2-3 ゲイ、弟
◯●◯●
店先に現れた人影。トラが着ていたのと似た灰色の外套。背丈や身体の厚みもトラと似ていてる。トラと違いがあるとすれば、胸部がややトラよりも薄いくらいだ。顔にはこれまたトラと似たフルフェイスマスクを付けている。
暫くの間、三人は互いの様子を観察していた。トラが兎の手を放すと、新たな来訪者はこちらに向かって歩き始めた。マスクから溜息のようなものが聞こえた。
「こんな真っ昼間からなに盛ってんのよ、お姉ちゃん。そんなちっちゃい子も守備範囲だったかしら」
「あぁ、クソッ、リュウか。店長もお前も、タイミング悪ぃな……」
そう毒づくトラのセリフに来訪者は少し笑った。
トラの視線が自分から離れたうちに、兎は少し距離をとる。同時に、こちらに歩み寄る来訪者へと目を向ける。
「お姉ちゃんがその子と楽しむなら、アタシも店長と二人っきりで楽しんじゃおうかしら。……で、その子、誰よ? 工房の新人?」
マスク越しの曇った声は少し低め。恐らく男性だろうと思われるが、兎は少し違和感を持つ。声色は男なのに、口調が女っぽいのだ。
「この店の新しいバイトだってよ」
トラがそう答えると来訪者は息を飲んだ。
「えぇ!? まだバイト募集してたの? んもう! 必要ならアタシがするって言ったのに!」
少し怒ったような声を上げると、来訪者は外套とマスクを脱いだ。
脱いだ外套の下は灰色のミリタリーパンツ、黒のTシャツ。トラと似た配色だ。その上につく顔は、白く整った優男。しかしその顔に似合わず筋肉質で引き締まった四肢。髪は短髪で、ほんのり藍色が混じっている。腰には鞘に納まった細い剣をぶら下げている。店長が持っていた「日本刀」という武器に似ている。
見た目だけは屈強な好青年だが、外套を脱ぎ折り畳む所作や口調、端麗な動きは女性を思わせる。ちぐはぐな風貌に兎はなんだかワンと鳴く猫を見た気分だった。
「げっ。リュウも来たのかよ……」
すると、外から聞こえたのは店長の声。この女男が真っ先に振り返ると、猫撫で声で愛想を振りまく。
「あら、店長! お久しぶり! 相変わらずそのアンニュイな態度がステキね!」
「……そりゃどーも」
店長は慣れた様子で軽くあしらい、ポリタンクを抱えて店に入ってくる。面倒臭そうな顔をしながらカウンターまで近づき、兎の近くで一旦ポリタンクを置く。兎の訴えかけるような眼差しに気づいたのか、リュウを横目に言う。
「こいつは浦茂龍司だ。トラの弟で、あの棚の刃物はあいつから仕入れてる。……そうだな、ちょうどいいや。刃物の手入れをこいつから教えてもらえ」
言い終わるとまたポリタンクを担いで店奥に向かって歩き始める。
兎は振り返り、リュウと言う男に自己紹介。
「十六尾 兎です。一昨日からここで働く事になりました。よ、よろしくお願いします」
「あら、そう。アタシの事は「リュウ」って呼べばいいわ……」
何故か、リュウは少しツンとした態度で、兎を睨みつけるように観察していた。敵意むき出しの視線を送りながら、兎の隣に座る。高身長のトラとリュウの間に、小さな兎が座る形となった。
店奥から再び出てきた店長はカウンターに座るリュウに尋ねる。
「お前も水と交換に来たのか? 一度に大量の水は取れないんだから、二人揃って来るなと言っただろ。だんだん取れる水も少なくなってきたしなぁ……」
それを聞いて兎はふと言葉が溢れた。
「あ……昨日私の身体洗ったせいですか……」
店長は無表情ながらも眉が少しピクリと動いた。それと同時にリュウが席から勢いよく立ち上がった。
「……店長、今のどういうこと?」
店長が溜め息をつきながら「あー、まぁ、その、なんだ……」と歯切れ悪くしている。代わりに兎が答える。
「昨日、なんやかんやあって私の服とかが汚れちゃって……色々洗うために水を使ってくれたんです。すみません、リュウさんが貰うはずの分を使ってしまったみたいで……申し訳ないです」
なんとなく恥ずかしいので、身体も洗われたことは伏せておいた。
しかし、リュウは俯きながら言う。
「つまり、アンタ、ここで着替えたってこと?」
「え? えぇ、はい」と兎が答えると同時にリュウは兎の頭を鷲掴み、持ち上げた。
「キェーーーッッ! つまり脱いだってことよねぇ!? なに気安くアタシ店長を誘ってんのよ!! この淫乱泥棒猫がぁぁぁ!!」
「ひ、ひえぇぇー……」
万力のように頭を締め付けられ、このまま潰されるかと思った。しかし、すぐさま兎の後ろから手が伸び、締め付けるリュウの腕を振りほどいた。
「落ち着け! たしかに唆るシチュだが、考え過ぎだ、バカ弟! 店長のこととなるとすぐこれだ……。明日からこの子が来なくなったらどうするんだ! まだオレが口説いてる途中だっつーの!」
「るっさいわね! お姉ちゃんは黙ってなさい! 何が「口説いてる最中」よ! 結局いつも口説く前に手が出るくせに、紳士ぶるの止めなさい!」
言い争う二人の巨人。万力から解放され、地面にヘタレ込む兎はそそくさと二人の足元から脱出した。素っ裸を洗われたことを言わなくて良かったと内心ホッとした。
カウンターの端まで逃げ、対面の店長と目が合った。店長はやはり無表情だが少々うんざりした様子。
「て、店長、なんなんですかこの人達は……!」
言い争う二人に聞こえないボリュームでそう問うと、店長は少し驚いた後に一人で何か納得したように頷いた。
「そうか、お前最近ここに引っ越して来たんだったな。ここらへんじゃ結構有名な奴らなんだがな。なんとなく分かったと思うが、弟のリュウも同性愛者――いわゆるゲイな。姉がレズで、弟がゲイ。二人揃って「浦茂姉弟」なんて呼ばれてる」
言い争っていた二人が同じタイミングで振り返り言う。
「「ホモは否定しないけど、浦茂姉弟!」」
店長は肩を竦める。
「ま、あれだ。旧時代で言うところのLGBT当事者だな。理解してやれ」
兎は聞き慣れない単語にひとまず頷いた。帰ってから母に聞くことにしよう。
トラが大きなため息をつく。
「あーやだやだ、店長の旧時代文化の話は割と好きだが、その話だけはあんまり好きじゃねぇんだよな。勝手に人の好みを分類すんなっつーの。オレは女が好きだけど、全部の女が好きなわけじゃねーし、場合によっちゃ男だって抱けるぜ〜」
リュウも姉の言葉に頷く。
「同じく〜。ま、便宜上「ゲイ」で通してるけどね。勝手に枠取りされるのはなんか癪なのよね〜」
なんだか難しい話だなぁ、と兎は頬を掻く。そんな戸惑う兎に店長は再度言う。
「――てな感じで、面倒……もとい自由な奴らだ。下手に巻き込まれないように、注意しな」
そう吐き捨てるとように言うと店長はそそくさと店の外に出ていった。トラとリュウは「今、面倒臭いって言おうとした〜?」と軽く憤慨している。
「……「自由」、か」
兎は店長が言った言葉をポツリと復唱し、色んな意味であまりお目にかかれない二人を見る。