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異世界猫に異世界宮殿の侵略から地球を守ってくれと頼まれた件  作者: アルケミスト


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「ローユンを呼ぶ」


 というのはレイに何度か言われていたが、それがどういうことか貴奈津にはわからない。


 わかりはしないが、ローユンを呼べばゼラチンの塊から逃れられるというなら、それは魅力的な提案だった。貴奈津は肯いた。


「わかったわ。

 やってみるね、ローユーンッ!」


 レイが飛び上がって貴奈津の頭を殴りつけた。


「違うー!

 バカかおまえは。

 声に出して呼んでどうする。

 そういうことじゃないだろう!」


「じゃあ、どういうことよ」


「ローユンはシールドに守られて眠りについていたんだ。

 だけど異世界宮殿が現れた以上、それはローユンも感じて目覚めているはず。

 だからおまえが精神パワーで呼ぶんだ。

 ローユンはおまえに導かれたところに現れるんだ」


「やり方がわからないって言ってるでしょ!」


 レイの猫ヒゲがビクピクと痙攣した。


「思い出させてやるーっ!」


 避けるまもなく、レイは貴奈津の頭に飛びついた。


 両手で頭を押さえ、電撃を食わせる。


 荒っぽいやり方ながら、レイは貴奈津の潜在意識に、直接慟きかけてみようとしたのだ。


「キャーッ!」


 痛いようでもあり、痛くないようでもあったが、とにかくショックはあった。


 思わず固く瞼を閉じた貴奈津の中で、自分の記憶にはないはずの風景が、次々に脳裏を駆け抜けた。


 レイの意識に感応したためか、前世の記憶が断片的によみがえったのか、そのどちらかに違いない。


 雪原に建つ氷の神殿、蜃気楼の異国の街並み。


 陽炎が立ち上る見わたすかぎりの砂丘の列なり、その遙か地平線の上には、確かにそれとわかる異世界宮殿のシルエットが浮かぶ。


 さらに、どういう視点で得たのか、上空から俯瞰した異世界宮殿の記憶。


 レイと一緒に、面立ちの良く似た少女が二人、一瞬視界を流れ去る。


 貴奈津の意識が最後に見たのは、日に焼けた肌のエキゾチックな雰囲気を持つ青年だった。


「あっ、ハンサム」


 こういうことを考えている場合ではなかったが、しかし、そのおかげで強く意識が集中したのかもしれない。


 貴奈津ははっきりと思い出したのだった。


 その青年を知っていた。


 怒濤の激しさで懐かしさが込み上げ、貴奈津は幻影に向かって精一杯の声を張り上げた。


「ローユン!」


 幻影が消え去る寸前、青年がこちらを振り向いたような気が、貴奈津はした。


 ふっと意識が現実に立ち返ったとき、閉じたままの瞼を通して、白光が貴奈津の目を眩ませた。


 もう遅いが、思わず両手で瞼をおおう。


「ナーディ、よくやった!」


 叫ぶようなレイの声が聞こえた。


 声は明らかに興奮していた。


「見ろ、ローユンだ、ローユンが来てくれた!」


「えっ、どこ、どこ?」


 瞬きして目をこらしたが、貴奈津の視界はまっ白なままだった。


 見ろと言われても、なにも見えない。


「すぐ見えるようになる」


 レイの声が聞こえるだけだ。


「ローユン、話はあとで、とにかくそいつを頼む」


「な、なにをやってるの、レイ。

 わたしも見たい、見たい、見たい、見えないーっ!

 ……あ、見えた」


 貴奈津の視界の中で、初めは黒ぽっい影が揺れ、それがすぐに人の形をとった。


「ローユン!」


 無意識のうちに貴奈津は、前方に浮かぶ人影に叫んでいた。


 片膝を軽く上げ、たった今、地を蹴ったかのような、ローユンの姿が空中にあった。


 腰のサッシュと頭に巻いた布が長く翻る。


 黒い鳥人のようにローユンは見えた。


 翼がないのがいっそ不思議なくらい、空を舞うのが自然に思える。


 ローユンは下方に視線を落としていた。


 二つに分裂したゼラチンの塊に、指先を向ける。


 ローユンの全身が一瞬だけ、青白色の光を放った。


 ゼラチン状魔獣の一体が、瞬時に実体を失い白いもやと化す。


 唖然と眺める貴奈津に、レイが得意気に解説してくれる。


「どうだ、凄いだろう。

 蒸発させたんだぞ」


「あんたがやったわけじゃないわ、威張らないでよね……」


 感嘆のあまり、言い返す声に力が入らない。


 貴奈津が見つめる前で、残りの一体もまた、跡形もなく消え去った。


 黒い影は舞い降りてきた。


 地面はないのだが、膝を折り、音もなく、ローユンは着地した。


 エキゾチックな顔立ちが充分美形といってよい、二十歳前後に見える青年だった。


 日に焼けた肌の色だと貴奈津は思ったのだが、人種的なものなのかもしれない。


 緩やかなウェーブのある長めの黒髪を後ろで束ね、深い海の色の瞳を持っていた。


 国籍、年代とも不明の衣装が、よく似あっている。


 アラビアンナイトをモチーフにデザインしたようなもので、基調色は黒とグレー。


 そこに銀色の刺繍やらサッシュやら金具やらが、不思議に入り組んでいる。


 そこへさらに、いくつか原色のアクセントが入る。


 ファッションモデルなら、喜んで着そうな衣装である。


 腕にも首にも、それに服にも、アクセサリーがたくさんついている。


 たぶんローユンたちの世界では、それが当たり前だったのだろう。


 そういえば視界を流れ去った二人の少女も、派手な格好をしていたっけ。


 貴奈津はそんなことを思い出した。


「本物のローユンだわ……わたし、昔この人を知っていたのね……」


 今しがた貴奈津が見た過去の映像と、衣装は違うが、ローユンであることは間違いない。


 だが、先程の込み上げる懐かしさは、今の貴奈津にはなかった。


 完全に、自分だけの意識に戻っているからだと貴奈津は理解した。


 幻影を見たときは、明らかにほかの誰か、おそらく前世の自分の意識が重なり合っていたのだ。


 こちらに足を踏み出したローユンが、両腕を広げた。


 その胸元に、物凄い勢いでレイが飛び込む。


 受け止め、ローユンは、人間の友人にするように、レイをしっかりと抱きしめた。


 声を上げてレイが泣きだした。


 ローユンは黙ってレイの毛皮を撫でてやる。


 言葉はなかったが、レイとローユンがどんなに仲のよい友人であるか、見ている貴奈津にも伝わった。


「……よく泣く猫ね」


 貴奈津は非難がましく呟いたが、自分も貰い泣き寸前である。


 後方でブレーキ音がした。


 振り向いてみると、月葉が戻ってきたところだった。


 月葉の視線は、まっすぐローユンに注がれていた。


「ローユンのこと思い出したの、月葉も?

 わたしは会ったことがある、というのだけはわかったような気がしたわよ」


 貴奈津の言葉に、月葉は首を振った。


「いや、会えば思い出すかと思ったけど、そうもいかないようだな」


「でも、ハンサムよね」


 貴奈津は嬉しそうに言い、月葉は苦笑した。


 なぜなら、


「貴奈津が好感を持ちそうなハンサムだな」


 と思っていたからに他ならない。


 貴奈津はハンサムが好きなのだ。


 まあ、嫌いな少女はあまりたくさんいないと思うけれど。


 貴奈津が後ろ手にレイを指差した。


「月葉もレイに電撃やってもらったら?

 なにか思い出すわよ、きっと」


「電撃? なんだそれ」


 説明しようとした貴奈津の腕を、レイが叩いた。


「なによ、猫」


 振り返ってみると、いつの間にかレイは、タンクの上に戻ってきていた。


 それはいいのだが、ローユンが目の前に立っているとは思わなかった。


「うっ」


 意表を突かれ、思わず身を引く貴奈津に、ローユンが微笑みかけた。


 貴奈津は息を飲んだまま硬直した。


 いきなり異国の美青年を間近にして、思考が麻痺してしまったのだ。


 貴奈津の反応が、明らかに予想と違ったらしく、ローユンはかける言葉の選択に困っているようだった。


 それでも、ついに口を開いた。


「ナーディ?」


 とおりのよい、明るくて優しい声だった。


 親しみを込めた呼びかけに、貴奈津はようやく我にかえった。


 自分の頬を二、三度叩く。


「いえ、ナーディじゃなくて、今は貴奈津です」


 簡潔だが、わかりやすい返事だ。


 言葉使いも悪くない。


 貴奈津は密かにそう思ったが、もしかしてたった今、呆然としていた時、すごくマヌケな顔をしていたんじゃないか、と、ふいに気づいた。


 いきなり貴奈津は赤面してしまった。


「あ、あの……つまり……」


 よけいに貴奈津がうろたえる。


 ふいにローユンが白い歯をみせて笑った。


 声に出して楽しそうに笑ったのだった。


 貴奈津の緊張がそれで緩んだ。


「この人、ほんとに異国の王子様みたいな格好してるけど、中身ははわたしたちと変わらない、普通の人間なんだわ」


 そう思ったのである。


 つられて貴奈津も、えへへと照れ笑いする。


「わたしのことを、憶えているだろうか、貴奈津」


 笑いをおさめたローユンが、まるで時間を惜しむかのように唐突に切り出した。


 深い海色の瞳が、真っ直ぐに貴奈津を見る。


 向けられた眼差しは、貴奈津が思わず勘違いしたくなるような、優しく好意的なものだった。


 貴奈津はプルプルッと顔を振った。


 ローユンには、過去の友人の姿が、貴奈津の上に重なって見えているのだ。


「ごめんなさい、今のところは、ほとんど思い出せないんです」


「そうか。

 でも、きみがわたしを呼んでくれた」


「はい、まあ偶然うまくいったみたいね」


 なんとなく貴奈津の言葉づかいが、親しげになる。


 ローユンの眼差しに影響され、友人感覚が よみがえってきた気分になっている。


「それで充分だ。

 きみの呼ぶ声が聞こえたよ」


 ローユンがまた微笑んだのを見て、貴奈津は俄然嬉しくなってしまった。


 やっぱりハンサムの笑顔は素敵だわ、という意識しかなくなる。


「え、ほんとに? 良かった」


「貴奈津、また、わたしを助けてくれるだろうか」


「はい、もっちろんよ、任しといてください!」


 貴奈津は胸を叩いて請け合った。


 この時点ではほとんど大言壮語に近いのだが、貴奈津はそんなことには、気付かなかった。


「ありがとう、貴奈津」


 よほど嬉しかったのか、ローユンはいきなり貴奈津を抱きしめた。


 これには貴奈津も驚いたが、月葉も少なからぬ衝撃を受けた。


 一瞬二人とも、ローユンの行動を誤解したのだ。


 しかし、そういうことではなかった。


 レイを抱きしめたように、友人同士では、嬉しいときの普通の行動だったのである。


 このとき貴奈津は内心で、


「キャー、キャー」


 騒ぎながら、照れつつも喜んでいた。


 昔の友人として抱きしめたのだ。


 それだけは、すぐにわかったし、そうなれば、めったにないお得なシチュエーションだ、と思ったのである。


 月葉が眉間を押さえてしまう理由が、貴奈津のその性格にあった。


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