38
ローユンとレイ、それに貴奈津と月葉を加えた一行四人は、氷の神殿に戻ってきていた。
氷柱に囲まれた大広間の中央、高さ一メートルほどの空間に、遠景の異世界宮殿がホログラフで浮かび上がっている。
周囲には三人の人間が立っており、異世界猫のレイだけが貴奈津の隣でホログラフと同じ高さに浮かんでいた。
そこで、貴奈津は高笑いをしていた。
「オーッホッホッホホホホ」
わざとらしく高慢な笑い方なのは、たった今レイに褒めまくられて、得意になっているからだ。
貴奈津の鬼神のような活躍のおかげで、魔獣は消え去り、ローユンは異世界宮殿のシールドを回復させた。
万事ことなきことを得たのである。
とりあえず目的は達したのであるから、レイはいくらでも貴奈津を褒めてやりたい気分だった。
なにしろ、褒めるのはタダである。
レイの口からも、思わず笑いが溢れ出る。
「ウヒャヒャヒャヒャヒャ。
いや、ほんと見直したぞ、貴奈津。
おまえはやっぱり大したものだ」
「ふっ、当然よぉ。
また、なにか困ったことがあれば、いつでもわたしに頼むといいわっ」
先刻の活躍は、なかば以上が偶然なのだが、貴奈津はここぞとばかり増長した。
今までレイ に「役立たず」とか「先が思いやられる」とか「情けない」とか、さんざん言われ続けてきた反動だろう。
いつもなら、貴奈津にこういう言われかたをされて黙っているレイではないが、今は気分がいいので気にならない。
「心強いことを言ってくれるなあ。
頼りがいのある味方を得て、ボクは嬉しいぞ、ニャハハハ」
「あら、素直なあんたって、カワイイじゃないの。
こっちへいらっしゃい、なでなでしてあげる」
レイは撫でられるのが好きである。
素直によっていき「なでて」といわんばかりに頭を出した。
貴奈津がレイの肩を抱き寄せ、頭といわず顔といわず撫で回してやる。
お互い、溢れんばかりの笑みを浮かべていた。
黙って、その様子を観察していた月葉は、二人には聞こえない声で呟いた。
「不気味な光景だ……」
レイと貴奈津には届かなかったが、その声は、月葉の隣に立っていたローユンには聞こえた。
ローユンが抑えた笑いを漏らした。
「確かに、めったにない見ものだと、わたしも思う」
同意するローユンの言葉に、月葉はいささか驚いた。
この男は笑うのか、人並みの感性で話すのか、という意外感である。
月葉はなんとなく、ローユンを人外の存在であるように思っていたのだ。
エキゾチックな美貌や、煌びやかといっても差し支えない衣装に惑わされていたため
ではない。
月葉が勝手にローユンを遠ざけていたからだ。
一方的に理解を拒んでいた、ということだ。
思わず振り向くと、月葉は正面からローユンの視線を受け止めることになってしまった。
ローユンが月葉を見ていたのだ。
万感の思いがこもっていたのか、それとも、ただ微笑んでいただけなのか。
月葉は知ることができなかった。
すぐに目を外し、顔を背けてしまったから。
それきり黙りこむ月葉を、ローユンはじっと見つめていた。
そして、ゆっくり口を開いた。
「ありがとう、月葉」
「……」
「わたしを助けに来てくれて」
「……貴奈津が行くと言えば、ぼくも、しかたがない」
「理由はどうあれ、きみは来てくれた。
それだけで嬉しい」
「どのみち、たいして役には立たなかったけどね」
憎まれ口を叩いてから、月葉は自分で自分の言葉に落ち込んだ。
あまり役に立たなかったのは、まったくの事実だったことに気付いてしまう。
あのとき、
「おまえの前世スゥーディは、ナーディに劣らぬ剣の達人だ。
心配ないから、行け行け」
とレイにそそのかされ、月葉も呼蝶蘭を抜いたことは抜いたが、とても、人格変化状態に入っている貴奈津のようにはいかなかった。
思い出して溜め息を漏らしかけ、ローユンの前なので咳払いをしてごまかす。
ついでに月葉は敵前逃亡を企てた。
いつの間にか、貴奈津とレイが神殿の氷柱の傍らに移動して雪原を眺めていた。
月葉も二人のほうへ歩き出す。
来るときは、ここは一瞬の通過点だった。
外の景色にも興味があった。
「すごいな、一面の銀世界じゃないか」
起伏の少ないこの世界には、神殿の建つ丘より高いところはない。
したがって、神殿から全方向へ地平線が臨める。
「いったいどれほどの広さがあるんだろう」
一人言のような月葉の声に、ふわりと近よってきたレイが答えた。
「おまえのような頭のいいヤツでも、それを言うか?
ここは作りものの世界なんだから、いくらでもどこまでも広がっているように見えるけど、遠くの景色はじっさいには存在しないんだ。
ホログラフと同じで、まやかしだ。
地平線は実物じゃない」
「う、そうか」
月葉は額の髪を掻き上げた。
レイと出会って、もうだいぶ日が経つのに、いまだにレイの言う想像を絶する科学力や、未知の超常現象と親しく付き合うところまではいっていない。
後ろから貴奈津が肩を叩いた。
「わたしも、さっき同じこと、レイに聞いちゃったわよ」
屈託なく笑う貴奈津に、
「おまえは聞いてもいいんだ」
とレイが言った。
「どうしてよ。
月葉はだめで、どうしてわたしはいいの?
あ、そうか。
わたしだけは、特別扱いってことね」
得意の絶頂を、貴奈津はまだ引きずっていた。
レイは貴奈津を見下ろして、ニタリと笑った。
「そうだ、特別扱いだ。
月葉と違って、おまえは頭が悪いからな。
だから、しょうもない質問をしてもしかたがない。
ボクは温厚で寛容だからな、そのへんをよくわかってやっているんだ。
ギャハハハハハ」
レイが大口を開けて.バカ笑いするまで、貴奈津は黙って聞いていなかった。
科白の途中で、神殿の外へ飛び出し、そして五秒で駆け戻ってきた。
「ニャーッハッハッハッハ」
空中で反っくり返り、レイはしつこく大笑いしていた。
ごきげんをとって下手に出ていたのに、あきたらしい。
無理は続かないものだ。
「おだまり、化け猫っ」
レイの大口に、貴奈津はサッカーボール大の雪玉を、走りこんだそのままの勢いで押しこんだ。
「ンガーッ!」
レイの口は全開すれば人間よりずっと大きいが、それでもサッカーボールは無理である。
だから雪玉は、口に押しこむというより、顔に叩きつけるという形になった。
後方に飛ばされたレイは、しかし貴奈津の部屋ではない、壁にぶつかることなく、数メートル下がったところで空中停止した。
「クホノー、キナチュー……」
言いたいことはなんとなくわかる。
口から雪塊をぼろぼろと溢すというか、吐き出すというかしながら、レイは貴奈津に向かって漂ってきた。
ゆっくり近よってくるところが、恨みがましくてこわい。
貴奈津は身構えてレイを睨み付けた。
しかし、ふいに反転するや全速力で再度神殿を飛び出し、一気に雪の斜面を駆け下りた。
つまり逃げたのだ。
やはりこわかったのかもしれない。
雪原を一目散に遠ざかる貴奈津の姿を眺め、月葉は首を傾げた。
「いったい、どこまで逃げるつもりなんだ」
月葉の脇を、枯れ草色の影がかすめた。
かなりの速度で通過したようで、巻いた風が月葉の頬をなでる。
レイはその気になれば、そうとう速く飛ぶことができた。
逃げる貴奈津に猛追をかけ、そのまま背中へ頭突きを食わせる。
神殿から見ている月葉にも、「キャッ!」と貴奈津が上げた悲鳴が聞こえた。
悲鳴が短いのは、声を上げた直後に、雪原へ顔から叩き付けられてしまったからだ。
貴奈津を倒していったん通りすぎ、また側へ戻ってくる。
レイが宙で、手足をばたばたさせた。
喜びの表現だと思われる。
その下で、雪にまみれた貴奈津が上体を起こした。
「止めなくていいのか、月葉」
思いがけない言葉をかけられ、月葉は声のしたほうへふり向いた。
一本の巨大な氷柱のかたわらで、ローユンがやはり雪原の二人を眺めていた。
腕を組み、足を軽く開き、まっすぐに立った姿勢が決まっている。
「これは、踊り手か戦士の雰囲気だな」
黒っぽい、だが派手な衣装を纏った異国の青年を、月葉はそう評価した。
ダンサーと戦士というのは、ぜんぜん相容れないタイプのようだが、どちらも立ち姿が凜々しく美しいという点で共通している。
それに月葉が考えたのは、どちらも現代人のことではなく、神話時代の踊り手と戦士のイメージだ。
そういえば、こいつ何者なんだろう、と、いまさらながら月葉は疑問を持った。
そして、まだローユンの問いに答えていないことに、ようやく気づいた。
「あなたは、なぜ止めないんだ」
答えになっていない。
「あれは遊びではないか、と思うからだが……」
「そうかな。
ぼくにはケンカにしか見えないけど。
まあ、だとしても、止める気はないよ。
ぼくは無駄なことはしない主義でね」
月葉がイヤミな言い方をする。
貴奈津とレイは白い平原で、雪を蹴散らして追いかけっこをしていた。
その二人を目で追いながら、ローユンはしばし沈黙した。
遊びでやっているのか、ケンカなのか、悩むところがあるらしい。
「……ナーディであれば、ケンカのように見えても、じつはそうではない。
しかし、それは過去のナーディについての話だ。
わたしには、今の貴奈津のことはわからない。
だから、きみに聞いた」
雪原からローユンは目を離さない。
こちらへ視線が動かないのをいいことに、月葉はローユンの横顔をゆっくり見つめていた。
しかし、それにもあきたように顔を戻し、また雪原の二人の見物に戻る。
月葉は、ローユンにようやく聞こえる程度の声で呟いた。
「あんなの、遊びに決まってるよ」
眼下の雪原では、異種格闘技戦どころのさわぎではない、異世界人種デス・マッチが相変わらず繰り広げられていた。
誰はばかることない、ひさびさに広々したリングを得て、レイは乗りにのっていたし、貴奈津は現実の時間では朝起きたばかりで元気一杯だった。
遊びというには、あまりにも荒っぽい技の応酬なのは、地表が雪に覆われていて、ダメージが少ないことを、お互い知っているからだろう。
ちょっと考えると、宙を飛び回るレイが一方的に有利なようだが、そうではない。
レイも攻撃するためには、貴奈津に接近しなければならない。
そこを貴奈津が抜群の反射神経にものをいわせる。
上空からの蹴りをかわしざま、レイの足を捕まえ、そのまま雪面に叩きつけたりする。
手加減はしているのだろうが、見た目はけっこう凶暴だ。
しかし、レイだって低空飛行でやってきて足をすくい上げ、貴奈津にもんどり打たせたりしているのだから、そうとう乱暴だ。
やっていることはずいぶんなのだが、それでいささかも酷さや悲惨さを感じさせないのは、たぶん見た目のとびきり可愛い少女と、丸々とした異世界猫という組み合わせのせいだろう。
お互い、相手にダメージを与えると、そのたびにポーズをとって勝ち誇るので、いつまでたっても勝負がつかない。
「これは、どちらかが疲れて動けなくなるまで、待つしかないな」
笑いを含んだ声で、ローユンが言った。
月葉はその言葉に黙って肯いた。
しかし、心の中では全然別のことを考えていた。
すなわち、あんなことをするのなら、やっぱりミニスカートはやめたほうがいいな。
ということを。




