が全速力でダッシュする。
宙に浮かんだレイは、貴奈津がやってくるのを見て手足をばたつかせた。
だが、不意に空中で伸び上がる。
「あっ、きれいな蝶々が飛んでいる」
掴みかかろうとした貴奈津をかわし、レイは水辺に飛び去った。
「は、速い……」
嬉々として蝶々と戯れているレイを振り返り、貴奈津は唸った。
室内のような閉鎖空間ではなく、無制限のフィールドで、宙を飛び回るレイを捕まえるのは、貴奈津といえどもきつそうだった。
しかし、簡単には諦めない。
温室のようなガラス張りになったキッチンで、眞鳥と月葉が食料品をしまいこんでいた。
ガラスの奥を、枯れ草みたいな鈍い黄色の影が横切り、続いて貴奈津が走り抜ける。
棚から手を下ろし、眞鳥が溜め息をついた。
「貴奈津まで一緒になって手伝いを忘れている。
呼んできなさい、月葉」
冷蔵庫の扉を閉めて月葉が振り返る。
「放っておいたほうが良いですよ。
かえって、邪魔になるだけのような気がしますから」
「……その通りかもしれんな。
まあ、レイくんがあんなに楽しそうなのだから、よしとするか」
「はい。
……だけど、ずいぶん色々あるなあ」
「なにがだね?」
「レトルト・パック」
「ああ、牧野が気を利かせて、うちの料理人に作らせた奴だな」
「え、これ市販のものじゃないのか」
「ホームメイドだよ。
にしても、こういうところでレトルト食品とは、些か味気ない。
月葉、あとでマスでも釣りに行こう」
「いいですね。
ん? ……なんだこれ」
箱から可愛らしい紙包みを取り出し、月葉が眉を寄せた。
となりから眞鳥が覗き込む。
「ああ、それはメイドたちが、出がけに持たせてくれたんだ。
彼女たちの手作りクッキーだとか言っていたが」
包みには「イーライ様」などというカードが貼り付けてあった。
「持たせてくれたといっても、僕たちの分はありませんよ。
あ、「ローユン様」なんてのもある。
なのになんで「月葉様」というのがないんだ」
張り合っておるなあ、と眞鳥は思ったが口には出さない。
「おまえは家族で、他人ではないからだろう」
「そういう問題?」
「メイドたちからすれば、そういう問題なのだよ」
「これ、隠しておこう。
こんなものを見せたら、イーライがよけい図に乗る」
「こらこら、せっかく作ってくれた物を。
渡してあげなさい。でないとメイドたちが気の毒ではないか」
むむ、と月葉はうめいた。
「……そうですね、しかたがない」
「彼らは二人とも、若くて美男子だからなあ、メイドたちに人気があるのもわからんではない」
月葉が露骨な舌打ちをする。
「みんな人を見る目がないよ。
ローユンはよくわからないけど、イーライなんか、飛びっ切り根性が悪いと思うけどな」
「彼は女性には親切なようだよ」
「猫をかぶっているんだ、みんな欺されてる」
月葉は決めつけたが、そうではなかった。
じっさいイーライは、女性だけでなく眞鳥家の伎用人には、平等に親切で愛想がよかった。
別に猫をかぶっているわけではなく、ある程度職業的な訓練の結果だとしても、それが一般人に対するイーライの基本姿勢であり、彼の性格の一部でもある。
だが、確かに月葉に対しては、イヤミな態度をとることが多い。
対等に本音で付き合おうとすれば、そうなってしまう。
それもイーライの本質の一つだからだ。
とはいえ月葉には、そこまで汲み取ることはできなかった。
湖の真ん中あたりにボートを浮かべ、眞鳥と月葉が釣り糸を垂れている。
「夕食には、マスのアーモンド・ソテーを作ろう」
そう眞鳥は言って、ボートを出したのだが、まだ魚籠の中は空っぽだった。
ぴくりとも動かない浮きをぼんやり眺めていた眞鳥は、近づいてくる水音に顔を上げた。
「お父さーん」
えらそうに腕組みしたレイを舳先に立てて、貴奈津がボートを寄せてきた。
ヨットパーカーの下に水着をつけている。
背後に回り込むボートを、月葉が目で追う。
「貴奈津、泳ぐつもり?
この湖わりと標高があるから、水はあまり暖かくないよ。
わかっていると思うけど」
「平気、平気。
下まで潜らなきゃ冷たいことないわ。
それにね、レイが猫かきを披露してくれるっていうんだもん。
これを見ない手はないわよ」
「へえ……」
「レイくん、きみ泳げるのかね」
興味を引かれて尋ねる眞鳥に、レイはワッハッハッとふんぞり返った。
おなかのあたりの服地を摘まむ。
「この水着を着ていれば、いくらでも泳げる。
自動的に中性浮力を調節するし、救命胴衣みたいにもなるんだ」
いつものオーバーオールではなく、レイは全身をすっぽり包むベビー服のようなものを着ていた。
ドライスーツになっているわけで、中は濡れない。
胸の辺りに、ビンの蓋に似た浮力調節装置がついている。
「いくぞおっ。
用意はいいか、貴奈津」
船縁に足をかけ、レイが気合いを入れる。
貴奈津が足ひれをつけ終えた。
「いいわよ」
「よし、飛びこんだら、ボートの周りを一周だ。
いち、にーの、さんっ」
かけ声とともに、二人は水に飛びこんだ。
一度沈んで、すぐに浮き上がってくる。
水面に顔を出したレイはプルプルと首をふって水滴を散らし、クロール式に泳ぎだす。
とはいえ水を叩いているのは腕だけで、脚は水面下にある。
立ち泳ぎの犬かきという感じだ。
それでもなんとか前へは進む。
「キャー、うまいうまい。
レイ、なかなかやるじゃないの」
貴奈津が水面で拍手をして泳ぎ出す。
足ひれをつけているので、けっこう速い。
レイを追い越すと前方で振り返り、パシャパシャと近づいてくるレイを待った。
短い手で水をかくレイの姿が、おかしくもありカワイクもある。
「早くここまでいらっしゃいよ」
「うん、待ってろ」
追い付いたレイの隣で、貴奈津が猫かきをマネしてやたらに水を叩く。
釣り糸を垂らす眞鳥と月葉の前を、二人が横切っていく。
起こした波紋が広がり届いて、仕掛けの浮きを大きく揺らした。
楽しそうな二人の様子を眺めながら、眞鳥がぽつりと月葉に言った。
「釣れると思うかね」
「この状態で? まさか」
眞鳥と月葉の思惑を無視して、貴奈津とレイはあきずにボートの周囲を泳ぎまくっていた。




