35-9
扉の裏側に何があろうとも、何も考えないようにしたいと思います。そのままの景色を見るだけにして、私は心を揺るがされることのないようにしたいと思います。想像を膨らませることのないようにしなければと思います。私は右の扉に近づいて行きます。
子供が倒れるのを見てから私は扉に近づいて行って、黙ってその扉を開けます。子供が私よりも先に少し開けていたので、自分で扉を開ける前から大体の想像はついてしまっています。扉を開ける前から扉の向こうが想像つくものには今まで散々遭って来たから、ここまで来てそんなものはもういらない。子供の目に映った光景と私の目に映った光景とは違うものであって欲しい。そう思いつつ私は扉を開けます。開けてすぐに分かります。想像は決して裏切られてはいませんでした。この扉は舞台の張りぼてと同じです。ここには張りぼての扉がお花畑の中に置いてあるだけです。
私は扉を通り抜け、次に西の方を見ます。そちらを見て私は今までになくさみしい思いになります。西の扉もただの張りぼてです。人々はその扉を通るずっとずっと以前から、その扉の向こうに何があるのかを知っていたかのようです。だからその扉がただの張りぼてだと分かったところで、何も驚いたりする様子はありません。だから余計さみしい気分になります。人々は長い長い行列になってまでも張りぼての扉のところにはるばる西の彼方から長い道のりを歩いてやって来て、そしてただの張りぼての扉を大した感慨もなく通り抜け、その後はまた元来た長い道のりを同じように歩いて帰っていくようです。なぜか人々は悠然として楽しそうで、でも私には居たたまれないのです。