2-1 銃火器、トラ
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朝。兎は店へ向かっている。予定では店へ九時頃に着くはずだったが、家族の世話で出発が遅れ、既に十時になってしまった。
――兎の家は七人家族。父はおらず、親は母のみ。兎が長女であり、残りの六人は全て弟と妹で構成されている。盤堅街には数ヶ月前に引っ越してきたばかりであり、それまでは北の大地を点々と放浪していた。
ある日、母が故郷である盤堅街に戻ろうと提案した。子供達は特に不満は無かった。北の大地から南下する際、狸座のアジトに辿りつき、一度は捕らえられたものの、街の居住を希望すると言うとすぐに街に案内された。
母は、街がいつの間にか狸座の監視下に置かれ、更に居住者は一日一定量の仕事が義務付けられ、完全にシステム化されていた事に大層驚いた。昔と変わった雰囲気に少し違和感を覚えたそうだが、兎はこの街をすぐに気に入った。放浪していた時と比べ、襲われる心配もなく、食べ物にも不自由しないこの暮らしは、理想的なものだった。母にかかる負担も相当少なくなる。
これから先は、なんの心配もない日々が始まるのだと思っていた。
――だというのに、今は店長から怒られないかで心配で頭がいっぱいだ。店長から借りた腕時計が壊れていることを祈りつつ足を進める。
昨日もキラー鳩に襲われるというイレギュラーのせいではあるが、仕事始めが遅れてしまった。二日続けて遅れてしまえばあの店長からなんと言われるか分かったものではない。
ハラハラしながらようやく店先まで辿りついた。黒く巨大な輸送車を改造した店は、やはり黄金の砂漠上では異質に思える。しかし流石にここに来るのも三日目ともなると、多少は見慣れて来たように思えた。
兎は外套を脱ぎながら階段を駆け上がり、ゴーグルと当て布を外す。外套のポケットにゴーグルを入れながら店に駆けこむ。
「すいません! 今日も遅れま――ぬぎゃっ!」
店先に駆け込んだ兎は、何かに全身でぶつかった。手元に視線を落としていたので目の前の何かに気が付かなかったのだ。勢いよくブチ当たり、兎はその場で尻もちをつく。
微かに香る油と火薬の匂い。一瞬、重火器にでもぶつかったのかと思った。しかし、それにしては柔らかく感じ、ぶつかった相手も小さく驚いた声を上げたため、すぐに人だと分かった。
「いたた……。すいません、店長、ちょっと遅刻して慌てていたもので――」
座り込んだ状態で謝り、見上げる。この店にいるのは店長くらいだろうと決め込んでいたのだがーー違った。
「デッッッッッッッ!!??」
そこに居たのは灰色の外套に身を包んだ人間だった。ただでさえ背の低い兎は、下から見上げるその人物はとてつもなく巨体に見えた。否、実際かなりの高身長なのだ。
フードを被って顔は見えないが頭頂部が天井近くまであり、全長二メートル近くあるように見える。高さだけではなく、体の厚みも店長より一回りほど大きい。
一目で店長とは別人と分かった。その人はこちらに背を向けていたが、ぶつかった兎の方へゆっくりと振り返る。フードに包まれた頭は、ゴーグルとマスクが一体化したフルフェイスマスクを被っていた。シューシューと、掠れた不気味な呼吸音を鳴らし、兎を見下ろす。
数秒、互いに見つめ合う。まるで品定めされているかのように感じた兎は小さく震える。するとマスクの奥から低い声で「良い……」と聞こえたような気がした。
背筋に冷たい悪寒が走る。この風貌から察するに、強盗の可能性が高い。
「あ、わっ……て、ててて、店長、助けっーー」
強盗(仮)から視線を外し、カウンターを覗く。普段ならそこに店長が踏ん反り返って座っているはず。だが、今はどういう訳かその姿は無い。ますます兎は恐怖のどん底に陥った。
「あ、あばばっ……」
震えながら後退するも、素早く動けない。強盗(仮)は、そんな兎の様子を一部始終見つめていた。
すると、いきなり兎の方へ一歩踏み出す。同時に兎は軽く飛び上がる。今にも卒倒しそうな顔色で兎はまだ後退を試みようとした、その時。
「んはははっ! なんだこの可愛い生き物は!?」
強盗(仮)は豪快な笑い声を上げる。その風貌からは想像できない少し高めの、張りの良い声だ。
笑い終わるとその場にしゃがみ、兎と目の高さを同じにする。シューシューとマスクから音を漏らしながら、手を伸ばし、兎の汗で少し髪が濡れた頭を撫でくり回す。パニック状態の兎は何が何やら分からず、身体に力が入らず、されるがままだ。
すると、後ろから声がした。
「あんまりイジメてやるな。そいつはうちの新しいアルバイトだ」
聞き覚えのある声。店長だ。兎はやっと体に力が入るのを感じると、入口前の店長の足元へ虫の如く這っていく。
「アルバイトぉ!? お前、まだ募集してたのか? 懲りねぇなぁ」
マスクの下から素っ頓狂な声を上げ、その強盗(仮)は立ちあがる。
「うるせ。今までの奴らは根気が無いし、使えん奴らばっかりだったんだよ。聞いて驚け、こいつは今日で勤続三日目だ。そこそこ根性はあるし、何より使える。お前らより遥かにな」
そう言って床でヘたれこむ兎を見下ろす。震える兎の様子を見て、少し首を傾げる。
「ところで、なんでお前こんな所で座ってんだ? ま、いいか。それより、トラ。いいかげんそれ、脱いだらどうだ?」
呆れた口調で言うと、「トラ」というその人物はハッと気づいた様子で喋る。
「おっと、忘れてたわ。道理で息苦しい訳だ」
外套を脱ぎ、雑に折り畳む。外套の下に着ていたのは、迷彩柄のミリタリーパンツに黒のタンクトップ姿。畳んだ外套を近くの棚に適当に置くとフルフェイスのマスクを外す。
「ふぅ、今日も今日とて、あっちぃなぁ」
マスクを外し、顕わになった長髪を左右に振る。肩より下に伸びた金髪。地毛が黒なのか頭頂部の根元は黒髪だ。兎同様、癖っ毛なのか、所々ハネて獣のように少し荒い毛質。
トラという人物は前髪を手グシで直すと、兎と目を合わせる。二カッと微笑むその顔は眉目秀麗、兎が見惚れるほどの美しいものだった。しかし、その顔面以上に目がいくところがある。顔の下、胸部だ。
「お、女の人だったんですか」
「おん。声で気付かなかったか?」
確かに女性の声だが、如何せん男勝りな口調。マスク越しの籠った声で、兎が勘違いするのも無理はなかった。しかし、外套を脱ぎ、顔を晒すと完全に女だと分かる。
全身かなりの筋肉質ではあるが、何よりその胸部。筋肉だけとは思えない豊満――というか重厚な胸。一度目にすると視線を外すことができなかった。幼児体型の兎にとって理想の身体そのものだった。
そんなトラに目を奪われていると、
「いつまで座ってんだ。さっさと立て」
店長の叱責と共に頭を軽くコツンと叩かれた。痛くはなかった。しかし、その様子を見てトラは店長に苦言する。
「おいおい、女の子だぜ? もうちょっと丁重に扱えねぇのか」
トラは殴られた兎を慰めるように頭に手を添える。
「いいんだよ、うちのバイトなんだから」
「そんな事言ってるから次々バイトが辞めていくんだろ……。さぁ、立てるかな? お嬢ちゃん」
トラは兎の頭を数回撫でると、そのまま手を差し伸べる。「あ、ありがとうございます」と、兎は遠慮なく手を伸ばすと、力強くしかし優しく持ち上げられ、ふわりと床に立たせてもらった。
「もしこの店で働くのが嫌になったら、うちの工房に来てもいいんだぜ?」
「えっ、あ、はい……工房?」
「まぁ立ち話もなんだし、ちょっと座って話そうぜ。いいだろ? 店長」
兎を引き上げたトラは店長にそう尋ね、店のカウンターに目を向ける。小さくため息を溢し、店長は不機嫌そうに「少しだけな」と答えた。
三人はカウンターへ。店長は小さな鍵を振りまわしながらカウンターの奥側に座り込む。トラと兎は店長と向き合う位置に並んで座った。
席に着くやいなや、トラは兎へ話しかける。
「ところで名前は? ……あぁ、まずはオレから名乗らなきゃな。オレは浦茂美虎だ。呼ぶ時は「トラ」でいいぜ」
握手を求め、手を差し伸べる。断る理由も無く、兎はトラの手を握り返す。
「ど、どうも。十六尾兎です。一昨日から、ここで働くことになりました」
ギュッと握られた手は暖かかった。そして、何故か肩に手を回してきた。ぶっきらぼうな店長とは真逆の、実に親しみやすい印象を持つ人だと感じた。――妙にボディタッチが多い気がするが。
「兎ちゃんか。可愛い名前だね。この店には毎日来るのかい? もしそうだったら、オレも毎日通っちゃおうか――」
トラの言葉を遮り、店長は言う。
「挨拶はそれくらいにしといて。トラ、ちょっと頼みたい事があるんだが」
「おう、ちょうどオレも頼みたいことが今できた。「オレと兎ちゃんの楽しいお喋りの邪魔するな」だ。それができたら聞いてやるぜ」
兎に向ける表情とは打って変わって、怪訝そうな顔を店長に向ける。しかし店長は無視して進める。
「それなら丁度いい。こいつに銃の点検と整備の仕方を教えてやってくれ。楽しいお喋りになりそうだろ?」
「そういうことは早く言えよ〜! やるやる! 今やる!」
つい先ほどの表情とは裏腹に即決で快諾。肩を抱く手でポンポンと兎を叩く。しかし、兎は現状をよく分かっていなかった。
「えーっと、私、何かするんでしょうか?」
二人に問いかけると店長が答える。
「あぁ。さすがに掃除と接客だけじゃ仕事にならんだろ。だからここに売ってる銃の点検と整備も覚えて、定期的にやれ。こいつは銃火器の専門家だし、いい機会だ。教えてもらえ」
「はぁ……専門家、ですか」
「そうそう。ここにある銃も、ほとんどオレが納品した子達なんだぜ?」
そう言って棚に並べられた銃火器類を指差す。
「へー、そうなんですか。武器は全部、店長が人から奪った物だと思ってました。……もしかして、沢山のガラクタもどこからか仕入れてたりするんです?」
「てめぇ、俺を何だと思ってやがる。平和と規律を愛する俺が盗品を売るなんて――まぁ、中にはそういうのもあるが。つーか、俺の大事な商品をガラクタって言ったか? 一昨日から思ってたが、ちょくちょく口が悪くなる奴だな……」
「ま、口が悪くても働くだけマシか」と、店長は溜息と共に立ち上がり、外へ向かった。面倒臭そうな空気を醸し出す背中に兎は声を掛ける。
「あれ? 何処に行くんですか?」
すると店長は振り返りもせず、外を指差して答える。
「「水汲み」だよ。……あー、その辺の話もついでにトラから聞いとけ」
そう言い残し店長は入口から消えてしまった。取り残された兎とトラ。依然、トラは微笑んでいる。その謎の笑みに兎は小さな不安を覚えたが、悪い人ではなさそうだと心に言い聞かせる。
肩に置かれたトラの手が、心なしか強くなった気がした。