女王様との出会い
「佐山君、少しお話いいかしら?」
三時間目と四時間目の間の休息時間、俺はいつものように机に顔を伏せ寝たふりをしながら
この十分という短い休息時間をやり過ごそうとしていた時である。
俺に声をかけて来たのはクラスメイトの紅林美鈴。涼しげな目元に整った顔立ち
スラリと長い手足に均整の取れたスタイル。耳にかかった艶やかな黒髪を右手でかき上げるその仕草はとても眩しく映る。
彼女からほのかに香るいい匂いは春の陽気も相まって異性の感性を少なからず刺激するのだろう。
なるほど、美少女というのは何をやっても絵になるものだと思った。
男という生き物は一部の変人を除いて美人が好きなモノである
そしてこういう美女は得てして自分が男共にとってどういう存在なのか、その価値を本能的にわかっているのである。
俺でさえ顔が勝手に愛想笑いを浮かべようとするのを必死で抑えているのだ。
そんな彼女にとって世界はとても優しく温かいモノなのだろう。
もしもこれがラブコメ漫画や恋愛シミュレーションゲームの世界であればここから俺にはバラ色の学園生活が待っているのだろうが
現実はそんなに甘くはない事を俺はよく知っている、そうこれは現実なのだ。
「票のためとはいえ俺みたいな奴に尻尾を振って媚びを売るとか、上を目指す者は大変だな」
俺の放った一言で彼女の顔が一瞬で強張る。そして数秒間無言のまま俺を睨みつけそのまま踵を返して去って行った。
これが俺と彼女のファーストコンタクトでありおそらくは最後の接触であろう、これで俺の高校生活は平穏なモノになると思っていた、そうこの時点では……
自己紹介が遅れたが俺の名前は佐山大和、都内に新設された高校に通う一年生だ。
ここで俺のパーソナルデータの一部を開示すると、身長171cm、体重61kg
見た目は普通、運動神経も普通、勉強はできる方だが俺には決定的な欠点がある
それはコミュニケーション能力の欠落、いわゆるコミュ障というやつだ。
当然彼女どころか親しい友人も皆無、一般的な同世代の若者の価値観で測れば〈真っ暗な青春〉というやつなのかもしれない。
だが俺はそれを否定も肯定もしない。価値観や充実感など人それぞれであり
何をもって勝ち組、負け組と区分けされカテゴライズされるのか他人が決める事ではないと考えているからだ。
そうあくまで価値観と見解の差であって決して負け惜しみや強がりで言っているのではないとここに明言しておこう。
そして紅林美鈴との冒頭でのやり取りと俺の置かれている環境について詳しく説明しよう。
俺達の通う高校は一昨年に創設された新設校【帝都学園】
二年前にできたばかりだから卒業生はまだいない、俺たちが三期生という事になるのだろう。
この少子化が進む現代日本において新たに高校が新設されたのにはれっきとした理由があった。
この俺たちが通う【帝都学園】は日本政府、特に与党である民自党の肝いり政策として設立された、その理由は政府民自党の求心力低下にあった。
民自党の議員や大臣の相次ぐ不祥事や問題発言により民自党の支持率はすでに消費税率を下回り
国民の多くは政治不信に陥っていた。新聞やテレビ、SNSを中心とした報道では連日政治家の言動や資質を問題視し
批判の的になっていていつの間にか〈政治家にはロクな奴はいない〉というのが国民の間では定型文化されていた。
それに伴い優秀な学生は政治家や官僚を目指す者も減り国会議員は二世議員ばかりが幅を利かせる事となりそれが国民の政治不信に拍車をかけた。
そこで政府は国民の政治不信を払しょくするべくある法案を立ち上げた、それが【議員育成改革法案】である。
この政策は有体に言えば〈政治家を育成するための特別な高校を作り卒業後には即戦力として立候補させる〉
というとんでもない政策を発表したのである。
これは大きな反響を呼び世間からも賛否両論あったがどちらかというと支持する声が多く、その声に後押しされる形で賛成多数で可決された。
とはいえこの学園の卒業生が全て政治家になれるのではなくあくまで成績優秀者のみ民自党からの公認を受け立候補することができる
とりわけ学年で一位を取った成績優秀者は卒業後民自党の比例代表の上位で立候補することができる
これは事実上卒業と同時に議員となる事を約束され議員バッチへの切符を渡された事に他ならない。
成績上位者もその後官僚や秘書などを経て政治家への道が用意される
つまりこの新設された【帝都学園】は青田刈りどころではない政治家を純粋培養する事に特化した専門の高校なのだ。
そんな事情もあり親が当然金持ちや権力者の生徒が多く親を含めてすでに有名人という者も少なくない。
そしてこの学園と普通の学校との最大の違いは〈学年順位に学業成績はあまり反映されない〉という点に尽きる。
通常の高校であればレベルの違いこそあれ学業成績で順位を決めるのが通例だがこの学園は〈どれだけ自分の価値を高められるか?〉が成績に反映される
わかりやすく言うと〈全体への影響力がどれだけ大きいか?〉が成績に直結するのである。
政治家に求められるのは頭の良さよりカリスマ性という事なのだろう。
〈全体への影響力〉と言われてもピンとこない人が多いかもしれないが、具体的に言えば再来週に行われる学級委員長選挙がいい例だ。
この学校では入学して三週間後にクラス委員長を決める選挙がある。
普通の学校ではクラス委員長などをやりたがる人間はごく少数だ。
責任と面倒ばかり多くて見返りが少なく割に合わないからだ。
だから変に意識高い系の人間か肩書き大好き人間のような少し目立ちたがりの変わり者が引き受けるモノである。
俺に言わせればクラス委員長など罰ゲームを自ら引き受けに行く様なもので変人がやる役という認識しかない。
だがこの学園ではまったく意味合いが違う。そう、これはクラスの委員長を決める〈選挙〉だからだ。
政治家にとって選挙が最も重要であることは言うまでもない。
そしてこの学園には一学年に2クラスしかない、つまりここでクラス委員長になれば一年間はこのクラスで一番有利な立場でいることができるのだ
だから誰もが委員長になりたがる、ここでは〈委員長とか面倒だし絶対にやりたくない〉と思っている俺のような人間は逆に希少なのだ。
先ほど〈誰もが委員長になりたがる〉と述べたがもちろん誰もがなれる訳ではない、当たり前だが当選するのは一人しかいないからだ。
だから誰もが入学早々選択肢を迫られる、それは自分が委員長に立候補し一番を狙うか?
それとも委員長になれそうな人間の仲間になり派閥としてこれからの学園生活を少しでも有利に運ぶか?という決断である。
そして俺のクラスでは委員長に立候補した人物は三人、その中でも最有力とされているのが先ほど俺に声をかけて来た紅林美鈴だ。
紅林は大会社の社長令嬢でいわゆるお嬢様だ。その優れた容姿から中学の頃からモデルをしておりその界隈ではそれなりに有名らしい。
その知名度を利用する形で立候補するというのはいかにもだが
自分を美人だと自覚していてそれを最大限に生かすその戦略は清々しさすら覚えた、なりふり構わず開き直った美人は強いのだ。
そんな理由もあり、まだどこの派閥にも属していない人間には自分の味方になってくれるようにと自慢の美貌を駆使して積極的に自分の派閥への勧誘を行っているのだ。
冒頭で紅林美鈴が俺のような人間に話しかけてきた理由が皆さんにも理解できたであろう。
知っての通りわが日本国は議会制民主主義という制度を取っている。
民主主義とは物事を多数決で決定するのが大前提である、つまり〈数の多い方が正しい〉というのがこの国では大正義なのだ。
多くの先進国で使われている手法であり最も反対する理由が少ないのも事実だ。
だがそれは裏を返せば俺のような異端のボッチには発言権はおろか人権すらないという事なのだろう。
まあそれもわからなくはない、人は誰でも群れたがり人の意見に一々気を遣う
特にこの国では集団心理や同調圧力がとりわけモノを言う。つくづく生きづらい世の中だと思う。
話は逸れたが委員長選挙の他の立候補者をここで紹介しておこう。二人目の立候補者は松金倫太郎。
親が元大臣であり叔父も政治家という生粋のサラブレッド。
近年の二世議員を嫌悪する世間の流れで今は二番手に甘んじているが
事実上は紅林美鈴と松金倫太郎の一騎打ちと言われている。
性格は意識高い系の堅物で融通の利かない上級国民気取りの人間の様で一生友達にはなれないだろう。
三人目は木村竜馬。親はテレビやSNSなどで有名なコメンテーターをやっている木村悟。
この男はどこか癖のある人物で父親同様、歯に衣着せぬ物言いで紅林美鈴と松金倫太郎の批判を声高に訴えている。
こういった変人は一般大衆からは嫌われるが一部の人間からは熱狂的な指示を受ける、木村竜馬はその典型ともいえるだろう。
この男の偏屈ぶりには共感できる部分もあるが俺はこの男をどうにも好きになれない
なぜならばコイツは人の悪口ばかり口にするくせに自分は好かれたいという意図が言葉の端々に見え隠れするだからだ
人を批判するのならば自分は嫌われようが孤独になろうがそれを甘んじて受け入れるだけの覚悟が必要だ。そう、彼には覚悟が足りないのだ。
入学から一週間が経ちクラス内の勢力図もほぼ固まってきた。
クラスの総数が51人に対し一番手はやはり紅林美鈴 派閥数21人。
二番手は松金倫太郎 派閥数19人。そして三番手は木村竜馬 派閥数10人だ。
この三人の派閥を合計しても50人にしかならないのはどこにも所属していない人間が一人だけいるからだ、そう俺である。
三人による選挙が行われた場合、単純な多数決であれば紅林美鈴が当選なのだが
紅林派だけでは過半数に満たないので三番手である木村派が松金派と手を組んだ場合、松金派は過半数を超え当選となる。
つまりこの選挙でキャスティング・ボートを握っているのは意外にも三番手の木村なのだ。
だから木村は両陣営に対して〈加勢した場合、どんな見返りをくれるのか?〉
と連立をちらつかせ見返り交渉を行うという駆け引きをしている。ある意味最もしたたかに動いている人物と言える。
そして紅林派と松金派の差が二人というのも非常に微妙なところだ
なぜならば紅林派の一人が松金派に寝返れば票数は同数となり、ガチンコでぶつかっても同票の決選投票となるからだ。
だから両陣営ともにライバル陣営の切り崩し工作を行い少しでも自分達に有利となるよう水面下で動いている。
ちなみに俺の持っている1票は勝敗には全く関係がないのでどこの陣営からもほとんど無視されている。
全ての派閥勧誘を断っているから当然なのだが、この乱痴気騒ぎに巻き込まれたくない俺にとっては好都合ではある。
放課後、各陣営が積極的に活動を行っている中で俺だけさっさと教室を出て帰路へと急ぐ。
帰る際にも声をかけられたが〈バイトがあるので〉と断ると相手はキョトンとしていた
それも無理からぬ事でこの学園の生徒は基本家が金持ちでバイトとかには無縁の人間ばかりだからだ。
もちろん俺もバイトなどしていないが忙しいのは事実なのでさっさと帰ったのである。
わずらわしい学園生活を終えると俺は電車を乗り継ぎ自宅へと向かう
俺も母親がそれなりの稼ぎがあるので金に不自由はしていない、そう金には……