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この討論を聞き終わって、私は座っていた椅子の上で座禅を組んで目を瞑り、無心になろうとします。嫌なものが込み上げてきて、どうしてもそうせざるを得ないと考えたからです。
これから私は無心になろうとしている私の話をしようとしています。それなのに「無心になろうとしています」と言うのは妙なのです。無心になろうとしているのに「無心になろうとします」では、もう無心ではないのです。無心とは自覚症状がない状態であるべきなのです。でも自覚がなければそれは夢遊病ではないか?精神障害ではないのか?
考えるんじゃない、感じるんだった。私はしばらく目を閉じて無心について思い描いています。
ふいに突然、星空とトンネルが見えてきます。山などなくてトンネルが存在する必然性などどこにもないところに、ふいに星空を切り取ったように目の前に大きなトンネルが現れます。私はトンネルの方へと迷う心もなく歩いて行きます。とても暗く、中に入ると足元には何も見えなくなります。壁や天井がどの辺にあるのかも分からなくなります。
恐怖心が少し芽生えますが、不思議にそのトンネルに興味を覚えたのには、幼少の頃の記憶が関係しているのかもしれません。