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バルコニーの手すりに腕を乗せ、貴奈津は夜風にあたっていた。
東京の夏としては珍しく爽やかな風があって、じっとしていれば暑さを忘れる。
室内と同じほどの幅に張り出すバルコニーは、隣の部屋まで一つにつながっていて、 月葉との共有部分である。
貴奈津が窺い見ると、月葉の部屋の窓も開いており、揺れるカーテンの間から室内の明かりがこぼれていた。
「お勉強してるのかしらね」
つまらなそうに呟いた貴奈津の肘を、レイが足で突いた。
手摺りの上に腰かけている。
「おまえもやったほうがいいんじゃないのか、勉強」
「わたしはやることはやっているから、いいの」
「ほほー」
「なによ、そのバカにした言いかたは」
「別に。
それより人の話を聞け」
「聞いてるじゃないの。
イーライの銃は魔獣を倒せるっていうことでしょ」
レイは首を捻った。
「どこかズレたみたいだな。
そうじゃない、銃が効くんじゃないんだ。
イーライが撃つから効果があるんだ」
今度は貴奈津が首を傾げた。
「結果は同じだと思うけど」
「おまえ、結果至上主義か。
世の中そういうもんじゃないだろう。
結果はどうあれ、努力する姿が美しいんだろう。
いかんっ、これじゃ道徳の時間みたいだ。
文部省の役人が喜ぶだけだ」
貴奈津は咳払いして、体を反転させた。
手すりに背中でよりかかる。
「レイ、一つ、例え話をしてあげましょう。
AさんとBさんが、レイに食べさせようとパイナップルをとりに出かけました。
Aさんはすぐにパイナップルを見つけ三十分で帰ってきました。
いっぽうBさんは一生懸命、一日かけてパイナップルを探しましたが、ついに見つか りませんでした。
そこで、Bさんはかわりにバナナをとってきてくれました。
さて、AさんとBさん、どっちが偉い?」
「パイナップルをとってきてくれたほうだ!」
レイがビシッと指差して答える。
目が真剣だ。
「でしょ?
それが真理というものよ。
と、まあ、これは冗談。
世の中結果が全てじゃないのよ。
パイナップルに目が眩んで、バナナの恩を忘れてはいけないという教訓ね」
「……イーライの話をしよう」
「それがいいわ」
「ボクは色々考えたんだが、イーライはもしかしたら、潜在的な異能力者なんじゃないかと思うんだ。
いくら地上最強のハンドガンでも、魔獣には効きっこない。
ところがイーライが撃つ場合に限って、効果があるということはだ、銃弾に異能力を乗せて撃っているからとしか、考えられないわけだ」
「よく、そんな器用なことができるわね」
「だから、無意識でやっているんだ。
本人には、まったく自覚がないことでもあるしな」「うーん……」
貴奈津は頬を指で押さえて考えこんだ。
健康的なはりのある肌が、指の形にくぼむ。
それを見てレイは急に、大福が食べたいと思った。
白いのとピンクのと、味は変わらないけど両方食べたい。
乙女の柔肌を大福に見たてているヤツが目の前にいるとは夢にも思わず、貴奈津は不意に顔を上げた。
「ねえ、レイ。
イーライが潜在的な異能力者だというんなら、他にもそういう人、いるんじゃないかしら」
「そりゃあ、いないこともないかもな」
「そういう人を集めたら、すごく助かるんじゃないの?.」
「口で言うほど、簡単にいくか。
第一、どうやって見つけるんだ。
今を去ること一万八千年、その当時だって、現代なら到底できないムチャクチャな探し方をして、ようやく四人しか集まらなかったんだぞ。
微弱な超常能力を持った人間なら、これは比較的いるんだ。
勘が人よりちょっといいとか、スプーンが曲げられるとかだな。
しかし、そんな程度じゃダメなんだ。
まるきり戦力にはならないんだ。
圧倒的なパワーを持つ攻撃型の異能力者でなきゃ、敵の餌食になるだけだ」
「そうか、難しいものなのね。
イーライの場合は、奇跡的に運よく見つかったということね」
「あれっ」
レイは突然、宙に浮かんだ。
思いがけないことを発見したらしい。
「そうか、そうなのかもしれない。
イーライはおまえたちに惹かれてやってきたのかも」
なぜか貴奈津が身をよじる。
「いやだ、レイったら。わたしってそんなに魅力的かしら?」
真顔でレイが振り向いた。
「誰もそんなことは言っとらん」
「ムッ!」
「ム、の次は、メ、だな」
「この猫ーっ!」
捕らえようとした貴奈津の腕が空を切る。
レイはついっと貴奈津の上空一メートルばかりのところへ浮かび、ペロペロペロと舌を出した。
カーテンが引かれる音がして、隣の窓から月葉が半身を乗り出した。
「二人とも、ケンカをするなら他でやってくれないかな。
全部、聞こえているんだよ」
月葉はことさらに冷たい声を出した。
効果はてきめんで、貴奈津とレイは先を争ってペンをとり、不戦友好条約に署名した。
月葉を怒らせると、なにを言われるかわからないからである。
愛想笑いをうかべ、いきなり肩を組んだりしている二人を見て、月葉は、
「よろしい」
と肯いた。
室内に戻り、声を抑えて肩をふるわせる。
笑っているのだった。
月葉の姿が見えなくなるや否や、貴奈津はレイと組んでいた肩を振り解いた。
そのあおりを受けて、手すりに腰かけていたレイが横倒しになる。
体を支えようとして手を出したが間に合わず、レイは手すりに顔の側面をきっちり打ちつけてしまった。
「ウキャッ!」
顔にも毛皮があるので、たいして痛くはなかった。
しかし、悲鳴を上げたにも関わらず、振り向いてみると、貴奈津が知らん顔をしているのが気に食わない。
こういうときは人間として、
「ごめんね」
の一言くらい、あってもいいのではないかと思うわけである。
レイはびくびくとヒゲを痙攣させながら立ちあがった。
手すりの上に腕を組んで、夜の庭に目をやっている貴奈津に近づく。
「貴奈津ぃ、さっきはボクが悪かったよーん」
猫が猫撫で声で言う。
貴奈津が目だけ動かしてレイを見た。
「そうよ。
やっと、わかった?」
いつもであれば、すでにここで貴奈津に飛びかかっているところだが、レイは一発逆転の機会を狙い衝動にたえた。
「よくわかりました。
そこで、お詫びといってはなんですが、ひとつ肩など揉んでしんぜましょう」
貴奈津が怪訝な顔で振り向いた。
悟られたかな、とレイは心配したが、そんなに深読みする貴奈津ではない。
ぷっと吹き出してしまう。
「おかしな言いかたしないでよ。
肩なんか揉んでくれなくてもいいわ。
わたし、肩こらないのよね」
「まあ、そうおっしゃらずに」
レイはふわりと宙に浮かび、貴奈津の背後にまわった。
肩に手を置き、モミモミする。
途端に貴奈津が爆笑した。
死ぬほどくすぐったかったのだ。
こってもいない肩を、妙に柔らかいレイの猫手で揉んだのだから、これはくすぐられているのと同じことだ。
思惑とは違ったのだが、手すりにつっぷしてじたばたする貴奈津を見て、この手はまたあとで使える、とレイは記憶にインプットした。
レイが手を離しても、貴奈津はまだ笑いの発作に悶えていた。
その貴奈津を見下ろし、レイは嬉しそうに宣言した。
「ふっふっふ、これからが本番だ」
「えっ?」
笑いを止め、貴奈津の体がピクリと緊張する。
「正義の電撃、受けてみよ!」
両手で貴奈津の頭を後ろから挟み、レイは電撃を放った。
「キャーッ!」




