28
月葉は怒りにかられていた。
その場しのぎの直情経口的な怒りなので、深くはないが勢いがある。
食堂のドアを開けると同時に月葉は怒鳴った。
「イーライ!」
眞鳥とレイが、驚いてプッと吹き出す。
慌てて眞鳥はナプキンで口を押さえ、レイは口からミルクを垂らしたまま月葉を見た。
貴奈津は運よく、口のなかが空っぽだった。
眞鳥家、朝食の時間である。
怒鳴られた当人であるイーライは、澄まして紅茶を口に運んでいた。
最近、イーライは家族用食堂で、貴奈津やレイと一緒に食事をすることが多い。
「おはよう、月葉。
よく眠れたようだね」
カップから口を放し、イーライが振り向いた。
嬉しそうな笑顔が、月葉の神経を逆なでする。
「いやあ、麻痺銃のおかげでぐっすり眠れちゃって」
などと、月葉が思うわけもない。
月葉は荒っぽくドアを閉め、つかつかとイーライに歩みよった。
その剣幕に、身の危険を感じてイーライが立ちあがる。
イーライに近寄るや否や、月葉は平手打ちを放った。
目にも止まらない速さで手をくり出したのに、イーライは素早く身を引いてかわしてしまった。
「よけるなっ!」
無茶な注文を月葉がつける。
イーライは額の汗を拭うそぶりをして、首をふった。
「とんでもない。
よけなければ、顔面骨折していたよ」
「そのくらい、いいじゃないか!」
「痛いのは、いやだ」
後退りしながら、変に情けないことを言う。
イーライが簡単には怒りの捌け口になってくれないと悟り、月葉は眞鳥に矛先を向けた。
向けられた眞鳥は、いい迷惑である。
「お父さん。
この男、いますぐ解雇にしてください!」
「理由もわからないのに、それはできんよ。
だいたい契約が……」
月葉がテーブルを叩き、食器が鳴った。
レイが慌てて自分のミルクカップを死守する。
「契約がなんだっていうんですか。
たとえ契約違反をしても、民事訴訟になるだけです。
前科になるわけじゃありませんよ」
方向性のずれた説得を月葉がする。
眞鳥はあごに手をやり、椅子にもたれた。
眞鳥は商売人である。
民事訴訟のノウ・ハウは身についていた。
したがって、月葉の言葉から、問題点を即座に見抜くことができた。
「契約違反というからには、月葉。
つまり、イーライくんを解雇するに足る正当な理由がないと、おまえもわかっているということだね」
「……」
とりあえず眞鳥の貫禄勝ち。
眼前で展開するせめぎ合いにもめげずに食事を続行していた貴奈津が、お皿の上で手を払った。
トーストを食べ終えたところである。
「月葉」
何気ない呼び掛けに、月葉が振り返った。
「うん?」
「パン、何枚?」
「二枚」
答えて月葉は絶句した。
その間に貴奈津がトースターに食パンをセットする。
「月葉、とにかく椅子にかけてごはん食べたら?
お腹が空いてると、怒りっぽくなるのよ」
「この場合、違うと思う」
月葉は抵抗を示したが、貴奈津がテーブルを回っていき、背を押して月葉を椅子に座らせてしまった。
眞鳥が絶妙のタイミングで、月葉の前に、入れ立ての紅茶を差し出す。
テーブルに肩肘を付き、月葉は額を抑えた。
そして、諦めの溜め息を漏らす。
ここまでくれば、いきなり平手打ちということはないだろうが、それでもイーライは警戒をを解かず、眞鳥の脇に立っていた。
イーライの席は、月葉の隣だったのだ。
諦観したのか開き直ったのか、トーストにバターを塗りはじめた月葉に、眞鳥が聞いた。
「それで、イーライくんと仲違いした原因はなにかね」
バターナイフを動かす手が止まり、月葉はチラとイーライを見た。
「仲違いというのは変でしょう。
こんなヤツ、もとから友だちでもなんでもないんだから」
「原因はなにかね」
忍耐強く眞鳥が聞き、月葉は肩をすくめた。
「大したことじゃないんです。
ちょっとした、いざこざがあって、ぼくがそれをきれいに纏めようと思ったところを、イーライがじゃまをしたんです。
しかも、二度!」
話しているうちに、だんだんと腹立ちが甦ってきたらしい。
それを自重した結果、月葉はトーストに思いきり歯を立てた。
眞鳥は大きく二、三度肯くと、隣に立っていたイーライに手を伸ばした。
その腕をポンポンと叩く。
「よくやってくれた、イーライくん」
イーライが軽く腰を折る。
なんだって!
月葉はすぐさま声をあげたかったが、トーストを頬張っていてできず、その間隙に貴奈津が入りこんだ。
「それって、どういうこと?.」
テーブルの上で、眞鳥は指を組んだ。
「いずれ話すつもりだったが、わたしがイーライくんに依頼したのは、月葉のボディガードではないのだよ」
貴奈津は首を捻ったが、月葉はたちまち理解した。
「お父さん、ぼくに見張りをつけたんですか」
「そう、はっきり言われては立つ瀬がない。
しかし月葉、ここはがまんしてくれんか。
いままで警察沙汰にこそならなかったが、おまえは無茶がすぎると思う。
つまりイーライくんは、おまえがやりすぎないようにするための、いわばおまえのケンカ相手のガードなのだ。
取り返しのつかないことになってからでは遅いのだよ」
月葉は眞鳥の情報収集能力を過小評価していたことを悟った。
眞鳥は、月葉の起こした暴力沙汰を洗いざらい知っていたのだった。
つい最近では、チーマーゼータのメンバーを片っ端から病院送りにしたこと。
やくざにからまれて、逆に相手を再起不能にしたこと、あやしげな自称芸能プロダクションのスカウトとやらに声をかけられ、わざわざ事務所までついて行ったあげく、居合わせた、どう見てもまっとうとは思えない男たちを事務所のインテリアごとズタボロにしたこと。
数えあげればきりがない。
「でも、お父さん。
ぼくは……!」
月葉の抗弁を眞鳥は中途でさえぎった。
「わかっている、月葉。
おまえは悪くない。
間違ってもいない。
だがやはり今の社会では、やりすぎなんだよ」
ばれないように、やってくれれば構わないのだが、と眞鳥は思っていたが、教育上よろしくないので、その一言はつけ加えなかった。
「充分に手加減しています」
論点が微妙にずれてきた。
「おまえの手加減はなあ」
骨折以下であった例しがないのではないか。
他はどうあれ、眞鳥はその点についてだけは、月葉を信用していなかった。
話をどういうふうに聞いていたのか、貴奈津がおかしな方面に興味を示した。
「だけど、イーライってすごいわね。
月葉を止められる人がいるとは思わなかったわ。
いったいどうやったの?」
この質問には月葉が慌てた。
いつも貴奈津の保護者をもって任じている月葉としては、自分がイーライを振り解けなかったとか、ましてや麻痺銃で失神させられたなどと貴奈津に知られたくなかった。
月葉の内心の葛藤を知るかのように、イーライは月葉を見て微笑んだ。
それから貴奈津の質問に答える、
「誠意をこめた、言葉による説得というやつだね」
「信じられない。
本当は?」
「真実は一つだけだよ」
イーライの表情は、嘘をついているようには見えない。
そうではないとわかってはいたが、貴奈津は追及しなかった。
イーライが真相を話すことはないと思ったからだ。
「そう」
と、笑って、貴奈津は紅茶のカップを取り上げた。
眞鳥は出かける時間を気にして時計を見やり、レイは不安定要因がなくなったと判断して、自分のカップに並々とミルクを注ぎ足した。
月葉は一人不機嫌さを隠さず、自問自答していた。
なにかが違うと思うのだった。
眞鳥が言ったことは本当だろう。
眞鳥は自分のやりすぎを見かねて、イーライを雇ったのだ。
しかし、眞鳥はそのつもりでも、イーライの目的は他にあるのではないか。
イーライの行動にはどこか疑問が残る。
一度目は、確かに眞鳥の依頼に応えた結果として、自分のじゃまをしたのかもしれない。
けれど、二度目はそれだけではない。
絶対に違うと断言できる。
ただしイーライの思惑は漠としてつかめない。
それが月葉をいらだたせる。
月葉は心の中で、
「この、二重人格男め!」
と叫いていた。




