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巨大な籐のバスケットを両手でさげて、貴奈津は階段を駆け下りていた。
「いたいっ」
バスケットの中から悲鳴が上がる。
中で振り回されて、どこかぶつけたのだろう。
海外旅行用のトランクほどの大きさのバスケットには、レイが押し込められていた。
「こら、わたしがいいというまで声を出しちゃダメよ。でないと、連れてってあげないわよ」
「う……」
それきりバスケットは静かになり、貴奈津は長い廊下を玄関へ走った。
白いキュロットスカートに青と白のストライプのTシャツ。
上にやはり白いヨットパーカーを羽織っている。
夏のお出かけスタイルであった。
正面玄関へ辿り着くと、すでに月葉と眞鳥が待っていた。
いつもスーツ姿の眞鳥だが、今朝はアウトドア・カジュアルを決めていて、着こなしがどうのというより、衣装そのもののデザインや仕立てのよさで、けっこうおしゃれに見える。
月葉はいつもと大差ない。
「車は?」
貴奈津が伸び上がると、見送りに出ていた執事の牧野が答えた。
「イーライ様が取りにいかれましたよ。自分で飛行場まで運転するとおっしゃって」
「あ、そうなの?
ふーん、イーライが運転するんだ」
それならよかった。
車内でレイを出してあげられる。
石段に下ろしたバスケットをチラリと見て、貴奈津は思った。
玄関前のロータリーに、黒塗りのリムジンが姿を見せた。
大きな車体が流れるようにカーブをまわり、貴奈津たちの前に停車する。
「ローユンよ、運転しているの」
「ほんとだ」
貴奈津と月葉が顔を見合わせる。
無免許じゃないのか? という疑問は、人前なので飲みこんでおく。
運転席と助手席のドアが同時に開き、ローユンとイーライが車外へ出て、互いの席を交代する。
ここからはイーライが運転するらしい。
広々とした対面型後部座席に、レイの入ったバスケットを積み、あとの三人が乗りこむ。
牧野やメイドたちが見送る中を、リムジンはゆっくりと出ていった。
「森だ森だ!
山だ山だ!
川だ、川が流れている!」
小型飛行機の中で、窓にへばりついてレイは大騒ぎをしていた。
隣の席で貴奈津が耳を覆う。
「んもー、うるさいわね、あんたは。
少しは静かにしなさいよ」
「外へ出るのが嬉しいんだよ。
大目に見てあげなよ、貴奈津」
月葉が取りなす。
「そんなことは、わかっているわよ。
でもね、ものには限度ってものがあると思わない?」
都内の飛行場を飛び立って三十分ほどになるが、その間レイはずっと騒ぎっぱなしだった。
月葉は黙って肩をすくめた。
些か閉口していたことは確かだ。
眞鳥はすでに諦めの境地に達したようで、目を閉じてシートにもたれこんでいる。
貴奈津が操縦席に身を乗り出す。
「イーライ、あとどのくらい?
あとどのくらいで、わたしはレイのバカ騒ぎから解放されるの?」
ふり向いて、イーライが笑う。
本日は運転手とパイロットを兼任するボディガードである。
「もう、五分とかからないよ」
軽飛行機は、山中にある眞鳥家の別荘へ向かっていた。
眞鳥と貴奈津、月葉、家族三人の夏の恒例行事である。
今年はレイとローユン、イーライが同行している。
「湖だ、湖が見えてきたぞ!」
ばたつかせたレイの足に、貴奈津は肩を蹴とばされた。
「この猫、放り出してやろうか」
睨み付けてみたが、空飛ぶ化け猫であったと気づき、舌打ちする。
森林に囲まれた小さな湖が前方に現れていた。
さらに近づき高度を下げると、湖の側に洒落た山荘が建っているのが見える。
「貴奈津、あれか?」
窓外を指さし、レイが振り返る。
貴奈津が窓に顔を寄せた。
「そ、そ。
あれがうちの別荘よ。
あの辺りには、うち一軒だけでね、あの湖もまわりの森もお父さんの私有地だから、好きに遊べるわよ」
「よし、早く降りよう。
イーライ、着陸態勢に入れ」
偉そうに命令する。
「了解。ただし、着陸ではなく着水だね」
飛行機はフロート付きの水陸両用機だった。
徐々に高度と速度を落とし、湖の上空で一度旋回する。
そして滑るように湖面に降下していった。




