1-10 乙女、純情
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焼けた香ばしい香り。油の弾ける音、湧きあがる上品な煙。豪華で豪快な店長の料理。
「よし、もうそろそろか」
「ん゛ぁ! 血ぃ!」
賑やかな匂いと音が溢れる中、兎は目を覚ましたようだ。
店先の階段を上がったステップ、日陰で風通しの良い所に兎は寝かされていた。体の上には毛布が掛けられている。周囲には白い煙と焼いた肉の香りが充満していた。
兎は体はまだ上手く動かないらしく、首だけ回して辺りを見渡す。「血……血……」と呟いていたが、ようやく意識も取り戻したらしい。この匂いの元を探し、太陽がさんさんと降り注ぐ砂漠の中に店長の姿を見つけたようだ。
店長は小さなパラソルの中、目の前に鉄板を置き、調理をしている。兎が目覚めたことに気が付き、その手を止めたところ、ちょうど兎と目が合った。
「何……やってるんですか?」
「料理」
ジュージューと鳴る鉄板の肉をひっくり返しながら答えた。しかし兎は尚もボーッとしている。
「おい、ちゃんと起きてんのか? 鳩に襲われたショックで記憶喪失になった、とか言わねぇだろうな」
「はと……鳩……」
兎はうーんと考える素振りをすると、思い出したのか、軽くえずいた。
「大丈夫か?」
「うぅ……はい、なんとか。ご心配ありが――」
「吐くなら店の階段で吐くなよ。掃除が面倒だ」
兎はぬぬぬと店長を呪う様に呻くが、横に水筒が置いてある事に気が付いたようだ。飛びつくように水筒を掴み、ガブガブと飲む。すると、更に店先の隅に立て掛けられた二本の武器に気が付いたらしい。
一本は鞘に入った細長い刀。真っ黒な鞘に収まり、飾り気の無い簡素な外見から、冷たい印象を与える。あの巨大な鳩を斬ったにも関わらず特に痛んだ様子は無い。
もう一本は、刀とは対照的に太く大きな剣――否、剣とは呼べない。小さい刃の付いた鎖がキャタピラのように巻き付き、鍔の部分は鍔の代わりに中型のエンジンが搭載されている。柄にはボタンがあり、このエンジンを起動させると刃の鎖が回転する。
兎はまるで初めて見る物体のように、武器をまじまじと見つめていた。すると、調理を続ける店長が解説する。
「良いだろ、それ。細いのは、所謂「日本刀」だ。パッと見、何処にでもある日本刀に見えるかもしれんが、実は旧時代の技術が搭載されてる超レア物だ。刃の切れ味を増すために、超音波振動子が柄の中に内蔵されてる。バッテリー駆動で五分間が限界だから、使い時を見極める必要がある。超音波振動って知ってるか? 高い周波数の振動を起こすんだが、それで――」
暫く刀の説明が続いた。しかし、店長が何を言っているのか兎にはほとんど分からなかったらしくポカンとしている。とにかく、この日本刀はなんでもスパスパ斬れるのだ。
「――で、そっちのデカイのが「チェーンソー」だ。小型の電動エンジンを搭載しててこれもバッテリー駆動だが、こいつは三十分は働いてくれる。その分、重いけどな」
話が終わる頃、兎はすっかり体調も元通りになっていた。どうやらもう旧時代の武器には興味がないらしい。
「店長、今更ですが、あの『キラー鳩』は……?」
兎がそう言うと、店長は鉄板で焼く一枚の肉をトングで持ち上げる。
「この通り、焼き鳥になったぞ。……ん? でもこういう網焼きの場合は「焼肉」って本には書いてあったな。でも鶏肉しかないから厳密には「焼き鳥」なのか? それとも「BBQ」? ……BBQってなんの略だ?」
店長がブツブツと独りごちり始めると、兎はわざとらしく咳き込んで止める。
「武器の話をした時点で察してはいましたが……。あの殺人鳥を返り討ちにするなんて……」
兎がふと店長から視線を外し、自分が気絶したであろう場所を見ると赤黒いシミのようなものと、羽根や細かい骨が砂原の上に残っていた。あの殺人鳥はすっかり店長に解体されている。
「『殺人鳥』ね。旧時代では『平和の象徴』とまで言われていたのにな。核戦争による放射能のせいなのか、はたまた……」
兎は顔を引き攣らせて笑う。
「『平和の象徴』なんて、冗談ですよね? どれだけの人がミンチになったか……。うぅ、すみません、私、ちょっと店の中に居ますね。どうもこの匂いがーー」
と、兎は上体を起こす。
すると、兎は何かに気が付いたらしく、掛けられた毛布の上から自分の体を触る。そして、布の中を覗くと――。
兎、しばし硬直。周りには肉の焼かれる音しか聞こえない。
が、次の瞬間。
「えええええええええええええええぇぇぇぇ!!!!!!」
キラー鳩の咆哮より高く、大きく、広い砂漠に広がる叫び声。あまりの絶叫に、店長は手に持っていたトングを落とし、兎の方を見やる。
「ビビった。なんだ、急に叫んで……」
「な、ななな、なななななななななんで、服がががが」
顔を真っ赤にした兎は毛布を体に巻きつけるようにして、小さく震えている。
あぁ、そういうことか、と店長は理解した。
「服か? そりゃあお前、あんな血だらけの格好のまんまで置いておく訳にはいかんだろう。お前が気絶してたから、服を脱がしといてやったんだ」
「な、なに平然と「脱がした」とか言ってるんですか! し、しかも、え、これ、いまスッポンポン!?」
更に顔を赤く染める兎は、毛布の中の自分の体を確認しながら言う。
「全身拭いた後、服を着せるのが面倒だったからな。こんなに暑いんだ、布一枚でも風邪は引かんだろ? 店ん中にテキトーにある服、着てこい。あぁ、金なら気にすんな。鳩をおびき寄せてくれたお礼だ」
「そ、そうじゃないでしょ!!」
再度、兎の雄たけびが辺りに木霊する。今度は怒気が混じっている。
「い、いまなんて言いました!?! ぜ、「全身拭いた」!?」
鬼気迫る勢いで問い詰める兎に、店長は少々圧倒されながら答える。
「いや、だから、血まみれだったから、脱がして全身拭いてやったんじゃねーか。貴重な水まで使って洗ってやったんだぞ? 特に関節とかきわの所とか結構大変――」
急に、兎の顔が幕を下ろすようにサッと青白くなっていった。コテンと床に寝転がり、頭から毛布を被る。
急激な変化に店長は茫然と見守るしかできない。暫く沈黙が続くかと思いきや、毛布の中から兎の咽び泣く声が聞こえてきた。
いちいちリアクションがデカい奴だな、と店長は半ば呆れながらも一応聞く。
「なんだ? 具合でも悪いのか?」
返事は虚しく、帰って来ない。静かに肉が焦げる音と兎の泣き声が聞こえるだけだった。
(なんだこいつは……)
店長が落としたトングを拾い上げると、やっと返事らしきものが返ってきた。
「――汚された……」
「あ?」
沈黙。ややあって、更に毛布の中から兎が言う。
「店長に、……汚されたーーー!」
「逆だ。ちゃんと綺麗に拭いてやっただろうが」
「物理的な意味じゃありません!! 精神的な方です!!」
毛布から顔を出した兎は目を三角にしながらも、しっかりと大粒の涙を流していた。
「乙女のっっ、「乙女の純情」をっっ……店長に盗られたって言ってるんです! こんな、こんなオッサンに盗られるなんて……!!! うわぁぁぁぁ……」
さめざめと涙に暮れる兎。店長は淡々と肉をひっくり返す。
「なにが「乙女の純情」だ。ガキのくせして生意気な」
「ガキじゃないやい! もう立派な大人です! 今年で十八歳の、花も恥じらう立派な乙女じゃい!!」
無表情ながらも、店長は少し驚いたらしくポカンと口を開いた。暫くすると、開いた口からこぼれるように一言呟く。
「十八……? まじか。俺と三つしか変わらねぇのか」
毛布の中の兎は怒り散らしながら答える。
「そうですよ! 十八!! 店長とたった三つしか……「三つ」?」
兎は毛布から顔を出し、涙で腫れた目で店長を見つめる。互いに観察し合う事、数分。
「お前、その外見で十八は嘘だろ。てっきり、やっと十代になった頃かと……」
ムッと顔を顰めて兎が言う。
「店長こそそんな顔で、えっと、三歳上だから……二十一!? 嘘だぁ、どう見ても三十代でしょ。それも後半」
お互い、驚きが隠せないまま、睨み合いが続いた。
店長はとりあえず焼いている肉を皿に上げ始めた。皿に肉を移し終えると店長が言う。
「それにしても、あの体で十八か……」
「なっ……! うるさいっ! 思い出すな! この老け顔!」
「うるせーな、色々苦労してんだよ。ま、あれだ……特に欲情もしなかったから安心しろ」
「それはそれで腹立つんですが!?」
と、言ったところで兎の腹がグゥと鳴った。
「腹が立つんじゃなくて、腹が減ったの間違いだろ」
店長はハァとため息を零し、肉の盛られた皿を持って、兎の元へ歩み寄る。「食べろ」と言わんばかりそれを差し出す。しかし、兎は小さく頭を下げて言う。
「え、あ、すいません。お肉、あまり好きじゃないんで……」
肉を食べないからそんなちんちくりな身体になったのでは? と言いそうになったが、時代が時代ならセクシャルハラスメントというやつで訴えられるな、と考える。
が、今はそんな時代でもない。
「肉食わねぇからそんな貧相な身体になったんじゃね?」
「なっ!! このっ……! お母さんに言いつけてやる……!」
「なんだその幼稚な捨て台詞は。栄養の他に語彙力も身につけるこったな。……店ん中に肉以外の非常食もあるから、テキトーに食べてこい」
店長は差し出した肉を自分の口に放り込んだ。