6-2 家族の時間、家族の場所
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診断の最中、兎は今日あった出来事をつぶさに語った。
兎のちょっとした冒険譚。戦車で砂漠を駆け、岩の雨に打たれたこと。少し変わった姉弟の協力の元、攫われた医師を取り戻したこと。そして、人生で初めて他人の命を奪う覚悟をしたこと。
兎の母は全部笑って聞いていた。矢部は静かに触診を続ける。店長は部屋の隅で置物のように黙っていた。
兎の話を聞き終わると、母はいつの間にか眠りこけてしまっていた。ちょうどその時に矢部の診断も終わったようだった。
「矢部さん、ごめんなさい。今朝急にお母さんが倒れちゃったので、慌ててお呼び立てしたのですが……なんだか元気そうですね。何の病気か分かりましたか? また必要であればお薬を用意して――」
「『癌』だ。しかもかなり末期。今も生きてるのが不思議なくらいだ。……これを治せる薬は無い」
沈黙。隣の部屋でトラとリュウが子供たちと遊んでいる声が聞こえる。目の前で眠る兎の母は、静かに寝息を立てている。
最初に沈黙を破ったのは兎だった。
「え、えーっと、ガンって病気をよく知らないのですが……。今、薬が無いってことですよね? も、もしかしたら旧時代の凄い薬とかで治ったりしませんか? 遺跡でもどこでも、私、探しにいきますので――」
「無いんだっ! 今も! 旧時代でも!」
矢部が怒鳴るように答える。兎の母は今も静かに眠っている。隣の部屋から聞こえていた遊び声だけが消えてしまった。
矢部はベッドで眠る患者の掛け布団をそっとはぐ。薄い寝間着は身体に張り付き、その四肢の痩せこけた様相と、至るところにある歪な膨らみが見てとれた。
「本来、癌を検査するには専用の機器が必要だ。だが、部屋に入った時から匂いで察してはいた。触診しただけで確信できた。……全身、あちこちに癌が転移している。見ろ、皮膚や筋肉に腫瘍があるのが一発で分かる。体の内部も同じだろう」
矢部は布団を患者を起こさないようにそっと掛け直した。荒らげた声を落ち着かせながら続ける。
「家族だったら、こんなの見たら分かるだろう。どうしてここまで放って――」
矢部は言いかけた言葉を飲み込んだ。
決して放置していたわけではない。むしろ娘である兎は必死に治そうと駆け回っていた。薬を求めて店長のいる店へ潜り込み、やっとの思いで辿り着いた医者である矢部へも診断を懇願していた。そしてその頼みを断ったのは、他でもない矢部自身だ。
無論、たった数日前に診療したところで今と状態はさほど変わらない。しかし「もしも」を考えるのであれば、「もしも矢部がこの街に居てくれて、適切な診断と治療をしてくれていれば」というのも考えてしまう。そうであれば、少しの延命くらいはできたのでは――と考えてしまう。
店長ですらそう考えるのだから、矢部にはもっと他の可能性も考えられるのだろう。言葉を飲み込んだ矢部の悲痛な表情から勝手に想像してしまう。
押し黙る矢部の様子に、察したのか兎は淡々と確認する。
「えっと……つまり、お母さんはもう助からないってことですか? ……あとどれくらいもつでしょうか」
矢部はそっと患者の腕に手を添える。
「脈もかなり弱ってる。さっきも言ったが、生きてるのが不思議なくらいだ。今も眠ってるように見えるが、ほとんど気絶してるようなもんだな。こんなヤブ医者の見立てを信用できるか分からんが……もって明日の朝までだな」
「明日の朝……」と復唱して兎は母親の顔を見る。
「それまでに、また起きて、お喋りできますか?」
「鎮痛剤くらいなら打ってやれる。そうすれば多少はマシになって目は覚めるかもしれんが……」
「お願いします」と兎は深々と頭を下げる。矢部は歪んだ顔で鞄から鎮痛剤を取り出し、準備を始めた。
重苦しい空気の中、兎は部屋から出ていった。隣の部屋で兄弟達を集め、何か話を始めたようだ。静かなこの部屋、矢部の施術の音だけが虚しく聞こえる。
◇◆◇◆
兎の母に鎮痛剤を投与してから数時間後。太陽は夕日へと変わり、砂漠の大地に冷たい夜の訪れを告げていた。
うだるような暑さが和らいだ頃合い、兎の母ほ目を覚ました。兎と矢部、店長の三人で看ていたが、兎がいの一番にそれに気付いた。兎の母は先程より幾分か元気そうな顔で本人も少しキョトンとした顔をしている。
兎はすぐに母の枕元に駆け寄る。
「良かった、目が覚めて。お母さん、もう死ぬんだってさ」
ストレートな物言いに矢部がギョッとするが、兎の母は低い声でハハハと笑った。
「あぁ、やっぱりそうかい。どうりで最近まで死ぬほどだった痛みが、薄ぼんやりしてきたわけだ」
「それは鎮痛剤?ってやつのおかげ。ほら、矢部さんにお礼言ってよ」
「あぁ、そういうこと」と納得した兎の母は矢部に深く礼をする。矢部がどんな表情をしているのか、店長の側からは見えなかった。見えずとも想像はできたが。
「うん。それじゃ子供たち呼んでくるね。最期に一人ずつ話してあげて」
そう言いつつ兎は部屋から出ていくと、すぐに六人の兄弟を引き連れて戻ってきた。年長の子供は緊張と悲壮で顔を強張らせ、幼い子供はことの意味を理解していないが雰囲気に呑まれ泣きそうな顔をしている。
最年長の姉である兎が、最も幼い五歳くらいの女の子の背を支えながら母の前に立つ。
「ほら、栗鼠。お母さんに最期の挨拶して」
もじもじとして何を話せば良いのか迷っている幼子に、兎の母は頭を撫でながら笑いかける。
「もう、おねしょはしなくなったか? ……お姉ちゃん達とこれからも仲良くしなよ?」
栗鼠という女の子は小さく頷き、悲しそうに笑った。
「じゃあ、次は――」
と、兎は次々と兄弟達と母に別れの挨拶をするように回していった。
長男との会話が終わった後、さすがに兎の母は少し疲れたのか小さく溜め息をついた。兎も全員回し終えたのを確認し、一息ついた。
最後に話すのは兎か、と店長が思っていると、ふと兎の母と目が合った。そして兎の母は店長に傍へ来るように手招きした。少し迷ったが、店長はその招きに従い、ベットに歩み寄る。
「いやいや、スマンね。あんたには色々と礼を言いそびれたと思ってさ。あと、不躾かもしれないがお願いしたいことが――」
「俺なんかと話す時間があれば、家族ともっと喋ってやんな。……頼みたいことなら大体察しがつく」
店長はチラリと兎達を見る。
「アンタのガキ共、ついでにこの盤堅街丸ごと、今後も俺が面倒見てやる。アンタが心配するようなことから、全部守ってやるよ。……だから、安心して逝け」
兎の母は一瞬豆鉄砲を食らったような顔をしたが、すぐに大きく笑った。腹を抱えて笑い、ひとしきり笑い終わると目に貯まった涙を拭いながら言う。
「ふふふふ、そうかい。そいつぁよかった。これで安心して逝ける。ありがとうね、店長。やっぱりあんたに託して正解だった。あの時の私の勘は間違いなかったね」
店長はそっとベッドから離れる。これ以上の長居は不要だ。
そして遂に兎の番となった。
「さーて、最後は兎か」
兎はわざとらしく眉を上げ驚いた素振りをする。
「あーよかった。てっきり忘れられたのかと思っちゃった」
「なにをぉ? ったく、あんたが一番心配だったんだから……」
呆れる母に兎は今度こそ本気で驚いた。
「な、なんでさ!」
「そりゃそうさ! 一番泣き虫で、一番自分のことを考えてないんだもの。こんな娘を置いて死ねるもんかと思ってたのさ。……だが、もうその心配も必要なさそうだね。今のアンタ、良い感じだよ。誰の影響かは言わずもがなだろうけど、この数日で立派になった」
兎の母はふふふと笑い、また目元の涙を拭う。
「出会った時はこーんな小さかったのに……前にも言ったけど、私はこの街に住んでてね。恋人が死んでこの街を捨てた時は、もう自分も死んでもいいかなって思っていた。けど、たまたま訪れた街で血まみれのアンタを見つけた時は――気付いたら手を差し伸べてた。子供なんて育てたことなかったから、色々苦労したさ」
拭いきれなかった大粒の涙がシーツに落ちる。母の元に子供たちが輪になって集まる。
店長は矢部にアイコンタクトを取る。俺達はこの場に不要だ。部屋から出るように目で促す。矢部は頷き、部屋の扉へ向かう。店長もその後を続くが、兎の母たちの会話が耳に入った。
「みんな……ごめんね」
「なんでお母さんが謝るのよ」
「面倒見てやれなくてさ。一緒にいてやれなくて。幸せにしてやれなくて……」
「そんなことない。謝られる筋合い、ないよ……。私達、幸せだよ? こんな強くて優しいお母さんと居られたんだもん。ありがとう、お母さん。私達を育ててくれて。私達を見つけてくれて……!」
兎は病床の母をそっと抱く。周りの兄弟達は声を上げて泣き出した。しかし兎だけは少し震えながら静かに、今際の母を抱くだけだった。
兎の母は娘たちに囲まれながら大粒の涙を流す。
「あぁ、クソッ……あれだけ早くあの人の元に行きたいと思ってたのに……! 今は、此処に居たい……死にたく、ないねぇ……」
泣く家族を背に、店長と矢部は部屋を後にした。
◇◆◇◆
部屋を出た先の廊下にて、店長は壁に頭をぶつけ、考える。
兎の母の言った「ごめんね」。あれは聞いたことがある言葉だ。――俺の母が言ったのと同じ言葉だ。
幼い頃、幾度となく聞いた言葉。いつも周囲の人間達に申し訳なさそうにしていた母親の口癖。
全て、周りの人に向けた謝罪かと思っていた。死ぬ間際まで、忌むべき血をこの世に遺してしまった己の罪を詫びているのかと思っていた。
もしかしたら、違うのかもしれない。もしかしたら、あの最期の謝罪の言葉だけは|俺に向けられていたとしたら《・・・・・・・・・・・・・》?
兎の母と同じように、共に生き、幸せにすることができないことへの謝罪だったとしたら――。
店長は頭を壁に強くぶつける。止めよう、今さら考えたところで自分以外の人間が何を考えていたかなんて、ましてや故人が何を考えていたかなんて、分かるはずもない。――母親にこの身を案じられていたかもしれない、という微かな可能性だけで十分だ。
店長は壁に頭を打ち付けるのをやめ、この場を離れようとした。しかし、後ろから肩を掴まれ、振り返る。矢部だった。怒りとも悲しみともつかないその表情で、店長の胸ぐらを掴み上げた。
「店長っ! お前、これが狙いだったのか!?」
なんのことか分からず、店長は無言で眉を顰める。矢部は怒りの色を強めて喉奥から絞り出すように呪言を吐く。
「私に、「治せなかった」という惨めな思いをさせるために! 「もっと医療の力を人のために振るえば良かった」と思わせるために、こんな段取りをしたのかと聞いているんだ!」
どうやら何か勘違いしているらしい。店長は落ち着いた声で言う。
「俺もあの女がここまで酷い状態だとは思わなかった。もしも、お前にそんな思いをさせるためだけに、狸座の誘拐から計画していたのだとしたら……こんな大怪我する俺は相当マヌケだと思わんか?」
店長は左腕の傷を見せつける。まだ完全には塞ぎきれず、包帯から痛々しく血が滲んでいる。
矢部は掴んだ胸ぐらを荒く離し、俯く。泣いてはいない。ただただ悔しさの怒りを向ける矛先が分からなくなっているようだった。短く息を吐き捨てると、前のめりで店長に突っかかる。
「さっき、お前は「この街の面倒を見る」と、ほざいていたな! また今回みたく、死に際の人間の診察を依頼されたら、たまったもんじゃない。だから……有り難く思え、私も協力してやる。定期的にこの街の人間の診療をしてやろうじゃないか。もちろん、診察代や治療費、街までの移動費等諸々お前持ちだがな! いいな!?」
願ってもない申し出だった。店長はコクリと頷く。ケッと悪態つき、矢部医師は玄関へと向かっていった。リビングで待機したいたトラとリュウがその後を心配そうについていった。
一人、取り残された店長は振り返り、兎達家族が残る部屋の扉を見つめる。中からはまだポツリポツリと会話が聞こえた。少し無理をしているが笑う声も聞こえる。もはやこれ以上の介入は野暮だ。自分ができるのはこの場を離れることだけ。店長も玄関へと向かう。
狸座との死闘に勝利したとは思えないほどの虚しさ。だが、やりたいこと、やるべきことはやり尽くしたのだ。そこに後悔なんてあるはずもない。
店長が兎の家を出ると、外はすっかり日も沈み、砂漠の世界に夜が訪れていた。燈色だった空に暗い紺色が覆いかぶさる。静かに、しかし強く煌びやかに輝く星々が闇を照らす。いつもより少し静かな砂漠の夜。
その昔、街の番犬と恐れられ、愛する者と共に街を守る女がいた。街の守護をとある男へ継承し、いつしかその女は母となり、多くの子助け、育てた。この終末世界では類をみない慈愛に満ちた生涯だったと言える。
そして、明くる日の朝。女は静かにその生涯に幕を閉じた。最後まで愛する者達と共に生きた人生だった。
読んでいただきありがとうございます。
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次話で完結です。




