1-6 勤務初日、終了
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それにしても、面倒な事になってしまった。整頓作業をしながら考える。
砂の丘からこの店を見つけた時は、まるで宝船でも見つけたような気分だった。それがいざ乗り込んでみたらどうだろう。大男二人を軽々蹴散らす男に掴まり、強制労働。
胸を高鳴らせながら丘を駆け下りた自分が懐かしく思う。思い出したあの時の蟻地獄に自ら堕ちる自分の姿は、滑稽に思えた。
自嘲気味な笑みが浮かびながら、中央の棚の掃除も終わり、隣の黒く輝く銃器と妖しく光る刃物の棚を前にする。
どれも間近では見た事ない代物。伸ばした手が不意に止まる。恐らく、これらは今まで幾つもの命を奪ってきたのであろう。そう思うと兎の手にじわりと汗が滲んだ。
隙間なく雑に置かれた銃の中から、比較的小さな銃を見つける。そして恐る恐る手を伸ばし、持ってみる。思っていたよりも重く、冷たい。気付けば、兎の手は小さく震えていた。
「弾は入ってねぇ。だが、なるべく慎重に扱えよ。どいつも高価な物だからな」
「わぁ! ごめんなさいっ!」
後ろからの店長の声に飛び上がるほど驚く。一瞬、小銃を落としそうになった。溢れる冷汗を抑え、小さく震える手で掃除を再開する。この手の道具は、苦手だ。いや……嫌いだ。
重く、扱いにも戸惑う刃物や銃の置かれた棚の掃除もやっと終わった。鉄臭くなった手の匂いを確かめながら、床を見下ろす。一面灰色の埃と黄色の細かい砂だらけ。
「あとはこれを外に追い出すだけか。でも、これじゃあちょっとなぁ……」
持っている手箒を見つめる。もう少し大きな箒は無いのだろうか、と店長の元へ駆けよる。
思えば先ほどからやけに静かだった。昼寝でもしているのかな? とカウンターに近づくと、何やら店長は作業中のようだった。細いナイフを使って、金属のような物を削っている。表情は相変わらず無表情。何を思って作業しているのか全く分からない。
「……なんだ? 終わったのか?」
顔を上げず、作業を続けながら店長が言った。
「あ、いえ。その、もう少し大きな箒はありませんか? 床を掃きたいのですが」
そう答えると店長は無言のままカウンター裏のガラクタの山に手を突っ込む。中から取り出したのは丁度欲しかった身の丈ほどの大きさの箒。店長は無言でそれを渡す。
「ありがとうございます。……ところで、何をやってるんですか?」
問いに、店長は顔を上げて答える。
「「金」を作ってるんだ。まだ量的には流通に程遠いが、質的には中々良いだろう?」
そう言ってカウンターの一点を指差す。ごちゃごちゃとした机の上、何枚かの小さな円盤が置かれている。霞んだ銀色、表面には文字や数字が彫られている。
兎は一つ手にとり、ひっくり返して裏面を見る。そこには文字や数字ではなく何かの絵が彫られていた。暫く眺めてから言う。
「なかなか面白い形をしたジャガイモの絵ですね。あ、「面白い」って別に悪い意味じゃ――」
「人の顔だ! ……悪かったな、下手糞な彫刻で」
沈黙。ややあって慌てて付け加える。
「あぁ、いや、でも、美味しそうですよ」
「フォローになってねぇよ! 地味に傷つくな……。彫り直すから返せ!」
店長は奪い取る様に兎の手から銀貨を取り上げる。片手のナイフがキラリと光った。
「す、すいませんでした! 掃除に戻ります!」
そう言って店長の元から逃げるように掃除に戻る。
床掃除も終わり、店内は見違えるほど――という程ではないが、少しは小綺麗になった。如何せん、物の総量は変わらず、ある程度綺麗に配置され直し、埃や砂がなくなっただけ。掃除の本質は断捨離なのだな、と兎は改めて感じた。
「おー、やるじゃねぇか。かなり綺麗になってまぁ。心なしか空気も澄んでるぜ」
この程度の整頓でも店長的にはオールOKらしい。ものぐさそうな性格で助かったと、兎はホッとした。
「ところでお前、今日はいつまで仕事するんだ?」
「はい?」
店長は顎で入口の外を指す。
「もうそろそろ日も暮れる。帰らなくていいのか?」
あれ、それってつまり……。兎は少し言葉を詰まらせながら言う。
「えっと、帰ってもいいんです、か? てっきりここでずっと働かされると思っていたんですが……」
その言葉に店長は鼻で笑って返す。
「住み込みで働けなんて言ってない。それにお前の分の飯なんてねぇよ」
嫌な言い方だったが、ホッとした。もしかしたらこのままずっと家畜のように閉じ込められ、働かされるかと思っていた。
「じゃあ、床を掃き終わったら帰ります」
外から射す陽はすでに燈色に変わっていた。なるべく日の落ちる前には帰りたい。せっせと床の掃除に取り掛かる。
埃や砂まみれだった店内も小奇麗になった頃、外の砂漠は茜色に染まっていた。掃除を終わらせ、箒を店長の元へ持っていく。
「店長。掃除、終わりました」
「ん。御苦労。……中々の手際だな」
店長は箒を受け取り、ガラクタの山へと投げ込む。そういうことしてるから汚れるんでしょうが……。ま、いいか。
「それじゃあ私はこれで失礼します」
言いきらないうちに、カウンターに置かれた外套を掴んで羽織る。踵を返し、そのまま入口へ。
店長の「おーう、お疲れ」という言葉を背に、いざ我が家へ――と思ったが足が止まった。回れ右して店長の座るカウンターへ舞い戻る。未だ硬貨の製作作業を続ける店長は何事かと顔を上げる。
「あの、今日の分の「お給料」って貰えるんでしょうか?」
数秒沈黙が続くと、店長は思い出したかのような声を漏らし、同時に小さく舌打ち。
「ちゃっかりしてやがるな」
そう呟きながら前掛けのポケットから腕時計を取り出す。
「大体二時間ってところか。千五百円か……」
カウンターの引き出しを開け、金属のかち合う音を鳴らしながら数枚の銀貨を取り出す。「500」や「100」と彫られた銀貨はそれぞれ大きさが違い、一枚一枚確認しながら机に並べる。
「ほれ、これが今日の給料だ。失くすなよ」
そう言って兎に手渡した。両手で包みこむように受け取る。
その瞬間、なんとも言い難い感覚が体を駆け巡る。「達成感」とでも言うのだろうか。この感覚を詳しく言葉で表せない。ただ自分の手に包まれた銀貨を見つめ、言う。
「なんか、「お金」って……いいですね。努力が形になって表れるってのが、何と言うか」
兎は手のひらの銀貨をキュッと握り締める。
店長は満足そうに「だろ?」と言うと、兎は握り締めていた銀貨を差し出す。
「あの、これって今使ってもいいですか?」
「は? もう使うのか? 貯めればそこにある銃だって買えるんだぞ?」
店長は整頓された銃達を指差す。しかし、依然兎の気持ちは変わらない様子。中央の棚を指差す。
「あそこの物を幾つか欲しいのですが……文字が読めないんです。私の欲しい物、探してくれませんか?」
店長は小さく溜息を漏らす。棚は数時間前とは比べ物にならないほど綺麗になり、整っている。
店長は横目で兎を見る。
「なんとなく分かっていたが、お前がここに来たのも、あそこにある物が目当てだったんだろ?」
店長は棚の下段を指差す。そこにある瓶に詰められている物、それは今の世の中では手に入り難い物。
『薬』だ。
「ま、もう勤務時間も過ぎたし、今のお前は「客」だからな。探してやろう。……で、なんの薬が欲しいんだ? まさか不老不死の薬とか言わないよな? さすがにそんな物うちでは取り扱ってないぞ」
そう店長が問うと、兎は首を横に振る。
「いえ、私が欲しいのは、腹痛の薬です。……なんですか、その目は。もしかして、無いんですか?」
「いや、思ったより普通の薬だなって。確かあるはずだ。ちょっと待て」
そう言って店長は棚に並べられた小瓶を確認していく。
よかった。これでもしかしたら……。
目的のため、自らの命が失われることを覚悟して街を飛び出してきた。それが、こんな数時間の掃除で叶うとは。……あぁ、そうか、これがお金のいいところなんだと実感した。
すべてが砂に消えゆく世界。砂に埋もれる世界の片隅で、一片の小さな希望を見つけた。そんな気がした。