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帰国の理由

沙羅が青春を謳歌するべく出かけた一時間後、玄関のドアが開き冴子が帰ってきた。


「おう、お帰り」

 

俺が挨拶しているのにもかかわらず、母親である冴子は何も言わず玄関で乱暴に靴を脱ぎ捨てるとキョロキョロと辺りを見回しながら沙羅の部屋のドアを開けた。


「沙羅は?」


「ああ、何か〈友達と約束があるから〉って出ていったぞ、カラオケするとか何とか……今日は遅くなりそうだとか言っていたな」

 

俺がそう伝えると冴子は〈ちっ〉と舌打ちをした。


「まさか沙羅がいないとは……コラ大和、どうして沙羅を引き止めておかないのよ⁉」


「いやいや、そんな事を言われても意味わからんし。何か沙羅に用事でもあったのか?」

 

すると冴子は苛立ちの表情を浮かべながら口を開いた。


「今晩、今度行く会社で私の歓迎会を含めたレセプションパーティーがあるのよ。そこに沙羅を連れて行こうと思ったのに……どうしてくれるのよ、大和‼」

 

相変わらず理不尽な理屈でキレる我が母君。


「初耳だぞ。だったら昨日の夜か今日の朝でも沙羅に直接伝えておけばよかっただろう」


「昨夜は推しのドラマの最終回でそれどころじゃなかったのよ、朝は何かと忙しいし‼」

 

言い草までもが娘にそっくりだ、全くこの母娘は……遺伝子の力というのは恐ろしい。


冴子はふと携帯を取り出しすかさず電話をかけたが沙羅は電話に出ない様だ。


電話の呼び出し音がこちらにも漏れ聞こえて来るが冴子は三回目のコールが鳴った時点で電話を切った。


「出ないわ、何をしているのかしら⁉」

 

苛立ちを隠そうともせず吐き捨てるように言い切った。呼び出しコールも三回までしか待てない忍耐の無さがこの冴子という人間なのである。


「電車に乗っていたら電話に出られないからな。諦めるか、連絡を待つかしかないだろう?」

 

俺がそう言うと冴子は益々機嫌悪そうに顔をしかめる。何か考え事をしているようだが嫌な予感がする。


経験上こういう時はロクなことがない、そしてその予感は図らずも的中した。


「仕方がないわね、じゃあアンタでいいわ」

 

冴子は俺を見て言った。


「は?俺⁉どういうことだ?」


「いいから早く支度しなさい。あまり時間が無いのよ」

 

冴子は困惑する俺の服の袖を掴んで催促する。


話の流れからいって俺が沙羅の代わりに冴子の行く新しい会社のレセプションパーティーに参加させられるらしい。


いやいやいや何だ、その急展開は⁉全然理解が追い付かない。


「ちょ、ちょっと待て。俺がパーティーに参加するとか、意味不明すぎるぞ」


「ごちゃごちゃ言ってないで早く支度しなさい。時間がないって言っているでしょ⁉」

 

何故かキレ気味に言われてしまった、相変わらず俺の意見は全く聞き入れられる気配はなかった。


これって俺の方が間違っているのでしょうか?だがこれが我が家の普通なのである。


仕方がなく作った料理をタッパーに入れ冷蔵庫に入れると冴子に言われるがまま始めて着るジャケットに袖を通し、髪を整えた。


部屋を出ると冴子はすでに着替えていた。目もくらむような真っ赤なドレス


それは年齢にそぐわない程派手であり、背中の部分はこれでもかというほど大胆に大きく開いていた。


「おいおい、本当にそのドレスを着ていくのか?」


「ふふん、アンタも私がきれいな方が嬉しいでしょ?」

 

ドレスを着たまま俺に見せつけるように一回転し得意げに言い放った冴子。


いやいや自分の母親のそんな姿を見せられた高校男子の感想は綺麗というより恥ずかしさしか感じないぞ。


「冴子……自分をいくつだと思っているのだ?年齢相応の格好というものがあるだろうが」

 

俺が忠告すると冴子はフンと鼻で笑った。


「何を生意気に、ファッションの事でアンタが私に意見するとか、百年早いわ」


俺のまっとうな意見も全く聞く耳を持たない、まあ予想はしていたがそれにしても……


確かに冴子は美人だし実年齢よりもずっと若く見える。職業柄着こなしも完璧なのだろう。


しかし母親のこんな姿を見せられる俺はたまったものではない。


だが人の意見を聞かない冴子には何を言っても無駄なので俺は気持ちを切り替えパーティーに行く覚悟を決めた。


「俺も行くのはいいけれど、冴子の歓迎もかねてのレセプションパーティーだろ?どうして子供が同伴しなければいけないのだ?」

 

何気ない質問だったが冴子はふと顔を逸らしうつむいた。訳ありという事か?


何か思うところがあるのか物憂げな表情を浮かべていた冴子だったが意を決したように静かに口を開いた。


「今度行くアバント・モードの社長はやり手なのだけれど女好きで有名なの。


ほら、私って美人じゃない、言い寄られて口説かれても困るから……


でも無下に断るのも角が立つし、子供を連れていく事によって歯止めが利くというか防波堤になるというか、まあそんな感じよ」

 

本気で心配した俺が馬鹿だった。そうだ、冴子はこういう女だった。


今までの人生で散々角の立つことばかりしてきた女が今更何を言っているのだ?我が母親ながら本気で腹が立ったので言ってやった。


「馬鹿かお前は、相手は大手アパレル会社の社長だぞ⁉


綺麗なモデルさんとか散々見慣れている男が冴子みたいな年増のコブ付きアラフォー女とか相手にする訳ないだろうが、


そもそも冴子は自意識過剰というか、ナルシストというか、もっと自分の事を客観的に……」

 

その時、俺の顔の横を高速の何かが通り過ぎた、風圧で俺の髪が揺れている。


気が付くと俺の後ろの壁に冴子の拳がめり込んでいた。


「もう一度言ってみなさい、大和。私に聞こえるようにもう一度」

 

ニヤリと笑うその顔は少なくとも母親が息子に向けるモノではなかった。


言い忘れていたが冴子は空手三段、柔道二段の猛者である。


〈女は強く生きなければダメ〉というのが彼女のモットーなのだが、それは戦闘力的なモノも含まれているらしい。


一時期は総合格闘技にも興味があった様で子供心に〈この人は何を目指しているのだろうか?〉と本気で思ったものだ。


「はい、冴子様はいつもおきれいで美しく、息子である私めも鼻が高いのでございまする」


「よろしい、今後発言には気を付けるように。今度は当てるわよ」

 

捨て台詞のような言葉を残しクルリと背中を向ける冴子。


〈また壁の修理を頼まなくてはいけないわ〉とブツブツ文句を言っている、自らの拳により破損した壁の原因はどうやら全て俺のせいらしい。


背中の大きく開いたドレスがこちらに向けられ、先ほどの恫喝と相まって俺を非常に不快な気分にさせた。

 

それからすぐ俺達は家を出た、用意されていたハイヤーに乗り込みパーティー会場へと向かう。


後部座席で窓の外を見ながら少し緊張気味の冴子。この心臓に剛毛が生えているような女でもやはり不安はあるのだろう。


何度も言うが冴子のポテンシャルは申し分ない、俺はファッションには疎いのでよくは知らないのだが


【SAEKO】といえばはそれなりに有名で、ファッションに興味がある女子などはほとんど知っているらしい。その辺りが沙羅の尊敬している部分なのだろう。


そして何度も言うがそのポテンシャルを台無しにするほど性格に難がある。


日本とイタリアで大手会社に勤めそれなりに実績を上げて好待遇を受けていたにもかかわらず


そこを辞めなければならなかったのはひとえにこの凶暴で我儘な性格ゆえだ。


だがそれも冴子の長所だと思っている。妥協を許さず人と争ってでも自分の信念を貫く。


言うのは容易いが今の世の中で中々できる事じゃないと思う。彼女の場合少し度が過ぎるというだけなのだ。

 

だが俺はこの冴子という母親の事を決して嫌ってはいないし苦手という意識も無い。


世間一般的な母親と息子という関係とは違うのかもしれないが、そもそも普通の親子という定義が難しい。


十の家族がいれば十通りの関係性があるはずだ。

 

冴子はこんな性格なので昔から会社側とよくモメていた。そしてそういう日は必ずといっていい程ベロベロに酔っぱらって帰って来る。


父親がいなくなりヘベレケになって帰宅する母親を手厚く介護するのも俺の役目だ。


その時の冴子は必ず俺に甘えてくる、酒臭い顔を近づけ俺に抱き着いて必ずこう言うのだ。


「大和、私にはアンタしかいないの。アンタは必ず大物になる。私を否定した奴らを見返してやってよ、絶対だよ、大和……」

 

冴子はそう言って寝息を立てて眠る、俺はそんな母親を何とかベッドに運んで眠らせる。


もちろん冴子は翌日には何も覚えていない、そして俺になんやかんやと文句を垂れる。


俺はヤレヤレとばかりにその言いがかりに近い文句を聞き流す。そんな日常が普通だった。


冴子はこんな俺に過剰な期待を寄せていて子供の頃からそれは感じていた。


それは単なる母親のひいき目かもしれない、だが俺は嬉しかった。


今まで誰も俺の事を優れた人間だと言った者はいない、そもそも俺自身が自分を最底辺の人間だと思っているのだ。


だが冴子だけは違う、地位と名誉と美貌と頭脳、その全てを手に入れたはずの母親がなぜか俺の事をやたらと高く買っている、それが子供心に嬉しかった


何とか期待に応えたいと思いそれなりの人間になろうと心に誓った。


しかし現実は厳しく、世間の風は冷たく、社会の壁は厚かったのだ。

 

もうすっかり日も暮れ外は夜のとばりが下りてきていた。


ハイヤーの窓から見える外の景色はビルの群れを彩るように都会の灯りが徐々に点灯し夜の世界へとその様相を変えていった。


東京の町が暗くなるのと呼応するように冴子は物憂げな表情を浮かべていた。


「心配するな。どんなエロ社長だろうが近づいて来る男は俺がそれとなく遮断してやるから」

 

本当に俺にそんな事ができるかは別として、柄にもなく家族唯一の男として母親である冴子は俺が守らなければいけないと思ったのだ。


まあ女好きの社長に言い寄られたくないのであれば、どうしてそんな派手なドレスを着てくるのだ?という疑問はあえて口にしないでおいた。


「向こうの社長からのアプローチは上手く遮断して欲しいけれど、他の男からアプローチがあったらとりあえず邪魔しなくてもいいわ」


冴子は理解不能な事をボソリと言った。


「は⁉どういうことだよ?」


俺が思わず問い返すと冴子はしんみりとした表情のまま静かに言った。


「離婚して二年、私だってまだまだいけるわ。もうひと花くらい……」

 

どうやらパーティーついでに男あさりも兼ねているらしい。


派手なドレスを着ている理由がここで判明した。


「おいおい今回は冴子の歓迎も兼ねてのレセプションパーティーだろ⁉男に色目使っている場合かよ⁉


そもそもイタリアで大喧嘩して飛び出してきたのだから、日本で心機一転頑張るとか言っていたじゃねーか⁉」


「それはそれ。これはこれよ」

 

冴子は理由にもならない理由を述べる。俺には理解しがたい理屈だがそれでモチベーションが上がるのならばまあそれも良しなのだろう。


そういえばイタリアでは色々な男性から猛烈なアタックを受けたと言っていたな。


そして〈やっぱりイタリア人とは合わないわ〉とも言っていた。


その言い草は自分には一切の非が無くイタリア人が全て悪いのだと言いたげだった。まさか日本に帰ってきた本当の理由って……


いや、今は考えるのは止そう、どんな答えが返って来ても気分が悪くなる気がするしパーティー前にそんな事で言い争いしても空しいだけだ。


そして冴子が今の環境に落ち着いたら改めて聞くとしよう。〈ユーは何しに日本へ?〉と。


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