35
一片のチリも曇りもなく磨きあげられた正四角形の氷の大広間を、水晶のような透明感を持つ十二本の氷柱が取り囲んでいる。
神殿にはそれだけで、他にはなにもない。
神殿に辿り着いた二人は、氷柱の間を抜けて大広間の中央部へ向かった。
進んで行く二人を、鏡のような床が映し出す。
「これを造っといてよかったな。
まあ、なくてもなんとかなるにはなるが、よけいな時間がかかってしまうところだった」
「レイには先見の明がある」
「そうか?
うん、そう言われると気分がいい。
もっと褒めてくれ」
レイは空中でふんぞり返った。
「あとにしよう」
「チェッ」
氷の神殿は、異世界宮殿を閉鎖空間に封印してのち、レイが造っておいたものである。
複雑に揺れ動き、けっして一定することのない、多重次元宇宙の狭間を漂う異世界宮殿の現在位置を、正しく座標軸にポイントするための、いうなれば自動追尾システムだ。
それと共に閉鎖空聞ごと、異世界宮殿を外部から観察する拠点となり、万が一の事態に備えた、地球と異世界宮殿との間の緩衝装置もかねている。
「それじゃ、行ってみるか」
広間の中央部に浮かび、レイが言った。
ローユンは沈黙で同意した。
瞬きするまもなく、星の海のただ中に、二人は転移していた。
貴奈津なら、
「い、息ができない、死んじゃうっ!」
と、呼吸しながら大騒ぎするところだが、レイとローユンはそんなことはしない。
宇宙空間は背景にすぎず、同じ次元に自分たちがいないことを、二人は知っている。
レイとローユンは、星空に浮かぶ異世界宮殿を正面に臨んでいた。
浮遊する島の如き、複雑な建造物の巨大な集合体である。
その異世界宮殿を薄らとした光球が包んでいる。
光球は白いシャボン玉のようにも見えるが、じっさいはそんな可愛らしい代物ではない。
取りまく空間ごと 異世界宮殿を封印する、強力無比な障壁なのである。
そのはずだったのだ、いままでは。
「ごくわずかだが、ジェーロの波動が漏れている。
たいした執念だ」
星の海に浮かび、ローユンは腕を組んで異世界宮殿を見つめていた。
「敵を褒めてどうする。
褒めるならボクを褒めろ」
「褒めているのではない」
「そうか」
「やはりジェーロが目覚めている。
異世界宮殿が流れる時の中へ、再び立ち返ろうとしている」
「ジェーロか。
ボクは三姉妹のなかでジェーロが一番嫌いだ。
あいつがいっとう残虐非道だ」
レイが短くて丸みのある、およそ迫力に欠ける牙を剥き出した。
いちおう牙があったらしい。
「ジェーロはわたしを捜している」
「気付いたのかな。
おまえが生きた閉鎖空間制御装置だってことを」
「おそらく」
「まあ、封印されたら気付くよな。
ナーディたちとはちょっと違うタイプの異能力者だと思っていたのが、かなり特殊なタイプの異能力者だったとな。
ということは、今度はおまえに攻撃が集中することになるぞ」
「だろうな」
当然予想されることであり、ローユンは一々気にしてはいなかった。
「貴奈津と月葉が頼りになるといいんだけどな」
口には出さなかったが、レイはそう思った。
今一つ不安なのである。
けれどローユンのほうは二人を信じているのだろうか、だから落ちついていられるのだろうか。
レイが横目でうかがうと、異世界宮殿を見つめていたローユンの表情がふいに変わるのがわかった。
「ローユン?」
「封印が揺らいでいる」
組んでいた腕をとき、ローユンが身を乗り出す。
視線を戻し、レイは慌てて異世界宮殿を包むシールドを点検したが、変化を捉えることはできなかった。
「どこが、どこが?
ボクにはわからないぞ。
……あっ!」
今度ははっきりレイにもわかった。
シールドの表面に円形の波紋があらわれ、球面にそって広がっていく。
水面を指で突いたときに起こる波紋と、よく似た動きだ。
手足をばたばたさせてレイがわめいた。
「これが封印が緩んだ原因だな。
どこのどいつだ、外からシールドを押しているヤツは!
見つけたらタダじゃおかんぞっ!」
「発生源を逆探知できないのか」
「辿れない、コンピュータは言っている。
どこか異世界の一つから、突然異世界宮殿の側ヘワープしてくるパワーだそうだ。
誰かがわざとやっているんだ。
許せん、きっと尻尾を捕まえてギッタギタにしてやる!」
ギッタギタというのがどういうことか、レイはボディ・アクションで示していた。
目の前に思い描いた仮想敵に向かって、殴る蹴る、の暴行である。
とどめの後ろ回し蹴りを入れたとき、レイはハッとストップ・モーションした。
「……まさか、三姉妹に援軍が?」
恐ろしい想像をしてしまったのだ。
三姉妹だけでも充分持て余し気味なのに、このうえ新に登場されてはたまらない。
レイの一人芝居をしかし、ローユンは見ていなかった。
シールド上の波紋は、いまだ断続的に起こっていた。
「レイ、あとの敵より、今の問題を処理すべきだ。
今までとはパワーが違うぞ。
このままではシールドが綻びる」
「冗談じゃない!
なんとかなるか、ローユン」
「抑える。
外部圧力をはね返しながら、シールドを抑えることができるはずだ」
「よーし、やれ!」
自分はなにもしないのだが、かけ声だけは威勢がいい。
だが号令するより早く、ローユンが始動していたことに、レイは気づいた。
ローユンの全身が発光し始めていた。
異能力者にとって、ただの破壊活動は簡単なことらしい。
ローユンにとってもそれは変わらない。
ところが異世界宮殿の封印には、異常にエネルギーを消耗する。
そしてそのエネルギー源は、
「わたし自身が生ずるのではないと思う」
とローユンは言う。
ローユンにもよくわかっていないのだが、どこからか流れこむエネルギーを異能力に変えて使うのだ。
原子力を電流にするように、ローユン自身が一種の変換器といえるのかもしれない。
「いいぞ、そのまま抑え込め」
レイがかける激励は、すでにローユンの耳には聞こえない。
青白い発光体の中心にローユンはいた。
眩しい光を通して、ローユンの姿を見ることはできる。
だが振動波にのせて声を届けることは不可能だ。
テレパシストなら言葉をかわすことが出来るのかもしれないが、陣営にテレパシストがいないので、そのへんのことは未知数のままである。
「やっぱりおまえは頼りになる。
貴奈津のように軟弱な異能力者とはえらい違いだ。
やっぱり年季が違うよなっ」
薄れていく波紋を見ながら、大声でレイは騒いでいた。
基本的に騒ぐのが好きなのだろう。
そのレイが異変を認めて大口を開けた。
もちろん叫ぶため。
「ゲーッ!
まずいっ!」
異世界宮殿の中心部が一閃した。
光とともになにかが放たれ、シールドを突き抜ける。
シールドが弛んだすきを狙い、ジェーロが送り出した魔獣に違いない。
「ウッ、しかも群れじゃないか」
光はシールドの外へ出た途端、にわかには数えきれないくらいに分裂した。
秩序なく好き勝手な方向へ散開したと思うと、それぞれがいっせいにレイとローユンヘ進路をとった。
「しまった、この空間に接続ができちゃっているんだ。
ローユン、干渉を打ち切れ……ウガッ!
だ、だめだ、そんなことをしたら封印が解けてしまうつ。
ああっ、どうしよう、前門の虎、後門の狼!
四面楚歌、八方美人っ!」
始めの二つはまだしも、最後がてんで違っている。
八方塞がりと言いたかったのだと思われる。
レイが慣用句を間違っている間に、魔獣は間近に迫ってきていた。
レイは敵の姿を見極めて、舌打ちをした。
小物ではない、流体型の魔獣だった。
大きさは一定しておらず、子犬くらいのものから巨象ほどのものまで。
姿形も千差万別で、人間型といえるものから両生類的な雰囲気のものまでいる。
唯一共通しているのは、どの個体も半透明で、形のはっきりしているのは頭部と上体にかけてだけ、それより下は、亡霊のようにかすんで後方へ流れているということだ。
先頭を切って突っこんできた一体が、防御壁を起動したレイに迫った。
速度が並大抵ではないのである。
それが流体型魔獣のやっかいなところなのだ。
「ウキャッ」
迫力負けしたレイが、思わずしゃがみ込み頭をかかえる。
しかし、そのレイの目の前で魔獣は真ん中から引き裂かれた。
それでも二つに分かれたままレイの頭上をかすめたが、そこまでだった。
レイの後方で水滴が弾けるように四散してしまう。
振り向いてみると、光の中でローユンが微笑していた。
「余裕じゃないか、ローユン」
無駄と知りつつ、レイは大きな声で言った。
するとレイの声が聞こえたかのように、ローユンは一度だけ小さく首を振った。
笑みは、もう消えている。
レイはあんぐりと口を開いた。
ただちに、どうこうなってしまうものでもないが、レイが打つ手を見出せないように、ローユンにも余裕はないらしいとわかったのだ。
ローユンの唇が動いた。
声は届かなかったが、レイは天啓のように、ローユンの言わんとするところを理解した。
似たような音の短い言葉が、繰り返されたからかもしれない。
貴奈津と月葉、と。
「そうか、その手があったか。
わかった、待ってろ!」
レイは手を打ち、指差して叫んだ。
ボディ・アクションで意図するところを伝えるためである。
薄気味悪い亡者のような魔獣どもが、二人のぐるりを取り囲み、飛びまわっていた。
その中にローユン一人を残し、レイの姿はかき消えた。




