スレスレの作戦と家族の絆
翌日、俺はいつものように一人机に伏せ寝たふりをしながらクラスメイト達の動向を観察してみた。
すると今まで無関心で気が付かなかった事も色々わかって来て興味深かった。
まずは紅林に頼まれた〈裏切り者を探す〉という視点で紅林派をじっくりと観察する。
紅林派は彼女を中心として実に華やかな雰囲気がある、派閥内に女性が多い事もその要因だろう。
その中でも目立つのが佐々木静香という女生徒だ。
佐々木は父親が某お菓子メーカーの経営者で社長令嬢だ。
見た目は黒髪ロングのストレート、涼しげな目元と白い肌、手足が長く均整の取れたスタイルで紅林に負けず劣らずの美少女だ。
だが紅林とはタイプが違い、可愛いというより和風美人という印象を受ける。
そしてこの佐々木が紅林と特に仲がいい、二人で話している姿はとにかく絵になる。紅林派の人気の秘密は彼女によるところも大きいだろう。
紅林派の中心人物の二人目は小崎健一郎だ。
明るくて社交的、見た目も茶髪にピアスと真面目系が多いこのクラスの中では異彩を放つ存在だ。
そのチャラい見た目と軽快な口調が実に軽薄な印象だ。
だが女生徒の多い紅林派の中で会話の中心となって場を明るく盛り上げている、いわゆるムードメーカーというやつだろう。
ハッキリ言って俺の嫌いなタイプだ。
紅林派の中心人物の三人目が山口泰三だ。
彼の父親は財務省の高級官僚でエリート一家の家系らしい。
こういういかにもという人物は松金派に属していそうな感じがするが松金の父親が大臣時代に山口の父親と何かあったらしい。
父親同士の因縁や遺恨が息子の代まで続いていると思うと政治の世界のドロドロの一部を垣間見た気がして少し嫌な気分になった。
四人目はステッドガルド・香奈。父親がスウェーデン大使館に勤めており母親はスウェーデン人というハーフだ。
紅林や佐々木程の美人ではないが、180cm近い身長と高校生離れした抜群のプロポーションは紅林派の華やかさを更に引き立たせている。
なにより金髪、巨乳キャラというのはどの世界でも貴重な存在なのだと思わずにはいられなかった。
本人も中学二年生の時までスウェーデンにいた為、少し日本語がおかしい所もチャームポイントだろう。
紅林派の中心人物といえばこの辺りだろう、客観的に見てみたがとにかくこいつらのパリピ感は半端ない
同じクラス内にいるのに松金派や木林派とは明らかに空気が違う。木村がひがんで悪口を言いたくなる気持ちもわからなくはない。
いかん、いかん。俺はどうしてもそっち側に感情移入してしまう
今回は紅林の味方として活動しているのだから自分の思想とか主義とか価値観とかはこの際排除しなければ……
それにしてもこいつらの集団心理と同調圧力による無駄に明るい演出には正直気分が悪くなる
無理をしてまで他人と意見と空気を合わせて本当に楽しいのだろうか?大体こいつらは……
しまった、今の発言は撤回しよう、彼らは楽しく青春を謳歌しているのだ、例えそれがかりそめで虚無的なモノであったとしても……
〈ねえ、どうだった?〉
その日の夜、さっそく紅林から電話がかかってきた。
俺のスマホに家族以外の電話番号が登録されたのは初めての事であり、それが紅林美鈴というのも何か不思議な感じだ。
「どう?って……今日一日だけでわかるかよ、そういう目で見ると誰もが怪しく見えたし」
〈そうよね……でも委員長選挙までそんなに日にちは無いし〉
「じゃあ、それぞれの人間に別々の情報を流して掲示板にその事が書かれたらそいつが犯人という形で特定するとかはどうだ?」
〈それは無理ね、その方法は私もやってみたのだけれど効果はなかったわ〉
「そのあたりは警戒されているという訳か、犯人は中々慎重で巧妙な奴みたいだな」
〈ハンドルネームを使っているとはいえ匿名である以上、犯人を特定する方法が無いのよ〉
「わかった、何かいい手段が無いかもう少し考えてみる」
〈ありがとう、期待しないで待っているわ〉
「ああ、期待されると困るからそういう姿勢でいてくれると助かる」
〈クスっ、貴方って本当に変わっているわね〉
「いや、俺は正常だ。世間の方が異常なのだ」
〈はいはい、じゃあまた明日。おやすみ〉
「ああ、おやすみ」
こんなただの挨拶に一瞬ドキドキしてしまい自分が思春期の男子なのだと痛感させられた。
馬鹿か俺は⁉紅林とはそういう仲じゃない、友達かどうかも怪しい
万が一俺がその気になったとしても紅林が俺に友達以上の感情を向けてくる事はないだろう、それぐらいはわかる。
俺は頭を冷やすため風呂に入ることにした。部屋を出ると風呂から上がったばかりの沙羅がパジャマ姿でこちらを見ていた。
「おう、今上がったのか?」
「うん……今、お兄の部屋から話し声が聞こえて来たけれど、もしかして電話していたの?」
「もしかしても何も、一人で部屋にいるときに話し声がしたなら電話しかないだろう」
「いや、普通はそうなのだけれど、何せお兄だからさ。誰かと電話をしている可能性よりも、ブツブツと独り言を言っている可能性の方が高いかな?と、思ったのよ」
「お前な、一人で部屋に籠って部屋の外に聞こえるぐらいの声でブツブツと独り言を言っていたら
それはボッチの域を超えて精神に異常をきたしている不審者でしかないぞ⁉」
「だから〈とうとう来たか……〉と思っただけだよ」
「来ないわ‼そんな状況は永遠に来ない‼お前は兄の事を何だと思っているのだ⁉」
沙羅は俺の問いかけに少し考えこむ
「何って……そうだね、引きこもりニートから対人スキルと行動力を無くした感じかな?」
「お前な、引きこもりニートの皆様方は只でさえ対人スキルと行動力が枯渇しかけた人達なのだぞ⁉
そこからさらにその両方を搾取してしまったら、もう完全に社会不適合者だろうが」
「だから、そんな感じ」
妹はあっけらかんと言い放った。ダメだ、せっかく俺の心が薄いピンク色で満たされかけたのというのに、あっという間にドス黒い土砂で埋め尽くされてしまった。
俺の電話の相手が紅林美鈴だと言ってやったら沙羅はどれだけ驚くか、勢いで言ってやろうかと思ったが止めた。
そもそも話していた内容が友達同士や恋人同士のそれではなくただの業務報告のような通話だったことを思い出し、空しさを重ねるだけだと自重した。
翌日の朝、俺が教室に入ろうとすると中から楽し気に話す声が聞こえてくる
たった一日でこのクラスの事を完全に把握した俺には見なくてもわかる、紅林派の連中だ。
教室に入ってそちらの方へと視線を向けると紅林は相変わらずグループの中心にいて笑っている
そして次の瞬間俺と目が合った。俺達は何かリアクションを起こすわけでもなく一瞬見つめ合う
時間にしたら一秒前後だろう。だがお互い何か意思の疎通があった気がした。
その瞬間俺は紅林派の連中に言ってやりたい衝動に駆られる
〈お前らにはこれは無いだろう?〉と心の中でマウントを取ってみた。
冷静に考えると自身の馬鹿さ加減に驚くがこの時の俺は確実に勝者だった。
その日の夜も紅林から電話があった。連日向こうから直接通話でかかって来るのだからいかに彼女が焦っているのかがわかる。
俺に対して〈期待はしていない〉と言いながらもこうして連絡してくることから〈藁をも掴む〉という心境なのだろう。
「焦っても仕方がない事だろう?」
〈そうだけれど、何かこう……ジッとしていられないのよ
みんなと話していてもこの中に裏切り者がいると思うと会話に集中できないというか、正直信じられないの……〉
紅林の性格からいって友達や仲間を疑うという行為は相当なストレスになるらしい。
俺には永遠に理解できない感覚だ。しかしこのままでは委員長選挙にも影響が出るし
そもそも裏切り者の存在がそのまま選挙の勝敗に繋がりかねない。こうなったら俺も腹をくくるか……
「わかった、じゃあ俺が何とかしてやる」
〈何とかって……何をするつもり?〉
「裏切り者をあぶり出す」
〈あぶり出すって……そんな事ができるの?〉
「裏切り者は本名を名乗ってはいないがハンドルネームは使っている
これはある程度自己顕示欲とか承認欲求が強いという証拠だろう。だからそれを利用する」
〈利用って……具体的にどうするつもり?〉
「このピクシーという奴に対してお前が名誉棄損で法的に訴えるのだよ」
〈ちょっと、いきなりそんな事……無理よ、確かに私に対して色々な悪口を書いてはいるけれど
どれも名誉棄損で訴えられるほどの内容じゃないわ〉
「だから名誉棄損で訴えられるぐらいの誹謗中傷をでっちあげる」
〈でっちあげる⁉意味が分からないのだけれど〉
紅林は困惑気味に言った
「だから俺がピクシーの名前を騙って掲示板にお前のかなりヤバい誹謗中傷を書き込む。
そしてお前はピクシーを名誉棄損で訴え、プロバイダーに対して情報開示請求をするのだよ。
そうすれば相手のIPアドレスから裏切り者が誰か判明するというからくりだ」
〈それって、貴方も犯人として捕まらないの?〉
「殺人予告とかならともかく単なる誹謗中傷だからな。真犯人の名前が判明咲いたら刑事事件としてではなく
民事訴訟として名誉棄損を訴え損害賠償を請求するという形にすればいい。
結果的にピクシーの正体が判明したら訴えを取り下げてくれればいい、やってみる価値はあるだろう」
〈貴方凄いことを考えるのね。でも佐山君はそれでいいの?〉
「ああ、かまわない。冴子にも〈貴方はこれから全力で美鈴さんの夢のサポートをしなさい〉といわれているからな」
〈何よ、それ?佐山君、貴方もしかしてマザコンなの?〉
紅林は皮肉交じりに言った、俺はそれに対して冷静に答える。
「ある意味そうかもしれない、ただ俺の場合【マザー・コンプライアンス】だがな」
〈それ、どういう事よ?〉
「最近とみに耳にするコンプライアンスという言葉は〈規則に従う〉という意味がある。
ウチの家庭において冴子のいう事は絶対なんだ、我が家においては冴子の発言が規則なのだよ」
〈よくわからないけれど。でも貴方はいいの?何だか犯罪スレスレの行為に見えるけれど〉
「犯罪と犯罪スレスレには大きな違いがある。知っての通り我が日本は法治国家だ
法治国家というのは言い換えれば〈法さえ守っていれば何をやっても良い〉と解釈することができる。
だから違法じゃない行為は全て合法であり正当化されるのだ。
今では形骸化されてしまった倫理とか道徳とかの個々の判断力に任されている曖昧な基準など知った事か」
〈モノは言いよう、としか聞こえないけれど……それにしても佐山君は本当に独特の考え方をするのね、貴方のお母さんが言う事も少しわかった気がするわ〉
「いや、冴子のいう事は真に受けるな。あいつの言う事は大体間違っているからな」
〈クスっ、お母さんのいう事は間違っているのに逆らわないの?凄い矛盾ね〉
「矛盾では無い、独裁国家の暴君による圧政などを思えばわかりやすいだろう」
〈独裁恐怖政治の女王様という訳ね?〉
「ああ、仕える身としては本当に苦労するぜ」
俺の言葉に電話口から彼女の笑い声が聞こえて来てそれに釣られて俺も笑った。何だろう、この不思議な心地よさは?
紅林は一通り笑った後、真面目な声で仕切りなおした。
〈それでやってみるわ、ありがとう、佐山君〉
「礼は成功してから言ってくれ」
〈いいじゃない、お礼を言たかっただけ。法に触れなければ何をやってもいいのでしょう?〉
「そうだな、その通りだ」
〈じゃあ、おやすみ〉
「ああ、おやすみ」
俺はそう言って電話を切った。気分が高揚し鼻歌交じりに部屋を出るとまた風呂上がりの沙羅とバッタリ遭遇する。
パジャマ姿でこちらを見ている妹は昨日と違い物凄い目でこちらを見ていた。
どうやら会話が少し聞こえていたようで、その会話内容から相手が女性であると気付いたらしく
大きく目を見開き信じられないという目でこちらを見ていたのだ。
一々事情を話すのも面倒なのであえて無視する形で沙羅の横を通り過ぎ風呂へと向かう。
心を落ち付かせるようにゆっくりと湯船に浸かっていると玄関のドアが開く音がして
冴子の〈ただいま~〉という声が聞こえて来ると、沙羅がバタバタと廊下を走る音がした。
「ねえ、ママ‼今、お兄が女の子と電話していたのだよ⁉」
「ああ、さっそく……いい事じゃない」
「ママはお兄の電話の相手を知っているの⁉」
「ええ、おそらく同じクラスの紅林美鈴さんよ」
「紅林美鈴⁉って、アバント・モードの専属モデルをしているあの紅林美鈴⁉嘘でしょう⁉」
「嘘じゃないわ、何せ私が二人のキューピット役を務めたのだから」
「嘘でしょう⁉だってお兄だよ?絶対に生涯独身で一人寂しく孤独死が確定しているお兄が、あの紅林美鈴と……
あり得ない、ありあえないわ。私ファンだったのに、ショックだわ」
何やら好き勝手な会話を繰り広げる我が家の女性陣。
ツッコミ所が多すぎてもはや突っ込む気も失せたがどうしても看過できない言葉があった、それは〈キューピット〉という単語だ。
冴子がキューピット?あの悪魔のごとく凶悪で凶暴で強欲で我儘で残忍で腹黒で非道な女がよりにもよってキューピットを名乗るなど神をも恐れぬ所業だな。
そもそも冴子は紅林父と仲良くなりたくて俺を利用しただけなのに
〈自分が二人の仲を取り持ってやった〉みたいな母親面が実に気に入らない。
冴子がキューピットだったら世界中の恋人は罵り合い蔑み合って破局するはずだ。
そしてその手に持っている弓矢には間違いなく猛毒が塗ってあることだろう。
そんな事を思いながら湯船に浸かっている俺。外ではまだ沙羅の抗議のような質問が続いていて完全に風呂から出る機会を逸してしまった。
それにしても沙羅のやつ、兄がクラスメイトの女子と話していたというだけでどうしてそこまで嫌がるのだ?
しばらく沙羅の熱弁が治まるのを待ったが一向にその気配はない
このままだとのぼせてしまうと思った俺は仕方がなく風呂を出ると、沙羅は会話を止めて俺を睨みつけた。
その目はまるで親の仇を見るようで俺の脳裏にある言葉が浮かぶ、どうして?
沙羅は怒りを表しながら俺の前を大股で通り過ぎると、これ見よがしにドアを乱暴に閉めた〈バタン〉という激しい音が鳴る。
俺が呆気に取られていると横にいた冴子がクスリと笑った。
「感受性の強い時期だからね、きっとお兄ちゃんを取られた気になったのよ」
いや、絶対違うぞ、それ。娘の気持ちを微塵も理解できていない、お前はどこまでも母親失格だな。
デザイナーって感性が豊かじゃないと出来ない職業ではないのか?
俺がそんな事を思っているとはつゆ知らず冴子はニヤニヤとこちらを見ている。
もちろん俺は思った事を口に出しては言わない。そんな事を口にすればキューピットの矢の代わりに鉄拳が飛んでくるからだ。
この見当違いの天使様にこれ以上かかわるとロクな事にならなそうだ、俺は何も言わずそそくさと自分の部屋に戻った。