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公園地区の広々とした駐車場で、貴奈津はルビイに取り囲まれていた。
しかし全然恐れ入っていないようで、腕組みをしてバイクの傍らに立ち、ルビイのメンバーをにらみ付けている。
ヘルメットを取った貴奈津は、けっこう美少女だった。
元々の造形が良い上に、溢れる生命力が表情を輝かせている。
肩まで届かない長さの髪が、はつらつとした印象によく似合っていた。
怒っていても、にらみ付けていても、瞳には微塵の暗さも感じさせない光がある。
派手なメイクの女が、
「へえ……」
と、思わず感心してもらしたくらいである。
貴奈津の無謀な行動から、
とんでもない女を想像していたためかもしれない。
先刻の、
「変なヤツ……」
状態のあと、当然のことながら言い争いになった。
そこで、
「文句があるなら付いてきなさいよ。
決着付けてあげるわよ」
と放言して、ここヘルビイを引き連れてきたのは、実は貴奈津のほうだった。
貴奈津がケンカを売ったのであり、ルビイとしては、素直にそれに乗っただけだ。
売られたケンカを買わないようでは、チーマーなどやっていられないのである。
この夜のルビイのメンバーは十二三人というところだった。
それがルビイというチームの特徴なのか、全員ばっちり化粧をしている。
貴奈津と同年代の少女もいるのだろうが、化粧のためか、みんなけっこう大人っぽく見えた。
運転席でハンドルにもたれたままの者もいたが、大概は車外に出て、貴奈津の包囲に加わっていた。
中に一人、片膝を立てた格好で、ボンネットに腰かけている女がいた。
ピッタリした黒い革のパンツに、同じ革のジャケットを片袖だけ通して着ている。
その下はアニマル柄の大胆なタンクトップだ。
年齢はちょうど二十歳くらいで、どこか崩れた雰囲気だが、それなりに魅力的ではある。
この女が、貴奈津に向けて口火を切った。
「あんた、たった一人で、この人数にかなうと思ってんの?
まあ、度胸だけは褒めてやるよ。
けど、あたしたちコケにした以上、落とし前ってヤツは付けて貰わなくちゃね」
彼女がルビイのリーダーであった。
貴奈津もそれを感じ取り、とりあえずの攻撃目標を彼女に定めた。
「悪いのはそっちでしょ。
あなたたちのおかげで、わたしたち市民はいつも迷惑してるのよ。
今だってそうね。
わたしは早く家に帰りたいわけ。
なのに、あなたたちに付き合わなきゃならなくて、すごく迷惑」
だったら、ケンカを売らなければいいではないか。
リーダーは、そう思ったようだ。
この女、バカじゃないの? という顔になり、言い返すまで、束の間あった。
「……あんた、痛いめ見るの、怖くないみたいだね。
それは、別にいいけどさ。
でも女 だからって手かげんしないよ。
うちのチームは、そういうことで男女差別はしないのがモットーなのさ。
もっとも、あのバイクの乗り方、とても女には見えなかったけどね」
「それが気に入らないっていうのよ!」
貴奈津は大きな声を出した。
リーダーが眉を寄せる。
どうも基本的なところで、会話が噛み合っていないような気がした。
「……なんなのさ、いったい」
「あのね、どこをどうやって見れば、わたしを男と間違えられるわけ?
このスレンダーなボディのどこが男に見えるっていうの?
すっごく失礼よ、あやまりなさい!」
貴奈津が腕組みを解いて、両手を広げて見せた。
貴奈津は男に間違えられた、という、その一点だけに最初からこだわっていたのだ。
ルビイのリーダーは、ようやくそれを理解した。
そして、いきなり勝ち誇った。
「アハハハハハ!」
高笑いするや、ひらりとボンネットから飛びおりる。
「いいかい、あんた。
女っていうのはさ、あたしみたいなグラマラスなプロポーションをしてなきゃダメよ」
彼女は貴奈津の前で、両手を腰にあて、ことさらに胸を張った。
「う……」
貴奈津だって充分に均整のとれた美しいプロポーションをしているのだが、確かにリーダーほど色んな所が豊かではない。
しかし、たんに年齢の差からくるものだから、こればかりはしかたがない。
明らかに怯んだ貴奈津を見て、リーダーは得意気にフフンッと笑った。
貴奈津がんばれ。
「あー、あちこち出っぱっていれば、いいってものじゃないと思うっ!
お、女の価値はね、スタイルなんかじゃなくて、頭の中身よ」
スレンダーなボディがどうの、と言っていたのは貴奈津ではなかったか。
スタイリングでは敗色が濃いとみて、争点をすり替えにかかったらしい。
明らかな負け惜しみである。
立て続けに言う。
「もっともチーマーなんかやってるようじゃ、あなたたちの中身は知れてるわよね」
こういう言われかたは、たいへん腹立たしいようで、リーダーの表情が変わった。
「好き勝手言ってんじゃないよ!」
怒鳴りつけると、クイと顎で合図を送った。
運転席にいた女が頷く。
突然、車のエンジンが唸りをあげた。
貴奈津がハッと振り向くと同時に、車はタイヤを軋ませて急発進した。
べつにタイヤを鳴らさなくても急発進はできるのだが、これは脅しのためである。
チーマーなのだから、そういうテクニックだけは持っている。
跳ね飛ばすつもりでは、勿論ない。
それでは殺人になってしまう。
ルビイはそこまではしない。
寸前で停止して、脅すだけだ。
悲鳴を上げて逃げ出すだろう、とリーダーも、運転していた女も考えていたのだが、貴奈津は逃げも叫びもしなかった。
振り向いた姿勢のまま、自分に向かってくる車を見つめていたのは一瞬のことで、貴奈津はすぐにルビイの意図を察した。
不敵な笑みが顔に浮かぶ。
やおら貴奈津は、突っこんでくる車に向かって足を踏み出した。
運転席で女が目を見開いた。
元々たいした距離がない。
制動のタイミングを誤れば、撥ねてしまう。
正面からヘッドライトを浴びて、貴奈津が目を細めた。
右手がスッと後ろへ引かれた。
「ぶつかる!」
女は背筋を凍らせた。
悲鳴を上げてブレーキに足をうつす。
しかし、その足が踏み込まれるより速く、貴奈津の右手がくり出された。
腰を落とし、閃くごときスピードで、車のフロント・ノーズに拳を叩き込む。
正確にラジエーター・グリルを狙った一撃だった。
派手な破壊音が駐車場に響いた。
車が壁に衝突したような音だった。
その音に悲鳴が重なる。
ルビイのメンバーたちが上げた悲鳴だった。
顔を背け、両手で目を覆う。
その中でただ一人、リーダーだけが目をそらさずに耐えていた。
しかし、さすがに顔から血の気が引いている。
驚愕の表情を顔に張り付けて、動かない。
意識が恐慌寸前に陥っていた。
目の前の状況がどうしても納得できなかったのである。
貴奈津は、はねとばされてはいなかった。
車のフロントを殴りつけた姿勢のまま立っていた。
車のほうは、フロント・ノーズが元の半分の長さに潰れていた。
ボンネットが歪んでめくりあがり、エンジンルームは無秩序なスクラップと化していた。
凄まじい破壊音がしたのだ。
それくらいの被害はあるだろう。
衝突したのだ。
だが、なにと衝突したのか?
リーダーの頭の中でその疑問が空転していた。
破壊された車の中で、運転していた女が青ざめ、震えていた。
固く瞼を閉じてハンドルに突っ伏している。
車に受けた衝撃を、人を撥ねたものだと思ったのだ。
冷却水が漏れ、蒸気が吹き上がる音だけが聞こえる。
そこへ突然、場違いに明るい声が上がった。
恐る恐る目を戻したメンバーが、貴奈津の無事な姿を認めたのだ。
「うそーっ!
生きてる。
この子、ぴんぴんしてるじゃない!」
つられて数人が振り向く。
「あっ、ホントだ」
「信じらんない!」
ざわめきが広がる。
運転していた女にも、仲間の声が届いた。
「うそ……だろ?」
ハンドルに顔を伏せたまま呟き、だが意を決して顔を上げてみる。
原形をとどめぬエンジンルームから蒸気が立ち上っていた。
そのもやを通して、何事もなかったかのような貴奈津の姿が見えた。
女の背中を安堵の汗が流れ落ちる。
「よ、よかったあ……」
女は大きく息を吐いて、シートにもたれこんだ。
いくらルビイにたてつく生意気な少女でも、死なれるのはいやなのである。
無造作に、貴奈津が車のフロントから手を引き抜いた。
かすり傷一つ負っていない。
それを見て、ルビイのメンバーたちにも、ようやく貴奈津に対する疑問がわいてきた。
車が壊れているのに、なぜ人間のほうは無事なのか。
一部始終を目撃したはずのリーダーにも、容易に解答は導き出せなかった。
あるはずのないことは、目のあたりにしても、なかなか意識が受け入れない。
しかし事実は事実だった。
少女が片手で車を止めてしまったのだ。
いや、叩き壊したというのが正しい。
なんにせよ、人間わざでは絶対にないことだった。
「ば、化け物か、こいつは……」
それがリーダーの出した結論だった。
常識的な結論といえる。
とくに重労働をした様子もなく、貴奈津がリーダーに向き直った。
「いきなり なにするのよ!
あぶないじゃないの!」
当然の抗議だが、結果だけ見ると、貴奈津の言い分はあまり的を射ていないような気がする。
茫然としていたリーダーは、しかし、その抗議で我にかえった。
そしてハッと気づいたことがあった。
「……姐さん」
貴奈津に呼びかける。
いきなり「姐さん」である。
噂に聞く恐怖の怪力女のことを思い出したからだった。
バイクの型も、髪の長さも、なかなか可愛い顔をしているということも、聞いた話と合致している。
なにより、素手で車を叩き壊すような女が、二人といるわけがないではないか。
「姐さん、もしや貴奈津さんとおっしゃるんじゃありませんか?」
リーダーのほうが年上なのだが、この場合、力関係で上のほうを姐さんと呼ぶわけだ。
「そうだけど」
答えて、貴奈津は小首を傾げた。
なぜわかる、という意味だろう。
「そりゃあ もう、貴奈津姐さんの噂はよく聞いてますんで」
もみ手こそしなかったが、リーダーは両手を合わせ、軽く腰を折った。
全面降伏の姿勢だった。
もちろん自分の身もかわいいが、リーダーとしては、チームのメンバーも守ってやらなければならない。
となれば、ひたすら下手に出るしか道は残っていなかった。
貴奈津という名を聞いて、チームに動揺が広がった。
メンバーたちが青ざめ、思わず後退る。
本当は背中を向けて逃げ出したいところだが、そうしたところで無事にすむという保証はなかった。
駆け出したい衝動をかろうじて抑える。
「噂?
どんな?」
貴奈津の問いかたが何気なかったので、リーダーは、
「化け物みたいな怪力女」
と、聞いたままを口にしそうになった。
しかし、危ういところで回避する。
「ば……かに、腕っぷしの強い美少女がいるって噂をです」
「え、美少女?」
意外そうなふうをよそおいながらも、貴奈津の口もとが弛む。
リーダーはそれを見逃さなかった。
そのへんは、さすが年長者である。
「そう、そう、美少女ですよ。
これはもう、姐さんのことに違いありませんって」
「うーん、わたしのことかしら、やっぱり」
嬉しそうな貴奈津に、リーダーもニコニコとお追従笑いをする。
そうしながら、後ろに回した手をパタパタと振り、メンバーにも「なにか言え」と、合図を送る。
応えてメソバーも頑張った。
「本当、噂どおりの美少女」
「スタイルも抜群よね」
「貴奈津姐さんが羨ましい」
口々に貴奈津を持ち上げる。
ルビイはチームワークのよいチーマーなのであった。
リーダーがコホンと咳払いして、まじめな顔を作った。
「まったく、よく見ればこんな美少女を、夜目でよく見えなかったとはいえ、野郎呼ばわりするなんて。
ほんとに申し訳ありません」
謝罪して深々と頭を下げる。メンバー全員がそれにならった。
「むふふふ……。
やーね、わかってくれればいいのよぉ」
貴奈津が照れて頬に手をあてる。
口調が軽い。
すっかり機嫌が直ったようだ。
たいへん単純である。
ルビイのメンバーが、ほっと胸をなでおろす。
冷や汗が流れてはいるが、どうやら危機は去ったのではないかと思えた。
異変が起こったのは、その時だった。




