4-1 急展、疾走
◇◆◇◆
あくる日の早朝。
真っ暗な部屋の中店長はまだ眠っていた。夢と現実の境目、ふわふわとした意識の中、遠くの方から何かを叩く音が聞こえる。次第にそれは大きくはっきりと鳴り響く。
音と共に声までも聞こえてきた。
「店長! 店長っ!」
自分を呼ぶ声に気付き、ベッドから飛び起きる。まだ少しぼんやりとした頭を振り、寝ぼけているのではと疑うが、自分を呼ぶ声がまだ外からはっきり聞こえる。夢ではないと分かると、フラフラとした足取りで自室を出る。音がするのは店の玄関。パンツ一丁のままだったが、気にせず出向く。暗い店内を抜け、鍵のかかったドアを開ける。
ドアの先には、兎が立っていた。まだ太陽が地平線の奥にあり、空は薄暗く紺色の膜を張っている。砂漠の朝は寒く、下着一枚の店長からすると凍えてしまいそうだ。それなのに、目の前の兎は全身から汗を吹き出し、頬が紅く染まっている。走ってきたらしく、肩で息をしている。
「て……店長……」
「なんだ、こんな朝っぱらに。まだ寝てたんだぞ」
大きな欠伸をし、つっけんどんな口調で問いかける。兎は荒い息を整えながら、答える。
「お母さんが、……母が、今朝方、急に……。でも、どうしたらいいか分からなくて……」
そこまで言われれば不吉にもピンときてしまった。とりあえず兎を落ちつかせ、状況の確認をせねば。
「俺が聞くことだけ答えろ。母親に何があった?」
今にも泣き出しそうな兎は息を整えながら答える。
「今朝方、「いつもよりお腹が痛い」って言って、それからお腹を抱えたまま倒れて、返事もしなくなっちゃったんです!」
「そうか、発熱だったり、嘔吐とか呼吸が変になったりはしたか?」
「いいえ……ただ、いつもより苦しそうで……。今は寝たというか気絶したように眠っています」
「お前がここに来るまでどれくらいかかった?」
「いつもよりちょっと早めで……一時間ほどです」
状況確認の受け答えをしていく中で、少しずつ兎は落ち着いてきたようだ。もちろん、医者ではない店長にこれだけの診断で何か分かるはずもなかったが、あまり芳しい状況ではないことだけは分かった。店長は踵を返し、店に戻る。
「ちょっと待ってろ。今から矢部の所に行ってくる。来て早々大変かもしれんが、お前は街へ帰れ」
そう言って急いで服を取りに行く。兎が何か言いたそうにしていたが、無視して出立の準備を始める。
まだ太陽は昇らず、辺りは全くの暗闇。しかし遥か遠くの砂丘と空の境目が微かに白んできた。夜と朝の境目。バイクの準備もして、店も地中のシェルターへ隠し、店長はいざ矢部医師宅へと向かおうとバイクに跨る。
その時、兎が後部席に乗り込んだ。すでに街へと戻ったと思っていたので少々驚いた店長が驚きと怒りが混じった声で問う。
「何してんだ、まだ街へ戻ってなかったのか! お前は先に街に戻ってろっつったろ。矢部は乗り物を持ってないし、お前がいると矢部を乗せて街に帰れん」
「向こうに着いたら私は歩いて街に戻ります! 私も行って、直接頼みます!」
「はぁ? 直接頼もうが間接的に頼もうが、変わらん――」
「ダメです! 矢部さん、言ってました。「無責任でノーリスクの人間からの依頼が嫌い」って。私の家族とは無関係の店長に頼って、自分は家でただ待つなんて無責任なことできません!」
無関係と言われたが、店長にとって兎の母は命の恩人であるのだが――その説明をするのも時間が勿体ない。
「……そこら辺は俺が上手く説得する。第一、直接頼み込めば責任が生じるって訳でもないだろ。礼儀と責任をはき違えるな」
兎は首を振る。
「礼儀のために行くんじゃありません。直接行くのは――交渉をするためです! 店長、言ってましたよね。矢部さんを動かすには大きな見返りが必要だ、って。私にはなにも差し出すものが無いと思っていましたが……ひとつだけありました」
店長はなんだか嫌な予感がした。というのも、兎の目はいつもの自信なさげなものから、確固たる自信のある目へと変わっていたからだ。この自虐的な小娘が自信を持って差し出せるものなんて想像に易い。それは――。
「『私の身体』です。矢部さん、薬の研究のために実験体が欲しいって言ってましたよね!? 私の身体で、新しい薬の実験でも何でもやってもらいます!」
間髪入れず店長はツッコむ。
「やめとけやめとけ。お前、薬の実験がどんなのか知ってるのか? 毒を飲まされるようなもんだ。身体の不調や苦痛だけならまだしも、最悪死ぬんだぞ?」
「私の身体ひとつで新しい薬ができるなら、むしろ望むところです」
そう言ってう兎は後部座席から動く気配はない。死すら覚悟した者の決意がそう簡単に揺らがないことを店長は知っている。店長は舌打ちし、バイクの発進準備を始める。
「このクソガキが……自己犠牲精神も大概にしろ。……とにかく、ここで言い争ってる時間が勿体ないない。行くぞ」
「ありがとうございます!」と兎が言い切る前にバイクは走りだした。まだ暗い、日の出前の砂漠を駆けていく。
◇◆◇◆
遠くの空から太陽の顔が見え始めた頃。朝焼けの下、砂丘の輪郭が紅く染まる中、身を切るほど冷たい空気を突っ切りながら一台のバイクが駆け抜けている。一昨日よりもそのスピードは速く、兎は身動きひとつせず店長の背中にしがみついている。
地平線の彼方、砂丘の奥から光を零しながら現れた太陽。矢部医師宅に着いた頃には、辺りは黄色く輝いていた。一昨日バイクを止めた所と同じ場所に止まり、二人は急いで降りる。そして足早に矢部医師の家へと向かう。
その時、店長はある事に気がついたが、特に深く考えず先を急いだ。走りながら兎は店長に問いかける。
「一昨日もですが、なんで矢部先生の家の近くでバイクを停めないんですか?」
「医療技術は珍しいからな。矢部を狙う連中も少なくない。だから、なるべく人目に付かないように、少し離れた所から隠れつつ、あいつの家に行かなきゃならんのだ」
瓦礫の山を通り過ぎ、少し開けた所、矢部医師宅前に到着した。しかし、そこに出るなり、店長は小さく舌打ちした。兎は目に飛び込んだ光景をそのまま口にした。
「……なんで、先生の家の扉が開いてるんですか?」
一昨日は土に同化していた矢部医師の家へ続く地面の扉が、今はぽっかりと開けられていた。ついさっき店長が「人目につかないように」と言ったが、これでは誰の目にだってついてしまう。
店長は無言で穴に入る。滑る様に梯子を降り、地上の兎から一気に離れてしまった。もちろん兎も後を追う。
兎よりも手際よく落ちるようにハシゴを降りた店長。兎がやっと地下に辿りついた時、店長はゴミだらけの部屋の真ん中で茫然と立ち尽くしていた。周りには、矢部医師の姿が見当たらない。
「あの……店長……矢部さんは……?」
そう兎が尋ねるなり、店長はゴミ山を掻き分けて兎に近づく。その手には棒状の何かがあった。
「どうしたんですか? もしかして、何処かにお出かけでも……?」
「いや、違うな。おそらく――」
店長は手に持った棒状のモノを兎に見せる。それは旗だった。茶色の布地の旗。
「連れ去られた。狸座の連中に」
「はい!?」
兎は叫ぶように驚く。店長は静かに旗を床に捨て置く。
「クソが……。なんつータイミングだ……。さっき、地上で俺達以外のバイクの跡があったんだ。俺以外の矢部の知り合いが来たのかと思ったが、部屋の真ん中にご丁寧にこの旗が立てられていた。まるでこの地を占領した証のようにな。狸座の奴ら――いつか来る俺に知らしめるよう、わざとこんな物を残しやがって……!」
そう言って店長は足元に置いた旗を踏み、へし折った。
まさかこんな最悪なタイミングで連れ攫われるとは。しかし、今までバレなかったのにどうして今になってバレた? 先日訪れた際にも道中現れたな強盗連中は完全に撒いたはず。他に追手などの気配は完全なかった。一体、何故――?
と、店長は考えたがすぐにその答えが分かった。というのも、愕然とした兎が膝から崩れ落ち、
「わ、私のせいで……」
と呟いていたからだ。あぁ、なるほど。そういうことなのだ、と理解した。
はぁ、と大きめの溜め息を溢す。状況と原因は理解した。対応をどうするか、だが……。やるべきことは至って単純だ。店長は兎に一喝する。
「立て! 座り込んでる場合じゃないだろ! 今はここに居たって仕方ない。外に出るぞ」
そう言って店長は出口へと向かった。後ろからフラついた足取りで兎が続く。
兎がやや遅れて外に出た頃には、店長はすでに少し離れたバイクの元へとついていた。発進の準備をして、いざアクセルを回そうとした時。急いで駆けつけた兎が前に躍り出た。
「ち、ちょっと待って下さい! 私を置いて何処に行くんですか?」
「一旦、店に戻る。んで、狸座のアジトに行ってあいつ等全員ボコしてくる。心配すんな、今日中には矢部を連れ戻してくる」
兎は呆れ返ったような態度でバイクの前で立ち尽くす。店長は苛立ち、兎に告げる。
「急いでんだろ? さっさとどけ。悪いが、盤硬街に寄る時間は無い。お前はここから歩いて帰れ」
「い、いや、それよりも、なに言ってんですか。ボコすって……。いくら店長でも、一人で行ったら、殺されちゃいますよ!」
今度は店長が深いため息を吐く。
「あのなぁ、前にも言ったが、あいつらは何回も俺に刃向かって、その度半殺しにしてやってんだよ。……いいから、どけ」
それでも兎は退かない。バイクの正面に立ち、行く手を阻む。店長がいい加減怒りそうになると、兎は消え入りそうな声で言う。
「わ、私のせいなんです。私が――」
「あぁ、うざってぇ。お前との問答はイライラするから嫌なんだよ。もう、黙って後ろに乗ってろ」
そう言って店長は兎をヒョイと持ち上げ、後部座席に座らせた。「え、あの、ちょっと言いたいことが――」と続ける兎を黙らせるようにエンジンを強く吹かせる。
「喋るな。舌噛みちぎっても知らんぞ。今は医者も居ない状況だし、誰も治療できん」
そう言ってバイクを高速で走らせる。今までは盗賊共にバレないようにゆっくり走っていたが、今はもうそれどころではない。バイクの限界速度、爆音と辺りに砂塵をまき散らすスピードで駆ける。
兎の言いたいことは粗方想像はついており、聞くまでもない。それよりも、今は一分でも早く矢部の奪還が優先だ。店に戻って、狸座に行って、全員ボコして、街へ向かう……今までののんびりした生活から比べると、かなりハードなスケジュールだなと舌打ちする。
太陽は完全に顔を出し、今日という日が始まった。




