この国の頂へ
この展開になる前日の話。フードコーナーで【ピクシー】の正体が佐々木静香だと判明した時。
紅林は直接本人に確かめようと電話をかけようとしたがこれを俺が止めた。
俺が報告書を一緒に見ようと提案したのも、犯人の正体がわかった時点で紅林の性格上すぐに確かめずにはいられないだろうと見越しての処置だった。
案の定紅林は佐々木本人に確認しようとした。
「止せ」
「どうしてよ‼こんな裏切り、私の……」
しばらく感情を抑えきれない様子の紅林、そして独り言のようにボソリとつぶやいた。
「どうして、どうして静香が……友達だと思っていたのに、親友だと思って……」
あまりのショックで言葉にならないようだった。
「向こうもまだ友達だと思っているかもしれないぜ」
「そんな訳ないじゃない‼友達だったらこんな事をするはずがないわよ‼」
声を荒げ吐き捨てるように紅林は言った。周りの客が驚いてこちらを見ていたのだが紅林にとってはそんな事はどうでもいいようだ。
周りを気にする事も無く両こぶしを固く握り締め、やりきれない気持ちを抑えきれずワナワナと震えていた。
「俺には何となく佐々木の気持ちがわかる気がするんだ」
俺がそう言うと紅林は無言でこちらを見た。俺はそのまま話を続けた。
「俺の予想では佐々木はお前を憎んでいたり、嫌っているから悪口を書いているのではないと思えるのだよ」
「どうしてよ、それ以外に人の悪口を書き込む理由があるの⁉」
まるで俺に挑んでくるかのごとき目で紅林はこちらを睨む。
「あるさ、お前のような人間にはわからないだろうけれどな」
「どういう意味よ、私が鈍いって言いたいの⁉」
「そういう訳じゃない、まあ俺の勘みたいなものだから外れている可能性も大きいが……」
「結局、貴方は何が言いたいのよ⁉」
振り上げた拳をどこにぶつければいいのかわからなくてやり切れない様子の紅林。
ここで安直に俺に危害を加えてこないだけ冴子よりは随分とマシな人間だ。
「俺に考えがある、この件は俺に任せてもらえないか?」
紅林は視線を逸らし感情を押し殺すように黙っていたが、しばらくして無言のまま小さくうなずいた。
そして俺は今回の作戦を伝えた。
「佐々木が紅林の事を本当に裏切っていたのか、それともまだ友達と思いつつこんな事をしてしまったのか、まずはそれを確かめる」
「どうやって?」
紅林はすかさず問いかけて来る。
「まずは佐々木を呼び出して証拠を突きつける。そして俺がとことん佐々木を追いつめるからお前はとにかくジッと黙って佐々木の事を見ていてくれ」
どうにも納得しきれない様子の紅林だがそこは感情を押し殺し、コクリとうなずいた。
「そして佐々木の本音を聞き出す。俺の見立て通りならば佐々木は反省して心から謝罪するはずだ、その時は許してやれ」
「そんな事、できないわよ‼」
紅林は反射的に答えた。だがここで引き下がっては紅林の為にはならない。
俺はすかさず紅林を諭すように説得した。
「許してやるんだ、そのぐらいの度量の大きさを見せなくてどうする。
どうしても佐々木の事が許せないというのなら表面上だけでもいい
選挙の為と割り切って許すポーズだけでいい。そうすれば佐々木は本当の意味でお前の大きな力になってくれるだろう
そして今度こそ真の友達になってくれるはずだ」
紅林は納得していない様子だったが〈選挙の為に割り切れ〉と言ったのが良かったのか、理性で感情を抑え込み無言でうなずいた。
一人の友達もいない俺が〈真の友達になってくれるはずだ〉とか、どの口が言っているのだ?と自分でも思ったがそこはスルーしてくれた。
しかし完全に納得しきれない紅林は俯きながら低い声で問いかけて来た。
「じゃあ、静香が本当に裏切っていたら、どうするのよ?」
「その時は佐々木静香を潰す。この学園で絶対に浮かび上がれない程の重い十字架を背負わせてやる。
三年間表舞台に出られることも無く皆に後ろ指をさされ続けながら細々と生きるか
それが嫌で転校するかの二択を迫る。これ以上ない程徹底的にやってやるから、それでいいだろう?」
俺の言葉を聞きゾッとした表情を浮かべる紅林。
「そこまでやるの……」
「当たり前だ、ウチの学園は政治家を育成する学校だぞ、政局を乗り切り勝者となるには敵は徹底的に排除する
それが鉄則だろう?だが本音を言えばそこまではしたくない。そうならないことを祈るばかりだ……」
紅林は複雑な表情を浮かべ唇を咬んだ。
「そうよね、私達はそういう世界に行くためにこの学園に来たのよね……」
「ああ、その通りだ。〈人に情をかけるな〉とまでは言わないが、かける相手は選ぶべきだ。
政治の世界なんて敵か味方かしかいないと思った方がいいからな」
紅林は何かを吹っ切ったように大きくうなずいた。
「わかったわ、それで私は具体的にどうすればいいの?」
「俺が佐々木を徹底的に追い込むから紅林はジッと黙って見ていてくれ。無表情の無感情でただ佐々木をジッと見つめていればいい。
おそらくそれが佐々木に対して一番効果がある。それで彼女の本音が聞けたら後はお前が判断しろ。
さっきは許せと言ったがやはり許せないというのであれば止めはしない。
さっき言った第二プランを実行し佐々木を徹底的に潰すまでだ」
「最終判断は私が決めろという事ね。貴方は優しいのだか、厳しいのだか、わからないわね」
「当たり前だ、俺はあくまでサポートだからな。リーダーとは時に厳しく難しい決断をしなければいけない事がある。
例えそれが残酷な結果になっても、それが元で失敗しても、自分で判断して責任は自分でとる。
それが真のリーダーだと思うぜ、知らんけど」
「そうね、そうよね……ありがとう佐山君」
「だから、お礼はまだ……」
俺が言いかけると、紅林は人差し指を俺の口に近づけて発言を遮り〈それ以上はストップ〉のポーズをとった。
「貴方にお礼を言うのも私の判断でした事だから、例えこの作戦が失敗したとしても貴方を恨んだり責任を押し付けたりはしない。
心の底から感謝するわ。だからお礼を言ったのよ」
そう言われてしまっては何も言い返すことはできなかった、やっぱりこの紅林美鈴という女は面白い。
コイツとならば人間として友達になれる気がした。
佐々木静香は何度も何度も紅林に頭を下げ心の底から謝罪した、少なくともその行為に嘘偽りはなかったと思う。
紅林もそれを許し、今まで通りの友達でいてくれと告げた。
もちろん佐々木は感謝しながら何度もうなずき、再び号泣した。
紅林には偉そうに〈度量の大きい所を見せて許してやれ〉と言ったが俺なら絶対に許さないだろう。
そして二度とかかわらない。紅林美鈴という女の器の大きさに感心しきりだ。
佐々木静香が帰りひと騒動があった校舎裏に静けさが戻った。
今回の作戦はまあ成功したと言ってもいいだろう。俺は紅林と二人きりになり一連の事を思い出して
どこか気恥ずかしいというか照れ臭く感じていると紅林がこちらを向いてニコリと笑った。
「今回の件は本当に助かったわ、改めてお礼を言わせて。本当にありがとう、佐山君」
紅林は深々と頭を下げる。だから、そういう事をされるのが一番照れ臭いっての。
「別に、いいから、そういうの……」
急にコミュ障が全面に出たかのような答え方になってしまった。
意識すればするほど顔は赤くなり態度がギクシャクしてしまう。
さっきまで普通に話せていたのに、何だ、これ?
一人でテンパる俺の姿を見て、クスクスと笑う紅林。
「何よ、その態度?昨日は私に説教気味に講釈垂れていた癖に何でそんな感じになるのよ?」
「うるせーよ、それがわかればとっくにボッチを卒業しているっての‼」
いい訳にもならない言葉を吐き、更に笑われる羽目になった。本当にしまらないな、俺は。
紅林はひとしきり笑った後、下を向きながら突然俺の手を握ってきた。何だ、この展開は⁉
しかしその後に彼女が発した言葉は俺の期待するものとは少し違っていた。
「佐山君にばかり嫌な役を押し付けてごめんなさい。貴方がいなければおそらく静香とは絶交していただろうし
今度の選挙も勝てなかったでしょう。ありがとう、どれだけお礼を言っても足りないくらいよ。
心から感謝するわ、本当にありがとう、佐山君」
紅林は両手で俺の手を握りその手から暖かさと思いが伝わって来る。
その時の俺は不思議と緊張も動揺もしなかった。頭を上げた紅林は、今度は真剣な顔をして俺の目を見て来た。
「佐山君、今度は私から正式にお願いします。どうか私に力を貸して、私の仲間に……
いえ、私の参謀としてその知恵を貸してくれないかしら?」
意外な言葉だった。今回の件でまあ少しは仲良くなれたかな?くらいの感じでいたのだが
冴子に続いてこの俺を過大評価する者が現れた。しかもとびきり優秀な人間だ。
俺は返事を躊躇した、そんな人間に期待されても俺にはその期待に応えるだけの能力などない。
もし仮にあったとしても今後継続してモチベーションが保てるのかも不安だ。
今回の件はいわば冴子に言われて渋々付き合ったにすぎない
元々俺は物事に執着しない性格だし未来の希望とか将来の夢とか言われても全然ピンとこない。
期待すれば裏切られるし、希望を持てば絶望が待っていると思っているからだ。
ましてや他人の為に力を貸すなどどう見てもガラじゃない。
もちろんコイツの事は嫌いじゃないが、どう考えても俺には不向きだろう。
俺は少し考えたフリをして断ろうとした、その時である。
「そういえば今回の件が解決したら私の夢を話すという約束だったわね」
そういえばそんな事を言っていたな、今の今まで完全に忘れていた。
まあ忘れてしまう程度にしか気にしていなかったというのが偽らざるところだ
そもそも自分の夢も抱けないのに他人の夢とかどうでもいい、俺はそう思っていた、紅林の話を聞くまでは……
「私ね、この学園をトップの成績で卒業して国会議員になって、いずれ必ずこの国初の女性総理大臣になるわ」
紅林美鈴は堂々と、そしてきっぱりと言い切った。その目には迷いも恐れも無い、まっすぐに俺の方を見ながら、いやその先の未来を見据えながら言ったのだ。
俺は紅林の言葉に一瞬頭が混乱した。それはそうだろう、モノの分別の付かない子供ならばいざ知らず、高校生にもなって総理大臣になりたいとか……
大体そんなモノなろうと思ってもなれるモノではない、コイツは頭がおかしいのか?と本気で思った。
しかし紅林は〈総理大臣になりたい〉とか〈なることを目標に〉とかではなく、総理大臣になるときっぱりと言い切ったのだ。
正気の沙汰じゃない、いくらこの学園をトップで卒業し国会議員になれたとしても言うに事欠いて総理大臣だと?
日本のトップともいえる内閣総理大臣の椅子に座るとか大言壮語も甚だしい、馬鹿も休み休み言えと説教したいところだ。
だが頭ではそう思いながらも自分の体が熱を帯びてきているのがわかった、平たく言えば高揚しているのだ。
馬鹿馬鹿しい、そんなことできる訳がない、と頭で考えながら〈もしかして〉と感じていた
本気で期待している自分がいるのだ。紅林美鈴には期待させる何かがあった。
俺は知らないうちにワクワクしていたのだ。こんな思いは小さな子供の頃以来だ。
考えてみると俺には未来への希望も将来の夢も全くなかった。
もっと言えば趣味も特技も友達もいない、少しばかり勉強ができるだけのコミュ障で偏屈な社会不適合者。
そんな将来真っ暗な俺が今この瞬間やりたいことを見つけた。
この女を、目の前にいる紅林美鈴という世間知らずで怖いもの知らずの女王様をこの国のトップに押し上げる。
そう考えると背中がゾクゾクし全身の血液が沸騰したのかとさえ思えた。
改めて紅林を見ると俺に右手を差し出したままその手を引っ込めようとはしなかった。
俺が協力してくれると確信している様子である。これだから美人は……いや、女王様は嫌なんだ。
世の中は全部自分の思い通りになると思ってやがる。でもそれもいい、いやそれがいい。
なあに女王様のお世話には慣れている、俺にとってはまさに適任、天職と言い換えてもいい
こんな事は俺以外にできるモノか、ていうかこんなおいしい役目誰かに譲ってたまるかよ。
俺は無意識のうちに紅林の差し出した手を取っていた。
「是非協力させてくれ、俺が必ずお前をこの国の内閣総理大臣の椅子に座らせてみせる」
脳が考えることもなく口が勝手に発言をした。何を言っているのだ、俺は?
どうやら紅林の熱に当てられたらしい。イカレていると言ってもいいだろう。
友達すらできないこの俺がクラスメイトの女子を総理大臣にするだと?思い返すだけで笑ってしまう程だ。
でも悪くない、というより最高に気分がいい。
「その言葉、忘れないでよ」
紅林は笑う事なく握手の手を強く握りしめた。そこに浮ついた気持ちなど微塵もない。
なぜだかわからないが胸の奥から熱いモノが込み上げてきた。
常識で考えれば紅林がこの学園をトップで卒業し思惑通り政治家となれたとしても総理大臣になれる可能性など1%もないだろう
分の悪い賭けどころじゃない、博打にすらならない。
だが上等だ、やってやろうじゃないの。リセットもコンティニューもない一発勝負のデスゲーム。
賭け金は高々俺の人生だ、負けたところで社会に何の損失もない。
俺はこの最高で最悪のゲームに迷うことなくエントリーした。
「じゃあ、これからよろしくね、大和」
紅林がいきなり俺の下の名前を呼んできた。
「何だよ、いきなり?」
「これから私と貴方は一蓮托生のようなものじゃない。それなのにいつまでも佐山君じゃあおかしいでしょ?」
「まあ、そうかもしれないが……じゃあ俺はお前の事をどう呼べばいいんだ?」
「美鈴でいいわよ」
「いきなり女子を名前呼びとか……俺には少しハードルが高すぎるというか……」
「何を言っているのよ、これからこの国のてっぺんに昇りつめるようとしているのに、そんなところでくじけないでよ⁉
仲間達からは普通に美鈴って呼ばれているし、変に意識しないで」
まるで母親が子供に言い聞かせるように説教された。前途多難とはこの事だろう。
「じゃ、じゃあこれからよろしく、み、美鈴……」
何だ、これ。たかが名前を呼ぶだけなのに物凄い抵抗がある。言葉も何かギクシャクして他人行儀な事この上ない。
美鈴はそんな俺の事を呆れた目で見ている。その視線こそが俺に対する正当な評価だと思うのだが……
「まあ、最初はそんなモノかしら。でも期待しているわ、大和」
「できれば期待はしないでくれ、全力は尽くすが」
「今さっき〈俺が必ずお前をこの国の内閣総理大臣の椅子に座らせてみせる〉とか言っていたばかりじゃない、あの勢いはどこに行ったのよ?」
「あ、あれは、その、勢いというか、若気のいたりというか、その場の空気に乗せられたというか……まあそんな感じだ」
俺の言葉に美鈴はヤレヤレといった表情を浮かべた。仕方がないだろう、人間そう簡単に変われるモノじゃない。
長い目で見てくれ、俺にしては頑張っている方なのだから。
こうして俺と美鈴は正式に手を無結んだ。俺にしてみれば一蓮托生というよりは共犯みたいな気分だが、まあいいか。
無謀にも総理大臣の椅子を怪盗のごとくかすめ取りに行こうというのだから共犯という言い方もあながち間違いじゃ無いだろう。そんな事を思って少し笑えた。