同盟成立
「それにしても佐山君、貴方自分の母親の事を〈冴子〉って呼ぶのね」
先ほどまでの緊張がほどけたのか、紅林は思い出したかのようにクスクスと笑い始めた。
「そ、それにはきちんとした理由があるのだ、俺の意思じゃない」
何か急に恥ずかしくなって慌てて強がって見せたがもう時すでに遅かった。
堪えようとして思わず吹き出してしまう紅林の姿は本当に可愛かった。
しばらくすると紅林父と冴子が帰ってきた。日本有数のアパレル会社の社長とそのプロジェクトリーダーとして招かれたデザイナーはご丁寧に腕まで組んでの再登場であった。
こいつらはここが婚活パーティーの会場だとでも思っているのだろうか?
「いやいや、冴子さんとはすっかり意気投合してしまってね。
デザイナーとして尊敬していたのですが、女性としても素晴らしい。ぜひ長いお付き合いをさせていただきたいものです」
満面の笑みで嬉しそうに語る紅林父。この短時間では冴子の正体はまだバレいないようだ。
「大和君、これからも美鈴と仲良くしてやってくれ。娘には大きな夢があるみたいだしな」
さわやかな笑顔で馴れ馴れしく俺に話しかけて来た紅林父、俺はとりあえず〈はあ〉と答え小さく頭を下げる。
それにしても紅林の叶えたい大きな夢とは何だろう?この女ならば大抵の夢は叶えそうなものだが……
「ちょっとパパ、止めてよ」
紅林は恥ずかしそうに父親の言葉を遮ると顔を赤くしながらこちらをチラリと見た。何だ、この反応は?
そんなに人に聞かれると恥ずかしい夢なのか?
するとその時、冴子がこちらに近づいてきて笑顔で俺にこう言った。
「大和、貴方はこれから全力で美鈴さんの夢のサポートをしなさい。いいわね?」
表情こそ穏やかだったが、その言い方と鋭い目には俺の意思が介入する余地はない事を示していた。
有無を言わせぬ絶対命令。まあいつもの事と言えばいつもの事なのだが……
「ちょ、ちょっと待てよ。俺が紅林のサポート⁉それって一体……」
俺は困惑するが冴子はそんな俺には構わずクルリと背中を向け紅林父に語り始める。
「私の息子大和は性格がねじ曲がっていて常に世間を斜めから見ているひねくれものですが、能力は私が保証します。必ずや娘さんの力になれる事でしょう」
俺の意思を無視して勝手に話を進めていく冴子。おいおい何を言っているのだ⁉お前の息子はそんなたいそうな人間じゃないぞ⁉
と心の中でそう叫んだが時すでに遅し、もう矢は放たれてしまったのである。
その息子への根拠のない信頼と、これ見よがしにアピールする背中の大きく開いたドレスが俺を更に不快にさせた。
「そうですか、それは心強い。私も一目見て彼は只者じゃないと確信していましたよ。美鈴、今後は大和君と仲良くしなさい」
冴子の言葉を額面通り受け取る紅林父。冴子の事といいこの親父の目にはビー玉でも詰まっているのか?
紅林娘は、父は経営者として優秀と言っていたがその観察眼はどうかと思うぞ。
そんな俺の思いなど知る由もない紅林父と冴子はパーティーの主役とホストとして会場に戻って行った。
残された俺達は何が何だかわからないまま困惑したままだった。
特に紅林は頭の整理が追い付かないのか、口を半開きのまま茫然としていた。
「あまり気にするな、紅林。俺の協力とか意味不明だしな。
今度の委員長選挙はお前に投票してやるし、何だったら派閥に入ってもいいぜ、それで名目上協力したことにはなるだろう」
落とし所としてはこんな感じだろう。だが紅林は俺の言葉に反応することなく何か考え込んでいた。
何だろう、嫌な予感しかしないが……
「ねえ、佐山君。少し相談してもいいかしら?」
突然紅林が予想外の事を口にした。あまりに意外な質問に今度は俺の方が仰天した。
「相談⁉お前が?俺に?」
「ええ、少し困っている事があって……何かいい解決法は無いか?と探していたのよ」
何だ、この展開は?いくら冴子があんな事を言ったからとはいえ
今日までほとんど話した事も無い、むしろ嫌っているはずの俺に相談だと⁉一体どういうつもりだ?
「本気で言っているのか?お前ならば相談する相手くらいいくらでもいるだろう?」
「この件は逆に皆には聞けないというか相談できない事情があるの。お願いできないかな?」
普段の制服姿とは違った豪華な白いドレスを身にまとい、上目遣いで問いかけて来る紅林の表情にははかなさを感じさせ息が止まるほど美しかった。
その瞬間俺の胸の奥底から〈男気〉という普段見慣れないスイッチが入る音がする。
この頼みを断れる奴はいないだろう。男とは何と愚かな生き物なのだろか⁉と実感する。重ね重ね言う、だから美人は嫌いなんだ。
「お、俺で良ければ話を聞くが……でも力になれるかどうかはわからんぞ」
柄にもない台詞を吐いてみた、思い返すと死ぬほど恥ずかしいので思い返さない事にする。
「相談したい事というのは……」
俺の心の葛藤など知る由もない紅林はポケットからスマホを取り出し何やらいじり始めた。
待っている間も胸の鼓動が激しく騒ぎどこか落ち着かない。
そもそも女子と二人きりで話をするのも幼稚園の頃以来なのだ。
コミュ障の俺にはこのシチュエーションは高レベル過ぎる。
まるでRPGゲームで初期装備のままでラスボスに挑む愚かな勇者のようだ。
俺が心の中で何かと戦っていると、紅林が俺に見せつけるようにスマホの画面を向けた。
「これは……ウチの学園のWEBサイトじゃないか?」
「そう、そして学園の生徒ならば誰でも書き込めて閲覧できる掲示板があるわよね?」
「ああ、あったな、そんな掲示板が。俺は一度しか見ていないので忘れていたが」
ウチの学園のWEBサイトには誰でも自由に書き込める掲示板がある。
ここではクラスごとにスレッドが立っており、生徒同士が自由に意見交換や交流するためのコミュニティツールの一環となっていた
だがこの掲示板には一つ大きな問題があった。
「改めて見ると、ひでえな、ここは……」
我が一年A組のスレッドを開いてみた時、俺は思わず苦笑した。
この掲示板では忌憚のない意見を出し合うために匿名で書き込むことが可能だ。
だが皆も知っての通り匿名というルールは人のタガを外れさせる。
〈バレないから何を言っても大丈夫〉という免罪符を渡された人間はかくも醜く攻撃的になるのか?
と思わせるには十分な内容だった。
そこに書かれていたのは特定の人間に対する誹謗中傷や言いがかりに近いモノ、根拠のないスキャンダルに単なる悪口もかなりあった。
おそらくは敵対する陣営からの嫌がらせも含まれているのだろう。
まるでアメリカの大統領選のようなネガティブキャンペーン合戦だ。
「この掲示板のモラルの低さはこの際目をつぶるとしても
私達立候補者にしてみれば自分の意見や主張を訴え、忌憚のない意見を交換するには必要なツールではあるわ」
紅林は複雑な表情を浮かべながら言った。確かに委員長選挙に立候補している三人は紅林を始め自分の名前を入れて書き込んでいた。
委員長選挙に向けての意気込みや豊富、活動方針や未来像、そしてここに書かれている質問には余程酷いもの以外は丁寧に受け答えしていた。
「一番書き込みが多いのは木村か……」
木村竜馬は自身のアピール以外にも、相変わらず好き勝手な事を書いていた。
真面目な意見を書き込んでいる紅林と松金とは対照的に、木村竜馬はこの混沌とした世界の中でこそ自分が生きる場所だとでも言わんばかりにその毒舌は冴えわたっていた。
「もしかして相談というのはこの木村の書き込みについてか?」
俺が問いかけると紅林はゆっくりと首を振った。
「違うわ、木村君の事はもうこんなモノだと諦めているし、少数派の彼にとって正面切って戦えないからこういった奇策に走っているのだと理解しているわ」
「そうだな、少数で大きな敵と戦うには真正面からではなく搦め手、つまりゲリラ戦しかないだろう。
相手を貶めて勝とうとか、人としては間違っているが作戦としては正しいかもな」
これだけ好き勝手に書かれているのにも関わらず、意外と冷静に分析して大人の対応を取っている紅林に少し驚いた。
常人ならばブチ切れてもおかしくないだろうに、大したものだ。
「本音で言えばあのクズ野郎をぶん殴ってやりたいくらいよ‼」
紅林は吐き捨てる様に言った、ブチ切れていた。彼女はまだ大人にはなりきれなかったようだ。
「しかし相談が木村の書き込みでないとすると何が問題なのだ?」
紅林は気を取り直し、書き込みのページを指でスクロールしていく。
「この書き込みを見て」
紅林がある書き込みを俺に見せつける。そこには他と同様に紅林の悪口が書かれていた。
「これがどうかしたのか?内容は他の書き込みと大差ないように思えるが……」
「よく見て、この書き込みには匿名では無く名前が入っているでしょう?」
言われてみると確かに名前が入っていた。だがそれは本当の名前ではなく【ピクシー】というニックネームで書かれていた、いわゆるハンドルネームというやつだろう。
「こいつがどうかしたのか?」
俺が問いかけると紅林は顔をしかめ唇をかみしめた。
「ここに書かれている内容が妙にリアルなのよ。最近私の周りであった事や話した内容がちょくちょく書かれているの。
他の陣営の人間じゃ知らない事も多く書かれているわ」
「それって、もしかしてお前の陣営にスパイがいるって事か⁉」
俺が驚いて聞き返すと紅林は無言でコクリとうなずいた。
「私の周りに裏切り者がいると思いたくはない。でも身近な人じゃないとこの内容の書き込みは説明が付かないのよ」
紅林は唇を震わせて語った。なるほど、話が見えて来たぞ。
派閥のトップとして仲間を疑うような言動はできない、だがこのままではこのスパイの存在が選挙の致命傷になりかねない。
だから俺にそれとなく探って欲しいという訳か。
「お前の言いたいことは分かった。だが立場上完全部外者の俺が表面上仲良くしているお前らの中から裏切り者を探り当てるとか、至難の業だぞ」
「わかっている、でも中から見るのと外から見るのとでは見方が違ってくるじゃない。
何でもいいの、気づいたことがあれば教えて欲しいのよ」
普段優雅で余裕たっぷりに見えていた紅林だったが、内心ではこれほど切羽詰まって追いつめられていたとは……
本当に人は表面上ではわからないものだと改めて思った。
「わかった、やれるだけやってみる。そういう訳だから表面上では俺はまだどの陣営にも属していない孤独なボッチという事にしておいた方がいいな」
「ありがとう、助かるわ」
「礼を言われるようなことじゃない、まだ何もしていないのだから」
「でも仲間ができるって、何かいいじゃない」
紅林はそう言って微笑んだ。それは言葉だけじゃなくおそらく本心で言っているのだろう。
まあ俺自身が紅林の色香に惑わされて判断力が鈍っている可能性も否定できないのだが。
「そういえばお親父さんが言っていたお前の〈大きな夢〉って何だ?」
「そ、そんなの別にいいじゃない、もしこの問題が解決出来たら話してあげるわ」
紅林は顔を背け少し恥ずかしそうに言った。何だろう?まあ別に人の夢とかそこまで興味があった訳じゃないのだが……
それにしても随分ともったいぶるな。まあ自分の夢とかを堂々と他人に語る事が恥ずかしくて痛い行動だというのはわからなくはない
将来に夢も希望も持っていない俺にとっては永久に理解できないモノなのかもしれない。
こうして俺と紅林美鈴は二人だけの内密な同盟を結ぶこととなった。