11
「いやっ!」
突然、貴奈津たちを取り囲むように、三体の巨大な魔獣が出現した。
レイがシールドを解いたためである。
それぞれが三階建てのビルほどもある大きさで、それだけならまだしも、姿形が想像を絶して奇怪だった。
生き物には違いないのだろうが、「魔獣」という名前から、貴奈津が考えた動物の範疇を、大きく外れていた。
一体は、プールでつくったゼリーが型崩れしたような姿で、表面が反射なのか発光なのか刻々と色を変える。
じつはこのゼラチン質の塊は、地上に実体化するとほとんど透明に近くなる。
水の壁を通して奥を見るように、風景が揺らめくのでようやく存在がわかるという、たいへんやっかいなヤツなのだ。
とはいえ、鳥肌が立つほど気持ち悪いわけではない。
あとの二体に比べれば。
あとの二体は同じ種類のものと思われた。
一言で言えば巨大な軟体動物である。
あらゆる軟体動物のそれぞれ特徴的な部品を、巨大化させて寄せ集めたようなもので、ドーナツからトラックのタイヤほどのものまで、様々なサイズの吸盤が無秩序に表面に散らばり、その間から「誰が数えるか!」と言いたいほど大量の触手が生えていた。
「これのどこが小物だっていうのよ!」
体を硬直させながらも、貴奈津が怒鳴る。
「大きさを言ってない、中身のことだ。
こんなのほんの下っ端だぞ。
強力なヤツとか知能の高いヤツとかは、完全に異世界宮殿の封印が破れないと出てこられないんだ。
こいつらは別段、目的意識とかなくて、だから封印からこぼれ落ちる。
お腹が一杯になればいいだけのヤツなんだ」
「じゃ、じゃあ比較的おとなしいんじゃない?」
儚い期待である。
「それはどうかな。
人間でも建物でも、手当たり次第に、なんでも食べちゃうからな」
「いやよ、いやよ、いやよーっ!」
こんな気色悪いヤツの餌になるのは、貴奈津は絶対に嫌だった。
かといって、気色悪くないヤツになら食べられてもいいのか、というと、もちろんそうではないのだが。
「叫くな!」
レイは貴奈津の脇腹に、バシバシと猫キックを入れた。
馬に拍車をかけるのと、気分は似たようなものだ。
貴奈津が肩越しにレイを睨む。
「なにするのよ、あんたは」
「そんなことを言ってる場合じゃないようだぞ。
ほら見ろ。
おまえが騒ぐから寄ってきた」
「うっ」
まだしも足を使って移動してくれれば良いのに、と貴奈津は思った。
無秩序な器官の集合体が、全身をうねらせながら近付いてくるのを見て、貴奈津はきっちり鳥肌を立てた。
こういう時は考えるより先に行動である。
貴奈津はほとんど無意諏のうちに、バイクのギアを踏みこんだ。
一瞬の停滞もなくアクセルを開き、クラッチをつなぐ。
けたたましいエンジン音を上げて、貴奈津はバイクで飛び出した。
日頃の訓練の成果を充分に発揮した、見事と言えるテクニックだった。
ようするに、貴奈津は全力を上げて逃げにかかったのである。
覆い被さってくるかのような、巨大な軟体動物とゼラチンとの間を、フルスロットですり抜ける。
この時貴奈津は自分のことで精いっぱいで気付かなかったが、月葉がぴたりとあとに続いていた。
急発進で危うく振り落とされそうになり、必死でしがみついていたレイが、貴奈津の耳元で怒鳴った。
「バカか、おまえは。
逃げてどうする!
やっつけるんだ!」
レイは貴奈津の首に腕を巻きつけ締め上げたが、たいした効果は上がらなかった。
腕が短すぎるからだろう。
「やだっ!」
「ここはそれほど大きくない閉鎖空間なんだぞ。
端まで行けば、いくら走ってもそれ以上前へは進めない。
したがって逃げられない」
「ひどいわっ」
「だからやっつけるしかないんだ。
あいつらのお腹に入りたくなかったらな」
レイのけしかけに、貴奈津は「ひいーん」と情けない声を出した。
その横に、月葉が並んだ。
「レイ。
ぼくたちは、あの三体をなんとかしないといけないわけ?」
「そうだ。
まだなにも思い出さないか?」
「残念ながら。
だからどうやったらいいか、教えてくれないかな」
「おまえは偉い!
問題への取り組み方が前向きだ。
逃げ回ることしか考えないナーディとは、ずいぶんな差だ。
もっともナーディだって、一万八千年前はここまでアホじゃなかった。
戦えばすごく強くて、いつも……」
回想録の口述状態にはまりかけたレイを、月葉が引き戻す。
「レイ、悪いけど急いでる。要点を」
言って後ろを振り返る。
走り続けているはずなのに、三体の魔獣との距離は五十メートルと開いていない。
レイもチラリと後方確認をした。
「そうだな、わかった。
いいかスゥーディ、よく聞けよ。
あいつらには物理的な攻撃はほとんど無意味だ。
それはこの亜空間内でも、現実の世界でも似たようなものだ。
だから異能力で吹き飛ばすしかない。
おまえたち、そういう力があるだろう?」
「あっ、そうか!」
叫んだのは月葉ではない、貴奈津だった。
ブレーキをかけ後輪を滑らせてターンを決めると、少し遅れて停止した月葉に呼びかけた。
「そうよ月葉、わたしたちって異能力者だったじゃない。
なにも逃げることなかったのよ、アハハハハ」
「アハハじゃないだろう!
悲鳴を上げて逃げまくっていたくせに」
レイがまた貴奈津を蹴り飛ばす。
口と一緒に手も出るタイプらしい。
「だってー、ちょっと気が動転しちゃって」
「そういうヤワな女じゃなかったけどな、前は」
レイが興味深そうに貴奈津を眺める。
月葉が魔獣を指差した。
「接近してくる」
「ここにはおまえたち以外エサがないからな。
よし、やってみろ!」
「了解。
貴奈津、取り囲まれるとまずい。
いったん二手に分かれよう。
ぼくが向こうへ回る」
「じゃ、わたしがゼラチンの山のほうを受け持つから、月葉はイソギソチャクを散りばめたウミウシのほう、頼むわね」
この期に及んでも、やはり貴奈津は見た目の不気味なヤツが嫌である。
シロナガスクジラ大の軟体動物を押しつけられた月葉は、それでも笑って肯き、バイクを発進させた。
「危なくなったらボクの側へ戻ってくるんだぞー。
シールド張って入れてやるからなー」
月葉の背中にレイは呼びかけたが、月葉にはおそらくもう聞こえなかっただろう。
聞こえていたとしても、ムダな注意だった。
自力で危地を脱出できるなら、危なくなったとは言わないのである。
「衝撃波でいけるかな」
月葉は両手の平を揃えて巨大ウミウシに向けた。
衝撃波を撃つときの、月葉の基本姿勢である。
しかし、この型でなければならない理由は特にない。
なんとなく方向性が制御しやすいように思えて、月葉が採用しているだけだ。
「パワーに問題があるな」
月葉は何度か衝撃波をぶつけてみたが、体にへこみができるだけで、巨大ウミウシは、いっこうにこたえた様子がなかった。
よほど外皮が強靭なのだろう。
「手加減していたらだめだということか」
とはいえ月葉にも、自分の放つ衝撃波の限界は定かではない。
最大級の衝撃波を使うような事態に、いままで遭遇した経験がなかったのだ。
しかし、ここはやってみるしかなさそうだった。
月葉は深呼吸して、視界を塞ぐほどに近づいた二体のウミウシを交互に見た。
「スゥーディ、大丈夫かな」
貴奈津の肩に手をかけ、レイは伸び上がった。
そんなことをしても、建物の向こう側にいる人間が見えないように、月葉の姿を見ることはできない。
障害物が大きすぎる。
貴奈津のほうはというと、到底月葉の心配ができる気分にはなかった。
自分の心配が先だ。
立て続けに衝撃波を浴びせているのに、ゼラチンの塊は徐々に近寄ってくる。
やはり押しとどめるだけのパワーがないのだ。
「なんてヤツ。
家だって倒れる衝撃波なのに」
貴奈津の声に震えが混じるのは、
「あいつの体の中に取り込まれるとな、生きながらにして、外側からじわじわ消化されるんだぞー。
なかなか死ねないんだぞ-」
とレイに脅されたせいだ。
「この程度の衝撃波じゃ効果ないのね」
貴奈津が悟って額の冷や汗を拭ったとき、バリバリバリという凄まじく大きな、そのうえ生理的嫌悪感を掻き立てる音が上がった。
巨大な軟体動物の体が、盾に二つに引き裂かれた音だった。
「やった!」
レイが歓声を上げて、貴奈津の背中に猫キックの嵐を浴びせる。
この場合は喜びの表現だ。
「ゲゲッ」
すごいと思うより先に、貴奈津は激しく気持ち悪かった。
巨大ウミウシの体液が赤紫色だったと貴奈津は知った。
引き裂かれたウミウシから、いやというほど大量の赤紫色の粘液が噴き上がったのを見てしまったのだ。
ついでもう一体も二つに割れ、貴奈津は空気が赤紫色に染まるのではないかと本気で思った。
「見ろ、さすがにスゥーディだ。
あいつはなにをやっても飲みこみが早い。
おまえとはえらい違いだな」
「悪かったわね、ううう……」
貴奈津は吐き気を抑えて、ゼラチンの塊に向きなおった。
月葉が自分の持ち分をきっちり片付けたのだから、ここは貴奈津もなんとかしなければならない。
そうでなくては、姉としての立場がないではないか。
それでなくとも、いつも月葉に勉強は教えてもらうわ、課題のレポートは見てもらうわで、てんで頭が上がらないのだ。
貴奈津が真剣になったと見て、レイがアドバイスをくれた。
「このゼリーみたいな魔獣は、バラバラに……」
しかし、遅かった。
貴奈津が今までとは桁違いのパワーで衝撃波を撃った。
ゼラチンの塊は、音もたてず、見事に二つに割れた。
「やったあ!」
貴奈津が叫ぶ。
「人の話は最後まで聞くんだ、バカ者!
見ろ、あれを」
「え……?」
ゼラチンの塊は怯んだ様子もなく、にじり寄ってきていた。
ただし数は二つ。
レイが貴奈津の背中から飛びおり、ガソリンタンクの上で巨大ゼリーを指差した。
「あいつはバラバラにしたらダメなんだ。
いくら細かくしても平気だ。
数が増えるだけやっかいになるんだ」
「そういうことは、先に言ってよ!」
「言おうとしたんだ!」
「どうしよう……」
「弱点は高熱だけど、おまえできるか?」
貴奈津は答えるかわりに首を振った。
振って、いきなり解決策を見いだした。
「レイ、あんたはできるわよね。
今回は借りにしておくわ。
だから頼むわよ」
「おまえなー。
ボクはそういうことはできないんだぞ」
「どうして?
シールドを張れるじゃない。
あんたも一応異能力猫なんでしょ?」
レイは頭を掻いた。
過去の記憶がない相手とは、どうも話にずれが出て疲れる。
「あのな、ボクのは人間の想像もつかない高度な科学力によるもので、おまえたちの原始的な異能力とは違うんだ」
「一々言うことがなまいきよ、あんた。
だけどふーん、そうか、あんたにもできないわけ。
なーんだ、口のわりにたいしたことないわねー」
「そういうことを言ってる場合か?
だいたいボクの分担は戦略であって、戦闘要員はおまえたちなんだからな。
えーい、こうなったらローユンを呼べ。
ローユンなら簡単にやっつける。
ダメもとだから呼んでみろ、おまえ」
タンクの上に立ち、偉そうに命令するレイを、貴奈津は瞬きしてみた。




